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ヒュプノランタン  作者: 雪麻呂
ひとりでワルツを
67/94

泣いてるの?

7.






「待って……っうわ!」


 姫人形に気を取られていたムゥは、派手な水音で我に返りました。

 どういうつもりか、脚を踏み出したヘンゼルが、湖に落ちたのです。


「ヘンゼル!」

「おチビ!」


 ただちにセヴァが跪き、脇を掬い上げます。

 幸い浅い場所だったので、十秒と掛からず回収することができました。


「馬鹿野郎ゥ、気ィ付けろい!」

「うぅ、ごめんなさい」


 当のヘンゼルは、あぁビックリした、と頭を振ります。まるきり濡れた犬です。たいして恐怖もなかったらしく、呼吸が整うや否や悔しげに唇を尖らせて、姫人形の去って行った方角を見つめました。


「お姫様はするする歩いていたのになぁ」


 さては、追い掛けて食い下がる気満々だったようです。

 ムゥは、頭を抱えます。胃痛と頭痛が同時にしました。

 悪夢舞踏会への乱入といい、落人の真似をして湖面を歩こうとする胆力といい、もう心臓がいくつあっても足りません。いつもなら手を繋いで確保しているのに。遠くから声を掛けることしかできないのが、もどかしい。


「おい大丈夫か!? 怪我はないか!?」

「だいじょーぶ!」

「早く戻ってこい!」

「はーい」


 顔を拭って、ヘンゼルは、のんびり此方へ歩いてきます。

 傍まで来た姿が屈むのを待てず、抱き寄せて座らせました。


「駄目だろうヘンゼル。危ないことをするんじゃない」

「ごめんなさーい」

「あぁもう、こんなに濡れて……ん?」


 ヘンゼルの服を絞ったムゥは、ふと違和感を憶えて首を傾げます。

 なんでしょう。この。フードの不自然な膨らみは。


「なんだこ、レ゛ッ――」


 取り出したそれは、人形でした。

 またしても。人形でした。

 どう見ても、人形でした。


「わぁ、なにそれ?」


 自分の服から面白いものが出たと、ヘンゼルは眼を輝かせます。意図して拾ってきたのではないようですが、この際、そんなことは問題ではありません。いつの間に、よりによって、どういう了見で。人形が追加されるのでしょう。ムゥは目眩がしてきました。

 すぐにでも放り出したいのに、放り出すべきなのに、指が硬直して、思いっきり握り込んでしまっています。呪いか何かか?


「かっこいい! 兵隊さんだ!」


 ヘンゼルが、暢気に手元を覗き込んできました。

 姫人形と同じ木製で、黒い短髪に精悍な顔立ちの、男性人形です。チュニックの上に刺繍の入った鎧は白銀。腰に立派な剣を佩いていました。元からなのか失ったのか、兜はありません。ちょうど今のセヴァと、似たような格好です。燃えるような赤い瞳が印象的な、偉丈夫でした。

 ただし、両の手足がありませんでした。


「こりゃァ、兵卒じゃねェな。騎士ッてやつだ」

「なにがちがうの?」

「うんと偉いのさ」

「なんでエライの?」

「爵位とか領地とか手柄の数とか……」


 いや、もっとツッコむべきところがあるだろう!


「冗談じゃないっ!」


 ムゥは爆発しました。

 一体だけでも、この騒ぎです。

 この上更に厄介事が増えたら、ストレスで死んでしまいます。

 よって、諸悪の根源を全力で遠投すべく、存分に振りかぶりました。


「せ、先生どうしたの!?」

「止めるなヘンゼル! 手でも脚でも、これ以上取られて堪るか!」


 ヘンゼルが、驚いて組み付いてきます。

 弾みで手が滑りました。

 騎士人形が、ぽんと宙を飛びます。

 落ちて壊れるのを期待したのは、一瞬でした。

 余計なことに、そこにいたセヴァが、受け止めてしまったのです。


「捨てろそんなもの! いや壊せ! 砕いて燃やせ!」


 食って掛かるムゥを押し返し、セヴァは騎士人形を睨め回しました。

 ヘンゼルは、突如発狂したムゥを案じて、よしよしと頭を撫でてきます。小さな掌は優しく温かく、それが却って、己の惨めな心情に刺さりました。保護者の威厳もくそもない、惨憺たる光景です。

 だって、怖いのです。

 もし、自分の脚だけで済まず、ヘンゼルの手足まで取られてしまったら。

 いよいよ収まらずムゥが喚き散らしていると、しばし何か考え込んでいたセヴァが、つと視線を寄越しました。


「無闇と捨てるのも不味いンじゃねェのか?」

「ヘンゼルの手足が取られたらどうするんだ! 馬鹿! 人でなし!」

「作ってやるんだよ手足。や、コイツのだ」


 ずいと騎士人形が突き出されます。

 思わず腰が引けました。


「要は手足がありゃいいわけだろ。なら先んじて作っちまうんだ。下手ァこくと、今度こそ達磨だぜ。捨てようが壊そうが戻ってきて、またぞろ()がれッぞ」

「でも……!」

「壊すンなら、そッからでも遅くねェ。焦んな」


 言い返そうとして、いつになく神妙なセヴァの面持ちに、言葉が詰まります。

 冷静に考えれば、それはそう、なのです。


「…………」


 渋々人形を受け取り、眺めます。

 額と頬に傷がありました。デザインなのか傷んだものか、判断が付きません。

 手足のない分、ずいぶん小さく見えます。意匠は見事な出来なのに、どうしてかその表情が、ひどく寂しげに思えました。拭っても僅かに残る水滴が、ルビーの眼から溢れて、石膏の頬を滴ります。

 悲しいの?

 ヘンゼルの問いは、誰に向けたものだったのか。


「……まったくもう!」


 なので、ムゥは目頭を覆って、吐き捨てるしかないのでした。

 そろそろ泣いてもいいかしらん。







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