ハッピーハロウィン!
2.
「オバケだぞ~」
山形に盛り上がったシーツが、ぽてぽてと歩いてきます。
さも恐ろしげな声音を作ってはいますが、素が甲高い子供の声なのです。しかも期待と昂揚の混ざった含み笑いがダダ漏れです。足下から覗くのは、お気に入りのウサギさんスリッパ。ムゥはもう、頬が緩むのを必死に耐えていました。
「どうだ先生~オバケだぞ~こわいぞ~」
先生って言っちゃった!
堪えきれず、ムゥは怯えたふりをして両手で顔を覆いました。
掌の中は、ふやけた笑いでいっぱいです。
「お菓子くれなきゃイタズラするぞ~」
「んっ、それは、困るな!」
どうにか体裁を繕ったムゥは、用意しておいた紙袋を取り出しました。
「ほら。クッキーだぞ。オバケさん」
「やったーありがとう!」
たちまちシーツを脱ぎ捨てて、ヘンゼルが駆け寄ります。
果たして、この仮装に如何ほどの意味があったのか。ちょっと考えたくなりますが、まぁヘンゼルが可愛いので、なんの問題もないでしょう。
「先生のなにそれ?」
「ミイラ男だ」
上半身に包帯を巻いただけという、やっつけな仮装でした。ムゥがやると小柄な体格も相まって、ミイラというよりただの怪我人に見えます。ぐるぐる巻きの包帯はちょっと、いえかなり痒いです。
それでもヘンゼルは非日常が嬉しいのか、上機嫌で包帯を引っ張ってきました。
そこを大袈裟な身振りで威嚇してみせます。
ヘンゼルが、きゃあと笑いました。
「あはははっ!」
「ハッピーハロウィン」
「はろいん!」
ムゥの故郷では毎年この時期、奇妙な祭りが催されます。
子供達がお化けの仮装をして街を練り歩き、大人に菓子をねだるのです。お菓子か悪戯かと問いかけて、菓子をくれれば礼を言って立ち去る。くれなければ、悪戯をしても良い。とまぁ、こういう決まりでした。
その話を聞いたヘンゼルが、面白がらないはずがありません。是非やろうと言い出して、即席のハロウィンパーティーが始まりました。
いい歳をして仮装するのは少し恥ずかしかったムゥですが、これがやってみると案外、楽しんでしまいました。柄にもなく童心に返った気分です。ムゥにだって、子供の頃があったのですからね。
どれくらい昔のことでしょうか。
六歳まで暮らした教会。孤児達を育てている神父様が、たまにはと企画してくれた、ささやかなパーティーでした。菓子など年に数度、食べられるかどうかという貧しい教会で、たった一度のお祭り騒ぎ。およそ可愛げなどと縁のない子供だったムゥも、あのときばかりは、夢中で菓子をねだったものです。
ずっとずっと、気が遠くなるような昔の、たぶん大切な思い出でした。
「セヴァさんは?」
早速クッキーを頬張るヘンゼルが、きょとんと首を傾げます。
そうです。セヴァにも菓子をもらわなければなりません。
「洗面所へ行ったが」
「じゃあ見てくる!」
さっき放り出したシーツを引っ掴み、ヘンゼルが走っていきました。
出会い頭に脅かすつもりなのでしょう。
今のうちに飲み物でも作っておくかと、ムゥは台所へ立ちました。
「……ぎゃぁあああ!」
ところが、聞こえてきたのはセヴァではなく、ヘンゼルの悲鳴です。
「ヘンゼル!? どうしぃやあぁああァ!」
慌てて駆け付けたムゥもまた、腰を抜かす羽目になりました。
だってセヴァときたら、とんでもない格好をしています。
長い金髪を黒く染めて振り乱し、白装束から覗く素肌は、なんと緑色。ご丁寧に右目の部分には、大きな瘤までくっつけています。照明の落ちた洗面所で、下からの蝋燭が陰影を強調するものですから、その迫力といったら。
「幽霊になるんだろ?」
「何故ベストを尽くした!」
ひとまず、セヴァの頭を一発しばきました。
ヘンゼルは、ムゥの後ろへ回って隠れてしまいます。
可哀想に、小さな手がぎゅっと背中を掴んできました。
「悪ィ悪ィ。ほら菓子だ」
笑いながら立ち上がって、セヴァが白装束の袖から包みを取り出しました。
開いてみると、飴細工です。黄色い南瓜を模したもの、三日月を模したもの、柿の葉と実を模したもの。他にも何本かありますが、どれも見事な出来映えで、ムゥはツッコむべきか迷いました。なんでそっちは別のガチ路線なんだ。いや綺麗だけども。
「食ったら二人で悪戯しようぜ」
「だからそういう祭りじゃない……」
言いかけて、ムゥは、ふと気付きました。
なんでしょう。セヴァの、この意味深なニヤニヤ笑いは。
それに、背中が妙にベタベタするような。
「……あっ」
さてはと鏡に映してみれば、オレンジ色の手形が大量に付いています。
「いえーい!」
「イタズラ大成功~!」
セヴァとヘンゼルが、ぱちんと手を合わせて歓声を上げました。
派手に叫んだ割に、おとなしいと思ったら。よくよく見渡してみれば、床に打ち捨てられたシーツから、バケツの取手がはみ出しています。おおかた、絵の具でも入っているのでしょう。この二人、最初からグルだったのです。
してやられたムゥは、悔しさ半分の楽しさ半分。
だからそういう祭りではないのに。
「やったな!」
「きゃあっ」
こうなったら、お返しです。
ヘンゼルを抱き上げて、頭に齧り付く真似をしてみせました。
「あはははっ。先生お酒くさい!」
「これはお化けの匂いだ!」
実は、そこそこ酔っています。仮装の羞恥心を払拭するべく、景気付けでセヴァの酒をちょろまかしたら、思ったより強かったのです。動いたり喋ったりしているうちに、すっかり回ってしまいました。
こんなときは、ちょっと悪乗りしたくなりますよね。
「きゃははははっ」
耳に息を吹きかけてやれば、ヘンゼルが、はしゃいで身を捩ります。
いやいや、これからだ。
うねうねと暴れるのを風呂場に連れ込み、ムゥは、手だけちょいと出して合図を送りました。
すぐさま意図を汲んだセヴァが、にやり笑ってバケツを掴みます。
「そォら、おかわりだ!」
ばしゃっと中身をぶちまけられて、ヘンゼルとムゥは、もろとも絵の具まみれ。
あっという間に、風呂場がオレンジ色に塗り替えられてしまいました。
「あははははっ」
「ははは」
そこへセヴァも乱入し、三人して絵の具の掛け合いが始まりました。
反響する笑い声と、喉の奥がじんと熱くなる感覚。
今日はこのまま入浴だなぁ。ますます酔いの回る頭で思いながら、ムゥは眼の端に滲む願望にそっと、知らぬふりを貫くのでした。




