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ヒュプノランタン  作者: 雪麻呂
好奇心は猫を撫でる
90/93

美味しいご飯は幸せである。

6.






 物置を出て、三番目の部屋へ向かいます。

 道すがら、一階の正面も軽く調べていくことになりました。

 ごく普通の壁と見せかけて、普通の壁でした。切り替え装置のようなものもなければ、隠し扉もありません。ムゥが叩いたり、ヘンゼルが刺股で突いたり、セヴァがヤクザキックしても、何も起きませんでした。

 並んだ窓は、すべて嵌め殺し。試みましたが、割ることもできません。

 ちなみに照明は、最初の部屋を出たら、嘘みたいに直りましたよ。


「お前いい加減、怒られるぞ……」

「誰によ? 主でもいるッてかァ?」


 相方の足癖に辟易しながら、次の部屋までやってきました。

 扉を開けると、ひゅう。やけに生臭い風が、吹き出してきます。

 何か腐っているのか?

 口元を覆いながら、ムゥは、中を覗き込みました。

 仄暗い室内の、端から端まではあろうかという、長いテーブル。薄汚れたクロスの中央で、燭台の灯火が、ふわらふわらと揺らめいています。等間隔で十脚、向かい合う形に並んだ椅子とセットで配膳されている食器は、いずれも空で、さながら今から晩餐でも始まるような静けさでした。

 よくある、ただの食堂です。

 主人が座るべき席、皿の上に、頭蓋骨が後ろ向きに鎮座してさえいなければ。


「ひゃっ」

「だから悪趣味なンだよなァ」


 ヘンゼルを腰に貼り付けて、セヴァは照明を振りました。

 此方に後頭部を向けているとはいえ、他人の頭蓋骨など、そう見せたいものではありません。短気で横柄な奴ですが、こういうさりげない子供への気配りは、さすが妻子持ちの対応だと、ムゥは少し感心しました。


『フヒヒヒヒヒ』


 途端、響き渡った笑い声に、三人の肩がビクッと跳ねました。


「なんだ?」

「誰かいるのか!?」

「あれ!」


 ヘンゼルの指さす先へ、セヴァが再び照明を向けます。

 ぼうと白く浮かび上がったのは、頭蓋骨の後頭部でした。

 ヘンゼルの言うとおり、声はそこから聞こえます。それがふひふひ、と小刻みに震えるたび、骨と皿がぶつかって、かちかち音を立てます。


「なんだァ? てめぇェ」


 癇に障ったのか、つかつかとセヴァが歩み寄ります。


「ちょいと旦那ァ。訊きてェことがあるンだけどよゥ」

『ファフィフォファフォ、ホッヘヒヘフヘ』

「あァん? 舐めてンのかテメェ」

『ファフィフォファフォ……』


 前言撤回。およそ保護者に相応しくない輩ムーブをかますセヴァに、ムゥはもうツッコむ気も起きません。しかもこんな、得体の知れない場所の、誰ともわからぬ髑髏(されこうべ)に。よく絡めるものです。

 とはいえ多少、セヴァに同意する部分もありました。

 なにせこの笑い声、おちょくられているようで、非常に耳障りです。


「……ン?」


 ぐわしと髑髏の天辺を掴んで上向けたセヴァが、鼻を鳴らします。


「あァ、こりゃ駄目だ」

「何がだ?」


 気になるのか、ムゥの脇から、おっかなびっくりヘンゼルが顔を覗かせます。

 セヴァが腹話術人形よろしく髑髏を持ち上げ、その口を此方へ向けました。


「歯抜けでやんの」


 本当です。

 よく見れば、この髑髏、ほとんど歯がありません。


「それで上手く喋れないんだ」

『フォフォフォーフィ』

「これじゃ何を言ってもわからないな」

「情報ォ吐かせようと思ったンだがなァ」

『ファフィフォファフォ、ホッヘヒヘフヘ』


 どうしましょう、これ。


「……持っていくか?」


 ムゥの提案に、ヘンゼルが、全力で首を横に振りました。

 そりゃそうだ。私だっていらん。


「また来ることにならァ。おそらく謎解きの類いさ」


 セヴァが、髑髏を元の皿へ戻して、額を指先で弾きます。


「此奴ァ、歯が置き去りってわけよ」


 あぁそうか。ムゥは頷きました。

 だとしたら、彼が家主かもしれないな。

 此処は「置き去りの館」なのですから。






                  †






 隣は、厨房でした。

 断言できます。石張りの床に、大きな流し台と焜炉(コンロ)、棚に並ぶ食器と調理器具。他にも芋や玉葱など、野菜の入った袋や木箱が、端の方に積み上げられていますから。これで便所だったら許しません。

 まぁ、それはそれとして。


『違ああぁう! この味じゃない!』


 焜炉で喚いているフライパンは、いったいなんの冗談でしょうか。

 はい。フライパンです。調理器具の、あのフライパンです。

 それが把手から、ひょろ長い手足を生やして、ぐねぐね悶えているのです。

 底部分には口まであります。


『また失敗だ! 上手くいかない!』


 フライパンが、鍋を掴んで、中身をぶちまけました。

 おい消炭が見えたぞ。


『ん? 君たちは……』


 三人に気付いたのでしょう。

 フライパンが、焜炉から飛び降りて、ひょこひょこ歩いてきます。

 こんなに関わりたくないモブがいるでしょうか。


『良いところに来た! 君、ちょっと作ってみてくれないか』

「何を?」


 いきなり要求されて、ムゥはうっかり応答してしまいました。

 しまったと思いましたが、後の祭。


『何って料理に決まってる! 私が求めているのは至高の美食だ!』

「おいしいごはん? 食べたいの?」

『そうだ! しかし上手くいかんのだ。斯くなる上は、力を借りたい!』

「それってつまり……」


 セヴァとヘンゼルの視線が、ムゥを挟みます。


「え、私か? 当然のように私か?」

「いっつも作ってるじゃねェか」

「お前だって作れるだろう!」

「あー、俺様ァ、監督。おチビ見てるからさ」

「ぼく手伝うよ!」

『おぉ有難い! さぁ頼む!』


 どうやら決定事項でした。

 強引な展開に溜息を零しつつ、ムゥは調理台に立ちました。

 大理石の調理台には、まな板と包丁が、綺麗なままで用意されています。焜炉には、いつの間にか新しい鍋。水は近くの水瓶に、なみなみ蓄えてありました。他にもボウルやオタマ、様々な調味料も揃っています。


「何を作ればいいんだ?」

『頑固一徹、ガツンと料理人気質なものを』

「抽象的すぎる。味は? 甘いとか辛いとかあるだろう」

『甘く切なく美しく。塩気が効いてがっつりこってり、まろやか且つコクがあり、さっぱりと上品で、その中に人生のほろ苦さを含んだ』

「甘くてしょっぱくて苦くて、とろみがあるんだな」

『あと映え!』

「ミーハーじゃないか……」


 とはいえ、そんな料理は知りません。

 レシピを脳内検索しようにも、そもそも材料が不明でした。

 指定がないということは、味さえ気に入ればなんでも良いのだろうか。


「先生、こっちに野菜あるよ!」


 考えていたところへ、ヘンゼルの声が掛かります。

 とりあえず、適当に見繕ってみよう。


「一つずつ持ってきてくれ」

「保冷庫に……バターと小麦粉!」

「それも頼む」

「あとミルクと、お肉もある!」

「何の……?」


 人参、ジャガイモ、玉葱、南瓜。唐辛子、大蒜。ミルク、バター、謎の肉。

 揃ったのは、ごくごく普通(一部不穏)な材料です。特別なものは(一部不穏)ありません。

 が、これが却って僥倖でした。いざ目の前にしてみると、イメージが湧いてきたのです。何十年も、毎日繰り返してきた作業ですからね。基本と要領を、みっちり身体が憶えているのでしょう。

 そうと決まれば、あとは手際です。

 まず肉と野菜を刻み、たっぷりのバターで炒めました。コクと脂はこれで良し。それを鍋にブチ込んで、煮込みます。灰汁を取ったら、砂糖、塩、酢の順で味付けして。とろみは小麦粉で出すか。ミルクも入れてまろやかに。匙加減に注意だ。


『君は見所があるな。弟子にしてやっても良いぞ!』

「辞退する。家事と育児で精一杯なんだ」


 意外にもフライパンは、ちょろちょろ傍をうろつきはするものの、手も口も出してきませんでした。もっとやかましく注文を付けられると思っていたので、そこは有難いと言うべきでしょうか。もっとも、フライパンに手と口があることが既に、どうかしているのですが。


「いい匂い……」


 鍋を覗いて、ヘンゼルが鼻を鳴らします。

 慌ててヒップバッグから携帯食料を出して、口に突っ込んでやりました。

 いくらなんでも、これを食べさせるわけにはいきません。得体の知れない館の、一見普通の野菜と謎肉です。味には自信がありますが、さりとて有害物質を作っていない保証は、ないのでした。


「ムゥ、その分厚い煎餅、俺にもくれ」

「それより鍋を味見しないか」

「悪ィが鍋アレルギーでよ」

「初耳なんだが」

『おぉそれはなんだ? 不味そうだが、興味がある!』

「こら勝手に食べるな!」

『もっふぉ……ふぁふぁ……ン!』

「ほら詰まった!」

「お水! お水!」


 そうして小一時間。

 即興の煮込み料理が完成しました。


「……うん」


 見た目だけなら充分、合格点です。

 潰した南瓜の黄色に人参の赤が映え、ごろごろしたジャガイモと柔らかそうな肉が、如何にもボリューミィ。出汁には玉葱の甘みも溶け込んでいるはずで、それが唐辛子の辛みと絶妙なハーモニーを奏でる……と思います。

 映えもクリアだな。


『緑が欲しいところだ』


 盛り付けようとして、フライパンの一言に、あっと呟きます。

 苦味。

 ピーマンか瓜系があれば加えようと思っていたのですが、作っているうちに熱中して、忘れてしまっていました。今から間に合うものはあるだろうか。何かこう、葉っぱ的な……。

 そうだ。

 思い付いて、ヒップバッグから薬草を取り出します。

 民家から強奪したアイテムですね。

 嗅いでみると、ヨモギに似た匂いが鼻を突きます。

 結局、どんな効果なのでしょう。誰も知りません。


「……まぁ、死にはしないか」

『ん? なんだね?』

「いやこっちの話」


 薬草だし。逆に回復するかも。

 軽く洗って、細かく千切って、上に散らして、今度こそ完成!


『いただきます!』


 待ってましたとばかりに、フライパンが、台に飛び乗ります。

 そしてスプーンを手にして、まずはスープを一口。


『うっ…………』


 含んだまま、固まりました。

 あ、やっちゃった? ムゥの良心が、少しだけ痛みます。

 無理しなくてもいいぞ。言おうとしたそのとき、


『うまい!』


 テーレッテレー!


「なんだ今の音!?」

「うしろ光ったよ!」

「一瞬、魔女の幻覚が……」


 世界観に配慮しない演出を背負い、フライパンが覚醒しました。

 驚く三人を余所に、物凄い勢いで、料理を口に運び始めます。


『これは……フォーマル且つエレガントでミステリアス、庶民的でありながら退廃的、繊細なダイナミックがスペシャル感でマグネシウム!』


 私はいったい何を作ってしまったんだろう。

 味見してみたかったような、しなくて良かったような、ムゥは複雑な気分です。

 ところで、マグネシウムは下剤の主成分です。これ豆な。


『あぁ美味い! 美味い! この味だ! これを求めていたんだ!』


 しかしながら、もりもり減ってゆく鍋の中身と、海賊漫画さながらの食べっぷりに、ドン引きして歪んでいた口元は、次第に綻んでゆきました。相手がフライパンであれ、美味しく食べてもらえるのは、嬉しいものです。


「ねえ先生、今度うちでも作ってくれる?」

「あぁ。スパイスを足せば、パンにも米にも合うだろう」

「薬草は抜きだぜ」


 一心不乱に料理を掻き込んでいたフライパンは、やがて最後の一口を食べ終え、静かにカトラリーを置きました。


『あぁ、美味しかった』


 ごちそうさま。

 言い終わらないうちに、その姿が消えて、からん。

 皿の上に、鍵が落ちました。


『書斎の鍵を手に入れた!』







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― 新着の感想 ―
 セヴァさんや。骸骨に歯があったって、普通喋れないのよ。だって発声のために必要な舌から何から足りてないのだから。  などとツッコミたいところだけれど、実際にふがふが言ってるから歯さえあれば話して歌えて…
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