そんなことだろうと思いました
8.
家に帰ったムゥは、少しだけ仮眠を取って、人形の修繕に取り掛かりました。
朝も暗いうちからセヴァを叩き起こして研究室に籠もり、素材と道具を用意させます。こうなったら、せいぜい扱き使ってやる腹でした。意外にもセヴァは、割合素直にムゥの脚となってくれました。まぁ文句を垂れつつではありますが。
檜、布、金属板、石膏。
運良く、手持ちで足りそうです。特に石膏は、採掘して精製する羽目にならずに助かりました。あれは大変に手間と労力が掛かるのです。
まずは手足から始めましょう。
人形の大きさを測り、体格を考えて長さと肉付きを決めます。檜の木材に下描きをして切り出し、彫刻刀で削り、形を整えて、ヤスリ掛け。あとは石膏を塗れば、概ね良しです。
乾くのを待つ時間で、服を新調してやります。
これは楽でした。なにせ、しょっちゅうヘンゼルの服を繕っていますからね。
そういえば今年の冬物をどうしよう。去年のコートはもう小さいだろうか。帽子と手袋も編んでやらないと。脳内で予定を巡らせているうちに、縫い上がってしまいました。ついでだ。刺繍もしておいてやる。
金属板を曲げて加工し、籠手と軍靴を。鎧の傷も均して磨いて。
兜は諦めました。さすがに、デザインから起こす気力はありません。
断じて乗り気ではなかったムゥですが、始めてしまうと持ち前の凝り性が疼き、中途半端を許せません。気付けば没頭し、ぶっ通しで集中していました。
いつもなら興味津々で突撃してくるヘンゼルも、今日は静かです。
セヴァが家事の傍ら、上手いこと操縦しているのでしょう。
おかげで日が傾く頃には、一通りの作業を終えることができたのでした。
「……ふぅ」
組み上げて服を着せ、鎧を纏った騎士人形を確認します。
うん。まずまずの仕事です。
ひとまず完成ということで満足して、ムゥは頷きました。
たったひとつ。気になる箇所に眼が留まります。
騎士人形の顔に残る傷。
結局、最後まで悩みました。
「…………」
いや。
ムゥは首を振ります。
このままにしておきましょう。
これはこれで、きっと彼の誇りで、歴史で、勲章なのですから。
「はぁ」
ようやく気を抜き、机の上に、騎士人形を座らせました。
車椅子をソファまで進め、飛び込むようにソファへ突っ伏します。
疲れました。肩と腰が悲鳴を上げています。それでなくとも、昨日から車椅子で移動しているのです。腕の筋肉痛の、辛いこと。
この先、ずっと脚が戻らなければ、どうしましょう。
いっそ自分の義足も作ってしまおうか。
魔道具にすれば、ある程度は自由に動けるだろう。
素材は何がいい……かな…………。
「おい起きろ。夕餉だぜ」
ぺちぺちと額を叩かれ、ムゥは小さく唸りました。
習慣で起き上がろうとして、肩を押し戻されます。割烹着姿のセヴァが、呆れ顔で覗き込んでいました。
「落ッこちンぞ」
「私……寝てた?」
「そりゃァもう、ぐっすり」
眉間を絞って欠伸を一つ。
どうやら少し居眠りしていたようです。
あぁ、そんな時間か。
「まだ眠い……」
「ちッとでも食っとけ。おチビも居間で待ちくたびれてら」
正直あまり食欲は湧きませんでしたが、セヴァの珍しい気遣いに、のそり身体を起こします。せっかく作ってくれたのですし、冷めてもつまらないでしょう。軽く食べて風呂に入って、改めて熟睡するということで。
もう一度欠伸をして、ムゥはセヴァに両腕を広げて見せました。
「ん。だっこ」
「でかいバブタレだな。可愛くねェ」
「たまには世話を焼け」
「へいへい」
ぼやいて、セヴァの長身が屈みます。
抱き上げられながら、ちらと作業場の方を見ました。
とにかく屑の多く出る作業でした。机の上はもちろん、手の届く範囲は散らかり放題に散らかっています。彫刻、裁縫、金属加工用の道具、参考にした書物。乾いた石膏が、粉になってあちこち貼り付いていました。これを掃除するのは骨が折れそうです。
片付けは明日でいいか。
思って擦った眼を、ふと気付いて、もう一度擦りました。
「人形は?」
雑然とした机の上、あるべきはずのものが、見当たりません。
「騎士人形は? どうした?」
「あン? 何処だよ?」
「それを訊いてるんだ」
いや。確かにそこへ置いたのです。なんで探す必要があるのでしょう。
その辺に落ちてはいないかと、ムゥは視線を巡らせました。
机の下、床、棚。ありません。抽斗は閉まっています。
ぎゅっと心臓が苦しくなります。
おい頼む。やめてくれ。
「おい、なんだこりゃ?」
と、室内を見回したセヴァが、何かに気付いたようでした。
机へ歩み寄り、一枚の紙を手に取ります。
作業中、ムゥがメモに使っていたものです。
ざっと目を通して、セヴァは、それをムゥの眼前へ晒しました。
「お前宛だぜ」
「え、私?」
意味もわからず、セヴァの肩越しに、渡されたメモを見ました。
数値や手順の殴り書き、その下に、新しく文字が増えていました。
此度は、大変お世話になり申した。
身体を直して頂いたこと、深く感謝申し上げる。
されど、自分は急ぎ行かねばならぬ。
礼の一つもできぬ不義理を、どうか御容赦願いたい。
辺境で使われる公用語です。
やや古めかしい文体でしたが、ムゥには読めました。
ただ、教養を修めた者の筆跡にしては、やけに悪筆です。ちょうど、三十センチくらいの身長で、鉛筆でも抱えて書いたら、こうなるだろうなというような。
「まさか……」
そのとき、研究室の扉が、慌ただしく叩かれました。
「先生ー! お人形が逃げたー!」
「はぁ!?」
「玄関開けたら、そこから走って行っちゃったー!」
「はぁ!?」
ヘンゼルの容赦ない報告に、語彙が消し飛びました。
耳元で叫ばれたセヴァが、うるせえと怒鳴り返します。
やっぱり動くのかとか、犬じゃないんだぞとか、言いたいことはありました。
けれど、真っ先にムゥの頭を過ったのは、何故か昨夜の姫人形でした。
矢も楯もたまらず、セヴァの金髪を鷲掴みにして、ぐいと引っ張ります。
「追うぞ! 早く!」
「いやうるせぇんだよ! あと毛を掴むな! 禿げるだろ!」
「急げ! はいどう!」
「馬か俺は!」
もう夕飯どころではありません。まったく、脚が出来た途端にこれです。
誰が何と言おうと、金輪際、人形とは関わらない。
堅く堅く、ムゥは心に誓ったのでした。




