人生は毎日の繰り返しである。
4.
「なん……だと……」
目の前の光景が信じられず、ムゥは呆然と立ち尽くします。
それは、この森には、絶対に存在しないはずのものでした。
村です。
民家や店のような建物、花壇、煙の上がる煙突。粗末ながらも補正された道路に行き交う、数人の住民。何処にでもありそうな、けれど森では決して見られない、平凡な生活が、洞窟の先に広がっていたのです。
どういうことだ。
少し先で、ヘンゼルを抱えたセヴァの背中も、動きません。
「人だ!」
ヘンゼルが、セヴァの腕を振りほどき、傍の男性に駆け寄りました。
「こ、こんにちわ! ぼくヘンゼルです! あの、ここは」
『やあ! 此処はヒトシレズの村だよ!』
「ここに住んでるの? いつから? みんなで?」
『やあ! 此処はヒトシレズの村だよ!』
「この森、出られないんだよ。みんなも迷ったの? だいじょうぶ?」
『やあ! 此処はヒトシレズの村だよ!』
「それはわかったから……」
『やあ! 此処はヒトシレズの村だよ!』
ヘンゼルが、困惑と恐怖に満ちた顔で振り向きます。
急ぎ駆け付け、ムゥが後を引き受けました。
「ちょっとすまない。私はこの子の保護者なんだが……」
『やあ! 此処はヒト』
「よしてくれ! ふざけているのか? 訊きたいんだ。この森」
「やめときな」
セヴァが割って入ります。
「紛い物だ」
「え……」
「幻でもねェが、実在もしねェ。それしか喋れねェんだ。たぶん、そういうふうに設定されてる。要は舞台装置さ。そういう役割ッてこッた」
「設定? 舞台装置?」
「まァ見てな」
言われてムゥは、掴んでいた服を離しました。
男性は、何事もなかったかのように、三人の前をすたすた歩いてゆきます。
数歩進んだところで、急速方向転換。また此方へ歩いてきました。
そして、三人には目もくれず通り過ぎ、やはり少し歩いて、方向転換します。
延々、そうしているのです。
にこにこと、絵に描いたような笑顔を貼り付けたまま。
ムゥはゾッとしました。
「せ、先生……」
怯えたヘンゼルが、ムゥにしがみ付いてきます。
抱き寄せて頭を撫でながら、薄ら寒い感覚に、ムゥも口元を歪めました。
「つまり意思の疎通は不可能なんだな」
「あァ。ただの情報源。動く看板みてェなもんさ」
他にも数人が歩いていますが、よく見れば、同じです。
誰も彼も、一定の動作を一定の間隔で、繰り返していました。
「オバケ?」
「作り物だ。怖がらなくていい」
「追っ掛けてこない? 暴れない?」
「大丈夫」
ヘンゼルの肩を軽く叩いて、周りを見るよう促します。
武器を持っている者はいません。異様ではあるものの、みんなそれぞれの行動を反復するのみで、敵意は感じられませんでした。居心地の悪さはさておき、襲われる心配はないでしょう。
納得したのか、ヘンゼルは、はぁと大きな息を吐きました。
『いろんな人と話してみよう!』
これはセヴァです。
なんとなく、わかってきました。
この、勝手に喋らされる台詞。自分達もまた、舞台装置の一部なのです。つまりは物語の登場人物であり、プレイヤーであり、セヴァに至っては、ナビゲーション担当にされてしまったというわけです。ムゥは最初の王様か何かでしょうね。
そもそも、初めから、作り物めいていました。
突如現れた洞窟。その探索。取って付けたような仕掛け。まるでゲーム。
そうです。これは、落人の作ったゲームです。
だとしたら、攻略せねばなりません。それが日常へ戻る鍵です。
結局こうなるのだなぁ。今日も今日とて巻き込まれた不運を嘆き、ムゥは、そっと胃を押さえるのでした。
『良い天気ですね』
『うえーい酔っ払っちまったーい』
『花壇の花を踏んではいけませんよ!』
『婆さんは何処かのう』
三人は、外を歩いている村人に、片っ端から話しかけました。
歩きながらマッピングを行い、ヘンゼルの持っている地図と照らし合わせます。思ったとおり。それはいつの間にか洞窟ではなく、数軒の民家と一軒の店、それらを繋ぐ簡単な道が描かれたものに変わっていました。
ということは、この地図に進行のヒントがあるはずです。
『オラの大根は村一番だァ』
『今日はトマトが安いよ安いよー!』
『爺さんは何処かのう』
話せと言われた割に、村人の話は、これといって役に立ちません。
『民家に入ってみよう!』
行き詰まった頃、発言したのは、またしてもセヴァでした。
いくらナビとはいえ、しれっと不法侵入を勧めてくるのは如何なものか。
ドン引きするムゥでしたが、これはゲームです。此方も進退が掛かっています。故に緊急避難に値するはず。やむなし。不起訴。自分に言い聞かせ、ヘンゼルの手を引いて、近くの民家に侵入しました。あぁ良心が痛む。
「ごめんください……」
『ちっとも綺麗にならないわ!』
中年の女性が、箒を持って、部屋の中を歩き回っています。
何処を掃くでもなく、笑顔で室内を往復する様は、なんともホラーです。
いったいこの村人達は、登場する意味があるんだろうか。
そも、意味とはなんだろうか。
「……あ、こらッ!?」
半ば明後日の方へ飛んでいたムゥの意識、突然の相棒の蛮行に、強制帰還。
セヴァが住人の目の前で、堂々と箪笥を漁り始めたのです。
「何やってる! やめろ馬鹿!」
「此処、なんかあるっぽいぜ」
「人の家だぞ!」
「いやだって、これ」
寄越された地図を引ったくって見れば、描かれているのは、この家らしき見取り図。その右上に、未発見×2と記されています。
「持ってけッてことだろ。どォせそいつら看板だし」
「いや、けど、さすがに」
「おいチビ、手伝ってくれや」
「うんわかった!」
ヘンゼルは、百点のお返事で参戦します。
賢い子ですから、もうだいたい理解したのでしょう。
これはゲームで、実際は、誰にも迷惑は掛からない。地図は正確で、必要な物はちゃんと記されているのです。先へ進むためには、何処かで何かをしなくてはなりません。洞窟での冒険を経て、学習した成果でした。
いやだからって。
「あ、ヘンゼル、あぁ、それは」
「だいじょうぶ! 勇者は怒られないんだよ!」
『そうじゃ! 勇者は正義! 天下御免!』
絶妙のタイミングで、これです。勝手に肯定してしまいました。
いやいや違う。そうじゃなくて。
『勇者行為サイコー!』
ムゥは歯軋りして、頭を抱えました。
ちなみに、こう言ったつもりです。
そんなの何処で憶えた!
「あっ、お金!」
「すまないすまない! 悪気はないんだ!」
『十ゴールドを手に入れた!』
「ッて、十だァ? シケてンなァ」
「うちの子がすまない! 老害もすまない!」
「セヴァさん、この壺軽いよ!」
「割れるンじゃねェか?」
『ちっとも綺麗にならないわ!』
「勘弁してください! アイテム必要なんです!」
『薬草を手に入れた!』
その後、あらゆる民家に侵入しては犯行を重ね、ヘンゼルはホクホク。
ムゥは疲労困憊。
セヴァは通常運転です。
「しょっぺェ村だな」
「そう? お金いっぱいあったよ!」
「これはゲーム……これはゲーム……」
薬草×1。聖水×1。200ゴールド。
アイテムは、まだ何の役に立つかわかりません。
というか、ゴールドって通貨なんだな。
まとまった金が手に入ったということは、使えということか。
「店が一軒あったよな。行ッてみるかァ」
「お買い物するの!? やったー!」
もはやムゥは口出しする気も起きず、とぼとぼ二人に付いてゆきました。
『いらっしゃい! 何が欲しいんだい?』
店の扉を開けると、体格の良い親父が、腕組みで待ち構えていました。
店内は、武器や防具など様々に陳列されていて、ちょっとした倉庫のようです。
その中の一つに、案の定、ヘンゼルが食い付きました。
「剣だ! 剣だよ! かっこいい! 欲しい!」
『銅の剣だね! 1500ゴールドだよ!』
「せんごひゃく!?」
男の子なら仕方ありませんね。
でも、お金が全然足りません。手持ちは200ゴールドです。
「先生お金持ってない?」
「持ってるわけないだろう」
「ほんとぉ? ちょっとジャンプしてみて?」
「…………」
七歳児にカツアゲされる天才魔術士の図。
この場合、悲しめば良いのか、強盗を提案されたなかっただけマシと喜べば良いのか。がちゃんがちゃんとヒップバッグを鳴らしながら、ムゥは思いました。子供は、どうして保護者の知らない間に、いらんことを憶えてくるのだろう。
もちろん一ゴールドも、鼻水だって出やしませんでしたよ。
「親父、こッちの杖は?」
『炎のロッドだね! 3000ゴールドだよ!』
「たっっっか」
「これは? カマみたいなの」
『鎖鎌だね! 800ゴールドだよ!』
「うちにもあったなこれ」
「何それ怖い」
「このヨロイは? 高価いの?」
『鉄の鎧だね! 2000ゴールドだよ!』
「面倒だな。200ゴールド以内で買える物はないのか?」
『それならこの中から選んでくれや!』
渡された紙には、飯屋のメニューよろしく、品物名と代金が記されています。
この親父、まさかの絞り込み検索機能付きでした。
「さすまた……って、なに?」
「あれだ。ほら、先がクワガタみたいなやつ」
「! かっこいい!」
『刺股だね! 200ゴールドだよ!』
「足りる! ねぇ買っていい?」
ヘンゼルが、眉尻を下げて、わずかに口を窄めます。おねだりの表情です。
ムゥは少し悩みましたが、どのみち今の手持ちでは、どう頑張っても、他の武器防具を買うことはできません。自分は別に欲しい物もないし、ここは勇者の希望を通しましょう。
「わかった。刺股をもらおう」
『まいどあり! 装備していくかい?』
「やったー!」
代金を支払い、親父から刺股を受け取って、ヘンゼルは大興奮。
見えない敵に向かって、思い付く限り格好良いポーズを決めました。
「ヤー! ヤー!」
「ははッ、なかなか強そうじゃねェか」
「あんまり振り回すなよ」
「うん! ヤー!」
意外に軽く、全長はヘンゼルが両腕を広げたくらい。初めからこのために誂えたように、小さな手にぴったりです。それにしては、返しの内側に施された棘など、やや物騒な気もしますが、そこはまぁ、武器ですから。
できればあんまり使わせたくないなぁと思いつつ、嬉しそうなヘンゼルの大立ち回りを見ると、ムゥの口元は、つい綻んでしまうのでした。
『そういえば、さっき北の洋館に変な猫が入っていったよ』
親父の衝撃発言に、ぴたり。ヘンゼルの動きが止まりました。
ムゥとセヴァの表情が、固まります。
――忘れてた!
「そうだ! ネコさん!」
「あー……忘れてたぜ」
「何処だ!? 何処へ行ったって!?」
そうです。三人は、猫を追い掛けていたのです。
予想外の場所へ出て、流れで窃盗などしていたものですから、すっかり失念していました。
『そういえば、さっき北の洋館に変な猫が入っていったよ』
「北だね。ありがとう!」
「洋館なんかあったか?」
「また生えてンだろ。買い物がフラグってわけよ」
慌ただしく店を出ると、唐突に日が暮れていました。
地図を確認するまでもありません。セヴァの言うとおり、北の方角に、大きな館が出現していました。如何にも曰くありげな、重い空気を纏う佇まいは、オレンジの太陽を背負ってさえ、こんな長閑な村には不釣り合いです。
「あそこに行くの?」
「だろォよ。親切なこッた」
「ヘンゼル、準備はいいか?」
返事がありません。
ムゥは、脚を止めて、振り返りました。てっきり元気よく即答すると思っていたので、既に歩き出していたのです。ところがヘンゼルは、店の前に立ったまま、館とは逆の方向を眺めています。
「どうした? おしっこか? 忘れ物か?」
「……この村、作り物なんだよね」
「ん? あぁそうだったな。だけどもう用済みだぞ。怖がらなくても」
「なんかちょっと、ぼくの村に似てた」
ムゥは言葉を失いました。
「なんか……うん、ちょっとだけ」
ヘンゼルの後ろ姿が、俯きます。
ムゥは、己の無神経を呪いました。
この子が森に迷い込んだのは、まだ四歳のとき。
今は何も言わなくなりましたが、恋しいに決まっているのです。
母親。暮らした村。突然に奪われてしまった、当たり前の生活。
「…………」
こんなとき、なんと言ってやればいいのか。わかりません。
歩み寄って、後ろから、そっと肩を抱きます。
「お買い物したの、初めて」
「うん」
「働いたお金じゃないけど……」
「いいさ。ゲームだ」
「ね。ときどき、お買い物ごっこしてくれる?」
「あぁ。やろう」
「……えへへ」
撫でられて、ヘンゼルはムゥを見上げます。
およそ七歳の子供らしくない、妙に達観した、それは寂しげな笑顔でした。
欠けてしまったその部分を、否応もない覚悟で埋めて。
それでも微笑むヘンゼルが、ムゥには、とても眩しく見えました。
細めた眼に、つらつらと夕陽が差し込みます。此処が高台になっていることに、初めて気付きました。一望する村は平凡で、これといって特徴もない。何処にでもあるような、でも何処にも存在しない、綺麗な、偽物の光景でした。
花壇。畑。誰かの家。煙突から上る煙。煮炊きの匂い。
見たのは、聞いたのは、感じたのは、どれほど昔だったのか。
「作り物でも、楽しかった」




