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ヒュプノランタン  作者: 雪麻呂
ひとりでワルツを
64/92

彼女は舞台を抜け出した

4.






 白いドレスが、ふわり円を描きます。

 細い指が空を掻けば、亜麻色の髪がさも柔らかげに、その肩を跳ねました。月光を浴びた石膏の肌は、白を通り越して青いくらい。仄暗い夜に踊る姫人形の姿は、溜息が出るほどに美しく優雅な、まさに童話のお姫様でした。

 二本の脚が、どすどすと地面を踏み荒らしてさえいなければ。

 爪先を引きずり、膝を折り、草を蹴り上げながら、華奢な肢体が回ります。右へ左へ、どうやらリズムに乗りたいらしいのですが、脚が言うことを聞かないので、申し訳ないけれど親の仇でも踏み潰しているようにしか見えませんでした。

 ひび割れた唇から、澄ました歌声が漏れています。

 あぁ。

 私の脚だものな。ムゥは小さく吐き捨てました。

 きっと使い方がわからないんだ。




 ――あんまり 月が 綺麗だから

 わたしは 舞台を 抜け出した

 気付けば 深い森の 中を

 彷徨っている……




「脚返せゴルァー!」


 予備動作もなく、走ってきた勢いに任せて、セヴァが飛び掛かりました。

 片方の支えを失ったムゥの尻が、斜めに落ちます。

 姫人形が振り返ります。

 サファイアの瞳が、ぱちり、瞬きました。

 届くはずの瞬間、姫人形が上体を反らせ、セヴァの手が虚しく宙を掴みました。完全に捉えたつもりだったのでしょう。バランスを崩して、彼の身体は前へ大きく傾きました。

 ムゥは慌てて首根っこに齧り付き、放り出されそうになるのを耐えました。

 避けた? 今のは偶然か?

 いや、それより攻撃するなら先に言ってくれないと……。

 セヴァは体勢を整えて、追撃の構えを取ります。

 文句を言うよりも早く、長い脚が蹴り上がりました。到底、乙女に対する仕打ちではありませんが、セヴァはセヴァで頭に血が上っているのかもしれません。今度こそ、その脚が姫人形の腹を捉え――


 するり。


 られませんでした。

 セヴァの爪先は、やはりあと一寸のところで、標的を外していたのです。

 馬鹿な。

 ムゥは驚いて、セヴァの横顔を覗き込みました。

 だって姫人形は動いていません。あんな不安定な体勢で、セヴァの攻撃より速く動けるわけがない。ましてや彼女の脚は借り物です。この至近距離で、そんな反応ができるとは思えません。


「おいどうした! 遊んでいる場合じゃないぞ!」

「うるせぇ滑るンだよ!」

「は?」

「なんかこゥ、滑るんンだ。掴んだと思ったら、ヌルッと」

「ウナギじゃないんだが?」

「知るか!」


 吠えて、セヴァは再び地を蹴ります。

 伸ばした右手が、姫人形の肩を振り抜けました。

 三度目の正直ならずです。

 けれど、セヴァは舌打ち一つ。

 そのまま腕を曲げ、肩を組む要領で、がっしと姫人形の首を抱き込みました。


「よし! 捕まえ、」


 ずるり。

 衣擦れが髪を巻き込む音がして、姫人形の首が伸びました。

 同時に、胴体が下がります。首が伸びます。セヴァの腕を無理矢理引っこ抜こうとしているのです。ムゥはセヴァの背中です。気付いたときには、もうばっちり姫人形と目が合っていました。

 ぎりぎり、ぴちり。引っ張られた首が、ますます伸びてゆきます。サファイアの瞳が、じっとムゥを見ていました。姫人形は、悲鳴も上げません。ただ優雅な微笑を浮かべて、首が伸びるのに任せています。ムゥの方が絶叫したくなりました。

 なんの冗談でしょう。

 人形に、こんな柔軟性があって堪るものですか。

 思った瞬間、ぐにゃりと目の前の微笑が歪んで、落ちました。

 遂に千切れた、のではありません。

 姫人形の首は、頭は、極限まで細く細くなって、セヴァの腕を通り抜けてしまったのです。あたかも、小さな穴から漏れ出す水のように。




 お迎えは いらないわ

 わたしは 自由 なのよ

 見たこともない 広い 世界が

 おいで と 呼んで いるの




 歌声が聞こえました。

 ムゥは、ハッとして振り返ります。

 少し離れた場所に、姫人形が立っていました。


「野郎!」


 セヴァが、片手で印を結びました。

 たちまち闇夜に光の線が走り、正方形を作って、姫人形を囲います。

 結界です。

 閉じ込められた姫人形は、こてんと首を傾げて、唇を尖らせました。仕草は大変に愛らしいのですが、さっきまで妖怪よろしく伸びていた首と悪魔変形した頭は、いつの間に元通りになったのでしょうね。


「手間ァ掛けさせやがって……」


 ふぅと息を吐き、セヴァが肩の力を抜きました。

 呆けていたムゥも、やっと状況を理解します。


「つ、捕まえたのか?」

「見りゃわかンだろ」

「……はぁ……」


 ようやく安堵の溜息が漏れました。

 やれやれ、長引かずに済んだ。あぁ良かった。

 項垂れたセヴァの首筋は、うっすら汗を掻いています。よくやってくれました。明日は好物でも作って、労ってやるとするか。今夜はもう疲れた。早く眠りたい。安眠したい。この落人、どうしよう。眠い。

 一気に様々な思いが脳裏を過りましたが(主に眠気でした)、まずは脚を返してもらいたい。ムゥは思案しました。

 引っこ抜いたら取れるんだろうか。

 だとして、問題なく合体できるだろうか。

 というか、説得の通じる相手なのか?

 暴れたらどうする? 強硬手段に訴えるか?

 いやでもさすがに切り落とすのは……。

 一応、話し合いを試みようと、ムゥは姫人形を見つめました。

 姫人形が、出せとでも言いたげに、両の掌を結界に押し付けました。


「無駄だぜ。俺様の結界だ。叩こうが切ろうがビクともしねェ」


 その手をすっと、左右に広げます。

 開きました。


「は?」


 結界の壁面が、窓でも開けるように、いとも容易く開きました。

 叩いても、切ってもいません。

 いませんが、開いてしまったのです。

 姫人形は、そこから普通に出てきました。


「…………」


 ――ぶちッ。

 セヴァの堪忍袋の緒がブチ切れる幻聴を、ムゥは、確かに聞きました。


「上等だテメェーーー!」


 セヴァが、姫人形めがけて駆け出しました。

 走りながら、印を結びます。

 進行方向に、いくつもの結界が出現しました。


「オラオラオラァ!」


 次から次へと、光の檻が乱立します。そのどれもが、姫人形の歩みを妨げることができません。たまに彼女を囲んだと思ったら、霧のように振り払われてしまうのです。正方形、円形、網。どの形を試しても駄目です。

 ムゥは我が目を疑いました。

 セヴァの結界は、ムゥが知っている術の中で間違いなく最強の部類です。かつて大陸一と呼ばれた魔術士の自分が、その構成すら、解読できないのです。落人とはいえ、たかが人形如きに破られるなんて。

 セヴァが加減しているとは思えません。

 なら、どうして。


「するする逃げンなこの鰻野郎ォ!」


 セヴァの罵倒など、何処吹く風。

 姫人形は、踊りながら森へ分け入ってゆきます。

 それにしても、奇妙な踊りでした。片腕を肩の高さに上げ、もう片方の腕は何かを抱くように曲げ、首を後ろへ反らし、身体を前後左右に揺らすのです。脚が上手く扱えない事情を考慮しても、こんな踊りは知りません。踊りというより、パントマイムです。

 たとえば、そう。

 誰か相方がいれば、ちょうど良い案配に収まるかも……。


「くっそ邪魔だてめェ降りろ!」


 セヴァの怒鳴り声に、思考を中断させられました。


「いやちょっ、待」


 文句を言う暇もなく、セヴァの背中から引き剥がされて、落下します。


「ナ゛ッ」


 慣性の法則により、ムゥは顔面を強打し、地面に突っ伏しました。

 なんてことをしやがるのでしょう。

 鼻血を拭い、涙目で顔を上げると、何事か喚きながら姫人形を追跡するセヴァの背が、もうだいぶ小さくなっていました。




 らん らららん らん らららん

 らん らららん らん らん らん




 セヴァの罵倒に混じる姫人形の唄が、じきに遠ざかります。

 待て。叫ぼうとして、やめました。

 どのみち、自力では満足に移動することもできないのです。諦めて、此処で待つ他ないようでした。

 それからの時間といったら、心細くて堪りませんでした。

 深夜の森に置き去りです。辺りに危険な猛獣が出ないことは知っていましたが、万一を考えると、気が気じゃありません。虫に集られたら。フクロウにでも突かれたら。逃げられないこの身は、どうなってしまうのか。

 目線の低さが、またいっそう惨めさを煽りました。ヘンゼルよりも低いのです。まったく、地面から生えている気分です。植物の偉大さが、少しだけわかったような気がしました。

 虫の音や鳥の声、木の葉のざわめきに怯えて、しばらく経ちました。

 セヴァが戻ってきました。

 髪は乱れ、尻尾の毛はボサボサに膨らみ、全身くまなくクッツキムシを付着させて、疲労困憊。盛大に苦虫を噛み潰した顔をしています。

 手ぶらでした。


「…………」

「…………」


 言いたいことは、ありました。

 たぶん、互いに。

 でも、限界でした。

 黙ってセヴァに背負われ、とっとと家路へ着いて、詳細を聞きたがるヘンゼルを宥めて抱き枕にし、さっさと寝ました。







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