表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ヒュプノランタン  作者: 雪麻呂
アンノウン・ハロウィーン
82/92

みっつめの箱

11.






 雨が降っていました。

 肩で息を吐き、ヘンゼルは鼻を啜りました。二度三度、くしゃみが出ます。埃と風圧にやられた眼を擦り、やがて視界が晴れれば、部屋の反対側、墓標めいた瓦礫の山が、その姿を現しました。

 住み慣れた我が家は、見る影もありません。窓は割れ床は剥げ、壁の一辺は崩れ落ちて、建材が剥き出しです。屋根ごと崩落した天井、馬鹿みたいに空いた大穴から、ざぁざぁと、家具たちの亡骸が雨に打たれていました。

 嵐のような騒々しさより一転、辺りは静まり返っています。

 足元に、動物の駒がひとつ、落ちていました。

 蛙です。他は全部、壊れてしまったのでしょう。


「…………」


 ごめんね。

 ぽつり呟き、ヘンゼルは眼を伏せます。

 乱暴に扱って、ごめん。

 拾い上げようと、腰を屈めたときでした。

 積み上がった瓦礫が、ごきりと音を立てました。

 ごり、べき、ぐき。音が続いて、山積した家具の残骸が沈んでゆきます。


「……でも、ありがとう」


 がしゃん!

 瓦礫を撥ね除けて、口の化物が立ち上がりました。

 薄汚れたシーツ状の皮膚に、全身から生えた触手。それぞれ指先は五本に分かれているので、毛虫か何かが直立したように見えます。その手で、ごりごりべきべきと、触れるものを文字通り、手当たり次第、食べています。

 顔面の、いっとう大きな口が、涎を垂らして歯を剥きました。


 おかげで「これ」ができた。


 崩れた壁の向こうで、大きな泥の塊が、ゆっくりと身を起こしました。

 手足は短く、首は胴体にめり込んで、髪どころか目鼻も口もありません。辛うじて人の形をしているといった程度の、それは、本当に泥人形でした。ただし、巨漢です。背丈は頭が天井に届くほど、横幅は大人三人分はあります。

 道具たちとシィちゃんが戦っている間、ヘンゼルは、考えていました。

 観察していました。試みていました。

 新しい戦力――存在を創り出すことは、できるだろうか。

 環境、素材、所要時間、特性。

 すべての条件を満たした、現時点での模範解答。

 それこそが、この。


「“泥人形(ゴーレム)”」


 悪いけれど、名前は適当です。凝っている場合ではありませんから。

 それでも、ヘンゼルの忠実なる創造物は今、此処に名を呼ばれたのです。

 任務を遂行すべく、頷いて歩み始めました。

 ぬちゃりぐちゃりと、進むたび泥が流れて滴り、身体の表面が波打ちます。いかにも不格好な歩行ですが、重心が安定しているらしく、存外危うさはありません。緩慢に、それでいて滑らかに、どこか軟体動物を思わせる仕草で、室内へ侵入してきます。

 シィちゃんが気付きました。

 一目で敵と認識したのでしょう。目障りとばかりに、触手を振るいました。

 ぼちゃん、と呆気なく、泥人形の頭が抉れます。

 二度三度。振るわれる触手に、腕が、脚が、腹が削れます。

 が、倒れません。

 どころか、微動だにしません。

 痛がっている様子もありません。

 言うまでもなく、攻撃された事実を理解できないほど阿呆なわけでも、鈍感でもありません。確かに痛覚は未搭載ですが、それは役割のために、ヘンゼルが省いただけのこと。

 そもそも、負傷していないのです。

 損傷ではありますが、負傷ではありません。だってこれは泥です。雨に泥濘んだ庭の泥を捏ねて創り上げた、正真正銘の、泥人形なのです。抉れようが潰れようが形が変わるだけです。痛くも痒くも、あるはずがないのです。

 まぁ、多少は()()()するかもしれませんが、素材は大量にあります。なんなら、庭中森中がそうなのです。すぐ傍から、いくらでも調達可能です。

 それに、重要な隠し味も。


『!?』


 泥人形が、瞬く間に再生を始めました。

 訂正、ちょっと違います。取れた部分が元に戻るだけですから、復元というべきでしょうか。骨こそなくとも、代りとして張り巡らされた芯は、原料の色そのままの、濃い青色をしていました。

 壁のシーリング材です。

 それがこの泥人形の“核”であり、肝。

 かつて我が家を建てる際、ムゥが苦労して生成した建材で、熱気寒気湿気を防ぐだけでなく、難燃性や柔軟性まで備えた、実に彼らしい、いささか過剰に高性能な物質でした。

 いつだったか、原料となる植物の採取に出たとき、自慢げに語っていたのを思い出します。俺の結界が信用できねェのか。なんて息巻くセヴァに、矜持の問題だと言い放つムゥを、純粋に尊敬したものでした。


『!! !!?』


 つまりはこの建材、非常に強力な粘性があるのです。

 掴んだら最後、握り潰すことはおろか、指を開くことすら困難になるほどの。


『! ! ! !』


 シィちゃんの触手が、泥を掴んだまま、ぶんぶんと暴れます。

 離さないのではなく、離せない。離れないのです。上下の歯と歯は粘つく繊維で繋がり、舌は動かず、吸っても吐いても取れません。捨てようにも指がくっつき、それを振り回せば更に粘性が増し、どうにもならなくなったシィちゃんは、悪戯猫よろしく、尻から後退りました。

 あれです。トリモチを全力で噛んでしまったと思ってください。


『!』


 泥人形が、元通りになった両腕をシィちゃんへ伸ばします。

 攻撃と呼ぶには、あまりに鈍重。暗闇を探るような動作でした。けれども、その何が問題なのでしょう。シィちゃんが攻撃し、触手が泥を跳ね上げれば、たちまち復元して、接近を再開するのです。この繰り返しです。

 落ちた泥を踏んで、シィちゃんの脚が一本、床に接着しました。

 やってしまいました。ヘンゼルにも経験があります。あのときは何をどうしても取れなくて、わんわん泣いているのをセヴァに宥められながら、ムゥに除去剤で脚を洗ってもらったのでしたっけ。

 今、泣きたいのはシィちゃんでしょう。

 こんな状況で、目の前に、泥人形が迫ってくるのですからね。


『っ! !!!』


 シィちゃんの顔面、巨大な口が、泥人形に噛み付きました。

 相当に焦ったと見えます。どうなるかは明白でしょうに。

 ええ、こちらは大問題でした。本格的に動けなくなってしまったシィちゃんへ、泥人形が、両手を広げて伸し掛ります。見た目どおりの重量、質量です。抱き込まれる形で倒れ、数本ある脚は絡んでくっつき、逃げ場もなく倒れたシィちゃんは、呼吸もままならぬ状態で、毛虫めいた身体を捩りました。


 捉えた。


 ヘンゼルの唇が、僅かに緩みます。

 でも、だから、ここからどうする?

 確かに“泥人形”は優秀でした。シィちゃんを捕獲することにも成功しました。ですが、逆に言えば、それだけ。必殺の攻撃手段もなく、時間稼ぎが関の山です。決め手に欠ける方法であることは、最初から承知していました。

 このままセヴァさんを待つ?

 ふと浮かんだ甘えに、ヘンゼルは頭を振ります。

 甘えだと思いました。嫌です。絶対に嫌です。

 あれは必ず、この手で仕留める。

 考えなくては。

 何ができる? 何が使える?

 家具も建材も、めぼしいものは使用済みです。残っているの動物の駒は、非力な蛙がただの一匹のみ。巨大化させたとして、働きを期待するのは難しいでしょう。せめてもっと、食物連鎖の強者がいれば――

 熊。鳥。蛇。蛙。

 はっとヘンゼルは瞬きました。

 そういえば、あの話……。






 あるところに、狩人がいました。

 狩人は、いつものように山へ狩りに入りました。

 ところが、その日に限って、まったく獲物に出会えません。

 岩に腰掛けて休んでいると、一匹の羽虫が、目の前を横切りました。

 それを追い掛けて、蛙が現れました。

 蛙は一口に虫を頬張り、ぴょんと跳ねます。

 すると、藪から、蛇が出てきました。

 蛇は蛙を、やはりぱくりと飲み込んで、悠々這いずってゆきます。

 ほうと目を見張る狩人の上空から、一羽の鳥が舞い降りました。

 鳥は、鋭い鉤爪で蛇を一蹴り。絶命させました。

 蛇を咥えた鳥が飛び立とうしたとき、がさりと音がしました。

 木陰から、見事な熊が顔を出します。

 熊は太い腕で鳥を叩き落とし、その場でむしゃりと食べ始めました。

 しめた。ようやっと獲物にありついた狩人が、弓を取ります。

 番えた矢をまさに放たんとして、しかし彼は、はっと手を止めました。

 虫は蛙に。蛙は蛇に。蛇は鳥に。鳥は熊に食われてしまった。

 だとしたら、今ここで、自分が熊を射れば、どうなる?

 そのとき、山を揺るがす哄笑が突如、びりびりと天から降り注いだのでした。

「射なくて良かったな」






 以前、寝物語にセヴァから聞いた話です。

 よけい眠れなくなりました。苦笑いするセヴァと二人、こっそり夜更かししたのを憶えています。

 捕食者。被捕食者。上位存在。


「――あ」


 シィちゃんに、その名を与えたのは、ヘンゼルでした。

 ヘンゼルが命名した瞬間、あれはシィちゃんになったのです。

 僕は、あの存在の名前を創った。

 だとしたら、()()()に、創れるんじゃないか。

 シィちゃんが「なんでも食べる化物」ならば。

 ()()()()()()()()()()を創り出せば……!


 おあつらえ向きです。足元に、折れた箒が転がっていました。

 拾い上げて振り向けば、血溜まりの中、ムゥが倒れています。

 その光景に一瞬だけ息を詰め、ヘンゼルは、肚を決めました。


「先生、ごめん。使わせてね」


 落ちていた硝子片を手に取り、躊躇いなく指先を切りつけます。

 ぽたり。乾き始めていたムゥの血に、ヘンゼルの血が滴りました。

 それは細波を立てて波紋を生み、とぷんと答えるように、性質を変えます。

 このインクが、そのまま“核”だ。

 たっぷり素速く含ませて、箒を床に走らせます。


 およそ創造物に於いて、完成形とは、何か?


 頭の片隅で、いつかのムゥが、人差し指を立てます。

 またいつものが始まったと、船を漕いでいたことが悔やまれます。ちゃんと聞いておけばよかったな。世紀の天才生成術士の、特別個人講義だったのに。

 答えは簡素と単純。

 いいか。必要最低限(シンプル)こそが至高なんだ。

 往々にして物事は、足すよりも削る方が難しい。

 何をどこまで削っても役割に影響しないか。

 見極めるには、経験と勘が必要だからな。


『……! …………!』


 泥人形の下で、シィちゃんの身体が痙攣します。

 おえっ、ぐえっ、と気味の悪い声で嘔吐き、びたびたと触手を振り回し、すべての指で空を掻いて、自らを穿つが如く、大きく腰を曲げました。

 ごごぼぁ。

 得も言われぬ産声を上げ、シィちゃんの腹に、大口が歯を剥きました。


『……っ、……っ、…………!』


 まぁ私は、つい意匠に凝ってしまうんだが。

 緊急事態や命の危機には、そうも言っていられないだろう。

 従って、いかに最小限の手札で最大限の機能を賄うかが…………、

 ふやけた語尾と、柔らかい毛布。

 そっと頭を撫でてくれたのは、この上なく優しい手でした。


『ホ、シ、イ!』


 吠えて、シィちゃんの腹の口が、泥人形に齧り付きました。

 相手は動く接着剤です。わかっていたはずなのに、言わないことじゃない。できたばかりの口が早速、くっついて開かなくなりました。しかも、泥人形にダメージはありません。胸部に突き刺さる牙をてんで意に介さず、続けてシィちゃんを圧潰し続けます。

 けれども。意に介さぬのは、泥人形だけでは、なかったのでした。

 なんとシィちゃんは、くっついた歯をそのままに、泥人形を啜り始めたのです。

 ずぞぞぞぞ、ごっ、ごっ、ごほっ。何度も咽せ、喘ぎながら、都度身を捩り触手を震わせ、その小さな身体のすべてで、粘る泥を腹に収めようとしています。この期に及んで、まだ食べるのです。だって、足りません。これ以外に、存在する方法を知らないのです。食べても食べても、お腹が空きます。ならば喉を塞ぐ敵意も、裂けた手足の痛みも、叶わぬ願いも。残さず食べてしまえばいいのです。きっと、それでいいのです。食べたい。あぁ食べたイ。

 もっともっともっともっと!


「欲しい?」


 ヘンゼルが、筆を止めます。

 描き上がったのは、絵ではなく、図でした。

 正六面体の展開図です。

 何故でしょう。

 これが、この形こそが、シィちゃんには相応しいと思いました。


「だったら、ぼくがあげるよ」


 血の展開図が、剥がれた床を纏って、ぱたぱたと閉じられてゆきます。

 大きく描いたつもりが、面が塞がるたびに小さくなって、床材はうねり、さぁと色を変え、骨組みの赤が息づき、二呼吸の間にはヘンゼルの両手に、確かな存在感が乗っていました。

 箱でした。

 極めて簡素(シンプル)

 模様もなく、ケーキでも入っているみたいな、それは白い箱でした。


「シィちゃん」


 ヘンゼルは、見据えました。

 幼い眼差しに、有りっ丈の侮蔑を込めて、友達だったかもしれない彼を。

 泥人形を半分ほど飲み込んで、その腹が、ぱんぱんに膨らんでいます。くたくたに汚れきったシーツは、いえ皮膚は、無理に伸び縮みしたせいで、突っ張っている箇所と弛んでいる箇所が、歪に混在していました。手なのか足なのか、身体中から生えた触手は至極おぞましく、巨大な二つの口の、なんて醜いことでしょう。

 この欲張り。


「お前なんか、嫌いだ」


 そんなに欲しいなら、受け取れ。僕からの。


「“空箱(プレゼント)”」


 言葉と共に放たれた箱が、まっすぐに宙を飛び、蓋を開きました。

 その裏側には、びっしりと、シィちゃんそっくりの鋭い歯が並んでいます。

 ぱくり。噛み付かれた触手が、消えました。

 千切れたのではありません。箱の囓った部分が、嘘のように消えたのです。


『!!?』


 ぱくり。ぱくん。箱が噛み付くたび、シィちゃんの身体が欠けます。

 どうにか逃れようと、シィちゃんは身動ぎしました。でも駄目です。未だ泥人形と一体化しているのです。泥人形は、己の役割を、すべきことを知っていました。だから離しません。自分が消滅する、そのときまで。半分の身体で、いっそう力を込めて、シィちゃんを押さえ付けます。

 箱は構わず、泥人形ごと、ぱくぱくとシィちゃんを食べてゆきます。

 数本の触手……たぶん脚が、たぶん腕が。

 肩が、腰が、腹が。消えて、ゆきます。

 囓られた部分が何処へ行くのか、ヘンゼルは知りません。特に考えてもいませんでした。あんな小さな箱に入るはずはないのですが、今となっては些事です。目的さえ果たせれば、理屈はどうでも良いのでした。

 ヘンゼルが箱に込めた願いは、ただひとつ。


 いなくなれ。

 消えてなくなれ、永遠に。

 これから先、お前は――


 シィちゃんは抵抗しました。暴れました。戦慄きました。

 無駄です。

 この箱は、シィちゃんを抹消するためだけに創られた存在でした。

 シィちゃんの存在意義が、食欲であるのなら。

 それを食べ尽くすことこそが、この箱の、存在意義なのです。


 もう、何処にも存在しない。


『ア……ア……ぃ』


 いつしか、残っているのは頭と、片腕一本だけになっていました。

 その一本を、シィちゃんは、どうしてか、ヘンゼルに差し伸べます。


『し……、…………』


 何か言っていました。

 どこまでも暗く、陰鬱で、貪欲な声です。

 恨みでしょうか。謝罪でしょうか。命乞いでしょうか。

 どれであっても、ヘンゼルはもう、その手を取るつもりはありませんでした。


『 あ  シ て 』


 ぱくん。

 役割を終えた箱が、ことりと床に落ちました。

 はらり面が剥がれて舞い上がり、骨格を担う赤い辺が、するするとリボンのように解けます。そうして畳まれた順の逆を辿って展開し、平面の図形に戻れば、あとには数滴の血が、ぽたり。

 跡形もなく乾いてしまって、それきり、静かになりました。


「…………うっ……」


 がくりと膝を突き、ヘンゼルは、両の掌で顔を覆いました。

 先生。

 呟いて、応えるのは、遠雷のみでした。


「うっ……ひっく……うぅ……うぃい…………」







評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
 おおおお、がっつりヘンゼルのバトル展開!  名づけ親なればこそ、それを消し去るものを想像しうるという理屈もさることながら、「空箱(プレゼント)」とのネーミングが素晴らしい。箱と空っぽという、どちらも…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ