メインクエスト開始である。
5.
『此処はオキザリの館だよ!』
例によって、不法侵入しました。
鍵さえ掛かっていませんでしたが、門は頑丈で高く、重厚に閉まっていました。いったいこれをどうやって開けて、猫は中へ入ったのでしょう。あんな手足もないド畜生の生首が。
「今いるのがエントランスだな」
見る限り、シンプルなロの字の構造です。
正面の大きな階段が、踊り場を経て二股に分かれ、二階へ繋がっています。吹き抜けから見る限り、一階と二階は同じ造り。特に凝った意匠もなく、典型的な田舎領主の館だな、というのがムゥの感想でした。
目立つ物といえば、踊り場の大きな絵画くらいか。
「広い! 村長さんの家かな?」
「掃除が大変そうだな……」
「あれなに? 天井のキラキラしてるやつ」
「シャンデリアだ。維持に金が掛かるぞ」
「悪趣味でやんの」
セヴァの持つ照明が、辺りを彷徨います。
玄関は開け放したままでした。背後から差し込む夕陽は早くも陰り、薄暗い館内は、趣味がどうこう以前に不気味です。当然、出迎えはありません。静まり返っています。
「ネコさん、どこかな?」
ヘンゼルが、地図を覗き込んできます。
侵入に当たって、地図はムゥが引き受けました。ヘンゼルの両手は、ゴツい刺股で塞がってしまいましたからね。それなら、最もハイスペックなセヴァを手空きにしようと、マッピング係も交代しました。
地図は館の見取り図を表しています。
上下に分割されていて、下が一階、上が二階。
玄関を背に、ロの字の左右に二部屋ずつ。それが二階分。
合計、八部屋です。
「……あれ?」
ですが、肝心なものがありません。
「王冠の印がないぞ」
そうなのです。
ゴールとなるべき印が、この地図には載っていないのです。
「え、これどうするんだ……?」
「適当に探索して回りゃいいンじゃねェの」
「使えないナビだな」
「好きでやってンじゃねェんだわ」
「そうじゃなくて、探すのか? この広い館を? 歩き回って?」
「そのためのマッパー」
「…………」
「じゃあ、ネコさんを探すのがミッションだね!」
つまり今回は、到達ではなく、探索そのものが目的ということか。
考えてみれば、わざわざこんな部屋数の館へ招いておいて、ゴールまで一直線、なんてわけがありません。どうせ各部屋に仕掛けやらアイテムやら、必要な行動があるのでしょう。さっきの買い物もそうでしたし、昔やったゲームブックも、確かそんな感じでした。フラグ立て、とかいったかな。
やれやれ。いちばん面倒なパターンではありませんか。
「となりゃァ、急いだ方がいいンじゃねェの」
セヴァの意見に、ハッとしました。
洞窟では結局、時間制限の有無はわからずじまいでした。今のところ急かす要素はないものの、相手が落人です。そこは警戒して然るべきでしょう。
気付けば、夕陽を背負う三人の影は、だいぶ館内へ溶け込んでいます。
そういえば、武器屋を出た途端に、夕方になっていたのです。現実とは、時間の流れが違う。これから、それなりに手間の掛かる作業を熟すことになるはずです。
愚痴を言っている暇は、ありません。
「そうだな。私がマッピングする。セヴァ、照明を頼む」
「おうさ」
「ぼくは? ぼくは何すればいいの?」
「ヘンゼルは……頑張ってくれ!」
「うん! ヤー!」
あと、できれば刺股は無闇に振り回さないでくれ。
†
順路は、玄関左手前から、時計回り。
そう決定し、いざ訪れた最初の部屋で、早速トラブルが発生しました。
「ン、ありゃ?」
ドアを開けた途端“照明”が、ふっと消えてしまったのです。
「おい壊れたぜ」
「そんなはずないんだが……」
二人して照明を叩いたり振ったりしましたが、ウンともスンとも言いません。
困ったことに、部屋の中は、鼻を摘ままれてもわからない暗闇です。
窓がないのでしょうか。それにしても、この暗さは異常でした。
なにせ夜目の利くはずのセヴァが、まったく見えていないのです。背後は廊下、二階の床と、それを支えるための柱に遮られはしますが、ここまで明りが届かないものなのか。いくら夕暮れとはいえ、です。
「先生、マッチ持ってない?」
そういえばヒップバッグに入れていたな。
試してみるかと、手探りで取り出し、一本擦ってみました。
しゅっ。
「ひゃっ!」
「!」
ヘンゼルが、ムゥに抱き付きます。
ムゥは、燐寸を放り出すところでした。
ヘンゼルのせいではありません。
手首のせいです。
三人の視線が集まるムゥの手元、ふと灯った淡い炎に、なんの脈絡もなく、誰かの手首から先だけが、浮かび上がったのです。悲鳴を堪えただけ褒められて良いと思います。あまりに予想外、唐突でした。
どういうわけか、手首は人差し指だけを伸ばして、微動だにしません。
ただ一方を指して、浮かんでいます。
やがて燐寸が燃え尽きました。
十秒に満たない時間でしたが、その、長く感じたこと。
「あっちか。もう一本頼む」
緊張を破壊したのは、セヴァのマイペースでした。
この状況で、平然とおかわりの要求です。
「もう一本て、燐寸か?」
「酒でも出してくれンのかい」
「あの手首が指差した方へ行こうって?」
「此処で突っ立ッててもどうにもなンめェ」
それはそうです。
不安だが、試してみるしか、ないか。
「ヘンゼル、大丈夫か?」
「うん。びっくりした!」
「歩くぞ。セヴァと手を繋いでいろ」
「わ、わかった」
目指すは、向かいの角。手首は、その辺を指していたはずです。
壁に手を突きながら、まっすぐ歩きました。
視界は片手を伸ばしたほどで、ほとんど先が見えません。途中、二本ほど燐寸を擦りました。何度か試しましたが、やはり照明では駄目なのです。
その都度、手首が現れました。
二度目以降は、そこまで驚きはしません。余裕が出て観察すれば、断面はつるりとして、出血もなければ骨や肉の感触すらない。作り物めいた手です。ただの矢印的な、そういう存在なのかしらん。
「あ」
二本目の灯火が消える寸前、部屋の隅に燭台が見えました。
「すぐそこだったのにね」
「間に合わなかったな」
せっかくです。火でも着けてみましょう。
新しく燐寸を擦って、燭台に火を灯します。
浮かび上がった手首が、親指と人差し指で丸を作りました。
なるほど。そういう仕掛けの部屋というわけか。
何をすれば良いか、わかりました。
「やったね!」
「燭台に火を着けていけばいいのか」
再び、指は部屋の隅を指します。
今度は対角線でした。
「気を付けろよ」
「うん」
壁に手を突くことができないので、ゆっくり、慎重に歩きます。
燐寸は三本使いました。
家具にぶつからないかと構えていたのですが、何もありません。
難なく、二本目の燭台を灯すことができました。
次は、そのまま奥へ。壁伝いに行って、三本目。
その次に指差された場所は、なんと部屋の入り口でした。
「え、燭台あったのか?」
「見逃したか」
「ちゃんと探せばよかったね……」
というか、近場から教えてくれ。
無駄に対角線を歩かされて、余計な本数と神経を使いました。燐寸だって、残りは僅かです。いつ何処で必要になるかわからないから、節約したいのに。
ムゥは不満でしたが、誰に言っても仕方のない文句でした。ゲームなんて、そういうものなのです。順番どおりに火を灯すとかいう条件なのでしょう。
……うん?
いったい何本の燭台に火を着ければいいんだ?
「ねえ、ぼくやりたい!」
四本目の蝋燭で、ヘンゼルが着火役に立候補しました。
ずっと興味深げに見ていましたからね。やってみたくなったのです。
ちょっと悩んで、ムゥは了承しました。何事も経験です。
「ここが側薬。ざらざらしてるところだ」
「うん!」
「ここを持て。投げるんじゃないぞ」
「うん!」
「火傷するなよ」
「うん!」
燐寸箱を受け取り、指先で感触を確かめて、しゅっ。
ムゥの心配を余所に、危なげもなく、見事な着火でした。
ほわり暗闇に笑顔が浮かび上がり、次いで、燭台に火が灯されます。
――瞬間、パッと部屋中が明るくなりました。
「わ、わ!」
ヘンゼルは驚いて、燐寸を持ったまま、辺りを見回します。
さっとセヴァが手を伸ばして、燐寸の炎を握り消しました。
ムゥだって驚きました。燭台といっても、いずれも隅でぼんやり灯っていただけです。それぞれ、至近距離のものがやっと見える程度でした。それが、四本目に火を着けるや否や、部屋中くまなく明りが満ちたのです。それこそ、照明のように。
「ねぇ、あれ!」
ヘンゼルが、部屋の中央を指差しました。
家具のない、伽藍銅の部屋。天井から、何かぶら下がっています。
暗順応で痛む眼を擦れば、それは鍵でした。
「頭の上とはねェ。まさに盲点ッてわけだ」
セヴァが歩み寄り、背伸びして、鍵を掴みます。
ちょうど、そのぐらいの高さに下がっていたのです。
ぷつんと糸が切れて、鍵は、セヴァの掌に収まりました。
『倉庫の鍵を手に入れた!』
†
さて、次の部屋。その倉庫です。
鍵を開ければ、先程の殺風景とは一転、乱雑に物の詰まった空間でした。
何が入っているのか、大量の箱。服の溢れる箪笥。調理器具や掃除道具など日用品。大工道具。季節物に至っては、夏物と冬物が隣に並んでいます。いや確かに、掃除が大変そうだとは言ったけども。えらいダイナミック収納してるな。
「物置かな?」
「来客に慌てて全部放り込んだみたいだな」
「いるよなァ、そういう奴」
邪魔だとばかりに、進行方向に立てかけられた箒を、セヴァが払います。
が、ぺしん。手の甲が、柄に当たって、止まりました。
一瞬瞠目し、再び、ぺしん。今度は強めに、弾きます。
ぺちん。箒は動きません。
べしん、ばしん、ばん!
「何やってんだ」
無実の箒に執拗なツッコミを入れる相方に、ムゥは呆れて声を掛けます。
ところがセヴァは、至って真面目な表情で、箒と睨み合っていました。
「くっついてやがる」
「はぁ?」
「や、これ。固定されてンだよ」
そんなわけあるか。
千歳を軽く超えておいて、よくそんな遊びができるな。
さっさと除けろと、セヴァの脇から手を伸ばして、箒を掴みました。
「えっ」
予想外の抵抗に、腕が突っ張ります。
何処か引っ掛かっているのかと、周囲を確認しますが、そういう感触ではないのです。意地になって力を込めましたが、ビクともしません。接着剤で固めたか、床から生えたかという強度で、箒は不安定な姿勢を保ち続けます。
「先生、これ全部! くっついてるよ!」
知ってる。今、まさに取り込み中だから。
文字通り、ちょっと手が離せません。
「あんまり触るなよ」
「はーい」
駄目です。散々押したり引いたりして、ムゥは諦めました。
無駄に上がってしまった息を整えつつ、考えます。
この部屋の物は、すべて固定されているのでしょうか。だとしたら、探索は骨が折れます。床に転がる瓶さえ、立派な障害物です。そもそも何を探せば良いのか、それは此処にあるのかすら、わかりません。いや、発見したとして、持ち出せるのか?
「先生ー! これ階段みたい!」
はしゃいだ声に、しまったと視線を向けました。
案の定、ヘンゼルが、段差になった抽斗に登って万歳しています。
セヴァはさておき、こっちは七歳児です。放っておいて良いはずが、なかったのでした。このぐらいの子共の「はい」は、内容の了承ではなく、挨拶と同義です。特にこの子の場合は。
「こら! 危ないぞ! 降りなさい!」
駆け寄ろうとしますが、慌てるものですから、言わんこっちゃない。
いらっしゃいませと、足下に空瓶です。
子供に注意しながら、己がすっ転びました。
「何やってンだァ?」
「…………」
「先生だいじょうぶ?」
ノーダメで降りてきたヘンゼルが、突っ伏したムゥの背中を撫でます。
あっという間に立場が逆転して、ムゥはもう、恥ずかしいやら面白くないやら。箒ではありませんが、このまま床に貼り付いてしまいたい。
それでも、大人ですからね。ややあって、顔を上げました。
と、ヘンゼルが、何か手に持っています。
「それは?」
「あ、これ、タンスの上にあったんだ!」
鍵でした。
『寝室の鍵を手に入れた!』
……なるほど。
合点がいきました。
同じ結論に至ったようで、セヴァが、にんまりと頷きます。
要は、必要な物しか、動かないのです。
さっきの村でも、割れる壺だけ軽かったっけ。
手に取れるということは即ち、それを使うということでしょう。
結果論ですが、これでは、やんちゃしたヘンゼルを叱るに叱れません。
とどのつまり、ムゥは転び損です。
「親切な仕組みじゃねェか」
「ずいぶんと痛い親切があったもんだな!」
強打した鼻を撫でながら、せいぜいセヴァの尻を蹴っ飛ばしました。
ええ。八つ当たりですとも。




