たまには童心に返るのである。
7.
ひとまず一階の探索は終了。
二階へ向かいます。
階段の途中、踊り場の絵画が目を引きます。
描かれているのは、誰かの肖像画のようでした。初老の貴婦人で、優雅ながら、どこか陰鬱な影を纏う美女です。窓一枚分はあろうかというキャンバスの中から、バストアップで真正面を向いている構図は、なかなかの迫力でした。
「タイトルは……“我が家に勝る所なし”」
何処かで聞いた文句だな。ムゥは首を傾げました。
「きれいなお婆ちゃんだねー」
「誰なんだろう」
「館の主人? の嫁かァ?」
「いや女主人かもしれない。あの髑髏がヒモの可能性も」
「それで歯抜けにされたッてわけか、おっかねェ」
「うん、なんかちょっと怖い絵かも」
勝手な感想を述べながら、二階に到着。
一階と同じく、玄関左手前から時計回りに調べることになりました。
最初の部屋は、どうやら子供部屋でした。
机もベッドも小さく、開いたまま落ちているのは絵本。壁紙は明るいオレンジ色で、カーテンやシーツの模様も、可愛らしいブタさんやワンちゃんです。なにより部屋を埋め尽くす、大量のぬいぐるみ。これは間違ってもオッサンの部屋ではないでしょう。たぶん。普通は。
「おっきいクマさん!」
ヘンゼルが、いちばん大きなクマを刺股で突きます。
動くかどうか確認しているのだとは思いますが、躊躇も容赦もない所業に、ムゥは少し心配になります。なんかセヴァの影響を受けてないか? 変な足癖が付いたりしないだろうか。
それにしても、気味の悪い光景です。あっちにカバさん、こっちにウサギさん。入り口の扉を囲むように、全員が此方を向いているのです。
中でも、とてつもなく気になるものが、ひとつ。
ぬいぐるみというか、立派な人形でした。
陶器の肌に、肩までの黒髪。白いドレスシャツに黒の半ズボン、白い靴下に黒い靴を履いて、襟元に真っ赤なリボンタイを結んだ、如何にも良家の御子息といった美少年です。それがさっきから黒い瞳で、きらきらと無機質に、此方を見つめていました。
「……人形かぁ」
人形は苦手です。例の脚泥棒の一件で、完全にトラウマを負いました。
なんだか……嫌な予感がします。
「あ」
そのとき片っ端から人形を突いていた刺股が、ちょうど人形の後頭部を直撃。
果たして人形は、狙ったかのように、ムゥの胸へ飛び込んできたのでした。
「うわぁっ!」
ムゥは、情けない悲鳴を上げて尻餅を突きます。
「あ、先生ごめん。でも持ってくものわかったね!」
無邪気な笑顔で手を振るヘンゼルに、ムゥは応えられません。
胸の上に乗った人形と、ばっちり目が合っているからです。
なにこれ意外と重い。たとえば赤ん坊に伸し掛られたら、ちょうどこんな感触でしょうか。よくヘンゼルの腕力で飛んだな。嫌すぎる圧迫感に、ぞぞと怖気が走ります。もう過呼吸を起こしそうです。
セヴァは、腹を抱えて笑っていました。
だから人形は嫌なんだ……!
†
「ありゃ?」
扉を開けたセヴァが、妙な声を出します。
なんだ、と覗き込んで、ムゥは硬直しました。
先程の人形部屋の、隣です。隣へ移ってきたはずでした。
だというのに、同じです。内装からシーツ、カーテンの模様、家具の配置、大量のぬいぐるみまで、さっきまでの部屋と、まるで変わりません。もしかして部屋を勘違いしたのかと思いましたが、此方は三人。そんなわけないのです。
「さっきとおんなじ?」
「いや、違うぜ。一ヶ所だけな」
言われて、ムゥも気付きました。
セヴァの流した視線の先、三脚の椅子があります。
向かって左から、青、緑、赤。
いちばん右の赤い椅子に、人形が座っていました。
これも間違い探しのように、そっくりです。同じ服で同じ顔です。
ただタイの色が、目も醒めるような青でした。
「双子かな?」
「かもな」
「ま、休憩にァ持ってこいだ」
セヴァが、左の青い椅子へ、人形を放りました。
しばらく抱えていたので、肩でも凝ったのでしょう。
すると、がばり!
項垂れた人形が、勢いよく面を上げたではありませんか!
『違うよ違うよ!』
『違うよ違うよ!』
ヘンゼルが、驚いて飛び上がります。
『僕は赤だよ。赤い方!』
『僕が青だよ。青い方!』
喋った!
ムゥは、大急ぎでセヴァの背に隠れます。
「……先生……」
「あ、いや、これは」
「…………」
「お、驚いた、な? な?」
咄嗟に取り繕ったムゥですが、察したヘンゼルに生暖かい笑顔を返されて、バツが悪いのなんの。フォローを求めて、セヴァの腕を掴みます。
「椅子の色に合わせろってことか」
しかし、この男もマイペースでした。
さっさとムゥを振り解き、赤いタイの人形を赤い椅子に、青いタイの人形を青い椅子に。それぞれ座らせました。
『くすくす、くすくす』
『うふふふ、うふふふ』
正解だったのでしょう。
甲高い子供の声で、双子人形が笑います。
手足を投げ出し、首は微妙に傾いたまま、無表情で声だけは妙にはしゃいでいるので、気色悪いったらありません。同じ声で、微妙に違う台詞なのもいやらしい。なんだ、何が始まるんだ。ムゥは身を強ばらせます。
『なぞなぞ! なぞなぞ!』
『遊んで! 遊んで!』
『赤いかな? 青いかな?』
『赤いよ! 赤いよ!』
『手かな? 足かな?』
『手だよ! 手だよ!』
『重いかな? 軽いかな?』
『軽いよ! 軽いよ!』
『暑いかな? 寒いかな?』
『寒いよ! 寒いよ!』
『山かな? 海かな?』
『山だよ! 山だよ!』
『なぞなぞ! なぞなぞ!』
『答えて! 答えて!』
一息に捲し立て、双子人形は、きききと瞳を回しました。
「なぞ……なぞ?」
……クイズ?
最大限警戒していた身体から力が抜けて、その場に崩れそうになります。
いや、それはさすがに無様が過ぎる。これ以上、ヘンゼルに情けない姿を見せて堪るか。なんとか踏み止まり、ムゥは平常心を叩き起こしました。
ええと、なんて言った? 赤だの青だの、手だの足だの。
「セヴァ、メモを取ってないか?」
「使えねェマッパーだな、帳面貸せ」
暗記していたらしいセヴァが、メモ帳に書き下ろしてくれました。
「つまり、これに共通する何かを答えればいいのか」
なんだろう。
赤くて、軽くて、寒くて、山で、手?
「ねぇ、それって食べ物?」
ヘンゼルが、人形に訊ねます。
『違うよ!』
『違うよ!』
「生き物?」
『そうかな?』
『そうかも?』
「自分で動ける?」
『動けないよ!』
『動けないよ!』
「日高峠か?」
最後の質問は、はセヴァです。
けれど人形は、これには口を噤んで答えませんでした。
「違うかァ」
「ヒダカ峠ってなんだ?」
「デカい手の化物が出るンだよ。猟師が襲われる話」
「怪談じゃないか……」
でもこれで、法則性が判明しました。
はい、いいえ。この二つで答えられる質問しか、受け付けないのです。
逆に言えば、質問を絞れば、明確なヒントになり得るということ。
「それは私の知っているものか?」
『知ってるよ!』
『知ってるはずだよ!』
「妖怪か?」
『違うよ!』
『違うよ!』
「ホラーから離れろお前は」
「着る物?」
『違うよ!』
『違うよ!』
「道具?」
『違うよ!』
『違うよ!』
「暑い寒いは季節かい?」
『そうだよ!』
『そうだよ!』
「おッ」
「! じゃあね、山や海は、それがある場所?」
『そうだよ!』
『そうだよ!』
「もしかして植物か?」
『そうだよ!』
『そうだよ!』
三人で、顔を見合わせます。
「わかった!」
ここでヘンゼルが、元気いっぱいに挙手しました。
なるほどな。ムゥは頷きます。
答えがわかってみれば、簡単でした。
寒い季節に赤くて、軽くて、山にあって、手みたいな。
もちろんムゥもよく知っている、あの植物は。
「もみじ! もみじだ!」
ぶわり。
部屋中に、赤が散りました。
『当たり!』
『当たり!』
双子人形の声が、ぴったり重なって聞こえました。
突拍子もなく咲き乱れた紅葉は、視界をみるみる秋に染め上げ、三人の髪を踊らせて、部屋に満ちてゆきます。風に眇めた眼の先、ゾッとするほど美しい光景に、ムゥは思わずヘンゼルを抱き寄せていました。このまま紅葉に紛れて消えてしまいそうな。違う世界に連れて行かれそうな。そんな気がしたのです。
『ありがとう!』
『ありがとう!』
『忘れないでね!』
『憶えていてね!』
『僕たちは!』
『世界の真ん中!』
『さよなら!』
『さよなら!』
うふふ、くすくす。
あはは。あはははは……。
風と笑い声と紅葉が、ぐるぐる混ざって、部屋中を回ります。
どれほどそうしていたでしょう。
やがて風が収まったとき、笑い声もぷっつりと途絶えて、三脚の椅子には、誰も座っていませんでした。気付けば、踝の辺りまで積もっていた紅葉さえ、もう何処にもありません。全部、消えてしまいました。
「あ……あれ」
真ん中の緑の椅子、金色のコインを残して。
『紅葉のレリーフを手に入れた!』




