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ヒュプノランタン  作者: 雪麻呂
好奇心は猫を撫でる
88/92

人生は毎日の繰り返しである。

4.






「なん……だと……」


 目の前の光景が信じられず、ムゥは呆然と立ち尽くします。

 それは、この森には、絶対に存在しないはずのものでした。

 村です。

 民家や店のような建物、花壇、煙の上がる煙突。粗末ながらも補正された道路に行き交う、数人の住民。何処にでもありそうな、けれど森では決して見られない、平凡な生活が、洞窟の先に広がっていたのです。

 どういうことだ。

 少し先で、ヘンゼルを抱えたセヴァの背中も、動きません。


「人だ!」


 ヘンゼルが、セヴァの腕を振りほどき、傍の男性に駆け寄りました。


「こ、こんにちわ! ぼくヘンゼルです! あの、ここは」

『やあ! 此処はヒトシレズの村だよ!』

「ここに住んでるの? いつから? みんなで?」

『やあ! 此処はヒトシレズの村だよ!』

「この森、出られないんだよ。みんなも迷ったの? だいじょうぶ?」

『やあ! 此処はヒトシレズの村だよ!』

「それはわかったから……」

『やあ! 此処はヒトシレズの村だよ!』


 ヘンゼルが、困惑と恐怖に満ちた顔で振り向きます。

 急ぎ駆け付け、ムゥが後を引き受けました。


「ちょっとすまない。私はこの子の保護者なんだが……」

『やあ! 此処はヒト』

「よしてくれ! ふざけているのか? 訊きたいんだ。この森」

「やめときな」


 セヴァが割って入ります。


「紛い物だ」

「え……」

「幻でもねェが、実在もしねェ。それしか喋れねェんだ。たぶん、そういうふうに設定されてる。要は舞台装置さ。そういう役割ッてこッた」

「設定? 舞台装置?」

「まァ見てな」


 言われてムゥは、掴んでいた服を離しました。

 男性は、何事もなかったかのように、三人の前をすたすた歩いてゆきます。

 数歩進んだところで、急速方向転換。また此方へ歩いてきました。

 そして、三人には目もくれず通り過ぎ、やはり少し歩いて、方向転換します。

 延々、そうしているのです。

 にこにこと、絵に描いたような笑顔を貼り付けたまま。

 ムゥはゾッとしました。


「せ、先生……」


 怯えたヘンゼルが、ムゥにしがみ付いてきます。

 抱き寄せて頭を撫でながら、薄ら寒い感覚に、ムゥも口元を歪めました。


「つまり意思の疎通は不可能なんだな」

「あァ。ただの情報源。動く看板みてェなもんさ」


 他にも数人が歩いていますが、よく見れば、同じです。

 誰も彼も、一定の動作を一定の間隔で、繰り返していました。


「オバケ?」

「作り物だ。怖がらなくていい」

「追っ掛けてこない? 暴れない?」

「大丈夫」


 ヘンゼルの肩を軽く叩いて、周りを見るよう促します。

 武器を持っている者はいません。異様ではあるものの、みんなそれぞれの行動を反復するのみで、敵意は感じられませんでした。居心地の悪さはさておき、襲われる心配はないでしょう。

 納得したのか、ヘンゼルは、はぁと大きな息を吐きました。


『いろんな人と話してみよう!』


 これはセヴァです。

 なんとなく、わかってきました。

 この、勝手に喋らされる台詞。自分達もまた、舞台装置の一部なのです。つまりは物語の登場人物であり、プレイヤーであり、セヴァに至っては、ナビゲーション担当にされてしまったというわけです。ムゥは最初の王様か何かでしょうね。

 そもそも、初めから、作り物めいていました。

 突如現れた洞窟。その探索。取って付けたような仕掛け。まるでゲーム。

 そうです。これは、落人の作ったゲームです。

 だとしたら、攻略せねばなりません。それが日常へ戻る鍵です。

 結局こうなるのだなぁ。今日も今日とて巻き込まれた不運を嘆き、ムゥは、そっと胃を押さえるのでした。











『良い天気ですね』

『うえーい酔っ払っちまったーい』

『花壇の花を踏んではいけませんよ!』

『婆さんは何処かのう』


 三人は、外を歩いている村人に、片っ端から話しかけました。

 歩きながらマッピングを行い、ヘンゼルの持っている地図と照らし合わせます。思ったとおり。それはいつの間にか洞窟ではなく、数軒の民家と一軒の店、それらを繋ぐ簡単な道が描かれたものに変わっていました。

 ということは、この地図に進行のヒントがあるはずです。


『オラの大根は村一番だァ』

『今日はトマトが安いよ安いよー!』

『爺さんは何処かのう』


 話せと言われた割に、村人の話は、これといって役に立ちません。


『民家に入ってみよう!』


 行き詰まった頃、発言したのは、またしてもセヴァでした。

 いくらナビとはいえ、しれっと不法侵入を勧めてくるのは如何なものか。

 ドン引きするムゥでしたが、これはゲームです。此方も進退が掛かっています。故に緊急避難に値するはず。やむなし。不起訴。自分に言い聞かせ、ヘンゼルの手を引いて、近くの民家に侵入しました。あぁ良心が痛む。


「ごめんください……」

『ちっとも綺麗にならないわ!』


 中年の女性が、箒を持って、部屋の中を歩き回っています。

 何処を掃くでもなく、笑顔で室内を往復する様は、なんともホラーです。

 いったいこの村人達は、登場する意味があるんだろうか。

 そも、意味とはなんだろうか。


「……あ、こらッ!?」


 半ば明後日の方へ飛んでいたムゥの意識、突然の相棒の蛮行に、強制帰還。

 セヴァが住人の目の前で、堂々と箪笥を漁り始めたのです。


「何やってる! やめろ馬鹿!」

「此処、なんかあるっぽいぜ」

「人の家だぞ!」

「いやだって、これ」


 寄越された地図を引ったくって見れば、描かれているのは、この家らしき見取り図。その右上に、未発見×2と記されています。


「持ってけッてことだろ。どォせそいつら看板だし」

「いや、けど、さすがに」

「おいチビ、手伝ってくれや」

「うんわかった!」


 ヘンゼルは、百点のお返事で参戦します。

 賢い子ですから、もうだいたい理解したのでしょう。

 これはゲームで、実際は、誰にも迷惑は掛からない。地図は正確で、必要な物はちゃんと記されているのです。先へ進むためには、何処かで何かをしなくてはなりません。洞窟での冒険を経て、学習した成果でした。

 いやだからって。


「あ、ヘンゼル、あぁ、それは」

「だいじょうぶ! 勇者は怒られないんだよ!」

『そうじゃ! 勇者は正義! 天下御免!』


 絶妙のタイミングで、これです。勝手に肯定してしまいました。

 いやいや違う。そうじゃなくて。


『勇者行為サイコー!』


 ムゥは歯軋りして、頭を抱えました。

 ちなみに、こう言ったつもりです。

 そんなの何処で憶えた!


「あっ、お金!」

「すまないすまない! 悪気はないんだ!」

『十ゴールドを手に入れた!』

「ッて、十だァ? シケてンなァ」

「うちの子がすまない! 老害もすまない!」

「セヴァさん、この壺軽いよ!」

「割れるンじゃねェか?」

『ちっとも綺麗にならないわ!』

「勘弁してください! アイテム必要なんです!」

『薬草を手に入れた!』











 その後、あらゆる民家に侵入しては犯行を重ね、ヘンゼルはホクホク。

 ムゥは疲労困憊。

 セヴァは通常運転です。


「しょっぺェ村だな」

「そう? お金いっぱいあったよ!」

「これはゲーム……これはゲーム……」


 薬草×1。聖水×1。200ゴールド。

 アイテムは、まだ何の役に立つかわかりません。

 というか、ゴールドって通貨なんだな。

 まとまった金が手に入ったということは、使えということか。


「店が一軒あったよな。行ッてみるかァ」

「お買い物するの!? やったー!」


 もはやムゥは口出しする気も起きず、とぼとぼ二人に付いてゆきました。


『いらっしゃい! 何が欲しいんだい?』


 店の扉を開けると、体格の良い親父が、腕組みで待ち構えていました。

 店内は、武器や防具など様々に陳列されていて、ちょっとした倉庫のようです。

 その中の一つに、案の定、ヘンゼルが食い付きました。


「剣だ! 剣だよ! かっこいい! 欲しい!」

『銅の剣だね! 1500ゴールドだよ!』

「せんごひゃく!?」


 男の子なら仕方ありませんね。

 でも、お金が全然足りません。手持ちは200ゴールドです。


「先生お金持ってない?」

「持ってるわけないだろう」

「ほんとぉ? ちょっとジャンプしてみて?」

「…………」


 七歳児にカツアゲされる天才魔術士の図。

 この場合、悲しめば良いのか、強盗を提案されたなかっただけマシと喜べば良いのか。がちゃんがちゃんとヒップバッグを鳴らしながら、ムゥは思いました。子供は、どうして保護者の知らない間に、いらんことを憶えてくるのだろう。

 もちろん一ゴールドも、鼻水だって出やしませんでしたよ。


「親父、こッちの杖は?」

『炎のロッドだね! 3000ゴールドだよ!』

「たっっっか」

「これは? カマみたいなの」

『鎖鎌だね! 800ゴールドだよ!』

「うちにもあったなこれ」

「何それ怖い」

「このヨロイは? 高価(たか)いの?」

『鉄の鎧だね! 2000ゴールドだよ!』

「面倒だな。200ゴールド以内で買える物はないのか?」

『それならこの中から選んでくれや!』


 渡された紙には、飯屋のメニューよろしく、品物名と代金が記されています。

 この親父、まさかの絞り込み検索機能付きでした。


「さすまた……って、なに?」

「あれだ。ほら、先がクワガタみたいなやつ」

「! かっこいい!」

『刺股だね! 200ゴールドだよ!』

「足りる! ねぇ買っていい?」


 ヘンゼルが、眉尻を下げて、わずかに口を窄めます。おねだりの表情です。

 ムゥは少し悩みましたが、どのみち今の手持ちでは、どう頑張っても、他の武器防具を買うことはできません。自分は別に欲しい物もないし、ここは勇者の希望を通しましょう。


「わかった。刺股をもらおう」

『まいどあり! 装備していくかい?』

「やったー!」


 代金を支払い、親父から刺股を受け取って、ヘンゼルは大興奮。

 見えない敵に向かって、思い付く限り格好良いポーズを決めました。


「ヤー! ヤー!」

「ははッ、なかなか強そうじゃねェか」

「あんまり振り回すなよ」

「うん! ヤー!」


 意外に軽く、全長はヘンゼルが両腕を広げたくらい。初めからこのために誂えたように、小さな手にぴったりです。それにしては、返しの内側に施された棘など、やや物騒な気もしますが、そこはまぁ、武器ですから。

 できればあんまり使わせたくないなぁと思いつつ、嬉しそうなヘンゼルの大立ち回りを見ると、ムゥの口元は、つい綻んでしまうのでした。


『そういえば、さっき北の洋館に変な猫が入っていったよ』


 親父の衝撃発言に、ぴたり。ヘンゼルの動きが止まりました。

 ムゥとセヴァの表情が、固まります。

 ――忘れてた!


「そうだ! ネコさん!」

「あー……忘れてたぜ」

「何処だ!? 何処へ行ったって!?」


 そうです。三人は、猫を追い掛けていたのです。

 予想外の場所へ出て、流れで窃盗などしていたものですから、すっかり失念していました。


『そういえば、さっき北の洋館に変な猫が入っていったよ』

「北だね。ありがとう!」

「洋館なんかあったか?」

「また生えてンだろ。買い物がフラグってわけよ」


 慌ただしく店を出ると、唐突に日が暮れていました。

 地図を確認するまでもありません。セヴァの言うとおり、北の方角に、大きな館が出現していました。如何にも曰くありげな、重い空気を纏う佇まいは、オレンジの太陽を背負ってさえ、こんな長閑な村には不釣り合いです。


「あそこに行くの?」

「だろォよ。親切なこッた」

「ヘンゼル、準備はいいか?」


 返事がありません。

 ムゥは、脚を止めて、振り返りました。てっきり元気よく即答すると思っていたので、既に歩き出していたのです。ところがヘンゼルは、店の前に立ったまま、館とは逆の方向を眺めています。


「どうした? おしっこか? 忘れ物か?」

「……この村、作り物なんだよね」

「ん? あぁそうだったな。だけどもう用済みだぞ。怖がらなくても」

「なんかちょっと、ぼくの村に似てた」


 ムゥは言葉を失いました。


「なんか……うん、ちょっとだけ」


 ヘンゼルの後ろ姿が、俯きます。

 ムゥは、己の無神経を呪いました。

 この子が森に迷い込んだのは、まだ四歳のとき。

 今は何も言わなくなりましたが、恋しいに決まっているのです。

 母親。暮らした村。突然に奪われてしまった、当たり前の生活。


「…………」


 こんなとき、なんと言ってやればいいのか。わかりません。

 歩み寄って、後ろから、そっと肩を抱きます。


「お買い物したの、初めて」

「うん」

「働いたお金じゃないけど……」

「いいさ。ゲームだ」

「ね。ときどき、お買い物ごっこしてくれる?」

「あぁ。やろう」

「……えへへ」


 撫でられて、ヘンゼルはムゥを見上げます。

 およそ七歳の子供らしくない、妙に達観した、それは寂しげな笑顔でした。

 欠けてしまったその部分を、否応もない覚悟で埋めて。

 それでも微笑むヘンゼルが、ムゥには、とても眩しく見えました。

 細めた眼に、つらつらと夕陽が差し込みます。此処が高台になっていることに、初めて気付きました。一望する村は平凡で、これといって特徴もない。何処にでもあるような、でも何処にも存在しない、綺麗な、偽物の光景でした。

 花壇。畑。誰かの家。煙突から上る煙。煮炊きの匂い。

 見たのは、聞いたのは、感じたのは、どれほど昔だったのか。


「作り物でも、楽しかった」







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― 新着の感想 ―
 紛い者たちの作り出すゲーム的な状況に対する、主人公三人組の三者三様なリアクション。  コメディ風味のこの空気から、一気に突き刺してくる結びの落差よ。  まるで合成樹脂製の食品サンプルのようでした。綺…
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