あなたが愛を語るなら
9.
「アニマ、ロール、テセウス。この三つの概念を組み合わせて、思い通りの存在を創り出す。それが我ら生成術士の目指す、最終的な到達点です」
殿下が、首を傾げる。
流麗な眉が寄り、やや幼さの残る顔立ちに、険が生まれる。
その表情は陛下にそっくりで、私は、頬が緩んでしまう。
「この間は、実体化だの役割遂行だの言っていなかったか?」
「ええ、それが基本です。たとえば、紙に描かれた絵であったとして」
殿下がノートに落書きした猫……に、私は魔力を込める。
猫だろう、たぶん。
「おおっ」
ノートの上に、ちょこんと茶トラの猫が立ち上がる。
私が“実体化”させたのだ。
これに“役割”を与える。
「お、おおっ!」
猫が二本脚で踊り出す。このくらいなら造作もない。詠唱は不要だ。
この手のものは何度も見ているはずなのに、いつも殿下は興味津々。子供のように食い付いてくる。輝く緑の眼は、やっぱり、陛下に瓜二つだった。
猫が、深く一礼して、ノートに沈む。
元の落書きに戻ったのだ。
「絵の猫を本物らしく仕上げたのが“実体化”。踊らせたのが“役割”です」
「いつ見ても面白い!」
「光栄です。生成術の基礎は、対象の存在に役割を遂行させること。実体化は応用に当たります。素材を組み合わせての“合成”は、上級編ですね」
「魔道具は?」
「合成した物体に、更に“条件を満たすと発動”の役割を組み込んでいます。これは魔力のない者でも効果を得られますから、戦術に於いて有効かと」
「素晴らしい! ところで、どうして犬が猫になったんだ?」
「え」
「え」
…………。
敷物の上に寝転んで、殿下はぶぅと膨れてしまわれた。
ベルキア宮殿、大庭園。この薔薇の生垣迷路は有名だが、実は一ヶ所だけ、行き止まりと見せかけて、薔薇を移動させられる場所がある。先は空間になっていて、穏やかな陽の射す其処に、私たちは座っていた。
決して広くはなく、せいぜい十人ほどが横になるのが精一杯。だが、綿密に計算された位置関係と私の施した術の効果で、上部からは見えないようになっている。知っていなければ、まず辿り着けない。秘密の花園というわけだ。
本来、緊急時の避難や潜伏に使う。此処を知っているのは要人でもほんの一部の者だけ。殿下はその一人であるのを良いことに、よく学問をサボっては、こっそり昼寝などしていたものだ。なお、私が改良してからというもの、ますます堅牢なるサボり要塞として有効活用されている。
もっとも、正しい用途に使われる機会がないのは、幸運なことだ。
今は戦時中なのだから。
「不届者は此処か?」
そのとき、壁の役割を果たす薔薇の生垣が、がさりと動いた。
現れたのは――あぁ。
その姿に、思わず息が零れた。
会いたかった。
よくぞご無事で。
「父上!」
「陛下!」
殿下が飛び起き、正座する。
くすり笑って、陛下が腕を組む。
スリットの入った長いスカートは、我が国の伝統衣装。既に鎧は解き、腰に剣を佩いただけの、簡素な装いだ。前線からの帰還だが、見たところ怪我はない。私は密かに、胸を撫で下ろす。
「ええと父上、いつ、お帰りに?」
「一時間ほど前にな。伝令が行かなんだか?」
「昼から此処におりましたので……」
可哀想な伝令は、今も殿下を探して走り回っているのだろか。
殿下が眼を逸らす。
沈黙に、私が割り込んだ。
「お帰りなさいませ。ご無事のご帰還、なによりでございます」
「うむ。其方も、皇太子の目付、大儀である」
「それは……申し訳ございません」
そろって政務をサボっていたのだから、バツが悪い。
雷が落ちるかと思ったが、陛下は溜息ひとつ。よいよいと手を振った。
「お出迎えにも上がりませんで……」
「構わぬ。其方の都合もあろう」
しかし皇太子よ。
やや屈んで、陛下は殿下を睥睨する。
「お前は次期皇帝ぞ? しかと留守を頼んだはずだが?」
「お言葉ですが、父上。宮中を己で実見してこその政務かと」
「玉座を離れるのは感心せんな」
「座っているだけで良いなら、次期皇帝は尻ですね」
似たもの親子で、口が減らない。
実際、陛下の留守中、あらゆる難題に奔走していたのは知っている。屋内に閉じこもってばかりいては、息が詰まるだろう。要は父君と同じ現場型なのだ。だから陛下も、あまり強くは言えない。この辺りで切り上げるのが常だった。
「まぁ、問題がないのなら良いわ。以後、改めよ」
「はいはい」
さすがに戦上手で聞こえた陛下の御子息、引き際を弁えている。
機を逃さず、さっと立ち上がって、マントを翻した。
「じゃあ僕は、そろそろ尻の役目に戻りますかね」
「殿下、私は」
「父上とごゆっくり。そのうちまた術を見せてくれ。お前の話は実に興味深い」
「はい、是非とも」
気を利かせてくれたのだろう。
足早に去ってゆく。
学問は好まないが、本当に聡いお方だ。
「ふぅ」
さっきまで殿下が座っていた場所へ、今度は陛下が腰を下ろす。
私も、隣へ従う。
風が吹いて、庭園の何処かから流れてきた花びらが、さわさわと宙を舞う。
陛下の、後ろで束ねた銀髪が、柔らかく揺れて、太陽の光を返す。
薄く伏せられた瞼は、出立前より痩せている。
前線に二ヶ月だ。疲労しない方がおかしい。そもそもが、争いなど大嫌いな性分なのだ。それが、国の先頭に立って終わりの見えぬ戦に従事せねばならない。心労は如何ほどか。ある程度の負傷は、従軍治癒術士が癒やすだろう。だが、心は。誰が、どう癒やせばいい。
ほんの少しの休暇を挟めば、また次の戦場が待っている。
今度こそ、再び無事で会えるとは限らない。
いつまで続く? こんな時間は。
堪らなくなって、私は唇を噛む。
「……私が陛下をお守りできれば……」
「お前は戦場には向かん。その才は研究にこそ活かされるべきだ」
確かに、私の運動神経は壊滅的だ。弓馬を嗜むべく鍛錬したこともあるが、結果は散々だった。酷かった。自分でもないと思う。あれで前線など、足手纏いも良いところだろう。どうにか馬に乗れるようになっただけ僥倖か。
情けないことだ。俯いてしまう。
「それに、俺は守られているぞ」
「え?」
「たとえば、お前の創った指輪だ。此度も敵の術を防いでくれた」
「それは……術士として当然の仕事です」
「充分だ。俺以外は、多くの兵が焼き殺された。礼を言うぞ」
「……もっと具体的に……お役に立ちたいのです」
「では、愚痴でも聞いてもらおうか。ふふ、二ヶ月分だ。覚悟せよ」
「そんなことでよろしいのですか?」
「この俺が弱音を吐くのだ。お前にしか聞かせられん」
背徳かもしれない、とは思う。
けれどこんなとき、私はいつも、喜びに胸が疼く。
二人で語らう時間の、なんと満ち足りて、濃密なことか。
「……御意に」
あぁ、なんでもいい。
ならば、貴方の語るすべてを。私は、ずっと、憶えていたい。
愚痴でも弱音でも、夢でも、理想でも、他愛のない戯事であろうと。
私は、それに、寄り添っていたい。
「しかしムゥよ」
花吹雪。
「お前、約束があったのではなかったか?」
「え?」
唐突に言われて、ふと瞬く。
約束? 殿下と?
いや違う。そうじゃない。
別の誰かとだ。そうだった気がする。
私は陛下を見る。あぁ風で。髪が。横顔が隠れて。
どうした。どうしてこんなに。視界が赤い。
――誰と? いつ? なんの? 約束を?
したんだっけ?
「あれ? え?」
誰に。何を。
作ってやるんだっけ?




