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ヒュプノランタン  作者: 雪麻呂
あの空を飛べたら
8/92

やっぱり悩める研究室

8.






「先生ジュツ? ジュツやるの? 今やるの?」

「それはまだ先だ。今日は素材の研究の続きを……」

「あ、なにこれ? おだんご作るの?」

「こら触るんじゃない。粘性が強くて手に付くと取れないぞ」

「せんせえ? 先生はひっつかないよ?」

「ねんせい。粘性だ。すぐ固まるから絶対に」

「うわぁあ先生! くっついた! 指がくっついた!」

「だから言っただろう!」


 ムゥは、急いで棚から解除液を取って、ヘンゼルの小さな手にぶちまけました。こんなこともあろうかと、用意しておいて良かった。丁寧に揉み込んで、水に浸してやります。


「大丈夫か? 痛むか?」

「ひりひりするぅー」

「血は……出てないな……」

「ごめんなさい……」

「いいから、しっかり洗ってこい」


 ヘンゼルは、べそを掻きながら研究室を出ていきました。

 泣きたいのは、こっちの方です。

 ムゥは大きな溜息を零し、眉間を揉みました。






 現在、ムゥは二つ困っています。

 一つは、例の魚鱗でした。

 あれから数枚を採取し、持ち帰って研究に取り掛かりました。

 結果、金色の鱗は記録装置であり、同時に映写機の機能も持つことが判明しました。ならばそのうち一枚を核としてランタンに格納し、他は極限まで小型化して森中に設置する。そして二者を共鳴させて、そこに再現性を落とし込めば……。

 というのが基本の構想です。ここまでは想定の範囲内。

 誤算だったのは、魚鱗の性質に制限時間がある、ということでした。

 鮮明な像を映し出せるのは、数十分が限界です。時間が来ると鱗は色褪せ、映像も消え失せて、なんの変哲もないただの魚鱗へと戻ってしまうのでした。

 ヘンゼルの要望を叶えるだけなら、それでも良いかもしれません。けれど、凝り性のムゥです。彼自身が納得できません。生成術士としてのプライドもあります。どうにかして、構想通りのものを作りたい。一度きりの使い捨ては嫌でした。

 とはいえ、あまりに時間を掛けるわけにもいきません。ヘンゼルは癇癪を起こすでしょう。それどころか、下手をすると、魚の方が先に死んでしまいかねません。手元の魚鱗もあと僅かです。完成の目処が立ったのは良かったとして、課題はまだ残されているのでした。

 二つ目。

 そのヘンゼルです。

 これはムゥが迂闊でした。研究室へ入るところを見付かって、うっかり口を滑らせたのです。作業が滞っているから、急ぎたい。ならば自分が手伝うとヘンゼルが言い出すのは、知っていたのにです。

 危険な薬品もありますし、本心を言えば、邪魔をされるのは困ります。

 でも、すっかり助手気取りで眼をキラキラさせているヘンゼルには敵いません。

 普段は立入禁止の場所に踏み込んだヘンゼルは、もうそれだけで大興奮でした。張り切ってムゥをサポートすべく動き回るのですが、なにせ子供ですから、あっちへウロウロ、こっちへチョロチョロ。クシャミで粉薬を吹き飛ばすわ、積み上げた資料を蹴倒すわで、却って仕事を増やしてくれました。

 ヘンゼルに悪気はありません。ムゥの役に立ちたいだけです。頭ごなしに叱るのは、教育上好ましくありません。彼の小さな自尊心を傷付けず、知的好奇心を挫かずに安全を確保するには、如何なる対策を講ずるべきか。ムゥにとっては、むしろ此方の方が先立った難題とも言えました。

 ――そういえば、初めて術を見たときも、あんな顔をしていたな。

 アルコールランプに火を点けて、独り言ちます。

 いつだったか、生成術の瞬間を偶然目撃された日。緑の瞳を輝かせ、顔を感激でいっぱいにして、凄い凄いと抱き付いてきたのが、つい昨日のことのようでした。思えば、あれからです。ヘンゼルがムゥを先生と呼ぶようになったのは。

 「でしにしてください!」と最敬礼するヘンゼルに呆気に取られたムゥの隣で、セヴァが腹を抱えて笑っていたものです。


「せんせー! せんせーええ!」


 くつくつと煮立つフラスコを眺めていると、不意に風呂場の方から、ヘンゼルの情けない声が聞こえてきました。


「お水どんどん出てくるー止まらないよぅ! べちゃべちゃだよー!」

「どこを弄ったんだ!?」


 すっ飛んで行くと、案の定です。洗面所が盛大に水浸しでした。全身ズブ濡れで喚いているヘンゼルの手には、排水溝と一体化したタオル。何かの拍子に詰まったと見えて、溢れ出した水と無駄な格闘を繰り広げている最中でした。

 ムゥはホッとしました。苦心して生成した水道設備(システム)を破壊されるより、全然マシです。タオルを引っこ抜いて水を流すと、それだけで解決しました。


「……ごめんなさい……」


 解決していませんでした。

 小脇に抱えたヘンゼルが、しゅんと項垂れます。髪の先からはポタポタと水滴が落ちました。放っておいたら風邪を引いてしまうでしょう。洗面所の洪水も掃除しなくてはなりません。お説教は後回しです。


「今度から気を付けるんだぞ」

「はーい……」


 そっとヘンゼルを床に下ろし、ムゥは腕捲りして嘆息しました。

 あぁ、雑巾は何枚いるだろう。夕飯の仕込みもあるのに。いや、先にヘンゼルの服を脱がせてなくては。ついでに風呂。どれくらいで沸くかな。

 うぅん、何か忘れているような……?


「先生、くっさい。ヘンなニオイがするよ?」

「しまった! アルコールランプ!」







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