表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ヒュプノランタン  作者: 雪麻呂
アンノウン・ハロウィーン
78/92

まだ足りない

7.






「カードゲームをしよう」


 生き残ったスケッチブックを隠して、ムゥはトランプを持ち出しました。

 ソファへ移動して、両脇にヘンゼルとシィちゃんを招きます。自分が間に割って入ることで、喧嘩でも始まったら、すぐ二人を引き離そうという魂胆でした。此方にも小さなテーブルがありますし、後ろは窓で、玄関にも近い位置取り。これならいざという時に、ヘンゼルを逃がせる。


「わあすごい!」


 リフルシャッフル。

 ムゥが器用にカードを捌くのを見て、ヘンゼルが感嘆の声を上げます。


「シィちゃんやったことある? トランプだよ」


 訊ねるヘンゼルに、やはりシィちゃんは答えません。

 せっかく気持ちを切り替えてくれたのに、とムゥの方が罪悪感を憶えました。


「なにするの?」

「そうだな……」


 まぁ、やったことはないでしょう。それなら、ルールの簡単なババ抜きか。

 その後、複雑なゲームに移行して時間を稼いで……。

 考えながらカードを切り、底を叩いて揃えます。

 と、その腕をシィちゃんが、ぐっと掴みました。


「ひッ!?」


 思わず手を引っ込めて、しまったと思いました。

 これは気を悪くしただろうか?


「あ、ど、どうした?」


 内心慌てふためきながら、なんでもないふうを装って、微笑みました。

 頬が攣りそうでしたが、機嫌を取らねばなりません。なにせ怒らせたら不味い。気味悪がられ、忌避されるのは、誰だって不愉快ですもの。言葉にしないだけで、シィちゃんがそう感じている可能性は汲むべきでした。


『ほシい』


 喋った!

 ……今度はちゃんと飲み込みました。

 よく我慢したものです。だってその声ときたら、硝子を引っ掻いたような、錆びた蝶番が軋んだような、金切り声。そのくせ暗く低く、抑揚のない、まるでオウムの人真似で、ざわり首筋を波立たせる、ひどく無神経な雑音なのでした。


『そレほシい』


 言われてムゥは、手中にあるカードの束に目を落とします。


「これか?」


 試しに一枚引いて、恐る恐る差し出してみました。


「あ! 数字とマーク当てるやつ?」


 ヘンゼルが無邪気に覗き込んできます。

 手品だと思ったのでしょう。

 カードの裏を当てるあれですね。時々、ヘンゼルにせがまれるのです。


「待ってね、えっとね、とうしの呼吸」


 ヘンゼルは念力(のつもり)を眼に全集中し、じっとカードを凝視します。

 毎回ムゥとセヴァが、そうやってカードを透視するという趣向でした。これを心から不思議がってくれるものですから、披露する方も結構、楽しんでいます。実は二人はグルで、仕草や表情、指の数など巧みに使い分け、こっそり教えているだけなのですが。


「うーん……ダイヤ……ちがう?」


 眉間に皺を寄せ、ヘンゼルが首を傾げました。

 正解はムゥも知りません。

 ちょっと気になって、ちらと視線を乗り出しました。

 その瞬間、目にも留まらぬ速さで、シイちゃんがカードを奪い取りました。


「あっ」


 という間でした。

 シーツの口元が、もごもごとカードを咀嚼していました。

 ごくん。咀嚼音がして、なんともいえない空気が流れます。


『足りナい』


 ムゥは慌てて、もう一枚、カードを差し出しました。

 しゅる。ぺろり。

 更に一枚。しゅる。ぱりぱり。

 しゅる、ぱりしゅるぺり、しゅるぱりぱりぱりぱりぱりぱりぱり。

 出すそばから、カードがシィちゃんに食べられてゆきます。山羊に餌でもやっている気分でした。そういえばセヴァの故郷に、こんな料理? 配膳? があるとか聞いたな。わんこだかにゃんこだか、蕎麦を……。

 軽い現実逃避に陥るムゥは、さぞ心労が溜まっているのでしょう。もはや全自動カード排出機と化し、送っては食われ、食われては送りを繰り返して、五十四枚を給仕し終わるのに、三十秒と掛かりませんでした。


「よし! 別の遊びをしよう!」


 何がヨシなのか自分でもわかりませんが、此処にいる大人は己のみです。ムゥは空になった手をパンと叩き、平和的な提案を試みました。


「…………」


 おや。

 てっきり反発すると思ったのに、ヘンゼルは静かです。

 ただ、唇を引き結んで、鼻の頭に皺を寄せ、極めて非難がましい、じっとりした視線をムゥに突き刺してくるのでした。


「あ、ごめんな、ヘンゼル」

「…………」

「カード当てるの、やりたかったな、すまない」

「…………」

「また今度やろうな? セヴァも一緒にな?」

「…………」

「け、ケーキ焼いてやるから!」

「……いつ?」

「えっと、そのうち、あとで、いや明日!」

「…………」

「約束する! 明日だ!」


 最悪の空気です。

 ムゥだって、本意ではありません。こんなものは、あからさまな贔屓(ひいき)です。教育理念にも反します。ヘンゼルが可哀想です。えぇ。重々、承知しているのです。緑の潤んだ眼が、ずきずきと心に痛い。わかっています。

 でも、堪えてくれ。

 一晩。一晩だけ。


「…………」


 ムゥの胸中が通じたのか、諦めたのか。

 懇願するかのような笑顔に、ヘンゼルは不承不承、頷きました。

 どのみち、カードがなくてはトランプゲームはできないのです。

 元凶のシィちゃんは、やっぱり、じっとそんな二人を見つめていました。











 お通夜のような雰囲気の中、ボードゲーム大会が始まりました。


「久し振りだなあ! よく三人でやったなあ!」


 ムゥだけが、無駄にハイテンションです。密かに元気になるドリンクをキメて、半ば自棄でした。こうでもしないと、やってられません。わざと大仰な身振りで、抱えたボードを床に置き、ドンと胡座を掻きました。

 これまた、よくあるゲームです。広げたボードがマップになっていて、その上で擬似的な冒険をするのです。スタートからゴールまで道順に沿って移動し、最初にゴールした者の勝ち。簡単ですね。

 順路は一マスずつ区切られていて、サイコロを振り、出た目の数だけ進みます。その際、止まったマスに指示があれば、それに従わなくてはなりません。一回休みだったり一マス戻るだったり、です。セヴァは「双六だな」と言っていました。


「今日は良い子だからなあ! ヘンゼルが一番手だな!」


 ムゥは精一杯の気を利かせて、ヘンゼルにサイコロを手渡します。

 受け取りはしたものの、あまり嬉しそうではありません。

 いつもなら、なんでも一番を喜ぶ子なのですが……。


「……うん、いいけどね、まぁ」


 溜息交じりで無造作にサイコロを振る様は、不機嫌に満ちていました。


「あ」


 出た目は六です。


「おぉすごいな! やるじゃないか!」

「え? そ、そう?」

「あぁ! 最初から最高の出目なんて、幸先いいな!」

「ん……うん」


 それでも大袈裟に褒めれば、少しだけ、興が乗ったらしい。

 やっと表情を緩めて、自分の駒に手を伸ばしました。

 ムゥも僅かに人心地を取り戻します。

 それなのに!


『こレほしイ』


 またもやそれを、シィちゃんが横から奪い去ったのです。


「っこら!」

「だめー!」


 ムゥとヘンゼルは、同時に立ち上がりました。

 これらの駒はムゥが木彫りで作ったもので、兎や狐など、それぞれ動物を模しています。ややコミカルにデザインされた形状は、美しくも愛らしく、中でも馬の駒は、ヘンゼルいちばんのお気に入りでした。

 その大切な駒が、シィちゃんのシーツに、吸い込まれてゆきます。


 ばっき。

 ぼき、ごき、ごりごり、ぼりぼりごりがり、


「それっ、ぼくの……!」

「待てヘンゼル!」


 ヘンゼルが、シィちゃんに掴み掛かりました。


「ひどい! お気に入りなのに! ぼくの!」

「落ち着け! また作ってやるから!」

「ぼくの! お馬さんなのに!」


 どうにか押し止めましたが、ヘンゼルの勢いは収まりません。ムゥに腕を抱えられながらも、宙を蹴り上げ、身体を捩って抵抗します。宥めようと声を掛けても、聞く耳を持たないのです。これは相当、頭に血が上っています。

 仕方がないので、後ろへ引きずって、力尽くで引き剥がしました。


「いたぁい! はなして!」

「駄目だヘンゼル! 落ち着きなさい!」

「ぼく悪くないのに!」


 これだけ目の前が大騒ぎになっているにも関わらず、シィちゃんは、まったく気に留めたふうもありません。きょとんと小首を傾げて、こくん。さも当然の権利のように、馬の駒だったものを飲み込みました。

 のみならず、更に別の駒へも手を伸ばします。

 ヘンゼルが、ますます興奮します。


「返せ! 返してよう!」

「ヘンゼル、ヘンゼル! 落ち着いてくれ頼むから!」

「やだ! ぼくの大事なもの全部食べられちゃう!」

「あれは怒らせたら駄目なんだ! 我慢してくれ!」

「いっぱいしたもん! ぼくばっかり! シィちゃんが悪いのに!」

「――いいから黙れ!!」


 びくっ、とヘンゼルの身体が硬直します。

 あぁいけない。つい。焦りに任せて。

 ムゥは慌てて、小さな身体を羽交い締めにしていた腕を緩めました。

 こんなに力を込めていたなんて。気付きませんでした。


「…………ぅ」


 がくりヘンゼルの肩が落ち、ムゥに背を預けて、項垂れます。

 拘束を解かれても、もう暴れようとはしませんでした。

 その代わり、大粒の涙が、ぽろぽろと頬を伝います。


「うぅええ……ひっぐ……」


 やってしまいました。

 ムゥも大変ですが、ヘンゼルだって限界だったのです。

 ろくな説明もしないまま、散々理不尽を強いて、本来不要な我慢をさせました。お腹も空いているでしょう。日常ではない時間に、初めての人間関係に、疲れたでしょう。七歳児が我慢できるはずが、なかったのです。


「すまない。すまなかった。今のは私が悪い」


 怒鳴ってしまった後悔で、ムゥは頭が冷えました。

 でも却って、どうすればいいのわからなくなりました。いつも取り持ってくれるセヴァもいません。ただ不器用に、泣きじゃくるヘンゼルを抱きしめて、とんとんと背中を叩くことしか、できないのでした。


「先生、ぼくきらい?」

「そんなわけあるか! 大好きに決まってる」

「じゃあなんで? いじわる言うの?」

「意地悪じゃないんだ。これはな……」


 屈んで、ヘンゼルの金髪を撫でます。汗ばんでいました。

 もう全部、説明するべきだろうか。

 お前の初めての友達は、決して関わってはいけない類いのものだと。

 そんな残酷な事実を突きつける必要があるのか?

 いや。いや。そうじゃない。ヘンゼルの安全が最優先だろう。

 本当に危険だということだけ、理解させるんだ。

 心配だが、一人で“庵”へ行かせても……。


『…………』


 背後に、いつの間にか、シィちゃんが立っていました。

 ムゥはヘンゼルのことで頭がいっぱいです。気付きませんでした。

 シィちゃんは、二人を見ていました。

 ずっと、ずっと見ていました。

 此処へ来たときから、ずっと見ていました。

 自分にないものを、なんでも持っているヘンゼルを。

 ヘンゼルに、なんでも惜しみなく与えてくれるムゥを。

 どうして、二人とも満たされているのでしょう。

 そんなに与えて、何故なくならないのでしょう。

 何処に、それほど持っているのか。

 ムゥ。

 見ていると、お腹が空きます。

 喉が渇きます。

 胸が、頭が、そわそわします。

 その感情の名前を、シィちゃんは知りません。

 あぁ。


『ムゥ、ほしイ』


 食べたら、わかるでしょうか。







評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
 ムゥ先生、今回は欲張ってしまいましたな。  ヘンゼルを守ること、ヘンゼルを傷つけないこと。両方を同時にやろうとシィちゃんへ対応して、爆発を招いてしまった。  でも最初から切り捨てて、お友達扱いせずに…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ