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ヒュプノランタン  作者: 雪麻呂
アンノウン・ハロウィーン
77/92

早すぎる!

6.






 泥濘(ぬかるみ)を跳ね上げる地下足袋が、粘る音を立てます。

 作務衣は重く雨を吸い、しとどに濡れた金髪の、首や額に張り付くのが鬱陶しいこと。遠雷も姦しく、閃光に一瞬、端正な横顔が歪めば、またすぐ夜道は真っ暗になりました。

 がさり。

 両脇に居並ぶ樹木の合間で、何かが、赤く光ります。


「ちッ」


 次の瞬間、飛び掛かってきたそれ目掛けて、セヴァは錫杖を振り下ろしました。

 ぐにゃりと嫌な感触に、悲痛な呻き声が重なります。


「餓鬼めらが」


 構わず低く吐き捨て、睨み付けました。

 骨と皮だけに痩せこけた体躯。枯れ木めいた手足。土色の肌、崩れた鼻。窪んだ眼窩に生気はなく、ざんばらに髪の抜け落ちた人相は、なんて卑屈なのでしょう。そのくせ眼ばかりが、ぎらぎらと赤く輝いているのです。なにより異様なのが、腹でした。身体中の水分を集めたかの如く、歪に膨らんでいます。

 まさしく、伽噺に出てくる亡者そのもの。


「増えてきたな……」


 地面に転がった餓鬼を蹴飛ばして、セヴァは再び走り出します。

 目指すは西です。

 そこは、誰も知らない秘密の場所でした。常に強固な結界で閉ざされ、ある複雑な手順を踏み、番人としての権限がなければ、辿り着くことのできない空間。ムゥにも行き方を教えていない、神域です。

 セヴァは、それを“箱”と呼んでいました。

 森には様々な死者が訪れます。大抵は他愛のない残留思念が実体化しただけの、無害なものです。それだって関わり方によっては面倒事に発展するのですが、基本は大人しいのです。要は付き合い方を間違えなければ良い。

 でも、中には、どうしようもない魂がありました。

 食物を、愛情を、権力を、才能を。欲し、求め続けて、餓えに餓え、終ぞ得られず、執着に絡め取られて、逃れられなくなったものたち。そんな重い魂が、純粋な飢餓として顕れることが、希にあるのです。

 森に放しておくことはできません。なんでも食べてしまいます。草を毟り、花を手折り、樹木を囓り、虫を頬張り、兎を追い掛け、鹿に、猿に襲い掛かる。かつて目にした光景は、さながら地獄の食卓。さすがに滅入りました。

 かと言って、現世へ送り返すのは、理に反します。ひとつ掛け違えればそこから簡単に崩れてしまう、あんな脆い世界では、例外は恐ろしい脅威なのです。

 だから封じていたのです。

 一ヶ所に集め、圧縮した空間に詰めて、蓋をする。そういう術を構築し、施してからもう、千年になるでしょうか。確かに近いうち浄化しなければならない時期でしたが、それでもあと五百年は持つ算段だったのに。


「穢れが漏れてやがる――」


 やっぱり彼奴か。布野郎か。

 セヴァは、奥歯を噛みしめます。

 あれは最初から厄介だった。人として生まれながら、呪具として扱われ、生きていた頃から餓鬼だった。そんなのが十三人も融合して、ひとつの概念になろうとしていた。妙な仏心を起こさず、あのとき滅しておくべきだったか。

 どうしてこんな早くに?

 力を蓄えながら、出る機会を窺っていた?

 何かの理由で封印が弱った?

 中で更に蠱毒が起こった?

 いや。まさか……。

 現世で使った奴がいるのか? あんなものを?


「呪詛返し……?」


 誰かが使ったあの呪具が、まさかの呪詛返しに遭って、開いた。

 返しの呪を含んだ穢れは何倍にも膨れ上がり、封印を破って、森に溢れた。

 それが、ヘンゼルの元へ訪れてしまった……?

 真相は、わかりません。それなら説明が付く、という仮定です。

 なんにせよ、あれに名を与え、呼び込んでしまったのは、非常に不味い。

 家にも結界を張ってありますし、自分を餌にして引きつけてはいますが、漏れた餓鬼は他にも大勢いるのです。ムゥとヘンゼルの方へ移動する可能性だって、充分ありました。急がねばなりません。


「!」


 左右から、小振りな餓鬼が二匹、奇声を上げて飛び込んできます。

 両手を広げ、それらを押し止める姿勢で、一呼吸。次いで掌に魔力を込めれば、鋭く生じた眩い光が、球となって二匹を打ち払いました。

 やや後方に三匹。

 走りながら腕だけを背に回し、指を弾きます。放たれた魔力は地面へ張り付き、するすると広がって、巨大な光の網を織り上げました。そこへ餓鬼たちが踏み込むや否や、たちまち網は四方を縫い合わせ、口を閉じてしまいます。哀れ餓鬼たちは収縮する光に、そのまま飲み込まれて、為す術なく潰れてゆきました。


「ッと、」


 上手く逃れたのでしょう。腰から下をなくした一匹が、倒れつつもセヴァの足首を掴んでいます。

 必死の形相ではありますが、これではどのみち、たいして動けません。

 石突きで串刺しにするだけで済みました。


「わんさか湧いてきやがるなァ……」


 餓鬼の頭を踏み付け、前へ向き直ったセヴァは、眼を眇めます。

 暗い森の中、生い茂る樹木に、おびただしい数の赤い光が隠れていました。

 幹、枝、根元。およそ遮蔽の可能な部分に、或いは囁きながら、或いは泣きながら、或いは怒りを露わにして、此方を見ています。その手には、囓りかけの小枝や動物の脚。今以て草を食んでいる者。口から自分のものではない血を滴らせている者。くちゃくちゃと、不快な咀嚼音が、さざめいて合唱します。

 誰も彼も、飢えていました。

 まだ足りずに、セヴァを狙っているのです。

 これを餓鬼と言わずして、なんと言うのでしょう。


「上等だ」


 セヴァは、ぷっと掌に唾を吐きかけました。


「誘ッといてナンだがな」


 まどろッこしいのは好きじゃねェ。

 ここらで一丁、大掃除といくかい。

 握りしめた錫杖を構え、高らかに笑います。


「俺様を取って食おうなんざ、百年早ェ!」







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― 新着の感想 ―
 詳細を説明せずに飛び出したと思ったら、セヴァさん家族に被害が及ばぬように、囮も兼任してたのか。  そして憶測ながらもぼんやりと明かされる仔細。  よくないものの溜まりによくないものが納まって、更に外…
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