さぁ旅立つのである。
2.
「というわけで、宝探しにやってきたのだ」
「はァ」
謎の説明口調に、セヴァが気のない溜息を返します。
幸い、ヘンゼルには聞こえていません。少し離れたところで、がさがさ草むらを漁っています。フェイントのつもりか、さっと上を見たり、地図を読み返しては眉を寄せたり。熱中しているようで、なによりです。
此処、ススキの美しい野原は、去年の秋から目を付けていました。
さほど密集しておらず、ヘンゼルの身長でも目が届き、地割れや陥没、崖も沼もありません。いくつか高い樹も生えて、木陰もあれば、座れるほどの岩場もある。加えて、ぽつぽつ点在する彼岸花が添える彩りなど、秋の遠足にぴったりではありませんか。
宝探しをしないか?
ムゥがヘンゼルを誘ったのは、つい今朝方です。
準備は終えていました。野原に宝箱を設置し、地図を作り、装備も支度も万端、ばっちりです。なのでこれは、いわゆるサプライズ。この手のイベントが大好きな子でしたから、少しでも気晴らしになればと、密かに企画していたのでした。
ヘンゼルは、あまり乗り気ではなかったようです。
それを半ば強引に、ピクニックも兼ねているからと連れ出しました。
最悪、運動になれば構わない。徒労は覚悟していたのですが。
「……大成功だな」
ちょろちょろ動き回るヘンゼルに、ムゥは眩しい眼差しを向けます。
此処へ着いて地図を渡すまで、地面ばかり見ていたのが嘘のようでした。いえ、今も地面を見てはいるのですが、表情が全然、違います。暗号は簡単なものにしておいたので、鍵の方は既に発見済みです。残る宝箱を求め、地図を睨んだり木の枝を揺すったりと、忙しいこと。
ムゥは、うんうんと頷きました。
手を離したら泣き出すのではと、内心ハラハラしていたのです。実際は、謎解きと捜索に没頭するにつれ、自分から単独行動を始めました。もうほとんど、いつもの調子を取り戻したように見えます。陽を浴びて、頭と身体を動かしたことも効いたのでしょう。
やはりこの子は、こうでなくては。
「そいつァ結構。で、なんで俺様まで?」
「家族行事だ。全員参加に意義がある」
対して、セヴァは退屈そうです。
いつも全力でヘンゼルに張り合う大人気のなさは、何処へいったのやら。無表情で、その辺の草を千切っては捨てるという、不毛な行為を繰り返しています。
手伝うふうを装って、二人して上手に距離を取りました。こうしてススキに隠れてしゃがんでいれば、捜索しているように見えるでしょう。
「……というのは建前。お前、私に何か隠し事をしているな?」
セヴァの手が、ふと止まりました。
「この間の落人のことか? お前の役目に関することか?」
今回の企画には、もうひとつ、目的がありました。
セヴァと二人きりで話すタイミングが、欲しかったのです。
家では、いつもヘンゼルがべったりですからね。
「最近、それで考え込んでいるだろう。深刻なのか?」
「うるッせェなァ。古女房気取りかい」
「何年一緒にいると思ってる。もう似たようなものじゃないか」
「うちの母ちゃんの煮物はもっと美味い」
「あいにく和食は専門外でな。三食生米をご所望か?」
「やってみやがれ。蛙風呂にブチ込んでやる」
「私はな、別にお前のことなんか全然これっぽっちも心配じゃないが」
ムゥはムゥで、小石を移動させては戻すという、無意味な指遊び。
「その図体で落ち込まれるのは鬱陶しくて適わん。手がいるなら貸すぞ」
「お前に関係ねェ」
まぁ、そうくるか。
ほぼ予想どおりの言い草に、ムゥは肩を竦めました。
なら、気長に待ってやるとしよう。時間は呆れるほどあるのだし。放っておいて解決するなら、それはそれで良し。切羽詰まったら言ってくるだろう。
「……こともねェ……かなァ」
今度は、ムゥの手が止まります。
「どういうことだ?」
「……ここだけの話なンだが……」
セヴァの横顔が、言いかけて、此方を向きます。
ムゥは続きを待ちました。
さらり風が吹き抜けて、金と水色の前髪が、仲良く踊りました。
「布野郎を」
「あーっ!」
ヘンゼルの歓声が、セヴァの言葉を遮りました。
「あったあ! あったよ先生!」
立ち上がって見れば、ヘンゼルが木陰で手を振っています。
宝箱を隠した場所でした。
セヴァが、ぼりぼりと頭を掻きます。仕方ありません。
続きは後で。了解。
視線で言い交わし、連れ立って歩き始めました。
「お宝ァなんだい。億万長者になれンのかァ」
「クラウン金貨だ」
「マジで金だった」
「一枚だけだがな。純金だし、彫刻が素晴らしい」
「悪かねェな。チビが喜びそうだ」
「だろう?」
そういえば、セヴァにも伝えていませんでした。帝国で流通する貨幣で、王冠のレリーフが施された金貨が、本日の財宝です。誰かの遺品を拾ったものか、いつの間にかポケットに入っていて、それからずっと、持っていたのでした。
こんな森で使えるはずもないのに。自嘲の笑みを浮かべながら、けれど弄ぶ感触の懐かしさに、どうしても捨てられなかった。ならばいっそ、この機会にヘンゼルに譲ってしまおうと考えたのです。
此処では何万クラウンあっても無意味ですが、ヘンゼルの宝物になれば、そこに金額に代えがたい価値が、新たに生まれるでしょう。これぞ正しく等価交換というものかもしれません。
「これ? これ?」
すぐ傍まで来た二人に、ヘンゼルが、両手で箱を掲げてみせました。
大きめのオルゴールくらい。年代物を意識して塗装し、いかにもヘンゼルが好みそうな宝箱といった装飾で仕上げました。我ながら良い仕事です。納屋の隅で埃を被っていた木箱とは思えませんね。
開ければ、内側は赤い天鵞絨張りで、固定用の台座に、クラウン金貨が収まっているはずです。
「よく見付けたな。当たりだ」
「やった!」
宝箱を抱きしめて、ヘンゼルは、喜びに身を捩ります。
興奮で染まる頬。にっかりと白い歯。好奇心に輝く眼。その笑顔は、どんな青空よりも明るく、爽やかに、ムゥの心を照らしてやみません。あぁこれを見たかったのだと、今更ながら得心します。
明日からのことはまだ心配だが、今は、これで。
――私の宝物は、きっと。
「開けていい?」
「もちろん」
ヘンゼルが、スモックのポケットから、鍵を取り出します。
これも今日のために仕立ててやった服です。ポケットの内側には返しが縫い付けられていて、フラップは、スナップボタンでしっかり留まります。小さな物を入れても落ちないよう、ムゥが施した工夫でした。
ヘンゼルが鍵を差し込み、三人の表情が、それぞれの期待で弾みます。
かちり。
ばんっ!
解錠の音と共に、中から、飛び出しました。
何がって、ピンクです。
目も醒めるようなショッキングピンクの球体が、蓋を吹き飛ばしざま、勢いよく宙に打ち上がりました。
それは、くるりと器用に一回転し、傍の岩の上に着地します。
短くも光沢のある毛並み(ただし蛍光色)、ぴょこんと三角の耳。膨らんだ口元から生えているのは、髭でしょうか。まん丸の眼を、爛々と金色に輝かせる様は、まるで獲物を見定める猫のように――、
いいえ、猫です。
どうやら猫の生首です、これは。
茶トラだの三毛だの、そんな可愛らしい柄ではありませんが、その姿形は、確かに猫のものでした。
でも、ちょっと大きすぎやしませんか。頭だけで、西瓜ほどあります。
いったい如何にして、自分より小さな箱に収まっていたのでしょう。
どうして首だけで?
「わあ!」
さすがに予期していなかったヘンゼルが、思いっきり仰け反ります。
受け止めたセヴァが、ムゥへ、あからさまな避難の眼差しを寄越します。
ムゥだって驚きました。
なんなら、いちばん驚きました。
なんだこいつ。いつ、どうやって入った?
いや違う。そうじゃない。
こんなの知らないぞ。
私じゃない!
『勇者よ!』
言ったつもりが、口から出たのは、わけのわからない台詞でした。
『おお勇者ヘンゼルよ! 試練じゃ! 試練の始まりじゃ!』
???
『王冠を取り戻すのじゃ!』
いや何言ってんだ?
ムゥは焦って、片手で口を塞ぎました。
勇者ってなんだ? 私が言ったのか? でも私の喉から出た声だぞ。
王冠?
私が仕込んだのは、王冠は王冠でも、クラウン金貨で……。
混乱しつつ、猫を凝視します。
と、すぽんっ。
西瓜めいた丸い身体の頭に、落ちてきた何かが、すっぽり填まりました。
王冠でした。
猫が、三日月の形に、にやぁと口の端を持ち上げます。
「は?」
その王冠は。
クラウン金貨にも彫られた優美な王冠は、皇帝の冠でした。
高貴なる御物。皇帝家に代々受け継がれた、やんごとなき国宝です。
此の世で唯一、ヴァレンタイン帝国皇帝のみが戴冠を許された。
否。陛下だって、滅多にお召しになるものではないのに。
それを、何処の馬の骨とも知れぬ、こんな畜生が。
当然の如く。被って。
「――――っ!」
理解した途端、ムゥの自制心が消し飛びました。
「ゆうしゃ!? ぼく勇者だったの!?」
「おいおい、聞いてねェぞ。何がおッ始まったンだァ?」
ヘンゼルとセヴァが騒ぐ中、猫は、ぴょんと飛び上がって駆けてゆきます。あの身体でどうやっているのか、兎のような跳ね方ながら、馬鹿みたいに速いのです。みるみるうちに、派手な体色が遠ざります。
「待て! 王冠を返せ!」
真っ先に後を追って駆け出したのは、ヘンゼルではなく、ムゥでした。
不意打ちで巨大地雷を踏み抜かれ、完全にブチ切れて、判断力を失っています。こうなったら、もう誰の言葉も届きません。落人だろうとなんだろうと、彼の不敬なる猫は、取っ捕まえて丸焼きにせねばならぬ。警戒心より状況分析より、先立つ物騒で頭がいっぱいでした。
「よーしわかった! 冠を取り返せばいいんだね!」
ヘンゼルが、張り切って後に続きました。
すっかりムゥの仕込みだと思っているので、こちらも警戒心はゼロです。途中で良い塩梅のを見付けたのでしょう。木の棒を拾っていきました。無邪気な笑顔の、なんと眩しいこと。
「おいチビ!」
これはいけません。
異変を察したセヴァは、声を張り上げます。
『やあ! 此処はハジマリノ野原だよ!』
ところが、彼の口から出たのも、また意味不明な文句です。
無論、こんなことを言うつもりは、毛頭ありませんでした。意志とは無関係に、上書きされた台詞が、セヴァの喉から発せられたのです。どうもムゥと同じ不具合を発症したようです。
それでも、驚愕の表情は一瞬だけ。
すぐさま雑念を振り払い、子供一名と馬鹿一名を確保すべく、地を蹴りました。
『武器や防具は装備しないと意味がないよ!』
「わーい! まてまて~」
「陛下への侮辱、断じて許すまじ!」
三人を引き連れた猫は、野原を駆け抜け、小さな洞窟へと入ってゆきます。
さっきまで、あんなところに洞窟なんて、ありましたっけ……。




