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ヒュプノランタン  作者: 雪麻呂
アンノウン・ハロウィーン
84/95

あなたには僕が見えるか

12.






 愕然としました。

 急いで帰宅したら、我が家が半壊していたのです。

 いくら大雑把なセヴァでも、これには度肝を抜かれました。

 遠目に確認して、まさかまさかと、重い脚を速めます。

 飛び込んだ先で見たのは(玄関を開ける必要はありませんでした)、滅茶苦茶に荒れ果てた室内、剥がれた床に、血塗れで転がっている相棒の姿でした。

 布野郎――シィちゃんは、いません。


「ムゥ! チビ!」

「セヴァ……ひっく……セヴァ、さん」


 傍らに座り込んで嗚咽を上げるヘンゼルは、どうやら軽傷のようです。服も髪も乱れて汚れ、頬にこびりついた血痕は、涙で流れてぐしゃぐしゃ。隈の浮いた目元も赤らんだ鼻も、疲労困憊を物語ってはいますが、大怪我は負っていません。

 そちらはひとまず安心し、ほっと息を吐きました。


「せんせ……先生が…………ぼく……」

「どいてな」


 できるだけ優しく、セヴァはヘンゼルを押し退けました。

 ムゥの傍に膝を突いて、あぁ。

 思わず、呻き声が漏れます。

 無残でした。両脚と片手の欠損、腹部は大きく裂けて、中身は半分以上が消失。片耳もなく、肩にも深い咬傷が、痛々しく抉れています。呼びかけ、揺すっても、反応はありません。肌は蝋人形のように青く冷たく、夏の空色をしたはずの眼は、ぼんやり暗く濁り始めていました。

 三、いや二割か。

 即座に印を組み、セヴァは、両手をムゥに翳しました。

 残る魔力の、ありったけを治癒の韻律に変えて、一息に流し込みます。

 途端、緑色の光がムゥを包み込み、激しく渦を巻いて、ぱんと弾けました。

 そのあまりの眩しさに、ヘンゼルは一瞬、眼を瞑ります。

 そして、開けられませんでした。

 死体でなければなんとかする。

 いつだったか、セヴァが言っていたのを思い出します。

 でも……だったら……もしこれで……。

 ……駄目だったら……そういうことで……。

 ぎゅう、と強く拳を握ります。

 怖い。


「……ぁ…………」


 それは微かな、弱々しい声でした。

 けれどその声を今、どんなに、どんなに聞きたかったでしょう。


「よォ。悪運強ェな、お前」

「……ぅ……せ……」

「ほとんど御遺体だったぜ。何やってんだ間抜け」

「ぉ、そ……い…………」

「はああぁあ?」


 これだけやらかして、命の恩人に出る文句がそれかよ。ぼやいて、どかり両脚を放り出したセヴァは、ようやっと、生きた心地がしました。


「先生!」


 ムゥの胸に飛び込み、わっとヘンゼルが泣きじゃくります。


「ごめんなさいごめんなさい! ぼくのせいで!」

「ヘンゼ……けが……」

「ないよ! ぜんぜんないよ!」

「……そぅ……か……」


 撫でようとしたのでしょう。ムゥの指先が、ぴくりと動きます。

 できませんでした。

 でも、あります。

 両手も、右脚も、耳も、腹もその中身も、ちゃんとあります。元通りです。

 ――死なないものだなぁ。

 苦笑して、ムゥは再び、重い瞼を閉じました。


「っ! 先生!? 先生!」

「あァ、よせよせ。寝かしといてやンな」

「寝……?」


 取り縋るヘンゼルを、セヴァが制しました。

 顔に耳を寄せると、小さな寝息が聞こえます。


「俺が治せるのは傷だけだ。気力体力は別。消耗したんだろォさ」


 俺もな。

 言って、セヴァは、乱れた金髪をがしがしと掻きました。


「で? 布野郎は? 何処行きやがッた?」

「あ……うん」


 問われて、ヘンゼルは考え込みます。

 何をどう話せば良いのか。

 頭の中は、未だ興奮と恐怖と安堵で、ぐつぐつ煮えています。なにせ一度に多くのことが起きすぎました。行動と感情、事実と懸念が、無秩序に入り乱れて、言葉を詰まらせます。説明の義務がある。そうは思うのですが、上手くできない。

 よくわからなくなって、頭を抱えてしまいました。


「……ま、ゆっくりでいいさね。チビ、もうちッと頑張れるか?」


 ムゥを背負いながら、セヴァが視線を寄越しました。

 一人で歩けるか、という意味でしょう。

 ヘンゼルは頷きました。


「荷物はいらねェ。行くぜ」

「どこに?」

「庵さ。此処じゃァ、雨も凌げやしねェ」


 小降りにはなっていますが、これは明日まで止みそうにありません。

 いずれ移動せねばならないのです。なら、緊張感の残っている今のうちがいい。セヴァは、そう判断したのでした。

 三人で家を出て、東を目指しました。

 道すがら、ぽつぽつと、ヘンゼルは事の顛末を語ります。

 といっても、泣き叫びすぎて嗄れた喉に、興奮冷めやらぬ七歳児の話です。

 聞いているのかいないのか。セヴァは、ただ相槌を打つのみでした。


「つまり、あの布野郎は……」

「うん。いないよ。いなくなった」


 もう、何処にもいない。

 しかしヘンゼルは、それだけは、きっぱりと言い切りました。


「…………」


 そっか。

 呟いて、それ以上は訊かず、セヴァは歩みを進めました。

 どれくらい歩いたでしょうか。

 何処を歩いたのでしょうか。

 ヘンゼルは、あまり憶えていません。俯いて、破れた靴の先ばかりを見ていましたから。何故だか顔を上げられず、セヴァの尻尾を掴んで、その暖かさにすんと鼻を鳴らせば、夜の小雨に鳥が、ひゅうひゅうと応えるのでした。


「着いたぜ」


 いつしか目の前に、生け垣に囲まれた小さな門がありました。

 入ってゆくセヴァを追って、ヘンゼルは、わぁと呟きます。

 白い玉砂利の敷かれた小道。その両脇を居並ぶ灯籠が、家屋までの道標めいて、ほろりほろり瞬いています。広い敷地内に、奇妙に捩くれた松や柳の大木の、雨に濡れて浮かび上がる姿は、夢のように突拍子もなく、それでいて完全に調和の取れた、まるで知らない世界でした。

 慣れない足音を二三分、辿り着いたのは、立派な屋敷です。

 こちらもまた、不思議な佇まいでした。

 平屋のくせに、やたらと広い。数人は優に暮らせそうな規模で、重厚でありながら、何処か洒落ています。意匠にはなんとも言えぬ趣が窺え、建築の様式は控えめにも雄弁に深い文化を語り、驚くべきことに、屋根が茅でした。


「此処な。ムゥと二人で住んでたのさ。お前と会う、ずッと前」

「セヴァさんのお家?」

「あぁ。気に入ってもらえたかい」

「うん」


 セヴァは満更でもない表情で、はんと眉を上げました。

 実際、即答です。こんな状況に於いて、ヘンゼルの眼は、直撃された美意識に、きらきらと輝いていました。


「上がれ上がれ。畳も汚せ。掃除ァ明日だもう知るか」


 脚で引き戸を開けたセヴァが、ずかずかと大股で土間を行き、段差になっている板場へと、ムゥを下ろしました。

 続くヘンゼルは、また瞬きです。

 外観も不思議なら、屋内も不思議でした。

 板間の奥、おそらく広いだろう空間は、立てた紙らしきもので区切られ、しんと静まり返っています。そこから漂う、何か草の匂い。土間は炊事場へ繋がっているようですが、これも我が家の台所とは、大きく異なっていました。パンを焼く竈はどれでしょう。あれかな。変なの。どれにも取っ手がないけど、此処の戸は全部、脚で開けるのかな。

 物珍しさに、きょろきょろ。ヘンゼルは周囲を見回していました。

 不意に背後で、ばったりと音がしました。

 驚いて振り返ると、セヴァが、ムゥの隣に倒れています。


「……も……俺様限界……」


 寝る。

 慌てて駆け寄ったヘンゼルへ、一方的に宣言し、尻尾が、ぱたり。

 ものの数秒と経たず、セヴァは、豪快な鼾を掻き始めました。


「…………」


 セヴァに何があったかは、聞いていません。

 でも、さぞ大変だったのでしょう。きっと今、やっと気が抜けたのです。

 それを見たヘンゼルの意識も、急激に重く鈍り、揺らいでゆきます。

 靴も脱がずに、ムゥの隣に、倒れ込みました。

 放り出された手に、そっと自分の手を重ねます。

 骨張って、少しささくれた指先。やや伸びた爪。血管の浮いた甲。

 貧血と疲労と雨のせいで、冷たい。

 けれど、そこに確かに存在する熱に、生命の鼓動に、ヘンゼルは胸がいっぱいになって、ぐりぐりと額を押し付けました。

 頭の中は、まだ火照っています。

 自分が何をしたのか。憶えているのに、どうやったのかが、わかりません。今も様々な感情が、脈絡もなく飛び回ります。好奇心。期待。落胆。驚愕。歓喜。闘争心。罪悪感。決意。焦燥。嫌悪。恐怖。あぁ今夜は、きっと悪夢を見るでしょう。

 それでも、ずっと朝まで、この手を。

 離さないでおこうと、決めました。


 ――……し……て…………。


 そういえばシィちゃんは、あのとき、なんて言ったんだろう。

 落ちてゆく夢の縁で、ヘンゼルは、どうしても、思い出せませんでした。









     アンノウン・ハロウィーン/了







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「アンノウン・ハロウィーン」完結お疲れ様でした。 彼ら家族らしい、微笑ましいハロウィーンエピソードから始まったものだから、すっかり油断しておりました。まさかこんないろんな意味で凄まじい展開が待っていよ…
「玄関を開ける必要はありませんでした」と補足してくれる地の文さんにほっこりした鵜狩です。  地の文さんは時折お茶目を述べるよね。  さておき7章目の執筆、おつかれさまでした。  ヘンゼルについて知っ…
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