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ヒュプノランタン  作者: 雪麻呂
ひとりでワルツを
63/93

奴は大変なものを盗んでいきました

3.






「で、どォいうこッた?」


 セヴァが、寝癖の跳ねる金髪を掻き毟ります。

 ただならぬ絶叫に駆け付けてみれば、物凄い形相のムゥが匍匐(ほふく)前進で這い寄ってきたのです。さすがに仰天しました。それを追ってきたヘンゼルが、ムゥの有様を見て、これまた絶叫。腰を抜かして失禁し、ギャン泣きでパニックを起し、宥めるのと後始末で小一時間経ってしまって、今ココです。


「取られた。脚を取られたんだ!」

「はァ?」


 ムゥから事情を聞いたセヴァは、呆れた様子で肩を落としました。


「おいそれとくれてやる奴があるかァ」

「そんなこと言ったって!」


 あっという間の出来事でした。

 思えば、あれだけの物音がして、セヴァが先に気付かないはずがないのです。彼の方が何倍も耳が良いのですから。初めから狙われていたのかもしれません。

 一応確認すると、セヴァもヘンゼルも、人形など知らないと断言しました。

 ですよね。


「いたくないの?」


 ずびずびと嗚咽を上げながらも、ヘンゼルが訊ねます。

 ようやく落ち着きましたが、まだ怯えているのか、セヴァの背中に隠れて出てきません。ムゥは地味に傷付きました。


「不思議と痛みはないんだ。どうなってるのか、ちょっと見てくれ」

「へいへい」


 言われてセヴァが、ムゥの寝間着を捲り上げます。這いずっていうるちに、下着は脱げてしまっていました。

 ムゥの脚は、鼠径部の付け根から、すっぽり綺麗に抜けていました。傷跡は一切なく、皮膚は自然な張りを保ちながら、それらしき境界線は見当たりません。血の一滴すら出ていないのです。ここに脚が生えていたとは思えないほどです。


「いちばん大事なトコは無事だぜ」

「……そ、そうか……」


 間違いなく不幸中の幸い。今更ながら、冷や汗が背中を伝いました。それを持って行かれるのは、だいぶ困ります。男性として。

 一応、治癒術も試しました。

 でも駄目です。新しい脚が生えてくる、なんてことはありませんでした。

 生えたら生えたで、それも悪夢な気がしますが、このままでは困ります。


「どうしよう……」

「どォするも何も、盗人ァお縄だ。取ッ捕まえて鉄拳制裁食らわすぜ」

「今から?」

「半時ッてとこだろ。歩きで一里、走りで二里。俺なら追い付ける」

「でも……」


 こんな夜中に、こんな状態のヘンゼルを一人放置して行くわけには。

 ムゥの物言いたげな視線に気付いたのか、当のヘンゼルが、ちらとセヴァ越しに顔を覗かせました。なんとも言えない表情ですが、涙は止まっています。


「ぼくは平気。先生、足ないと困るでしょ?」

「無理しなくていい。私たちがいないと怖いだろう?」

「ちがう……」


 ヘンゼルは、もじもじと指先を擦っていたかと思うと、不意に屈んで、ムゥの耳に口を寄せてきました。


「うん?」

「あのね、ないしょ」


 そうして、こっそり教えてくれました。

 どうもヘンゼルは、久しぶりのお漏らしがショックで、恥ずかしくて自己嫌悪に陥っていたらしいのです。確かに突然のホラー展開には驚いたけれど、もう恐怖は収まっているから、心配無用。とまぁ、こういう具合でした。

 もちろんセヴァは、ちゃんと聞こえないふりをしてあげましたよ。


「いや……うん。それは全面的に私が悪かった。すまない」

「だからね、ぼく、怖くないよ。おるすばん、まかせて!」


 ヘンゼルは、僅かに赤面しつつも、ぐっと小さな拳を握ります。

 こんなときですが、ムゥは胸が熱くなりました。成長したなぁ。


「よッし。じゃァ、留守はチビに任せていいな?」

「うん! 怖くないよ!」

「本当に大丈夫か?」

「こ、怖くないもん!」

「全然?」

「……ちょっ……とだけ」


 おや?






                  †






 というわけで、簡単に着替えを済ませて、ムゥとセヴァは家を出ました。

 セヴァが結界を張ってきたので、滅多なことはないでしょうが、深追いはしないと決めていました。成長しても、怖いものは怖いですからね。あまり放っておくのは、ヘンゼルが可哀想です。


「何処へ行ったんだろう?」

「ちッと黙ってな」


 セヴァが眼を閉じ、耳を立てました。

 作務衣姿に、地下足袋。髪もすっきりまとめて、今から農作業にでも行くみたいです。さすがに振袖を着ている余裕はありませんでした。

 ムゥは、セヴァの背中に括り付けられる格好で背負われています。ヘンゼル用のおんぶ紐で、です。一昨年だけ現役だった思い出の品が、まさかこんな形で再び日の目を見るとは。恥ずかしいなどと言っている場合ではないのですが、ムゥはもう羞恥で死にそうです。

 これ、私の方が可哀想なのでは?


「お」


 しばらくして、セヴァは東の方角へ駆け出しました。


「そこまで遠くにァ行ってねェ。瓢箪池の辺りだ」

「何か聞こえるのか」

「匂いもする。お前のくっさい足の臭い!」

「……その脚があったら、蹴飛ばしてるところだッ」


 坂を下り、小川に掛かる橋を渡って、瓢箪池を目指します。

 夜ともなれば気温は落ちて、少し涼しいくらいでした。騒がしい虫の音に、ほうと時折、フクロウの鳴き声が混じります。

 駆けるセヴァの重心は安定していますが、彼の背は、どうにも居心地が悪いものでした。着地や方向転換の衝撃で、思わぬ方向へ振り回されてしまいます。ムゥは己の軽さに辟易しました。自分の身体が、こんなにも頼りないなんて。

 あるはずの部分がない、という不安が、実感を伴って襲ってきました。


「落人だろうか」

「だろォよ。脚生やして何がしてェんだ?」


 そうです。

 何がしたいのでしょう。

 場合によっては、それがいちばん重要です。

 姫人形の無機質な笑顔が一瞬、頭を過りました。


「おッ?」


 すん。セヴァが鼻を鳴らしました。


「近い。このまま一気に捕まえるぜ! 落ちンなよ!」


 途端、速度が上がります。

 ムゥは振り落とされぬよう、しがみつく腕に力を込めました。

 ――道が開けました。







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