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ヒュプノランタン  作者: 雪麻呂
好奇心は猫を撫でる
93/95

世界は君のものである。きっと。

9.






 館の探索も、いよいよ終盤です。

 二階右手前。残りの一部屋。

 三人は、その前に立っています。


「さァ、大詰めだ」

「ヘンゼル、用意はいいか?」

「うん」


 書斎の鍵で、最後のドアが開きました。

 まず目に付いたのは、向かって正面の、大きな本棚です。室内は落ち着いた装飾と家具で調和し、向日葵のレリーフを手に入れた寝室と同じ感性で統一されていました。左側にはテーブルセット、右側に机。多くの人が思い浮かべるであろう、まさに書斎です。


「先生の研究室と似てるね」

「確かに、ムゥと気が合いそうな趣味だ」

「私は住人の歯を無闇と抜いたりしないんだが」


 机の上には、数冊の本が散らばっています。

 赤、青、緑、紫、水色、橙、黄色、白、黒、茶色。

 高さも厚みも変わらない、色だけが違う本が、十冊。

 三人の視線が、再び本棚へと向けられました。

 本棚ですから、もちろん本が詰まっています。でも、三段ある中段、その真ん中だけが、ぽっかりと空いているのです。ちょうど、数冊の――十冊ほどの本が収まるくらいに。


「おかたづけ? すればいいの?」


 ヘンゼルが本を一冊、手に取ります。水色の本です。

 ムゥが黒い本を。セヴァが白い本を。それぞれ同時に手にしました。

 念のため、机の抽斗(ひきだし)を引いてみましたが、こちらは動きません。


「十冊全部使うのか」

「さァな」


 ページを捲っていたセヴァが、何やら渋い顔で首を振ります。


「まァ、やってみようぜ」


 動く物は、使う物。

 手に入れたということは、必要ということ。

 これまでの法則では、例外なくそうでした。

 三人で、本棚を埋めてゆきます。


「あれ、いっぱい?」


 ところが、十冊すべては収まりません。

 どう詰めても、三冊が余ってしまうのです。

 並び方を変えてみたりもしましたが、駄目です。

 何も起きません。


「やっぱりな」


 セヴァが溜息を吐きました。

 気付いて、ムゥも眉間を絞ります。


「順列か」


 これは、並び順の問題です。

 十冊のうち、七冊を正確な順番で並べる。そういうパズルなのです。

 セヴァの仏頂面の理由が、わかりました。

 十冊の中から、七冊を選んで、更に正しい順番を引き当てる確率は?


「604800通り……」


 六十万四千八百。そのうちの、一つです。

 溜息も出るでしょう。


「総当たりは現実的じゃないな」

「たりめーよ。苔が生えちまわァ」

「うーん……どうしたものか」


 ムゥは手に余った本を一冊、開きます。赤い本でした。

 ぱらぱらとページを捲っていると、真ん中の辺りに、絵が描いてありました。

 絵というより、イラストです。物語の挿絵めいて、デフォルメされたライオンが二本足で立ち上がり、どういうわけか小さな虫に怯えている様子でした。


「なんでライオ……ん?」


 どこかに挟まっていたのでしょう。

 メモが一枚、足元に落ちました。

 拾い上げて、目を通します。


 虚に橋を架けよ。さすれば道が開けるだろう。

 ただし、共に在る者は、決して引き離してはならない。

 彼等は世界の中心なのだから。

 見た目は大事。でもそれだけに惑わされずに。

 さぁ、物語を綴るが良い。


「……まさか、これがヒントか?」


 だとしたら、意味不明です。

 セヴァと二人、額を付き合わせてメモに見入ります。


「橋ッてのは何のことだい?」

「さぁ。わからん」

「見た目……色かァ?」

「形は同じだしな。並んでいるというのは?」

「本の並びッてことかねェ」

「世界の中心?」

「そりゃァ俺様よ」

「お前を本棚に突っ込んでやろうか?」


 話し込んでいて、ふと気付きました。

 やけに静かです。


「先生、見て見て! 虹ができたー!」


 得意げな声に顔を上げると、ヘンゼルが、本棚の前で両手を広げていました。

 そうですね。ヘンゼル成分が足りませんでした。

 大人達の議論が退屈だったのか、興味が先行したのか、一人で勝手に本を弄っていたのです。この子らしいなと、苦笑しつつ応じようとして、ムゥの眼が、はっと見開かれました。


「虹?」

「うん。七色なら虹でしょ?」


 さも当然のように笑うヘンゼルに、ムゥは逸る気持ちを抑えて、訊ねます。


「樵はあったか?」

「きこり?」

「あぁ。その七色の中に、樵の絵が描かれた本は、あったか?」

「あったよ!」


 ヘンゼルは、迷わず緑の本を抜き出しました。

 受け取って、ページを捲ると、ありました。

 真ん中の方に、鈍色の肌をした樵が、斧を構えている絵。


「セヴァ、手伝え。本の中身を確かめろ」

「中身ィ?」

「何が描かれているか――或いは、描かれていないか」


 言いながら、ムゥは赤い本を開きます。

 これにはライオン。

 次に、青い本です。これには、案山子。


「魔法使いか!」


 仮説を補強される快感が、ムゥの唇を持ち上げました。

 魔道具作成の過程で何度も経験していますが、この瞬間は、堪らなく嬉しい。


「いいぞヘンゼル! 虹で合ってる!」

「ナンなんだよゥ?」

「そういう物語があるんだ。少女が竜巻で異世界へ飛ばされてな。元の世界へ帰るために、魔法使いに会いに行く。案山子、ライオン、樵と一緒にな。最後は虹の橋を渡って帰る。ほら橋だ! 虹の橋が架かった!」

「……ちょっと違くね?」

「違くない」


 語り継がれるうちに、物語の枝葉が変わるのは、よくあることです。

 ムゥが聞いた話と、セヴァが聞いた話は、少し違うのでしょう。

 でも、大筋は合っているはず。

 方向性は間違っていない。


「だけど、なんにも起きないよ?」

「何か……足りないんだ。もう一押しだ」


 他の本は、すべて白紙でした。

 どうして白紙なんだろう。

 白紙であることに、意味があるのか?


「チビ、こいつ見てくれや」


 セヴァが、メモを取り上げて、ヘンゼルに渡しました。


「ナンか思い付かねェか?」


 生きた年月が邪魔をして、大人二人だと、無駄に難しく考えがちです。

 間違いが何十万通りあるとか、確率の計算がどうとか、そういうことではなく、本質は、もっと単純な話ではないか。それこそ虹の七色のように、小さな子が遊びで辿り着く要素のある、これはそういった謎解きではないのか。セヴァは、思ったのです。


「うーん……」


 ヘンゼルは、薄い眉を寄せて、じっとメモを見つめます。


「いつも一緒……世界の中心で……橋を架けて……物語を……」


 綴る……。


「できた!」


 腕を組んで、ぶつぶつ呟くこと、ものの数十秒。

 ヘンゼルは、ぱっと表情を輝かせて、両の拳を握りました。


「カカシさんが先生、ライオンさんがセヴァさん、木こりさんがぼくだ!」


 ん?

 予想外斜め上の回答に、セヴァは、珍しく応答に詰まります。


「おチビ? そりゃァ……ナンの話だい?」

「お話考えるんでしょ? ぼく好きだよ!」


 ヘンゼルは、リュックからスケッチブックを引っ張り出します。


「カカシさんとライオンさんと木こりさんは、仲良し。いつも一緒だよ。あるとき王様の冠が盗られちゃって、さあ大変! 三人で取り返しに行く。でも道が途切れてて進めないぞ! それで魔法使いにお願いしたら、あら不思議! なんと虹の橋を架けてくれた!」


 どうもヘンゼルは、物語を綴れという一文に、甚く心を惹かれたようです。

 膨らんだ想像を描かずにいられなくなったのか、みるみるスケッチブックの一面に展開されてゆく、大冒険活劇。豪快なタッチのそれを見ては、話を振ったセヴァも、苦笑いで頭を掻くしかありません。


「訊き方が悪かったな。ま、これはこれで痛快だ」

「配役はどうやって決めた?」


 そこに、ムゥが食い付きました。


「どうして私が案山子で、セヴァがライオンで、ヘンゼルが樵なんだ?」

「そりゃアレだろ、お前が案山子ッぽいからだろ」

「違うよ。色だよ」


 ヘンゼルは、本棚に収まった本を指さします。


「青い本にカカシさん、赤い本にライオンさん、緑の本に木こりさん。青は先生の色、赤はセヴァさんの色、緑はぼく!」


 セヴァが、赤い化粧の眦で瞬きます。

 ヘンゼルの、エメラルドめいた瞳が、きらきらと輝きます。

 ムゥの、空色の髪が一房、はらりと額を撫でました。


「つまり、この本が俺達なンだな?」


 ムゥの考えが伝わったようです。セヴァの表情が変わりました。


「あぁ。だから他は白紙なんだ。物語を」

「作るために、か」

「引き離してはならない。当然だ。勇者一行だからな」

「いっつも一緒だよ!」

「この三冊だけは、虹じゃない。セットとして扱う」

「あとは並び順かァ。三冊なら総当たりするかい?」

「ううん、決まってるよ!」


 ヘンゼルが、本棚へ駆け寄ります。


「お人形の部屋、あったでしょ? なぞなぞしたところ」


 青、緑、赤。

 順番に本を抜き出す後ろ姿に、ムゥは、三脚の椅子を思い出します。


「あれ、ぼくらみたいだなって思ったの。いつもの並び順!」

「あ……」


 ヘンゼルがもっと小さい頃、三人で出掛けるときは、必ず手を繋ぎました。

 ムゥが左手で。セヴァが右手で。真ん中のヘンゼルを持ち上げて、ブランコなどよくやったものです。左右がいつ、どう決まったのかは憶えていません。けれど、それは今に至るまで意識すらしたこともなかった、三人の場所でした。


「そういえば……そうだったな」

「ははッ、寝るときの並びじゃねェか」


 セヴァと顔を見合わせ、少しだけ笑って、本棚へ歩み寄ります。

 ヘンゼルが、青い本を手渡してきました。

 セヴァは赤い本を受け取ります。


「位置は?」

「そりゃァ真ん中よ。世界の中心だからな!」

「ということは、並び順は……」


 橙、黄、青、緑、赤、水、紫!


「せーのっ」


 ヘンゼルの掛け声で、三人が、それぞれの色を本棚へ収めました。

 ――かちっ。

 何かが填まった音がして、一秒。

 七冊の本が、虹色に輝きました。

 眩しさに、眼を眇めます。


「先生! 本棚が……」


 動き始めました。

 ごご、ごごご。ぎこちなく滑るように、横へずれてゆきます。

 埃が舞い上がりました。

 口を結び、鼻を塞ぎますが、堪りません。思わず眼を閉じます。

 ごごご、ごごごごご……、

 ごうん。

 音が止まりました。

 立ち込める埃を払いながら、ゆっくりと眼を開けます。

 ほぼ予想どおりの光景でした。

 本棚の後ろ、四角く刳り抜かれた壁の中に、小さな宝箱があったのです。


「やったあー!」

「凄いぞヘンゼル! 天才だ!」


 ムゥとヘンゼルは、抱き合って飛び上がりました。


「中はな……に?」


 宝箱を開けたヘンゼルの眉が、疑問の形に寄りました。

 入っていたのは、白い粒が十粒ほど。大きさはトウモロコシくらいですが、形はまちまちで、四角いものや平たいものが混じっています。


「なにこれ? 種?」


 ヘンゼルが一粒、抓んでじっくり眺めます。

 覗き込んだムゥは、まさかと顔を引き攣らせます。


「……歯だ」


 やっぱり。見覚えがあると思ったのです。


「チビ、こないだ乳歯抜けたもンなァ」

「うん! 下の前歯!」

「何本目だい?」

「えっとね、二本目!」


 微笑ましい会話ですが、ヘンゼルの手には、赤の他人の歯です。

 いったい、どうしてこんなところに。

 誰の……、


「あいつか!」


 食堂の頭蓋骨。歯抜け髑髏の歯は、きっとこれでしょう。


「大事な物だから宝箱に入れてたのかな?」

「厳重すぎンだろ」

「誰が欲しがるんだ」


 あ、私たちか。

 これで主の話を聞くことができるのですから。

 ムゥは、歯をハンカチに包んで、漏れないよう紐で縛りました。


『主の歯を手に入れた!』


 でもやっぱり、正直、いらない……。







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― 新着の感想 ―
「これだ!」と気づいた瞬間の達成感。「こうか!」と悟った瞬間の高揚感。  アハ体験の満足感は、他では得難いものがありますよね。  そしてこの体験を共有する充足感というのもあると俺は思っておりまして、今…
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