脚を返して
5.
明けて翌日。
遅めの朝食を済ませて、そのまま作戦会議が始まりました。
如何にしてムゥの脚を奪還すべきか。シュール極まる議題ですが、ムゥとて好きで取られたわけではないのです。初動を失敗した以上、腰を据えて策を練る必要がありました。
「そーっと後ろから近寄って、静かに抱きついたらどう?」
「空振りした」
「ん、ん、じゃあね、ユダンさせてアクシュするのは?」
「ガン無視された」
「足つっかけて転ばせるのは?」
「華麗にスルー」
「スカートめくっちゃえ! きんちゃくの刑だ!」
「どォせムゥの脚だろ。見えても嬉しくねェよ」
「いやセヴァそうじゃない」
昨夜の経緯は、食事中に共有してあります。
案の定、ヘンゼルが食い付いて、まだ質問攻めが止みません。すっかり姫人形に興味津々で、議題を修正するのに、そこそこ骨が折れました。
「お姫様、すっごく早いんだね」
セヴァは健闘してくれたと思います。ただ試行錯誤した結果が、残念な不審者に仕上がっただけです。散々に弄ばれたと見えて、一夜明けてなお仏頂面でした。
「いや、速いというよりあれは……」
何かがズレている。
俊敏性の問題ではありません。セヴァは何度も、彼女を的確に捉えていました。でも掴めない。触れられない。彼女の存在する場所に到達できない。何人も、彼女を束縛することは叶わない。
あれはたぶん、そういう落人です。
理由は知れませんが、逆に言えば、それこそが彼女の墜ちた理由なのでしょう。
「罠を張ってみようか」
「俺の結界が破られたンですけどォ?」
「試してみないことにはわからない」
「ンじゃま、虎挟みでも仕掛けるかい? 餌は何だ? 肉か菓子か?」
「拗ねるな子供じゃないんだから」
「矜持ッてモンがあんだよ!」
喚いて、セヴァが毛を逆立てます。
気持ちはわかりますが、ただでさえ面倒な事態なのに、変な対抗心で人形と張り合わないでほしいものです。彼女を捕らえることは、手段です。目的は脚を返してもらうことであって、鬼ごっこではないのです。断じて。
「トラバサミは嫌だな……投網……馬止……うぅん」
罠。罠か。
自分で言っておいて、自信がありませんでした。
獣や魚を捕らえる罠で、あれが掴まるでしょうか。
セヴァの嫌味だって、一理あります。
餌。
姫人形を釣るのに最も効果的な餌って、なんだ?
「やっぱり王子様だよ」
ムゥが唸っていると、しみじみヘンゼルが呟きました。
「なんだって?」
「うん! お姫様なんでしょ? 王子様と結婚すれば幸せになれるんだよ。だから逃げてるんじゃなくて、王子様を探してるんだ!」
なんの話かと思ったら、どうもヘンゼルは、大人達が物騒を企てている間、空想の世界へ旅立っていたようでした。彼なりの結論を得て満足したのか、腕など組んで、うんうん頷いています。その得意顔は大変に可愛いのですが、ムゥとしては、できれば罠の具について提案してほしかったところでした。
「あの御転婆だぜ。三行半でトンズラこかれたンじゃねェのか」
「キスすればいいんだよ! それでだいたい丸く収まるの!」
「ヘンゼル、その言い方はちょっと……」
誤解を招きかねない発言に、ムゥは顔を引き攣らせました。なんだこれ私のせいか。私の教育が悪かったのか。
そういえば、いつかそんな絵本を読んでやったような気もします。
王子のキスで、踊り続ける靴の呪いが解ける姫の話。
「……いや」
待てよ。
あの人形が、本当に何処かの国の姫君だったとしたら?
有り得なくもない話です。顔立ち、仕草、姿勢、雰囲気。宮廷魔術士だった頃、ムゥは多くの貴人を見ています。王女も王子もいました。なんなら己が皇帝に仕えていたのです。審美眼はあるつもりです。
あの姫人形は、決して偽物ではない気品を備えていました。
或いは、ヘンゼルの言うような、お伽噺さながらの人生を送ったとして。
めでたしめでたしで終わった、その続きが、この森なのです。
――瞼の裏で、白いドレスが翻りました。
そうか。
「円舞曲か」
ようやく、彼女の奇妙な仕草に合点がいきました。
逃げるためではなく、踊るために。
脚を奪っていったのか。
「成程。相方募集中ッてわけかい」
とんと煙管の灰を叩き、セヴァが肩を鳴らします。
ヘンゼルの意見は、案外と的を射ているかもしれませんでした。
ワルツを踊るなら、パートナーが必要です。
もしかして、パートナーを得れば、満足して消える?
「よし、王子を用意するぞ!」
「はいはい! ぼくやりたい! 王子様やりたい!」
ヘンゼルが、元気に挙手しました。
正直、とっても見てみたかったムゥですが、今回は場合が場合です。危険が伴う可能性もありますし、第一、身体が小さすぎます。姫人形の身長は、百五十センチといったところ。最低でも、ムゥくらいの背丈は必要です。
「駄目だ」
「ええ~」
とはいえ、ムゥは満足に動けません。ましてや姫人形に合わせてステップを踏むなんてことは、どう頑張っても無理です。脚は彼女の方に付いているのですから。
となれば、残るは……。
「あン?」
ムゥとヘンゼルの視線が、そろって目の前の美丈夫に注がれました。
「餌」が大決定した瞬間でした。




