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ヒュプノランタン  作者: 雪麻呂
アンノウン・ハロウィーン
80/91

あなたが愛を語るなら

9.






「アニマ、ロール、テセウス。この三つの概念を組み合わせて、思い通りの存在を創り出す。それが我ら生成術士の目指す、最終的な到達点です」


 殿下が、首を傾げる。

 流麗な眉が寄り、やや幼さの残る顔立ちに、険が生まれる。

 その表情は陛下にそっくりで、私は、頬が緩んでしまう。


「この間は、実体化だの役割遂行だの言っていなかったか?」

「ええ、それが基本です。たとえば、紙に描かれた絵であったとして」


 殿下がノートに落書きした猫……に、私は魔力を込める。

 猫だろう、たぶん。


「おおっ」


 ノートの上に、ちょこんと茶トラの猫が立ち上がる。

 私が“実体化”させたのだ。

 これに“役割”を与える。


「お、おおっ!」


 猫が二本脚で踊り出す。このくらいなら造作もない。詠唱は不要だ。

 この手のものは何度も見ているはずなのに、いつも殿下は興味津々。子供のように食い付いてくる。輝く緑の眼は、やっぱり、陛下に瓜二つだった。

 猫が、深く一礼して、ノートに沈む。

 元の落書きに戻ったのだ。


「絵の猫を本物()()()仕上げたのが“実体化(アニマ)”。踊らせたのが“役割(ロール)”です」

「いつ見ても面白い!」

「光栄です。生成術の基礎は、対象の存在に役割を遂行させること。実体化は応用に当たります。素材を組み合わせての“合成(テセウス)”は、上級編ですね」

「魔道具は?」

「合成した物体に、更に“条件を満たすと発動”の役割(ロール)を組み込んでいます。これは魔力のない者でも効果を得られますから、戦術に於いて有効かと」

「素晴らしい! ところで、どうして犬が猫になったんだ?」

「え」

「え」


 …………。

 敷物の上に寝転んで、殿下はぶぅと膨れてしまわれた。

 ベルキア宮殿、大庭園。この薔薇の生垣迷路は有名だが、実は一ヶ所だけ、行き止まりと見せかけて、薔薇を移動させられる場所がある。先は空間になっていて、穏やかな陽の射す其処に、私たちは座っていた。

 決して広くはなく、せいぜい十人ほどが横になるのが精一杯。だが、綿密に計算された位置関係と私の施した術の効果で、上部からは見えないようになっている。知っていなければ、まず辿り着けない。秘密の花園というわけだ。

 本来、緊急時の避難や潜伏に使う。此処を知っているのは要人でもほんの一部の者だけ。殿下はその一人であるのを良いことに、よく学問をサボっては、こっそり昼寝などしていたものだ。なお、私が改良してからというもの、ますます堅牢なるサボり要塞として有効活用されている。

 もっとも、正しい用途に使われる機会がないのは、幸運なことだ。

 今は戦時中なのだから。


「不届者は此処か?」


 そのとき、壁の役割を果たす薔薇の生垣が、がさりと動いた。

 現れたのは――あぁ。

 その姿に、思わず息が零れた。

 会いたかった。

 よくぞご無事で。


「父上!」

「陛下!」


 殿下が飛び起き、正座する。

 くすり笑って、陛下が腕を組む。

 スリットの入った長いスカートは、我が国の伝統衣装。既に鎧は解き、腰に剣を佩いただけの、簡素な装いだ。前線からの帰還だが、見たところ怪我はない。私は密かに、胸を撫で下ろす。


「ええと父上、いつ、お帰りに?」

「一時間ほど前にな。伝令が行かなんだか?」

「昼から此処におりましたので……」


 可哀想な伝令は、今も殿下を探して走り回っているのだろか。

 殿下が眼を逸らす。

 沈黙に、私が割り込んだ。


「お帰りなさいませ。ご無事のご帰還、なによりでございます」

「うむ。其方も、皇太子の目付、大儀である」

「それは……申し訳ございません」


 そろって政務をサボっていたのだから、バツが悪い。

 雷が落ちるかと思ったが、陛下は溜息ひとつ。よいよいと手を振った。


「お出迎えにも上がりませんで……」

「構わぬ。其方の都合もあろう」


 しかし皇太子よ。

 やや屈んで、陛下は殿下を睥睨する。


「お前は次期皇帝ぞ? しかと留守を頼んだはずだが?」

「お言葉ですが、父上。宮中を己で実見してこその政務かと」

「玉座を離れるのは感心せんな」

「座っているだけで良いなら、次期皇帝は尻ですね」


 似たもの親子で、口が減らない。

 実際、陛下の留守中、あらゆる難題に奔走していたのは知っている。屋内に閉じこもってばかりいては、息が詰まるだろう。要は父君と同じ現場型なのだ。だから陛下も、あまり強くは言えない。この辺りで切り上げるのが常だった。


「まぁ、問題がないのなら良いわ。以後、改めよ」

「はいはい」


 さすがに戦上手で聞こえた陛下の御子息、引き際を弁えている。

 機を逃さず、さっと立ち上がって、マントを翻した。


「じゃあ僕は、そろそろ尻の役目に戻りますかね」

「殿下、私は」

「父上とごゆっくり。そのうちまた術を見せてくれ。お前の話は実に興味深い」

「はい、是非とも」


 気を利かせてくれたのだろう。

 足早に去ってゆく。

 学問は好まないが、本当に聡いお方だ。


「ふぅ」


 さっきまで殿下が座っていた場所へ、今度は陛下が腰を下ろす。

 私も、隣へ従う。

 風が吹いて、庭園の何処かから流れてきた花びらが、さわさわと宙を舞う。

 陛下の、後ろで束ねた銀髪が、柔らかく揺れて、太陽の光を返す。

 薄く伏せられた瞼は、出立前より痩せている。

 前線に二ヶ月だ。疲労しない方がおかしい。そもそもが、争いなど大嫌いな性分なのだ。それが、国の先頭に立って終わりの見えぬ戦に従事せねばならない。心労は如何ほどか。ある程度の負傷は、従軍治癒術士が癒やすだろう。だが、心は。誰が、どう癒やせばいい。

 ほんの少しの休暇を挟めば、また次の戦場が待っている。

 今度こそ、再び無事で会えるとは限らない。

 いつまで続く? こんな時間は。

 堪らなくなって、私は唇を噛む。


「……私が陛下をお守りできれば……」

「お前は戦場には向かん。その才は研究にこそ活かされるべきだ」


 確かに、私の運動神経は壊滅的だ。弓馬を嗜むべく鍛錬したこともあるが、結果は散々だった。酷かった。自分でもないと思う。あれで前線など、足手纏いも良いところだろう。どうにか馬に乗れるようになっただけ僥倖か。

 情けないことだ。俯いてしまう。


「それに、俺は守られているぞ」

「え?」

「たとえば、お前の創った指輪だ。此度も敵の術を防いでくれた」

「それは……術士として当然の仕事です」

「充分だ。俺以外は、多くの兵が焼き殺された。礼を言うぞ」

「……もっと具体的に……お役に立ちたいのです」

「では、愚痴でも聞いてもらおうか。ふふ、二ヶ月分だ。覚悟せよ」

「そんなことでよろしいのですか?」

「この俺が弱音を吐くのだ。お前にしか聞かせられん」


 背徳かもしれない、とは思う。

 けれどこんなとき、私はいつも、喜びに胸が疼く。

 二人で語らう時間の、なんと満ち足りて、濃密なことか。


「……御意に」


 あぁ、なんでもいい。

 ならば、貴方の語るすべてを。私は、ずっと、憶えていたい。

 愚痴でも弱音でも、夢でも、理想でも、他愛のない戯事であろうと。

 私は、それに、寄り添っていたい。


「しかしムゥよ」


 花吹雪。


「お前、約束があったのではなかったか?」

「え?」


 唐突に言われて、ふと瞬く。

 約束? 殿下と?

 いや違う。そうじゃない。

 別の誰かとだ。そうだった気がする。

 私は陛下を見る。あぁ風で。髪が。横顔が隠れて。

 どうした。どうしてこんなに。視界が赤い。

 ――誰と? いつ? なんの? 約束を?

 したんだっけ?


「あれ? え?」


 誰に。何を。

 作ってやるんだっけ?







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― 新着の感想 ―
 かつてムゥを優しく満たして、そして今は欠けているものの記憶。  これとどう向き合うかによって、またシィちゃんへの対応が変化するようにも思えます。  いや、そもそもシィは、満たされたことすらない分かり…
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