奴は大変なものを盗んでいきました
3.
「で、どォいうこッた?」
セヴァが、寝癖の跳ねる金髪を掻き毟ります。
ただならぬ絶叫に駆け付けてみれば、物凄い形相のムゥが匍匐前進で這い寄ってきたのです。さすがに仰天しました。それを追ってきたヘンゼルが、ムゥの有様を見て、これまた絶叫。腰を抜かして失禁し、ギャン泣きでパニックを起し、宥めるのと後始末で小一時間経ってしまって、今ココです。
「取られた。脚を取られたんだ!」
「はァ?」
ムゥから事情を聞いたセヴァは、呆れた様子で肩を落としました。
「おいそれとくれてやる奴があるかァ」
「そんなこと言ったって!」
あっという間の出来事でした。
思えば、あれだけの物音がして、セヴァが先に気付かないはずがないのです。彼の方が何倍も耳が良いのですから。初めから狙われていたのかもしれません。
一応確認すると、セヴァもヘンゼルも、人形など知らないと断言しました。
ですよね。
「いたくないの?」
ずびずびと嗚咽を上げながらも、ヘンゼルが訊ねます。
ようやく落ち着きましたが、まだ怯えているのか、セヴァの背中に隠れて出てきません。ムゥは地味に傷付きました。
「不思議と痛みはないんだ。どうなってるのか、ちょっと見てくれ」
「へいへい」
言われてセヴァが、ムゥの寝間着を捲り上げます。這いずっていうるちに、下着は脱げてしまっていました。
ムゥの脚は、鼠径部の付け根から、すっぽり綺麗に抜けていました。傷跡は一切なく、皮膚は自然な張りを保ちながら、それらしき境界線は見当たりません。血の一滴すら出ていないのです。ここに脚が生えていたとは思えないほどです。
「いちばん大事なトコは無事だぜ」
「……そ、そうか……」
間違いなく不幸中の幸い。今更ながら、冷や汗が背中を伝いました。それを持って行かれるのは、だいぶ困ります。男性として。
一応、治癒術も試しました。
でも駄目です。新しい脚が生えてくる、なんてことはありませんでした。
生えたら生えたで、それも悪夢な気がしますが、このままでは困ります。
「どうしよう……」
「どォするも何も、盗人ァお縄だ。取ッ捕まえて鉄拳制裁食らわすぜ」
「今から?」
「半時ッてとこだろ。歩きで一里、走りで二里。俺なら追い付ける」
「でも……」
こんな夜中に、こんな状態のヘンゼルを一人放置して行くわけには。
ムゥの物言いたげな視線に気付いたのか、当のヘンゼルが、ちらとセヴァ越しに顔を覗かせました。なんとも言えない表情ですが、涙は止まっています。
「ぼくは平気。先生、足ないと困るでしょ?」
「無理しなくていい。私たちがいないと怖いだろう?」
「ちがう……」
ヘンゼルは、もじもじと指先を擦っていたかと思うと、不意に屈んで、ムゥの耳に口を寄せてきました。
「うん?」
「あのね、ないしょ」
そうして、こっそり教えてくれました。
どうもヘンゼルは、久しぶりのお漏らしがショックで、恥ずかしくて自己嫌悪に陥っていたらしいのです。確かに突然のホラー展開には驚いたけれど、もう恐怖は収まっているから、心配無用。とまぁ、こういう具合でした。
もちろんセヴァは、ちゃんと聞こえないふりをしてあげましたよ。
「いや……うん。それは全面的に私が悪かった。すまない」
「だからね、ぼく、怖くないよ。おるすばん、まかせて!」
ヘンゼルは、僅かに赤面しつつも、ぐっと小さな拳を握ります。
こんなときですが、ムゥは胸が熱くなりました。成長したなぁ。
「よッし。じゃァ、留守はチビに任せていいな?」
「うん! 怖くないよ!」
「本当に大丈夫か?」
「こ、怖くないもん!」
「全然?」
「……ちょっ……とだけ」
おや?
†
というわけで、簡単に着替えを済ませて、ムゥとセヴァは家を出ました。
セヴァが結界を張ってきたので、滅多なことはないでしょうが、深追いはしないと決めていました。成長しても、怖いものは怖いですからね。あまり放っておくのは、ヘンゼルが可哀想です。
「何処へ行ったんだろう?」
「ちッと黙ってな」
セヴァが眼を閉じ、耳を立てました。
作務衣姿に、地下足袋。髪もすっきりまとめて、今から農作業にでも行くみたいです。さすがに振袖を着ている余裕はありませんでした。
ムゥは、セヴァの背中に括り付けられる格好で背負われています。ヘンゼル用のおんぶ紐で、です。一昨年だけ現役だった思い出の品が、まさかこんな形で再び日の目を見るとは。恥ずかしいなどと言っている場合ではないのですが、ムゥはもう羞恥で死にそうです。
これ、私の方が可哀想なのでは?
「お」
しばらくして、セヴァは東の方角へ駆け出しました。
「そこまで遠くにァ行ってねェ。瓢箪池の辺りだ」
「何か聞こえるのか」
「匂いもする。お前のくっさい足の臭い!」
「……その脚があったら、蹴飛ばしてるところだッ」
坂を下り、小川に掛かる橋を渡って、瓢箪池を目指します。
夜ともなれば気温は落ちて、少し涼しいくらいでした。騒がしい虫の音に、ほうと時折、フクロウの鳴き声が混じります。
駆けるセヴァの重心は安定していますが、彼の背は、どうにも居心地が悪いものでした。着地や方向転換の衝撃で、思わぬ方向へ振り回されてしまいます。ムゥは己の軽さに辟易しました。自分の身体が、こんなにも頼りないなんて。
あるはずの部分がない、という不安が、実感を伴って襲ってきました。
「落人だろうか」
「だろォよ。脚生やして何がしてェんだ?」
そうです。
何がしたいのでしょう。
場合によっては、それがいちばん重要です。
姫人形の無機質な笑顔が一瞬、頭を過りました。
「おッ?」
すん。セヴァが鼻を鳴らしました。
「近い。このまま一気に捕まえるぜ! 落ちンなよ!」
途端、速度が上がります。
ムゥは振り落とされぬよう、しがみつく腕に力を込めました。
――道が開けました。




