宝物を手に入れた!
13.
拾い上げたそれは、季節のレリーフに、そっくりでした。
色も形も、素材も質感も。さほど変わらないように見えました。
四季の中で、手に入れていないレリーフは、春です。
ということは、これは春のレリーフでしょうか。
でも、刻印されているのは、王冠。
あの猫が被っていた、黄金に輝く王冠です。
「クラウン金貨を手に入れた!」
セヴァの声に、ヘンゼルは、びっくりして顔を上げました。
え、まだ続くの?
「……なァんてな」
けれどセヴァは、後に続けて、悪戯っぽく片目を瞑ります。
してやられたことに気付いたヘンゼルは、照れ隠しに、頬を膨らませました。
「もう、セヴァさん!」
「紛らわしいことをするな!」
「ははははッ」
満足げな笑い声が、風に乗ってススキを揺らし、野原を渡ってゆきます。
戻ってきたのです。最初に宝探しをしていた、始まりの野原でした。
騒がしかった猫は、建物ごと消え失せて、夕暮れの肌寒さに、赤蜻蛉が行き交うのみ。すべての試練をクリアしたというのに、ナレーションも、ファンファーレもありません。本当に終わってしまったのだなと、ヘンゼルは、猫の温かい毛並みを思い出して、掌の金貨を握りしめました。
「ネコさんの被ってた冠が、このコインになったの?」
「いや。逆だろう。それは私が元々用意していたんだ」
「あ、そっか」
此処で宝探しをしていたのが、騒動の発端でした。
「だからこれはお前のものだ、ヘンゼル」
「いいの? 先生の大事な物なんじゃないの?」
「いいんだ。最初からお前にやるつもりだったんだから」
「――ありがとう!」
ぐう。
声を張った拍子に、ヘンゼルのお腹が、元気よく鳴きました。
釣られたのか、ぐうぐうぐう。ムゥとセヴァの腹も、合唱を始めます。
それはそうでしょう。ほんの数時間とはいえ、ほぼ休みなしで、頭と身体を使い続けたのです。解放されれば、疲労と空腹を憶えて当然でした。
「腹減ったなァ」
「そうだな。非常食を食べたきりだ」
「あ、弁当! 持ってきてたじゃねェか」
敷物を広げてあった場所へ、そそくさとセヴァが移動します。
「げっ」
その足取りが、呻き声と共に止まりました。
肩越しに見れば、なんということでしょう。
そこには、綺麗に空になった弁当箱が転がっているのでした。
「獣か何かにやられたか」
「置きっぱなしだったもんね……」
「うぅ……腹減った……」
肩を落とす三人でしたが、食べられてしまったものは仕方ありません。
さっさと後片付けをして、帰路に就くことになりました。
夕暮れを背負って、三人で歩きます。
ヘンゼルを真ん中に、左右がムゥとセヴァ。
いつしか、当たり前のように決まっていた並び順です。
「虹の本棚、難しかったな」
「あれなァ。おチビ、お手柄だったぜ」
「えっへへ」
「俺様も活躍したよなァ。いやァ、色男の宿命かねェ」
「不法侵入罪、窃盗罪、器物損壊罪、脅迫罪、及びそれらの教唆」
「違ェよラスボスだよ。あの絵。俺が倒したンじゃねェか」
「聖水ぶっかけただけだろう」
「先生、美味しそうなご飯作ってたね」
「フライパンにな。夕飯はあれにするか?」
「ううん。オムライスがいい!」
「じゃあ米を炊かないとな」
語られる思い出は、もうずいぶんと、昔の出来事みたいです。
正午から夕刻までの、小さな大冒険。
こんなに長い宝探しになるとは、思いもしませんでしたよ。
「それにしたって、わざわざゲーム仕立てにする必要があったか? 言ってくれれば首ぐらい届けてやったんだ。おおかた、右往左往する私たちを見て楽しんでたんだろう。悪趣味そうな奴だったからな」
「代わりに幸運が訪れるッてよ?」
「あんなの与太話に決まってる」
くくっと笑うセヴァに、ムゥは苦々しく唇を歪めました。
今回の一件、どうやら解決はしましたが、ムゥは消化不良です。不敬を断罪することも叶わず、報酬すら得られませんでした。そも、たかが猫に体よく弄ばれたとあっては、人間としての矜持に関わります。いったん収めた怒りの再燃に、戦犯となった自責も蘇って、むっすり黙り込んでしまいました。
「…………」
これは、割と本気で不機嫌モードです。
なのでヘンゼルは、喉まで出かかった言葉を呑み込みました。
ムゥは勘違いしています。
この冒険は、決して、無駄ではなかった。
少なくとも、ヘンゼルと、あの猫にとっては。
猫は言いました。心残りのないよう。好奇心を恐れるなと。
猫には、きっとあったのです。どうしようもない心残り。
だからこの森にいたのです。
あのとき、ヘンゼルは、訊きそびれてしまいました。
人々に幸運を与える猫に、何か見返りはあったのでしょうか。
あんな朽ち果てた建物に放置されていたぐらいですから、怪しいものです。人というのは、叶った願いには、興味をなくすものです。その幸運が、誰のおかげだったのか。悲しいことに、多くの者が、忘れてしまうのです。それはいつでも、交換条件だというのに。
あの猫は、たぶん、知りたかったのです。
自分に、対価を得るだけの価値があったのか。
だって、最初の洞窟も、不思議な館も、帰り道は、そのままでした。
その気になれば、引き返すことができたのです。
それでも、三人は、辿り着きました。
数々の仕掛け、謎解き、面倒、戦いを乗り越え、諦めずに進み続けて。
それは即ち、同時に猫自身の幸運に他なりません。道中、何処かで誰かが諦めていたなら、猫は今でも首なしのまま、あの寂しい建物に座っていたのですから。
つまり試練を課されていたのは、三人の方ではなく。
猫の方だったのでは、ないでしょうか。
幸運を招く猫は、最後に、己の幸運を試した。
そんな気がしてならないのです。
家に帰るまでが遠足、とは言いますが、追加シナリオも裏ボスなく、三人は平和に帰宅しました。
もうだいぶ慣れてきた、現在の我が家です。
木造に、茅葺きの屋根。裸足で歩き回っても快適な、セヴァが言うところの書院造りです。障子とかいう紙のドアも、初めは戸惑ったものですが、今は危なげなく開閉できます。藺草の匂いに出迎えられて、妙に懐かしい気分なのは、此処は安全だという本能でしょうか。
本来の我が家を半壊させてしまった理由を、ヘンゼルは、未だムゥに告げることができません。
ムゥも訊かないので、それに甘えています。
いずれ謝らなければならない。わかってはいるのですが、過失では済まない規模の損害が、どうしてもヘンゼルに二の足を踏ませていました。
けど、いつまでも黙ってちゃ駄目だよね。
晩ご飯を食べたら、話そう。
家のことも、シィちゃんのことも。
決心して、ヘンゼルは、縁側を駆け抜けました。
「ただいま!」
そこから台所まで一直線。手を洗って、うがいをします。
荷物を置いたムゥが、後からやってきて、それに続きました。
「夕飯までに何かか軽く食べるか?」
「ううん。待ってる」
「ならセヴァと風呂に入ってこい。汚れただろう」
「晩ご飯のあと、みんなで入る!」
背後で弾む声に、ムゥは、はっと瞠目します。
「今日は楽しかったから、みんなでいっぱい話したいの!」
いつもの――ムゥが知っている、ヘンゼルです。
やんちゃで、好奇心旺盛で、いつも大人をハラハラさせる。
大好きな、ヘンゼルです。
「……そうか」
気取られぬよう、そっと目元を拭って、ムゥは緩んだ唇を引き結びました。
やっぱり、無駄ではなかったのかもしれない。
ほんの少しだけ、あの猫に感謝して、ムゥは気持ちを切り替えました。早く夕飯を作ってやろう。セヴァの好物も、一品だけ。酒も付けてやるか。
さて、米を炊かなくては。
どこか浮かれた心持ちで、ムゥは、釜の蓋を取りました。
まん丸な金色と、目が合いました。
蓋を戻します。
今のはなんだ? 疲れ目か? 幻覚か? 白昼夢か?
なんとかして現実を否定しようと、ムゥの脳は、あらゆる言い訳を並べ立てました。そのいずれかであってほしい。切実に願います。遠足は、冒険は終わったはずです。微笑ましいハピエンで、めでたしめでたし。今その空気だっただろ。
蓋を押し込む手に、力が入ります。
内側から、がたがたと抵抗する感覚。
幻覚のくせに暴れるなんて、これは相当に疲れたんだな。
無理に笑っても、釜の中身は、いっそう激しく存在を主張します。
これはもう、問答無用の現実でした。
そも、あんな派手なショッキングピンクを、見間違うはずはありません。
「なんだ、どォした?」
セヴァの声を聞いたのと同時。
とうとう蓋が吹き飛んで、中から、猫の生首が飛び出しました。
「うわあっ!」
猫は、勢いそのままに、ムゥの頭に着地します。
ずっしりと、生暖かい肉の感触が、否応でも事態を認識させました。
三人が追い掛けて、胴体に戻してやったはずの猫の生首でした。
それが、いったいどういう了見で、我が家の釜に詰まっていたのでしょう。
「先生どうし……えっ」
駆け付けたヘンゼルが、眼を見開いて固まります。
嬉しそうに尻尾を振って、猫は、その胸に飛び込みました。
「わぁっ」
受け止めて、ヘンゼルは、しばし呆然。
懐の猫と見つめ合っていましたが、俄然ぱちぱちと瞬き、紅潮した頬が、ぽかんと開いた唇が、みるみる喜びの形に綻んでゆきます。
「ネコさん! ネコさんだ! なんでいるの?」
ぎゅうと猫を抱きしめ、ヘンゼルは、柔らかい毛並みに頬ずりしました。
猫は金色の眼を細めて、ごろごろ喉を鳴らします。
なんでって、それは私が訊きたい。
歓喜するヘンゼルを叱るわけにもいかず、ムゥは頭を抱えます。
ふと、こいつの胴体だった奴の言葉が、脳裏を過りました。
……まさか。
猫の、丸い尻を凝視します。
前に見たときとは少し違って、後頭部に当たる部分から直接、尻尾が生えていました。サツマイモめいて太く立派なそれは、生意気にも、淡い桃色とショッキングの、縞模様になっています。
ふるん。ムゥの心中を察したように、その尻尾が、振られました。
「幸運って……」
これ?
「いらん!」
叫んで、ムゥは調理台に突っ伏します。
不衛生とか、もはやそんなことは、頭にありませんでした。
この猫どうすんだという、新たに背負い込んだ厄介事で、いっぱいです。
いやヘンゼルが元気になったのは良いんだけれども。
得体の知れない落人を送りつけられても! 困る!
「ははッ、おチビ懐かれたなァ」
「えへへへ! ふわっふわだ」
「ちゃんと世話するんだぜ」
「うん! 何食べるんだろ?」
「差し当たって、鼠の天麩羅なんてどォだい」
「セヴァさん、捕まえてきてよね?」
当然のように飼う方向で進んでいる会話に、ムゥは全力で割り込みました。
「待て待て! そんなもの、家に置けるか!」
「え、だめ……?」
たちまちヘンゼルの表情が、しゅんと曇ります。
ある種の媚びと、期待。わずかに覗く打算は、無意識なのでしょうか。
上目遣いの眼に潤む懇願が、ムゥの胸に突き刺さりました。
いくらか冷えたムゥは、痛み始めた胃で、思考を巡らせます。彼岸に渡った落人が帰ってくるなんて、初めてのケースです。有害か、無害か。判断が付きません。或いは本当に幸運なのか。だとして、受け入れて良いものか。難問でした。明確な正解のあったクエストの方が、万倍マシです。
あぁ、でも。
「……先生……」
「…………」
ちらり盗み見たセヴァは、何も言いません。
彼が反対しないならば、当面の危険はない、と考えて良いのでしょうか。
「…………」
溜息ひとつ、ムゥは頭を振りました。
「名前がいるなァ?」
潮時を見計らって、セヴァが、視線を寄越します。
「……チェシャ」
観念したムゥは、おもむろに口を開きます。
「チェシャはどうだ。昔読んだ物語に、出てくるんだ。にやにや笑っていて、よくわからない変な奴。そっくりだ」
ヘンゼルが、ぱっと眼を輝かせました。
「先生? それって……」
「気に入らないか? ならポチかタマか……」
「ううん!」
ぶんぶんと首を横に振って、ヘンゼルは、ムゥの胸に抱きつきました。
「かっこいい名前! ありがとう先生!」
言うなり、両手で高くチェシャを掲げ持ち、うきうきのステップで、喜びの舞を始めました。台所を駆け回る笑顔と、久しく聞くことのなかった、この歓声。ムゥは溜息を吐き、けれど知らずに唇を綻ばせて、やれやれと眉間を揉むのです。
この子の笑顔が、その対価だというなら。
捨ててこいなんて言えるわけ、ないじゃありませんか。
「きちんと面倒見るんだぞ。トイレも爪研ぎも、その辺でしないように躾なさい。あと、贅沢な餌は出せないからな。しっかり可愛がってやること。散歩は」
「うん、うんうん!」
聞いているのかいないのか。
上機嫌のヘンゼルは、何度も何度も頷いて、腕の中の奇妙な幸運に、有りっ丈の歓待と祝福を贈るのでした。
「チェシャ! いらっしゃい、チェシャ!」
――よろしくね!
好奇心は猫を撫でる/了




