美味しいご飯は幸せである。
6.
物置を出て、三番目の部屋へ向かいます。
道すがら、一階の正面も軽く調べていくことになりました。
ごく普通の壁と見せかけて、普通の壁でした。切り替え装置のようなものもなければ、隠し扉もありません。ムゥが叩いたり、ヘンゼルが刺股で突いたり、セヴァがヤクザキックしても、何も起きませんでした。
並んだ窓は、すべて嵌め殺し。試みましたが、割ることもできません。
ちなみに照明は、最初の部屋を出たら、嘘みたいに直りましたよ。
「お前いい加減、怒られるぞ……」
「誰によ? 主でもいるッてかァ?」
相方の足癖に辟易しながら、次の部屋までやってきました。
扉を開けると、ひゅう。やけに生臭い風が、吹き出してきます。
何か腐っているのか?
口元を覆いながら、ムゥは、中を覗き込みました。
仄暗い室内の、端から端まではあろうかという、長いテーブル。薄汚れたクロスの中央で、燭台の灯火が、ふわらふわらと揺らめいています。等間隔で十脚、向かい合う形に並んだ椅子とセットで配膳されている食器は、いずれも空で、さながら今から晩餐でも始まるような静けさでした。
よくある、ただの食堂です。
主人が座るべき席、皿の上に、頭蓋骨が後ろ向きに鎮座してさえいなければ。
「ひゃっ」
「だから悪趣味なンだよなァ」
ヘンゼルを腰に貼り付けて、セヴァは照明を振りました。
此方に後頭部を向けているとはいえ、他人の頭蓋骨など、そう見せたいものではありません。短気で横柄な奴ですが、こういうさりげない子供への気配りは、さすが妻子持ちの対応だと、ムゥは少し感心しました。
『フヒヒヒヒヒ』
途端、響き渡った笑い声に、三人の肩がビクッと跳ねました。
「なんだ?」
「誰かいるのか!?」
「あれ!」
ヘンゼルの指さす先へ、セヴァが再び照明を向けます。
ぼうと白く浮かび上がったのは、頭蓋骨の後頭部でした。
ヘンゼルの言うとおり、声はそこから聞こえます。それがふひふひ、と小刻みに震えるたび、骨と皿がぶつかって、かちかち音を立てます。
「なんだァ? てめぇェ」
癇に障ったのか、つかつかとセヴァが歩み寄ります。
「ちょいと旦那ァ。訊きてェことがあるンだけどよゥ」
『ファフィフォファフォ、ホッヘヒヘフヘ』
「あァん? 舐めてンのかテメェ」
『ファフィフォファフォ……』
前言撤回。およそ保護者に相応しくない輩ムーブをかますセヴァに、ムゥはもうツッコむ気も起きません。しかもこんな、得体の知れない場所の、誰ともわからぬ髑髏に。よく絡めるものです。
とはいえ多少、セヴァに同意する部分もありました。
なにせこの笑い声、おちょくられているようで、非常に耳障りです。
「……ン?」
ぐわしと髑髏の天辺を掴んで上向けたセヴァが、鼻を鳴らします。
「あァ、こりゃ駄目だ」
「何がだ?」
気になるのか、ムゥの脇から、おっかなびっくりヘンゼルが顔を覗かせます。
セヴァが腹話術人形よろしく髑髏を持ち上げ、その口を此方へ向けました。
「歯抜けでやんの」
本当です。
よく見れば、この髑髏、ほとんど歯がありません。
「それで上手く喋れないんだ」
『フォフォフォーフィ』
「これじゃ何を言ってもわからないな」
「情報ォ吐かせようと思ったンだがなァ」
『ファフィフォファフォ、ホッヘヒヘフヘ』
どうしましょう、これ。
「……持っていくか?」
ムゥの提案に、ヘンゼルが、全力で首を横に振りました。
そりゃそうだ。私だっていらん。
「また来ることにならァ。おそらく謎解きの類いさ」
セヴァが、髑髏を元の皿へ戻して、額を指先で弾きます。
「此奴ァ、歯が置き去りってわけよ」
あぁそうか。ムゥは頷きました。
だとしたら、彼が家主かもしれないな。
此処は「置き去りの館」なのですから。
†
隣は、厨房でした。
断言できます。石張りの床に、大きな流し台と焜炉、棚に並ぶ食器と調理器具。他にも芋や玉葱など、野菜の入った袋や木箱が、端の方に積み上げられていますから。これで便所だったら許しません。
まぁ、それはそれとして。
『違ああぁう! この味じゃない!』
焜炉で喚いているフライパンは、いったいなんの冗談でしょうか。
はい。フライパンです。調理器具の、あのフライパンです。
それが把手から、ひょろ長い手足を生やして、ぐねぐね悶えているのです。
底部分には口まであります。
『また失敗だ! 上手くいかない!』
フライパンが、鍋を掴んで、中身をぶちまけました。
おい消炭が見えたぞ。
『ん? 君たちは……』
三人に気付いたのでしょう。
フライパンが、焜炉から飛び降りて、ひょこひょこ歩いてきます。
こんなに関わりたくないモブがいるでしょうか。
『良いところに来た! 君、ちょっと作ってみてくれないか』
「何を?」
いきなり要求されて、ムゥはうっかり応答してしまいました。
しまったと思いましたが、後の祭。
『何って料理に決まってる! 私が求めているのは至高の美食だ!』
「おいしいごはん? 食べたいの?」
『そうだ! しかし上手くいかんのだ。斯くなる上は、力を借りたい!』
「それってつまり……」
セヴァとヘンゼルの視線が、ムゥを挟みます。
「え、私か? 当然のように私か?」
「いっつも作ってるじゃねェか」
「お前だって作れるだろう!」
「あー、俺様ァ、監督。おチビ見てるからさ」
「ぼく手伝うよ!」
『おぉ有難い! さぁ頼む!』
どうやら決定事項でした。
強引な展開に溜息を零しつつ、ムゥは調理台に立ちました。
大理石の調理台には、まな板と包丁が、綺麗なままで用意されています。焜炉には、いつの間にか新しい鍋。水は近くの水瓶に、なみなみ蓄えてありました。他にもボウルやオタマ、様々な調味料も揃っています。
「何を作ればいいんだ?」
『頑固一徹、ガツンと料理人気質なものを』
「抽象的すぎる。味は? 甘いとか辛いとかあるだろう」
『甘く切なく美しく。塩気が効いてがっつりこってり、まろやか且つコクがあり、さっぱりと上品で、その中に人生のほろ苦さを含んだ』
「甘くてしょっぱくて苦くて、とろみがあるんだな」
『あと映え!』
「ミーハーじゃないか……」
とはいえ、そんな料理は知りません。
レシピを脳内検索しようにも、そもそも材料が不明でした。
指定がないということは、味さえ気に入ればなんでも良いのだろうか。
「先生、こっちに野菜あるよ!」
考えていたところへ、ヘンゼルの声が掛かります。
とりあえず、適当に見繕ってみよう。
「一つずつ持ってきてくれ」
「保冷庫に……バターと小麦粉!」
「それも頼む」
「あとミルクと、お肉もある!」
「何の……?」
人参、ジャガイモ、玉葱、南瓜。唐辛子、大蒜。ミルク、バター、謎の肉。
揃ったのは、ごくごく普通(一部不穏)な材料です。特別なものは(一部不穏)ありません。
が、これが却って僥倖でした。いざ目の前にしてみると、イメージが湧いてきたのです。何十年も、毎日繰り返してきた作業ですからね。基本と要領を、みっちり身体が憶えているのでしょう。
そうと決まれば、あとは手際です。
まず肉と野菜を刻み、たっぷりのバターで炒めました。コクと脂はこれで良し。それを鍋にブチ込んで、煮込みます。灰汁を取ったら、砂糖、塩、酢の順で味付けして。とろみは小麦粉で出すか。ミルクも入れてまろやかに。匙加減に注意だ。
『君は見所があるな。弟子にしてやっても良いぞ!』
「辞退する。家事と育児で精一杯なんだ」
意外にもフライパンは、ちょろちょろ傍をうろつきはするものの、手も口も出してきませんでした。もっとやかましく注文を付けられると思っていたので、そこは有難いと言うべきでしょうか。もっとも、フライパンに手と口があることが既に、どうかしているのですが。
「いい匂い……」
鍋を覗いて、ヘンゼルが鼻を鳴らします。
慌ててヒップバッグから携帯食料を出して、口に突っ込んでやりました。
いくらなんでも、これを食べさせるわけにはいきません。得体の知れない館の、一見普通の野菜と謎肉です。味には自信がありますが、さりとて有害物質を作っていない保証は、ないのでした。
「ムゥ、その分厚い煎餅、俺にもくれ」
「それより鍋を味見しないか」
「悪ィが鍋アレルギーでよ」
「初耳なんだが」
『おぉそれはなんだ? 不味そうだが、興味がある!』
「こら勝手に食べるな!」
『もっふぉ……ふぁふぁ……ン!』
「ほら詰まった!」
「お水! お水!」
そうして小一時間。
即興の煮込み料理が完成しました。
「……うん」
見た目だけなら充分、合格点です。
潰した南瓜の黄色に人参の赤が映え、ごろごろしたジャガイモと柔らかそうな肉が、如何にもボリューミィ。出汁には玉葱の甘みも溶け込んでいるはずで、それが唐辛子の辛みと絶妙なハーモニーを奏でる……と思います。
映えもクリアだな。
『緑が欲しいところだ』
盛り付けようとして、フライパンの一言に、あっと呟きます。
苦味。
ピーマンか瓜系があれば加えようと思っていたのですが、作っているうちに熱中して、忘れてしまっていました。今から間に合うものはあるだろうか。何かこう、葉っぱ的な……。
そうだ。
思い付いて、ヒップバッグから薬草を取り出します。
民家から強奪したアイテムですね。
嗅いでみると、ヨモギに似た匂いが鼻を突きます。
結局、どんな効果なのでしょう。誰も知りません。
「……まぁ、死にはしないか」
『ん? なんだね?』
「いやこっちの話」
薬草だし。逆に回復するかも。
軽く洗って、細かく千切って、上に散らして、今度こそ完成!
『いただきます!』
待ってましたとばかりに、フライパンが、台に飛び乗ります。
そしてスプーンを手にして、まずはスープを一口。
『うっ…………』
含んだまま、固まりました。
あ、やっちゃった? ムゥの良心が、少しだけ痛みます。
無理しなくてもいいぞ。言おうとしたそのとき、
『うまい!』
テーレッテレー!
「なんだ今の音!?」
「うしろ光ったよ!」
「一瞬、魔女の幻覚が……」
世界観に配慮しない演出を背負い、フライパンが覚醒しました。
驚く三人を余所に、物凄い勢いで、料理を口に運び始めます。
『これは……フォーマル且つエレガントでミステリアス、庶民的でありながら退廃的、繊細なダイナミックがスペシャル感でマグネシウム!』
私はいったい何を作ってしまったんだろう。
味見してみたかったような、しなくて良かったような、ムゥは複雑な気分です。
ところで、マグネシウムは下剤の主成分です。これ豆な。
『あぁ美味い! 美味い! この味だ! これを求めていたんだ!』
しかしながら、もりもり減ってゆく鍋の中身と、海賊漫画さながらの食べっぷりに、ドン引きして歪んでいた口元は、次第に綻んでゆきました。相手がフライパンであれ、美味しく食べてもらえるのは、嬉しいものです。
「ねえ先生、今度うちでも作ってくれる?」
「あぁ。スパイスを足せば、パンにも米にも合うだろう」
「薬草は抜きだぜ」
一心不乱に料理を掻き込んでいたフライパンは、やがて最後の一口を食べ終え、静かにカトラリーを置きました。
『あぁ、美味しかった』
ごちそうさま。
言い終わらないうちに、その姿が消えて、からん。
皿の上に、鍵が落ちました。
『書斎の鍵を手に入れた!』




