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ヒュプノランタン  作者: 雪麻呂
ひとりでワルツを
62/91

月夜に泥棒

2.






 ダン……ダ、ドン……

 ダ、ドン…………


 夜半、奇妙な物音で眼を醒ましました。

 なんでしょうか。何か重い物が転がっているような、ぶつかっているような。

 いや、叩き付けられているような。

 眠い目を擦って、隣を見ます。セヴァは高鼾で爆睡していました。上下逆さまになったヘンゼルは、そんなセヴァの尻尾を枕に、ぷうぷうと寝息を立てています。ということは、この二人ではありません。

 我が家は三人暮らしです。

 まさか泥棒でもあるまいし。

 放っておくわけにもいかず、ムゥは寝床を抜け出しました。

 灯りを持って、廊下に立ちます。音は屋根裏から聞こえてくるようでした。

 ふと思い出します。昼間掃除をしたとき、天窓を開けていました。きちんと閉めたでしょうか。もしかして、そこから動物でも入り込んだのでは。

 いや、閉めたはずですが。自信がなくなってきました。

 なにしろ、うっかり見付けてしまった時限爆弾の処理に、全部持っていかれてしまったのです。ヘンゼルを説得して野に返すことには成功しましたが、それで気力を使い果たして、確認を怠ったのは事実でした。

 そういえば、人形の件も訊き忘れたなぁ。


 ダン、ダン……ドン。

 ダ、ドン……。


 寝惚け眼で、屋根裏へ向かいます。

 音は続いていました。

 しかし大きな音です。あんなところから侵入するなら、鳥か虫くらいだと思うのですが。そもそも、我が家の周りには、大型の動物は滅多に近寄りません。こんな重低音を出すなら、鹿か猪か、それなりの体重が必要なはずでした。


 ダン、ダン……ドン。

 ダ、ドン……。


 普通に考えれば、この時点で充分に不穏です。即刻引き返してセヴァを叩き起こすべきだったのですが、頭は、まだ半分寝ていました。まぁ追い払って終いだろうと、屋根裏へ続く梯子を登ってしまったのです。

 最上段から頭を出し、灯りを掲げて室内を照らします。

 瞬間、ムゥは盛大に肝を潰しました。

 そこでは、上半身だけの女が、一心不乱に飛び跳ねていたのでした。









 繊細な指が、宙を掻きます。

 亜麻色の髪を振り乱し、細い腕を伸ばせば、華奢な身体が浮いて、床にどすんと落下します。転がって、ばたん。また跳ねて、どすん。だん、どん。何が楽しいのか、女は、延々とそれを繰り返していました。天窓から射し込む月光に照らされ、真っ白な肌は、朧に青く色づいています。

 どすん。

 だん、どん。

 だ、どん。

 女が落ちるたびに、ドレスの裾が円を描きました。見覚えのある優雅な刺繍が、乱暴な落下音とは裏腹に、ゆらり踊るように波打ちました。


「…………!」


 あまりのことに、声も出ません。

 だってあれは、あの女は。

 昼間の姫人形ではありませんか。

 力の抜けた手から、カンテラが落ちて、がしゃんと音を立てました。

 ――女が、こちらを見ました。


「うあッ……」


 無意識に、後退ります。

 足が滑りました。踵が浮き、バランスを取ろうとして、段を踏み外します。あっと思ったときには遅く、そのまま一直線、見事に梯子を滑り落ち、尻から後頭部に掛けて、したたか打ちました。


「…………いッ!」


 痛みに顔を顰めて、呻きます。

 そのときでした。

 上から、どすんと追い打ちの衝撃が降ってきました。

 あぁ、見なくてもわかります。

 上半身だけの女が、腹に伸し掛って、じっとムゥの顔を見つめていました。


「ひっ――」


 唇は紛れもなく恐怖の形を作りながら、悲鳴を吐くことができません。

 整った相貌に表情はなく、解れて広がった巻き髪が、数本ばかり絡まって額から垂れ下がるのみです。割れた頬も欠けた耳も、確かに人形のそれでした。けれども眼窩に填め込まれたサファイアは、爛々と闇に輝き、射貫くような上目遣いでムゥを凝視しているのでした。

 転がったカンテラの灯りが、これまた良い具合に、絶妙な角度で女の顔を照らすものですから、その恐ろしさといったら、背筋が凍りそうです。

 対峙したまま、身体が動きません。動けません。

 と、それまで頑なに結ばれていた女の唇が、すっと開いて言葉を紡ぎました。


『困りましたわ。わたくし、脚をなくしてしまいましたの』


 見た目どおり、たおやかで細い声でした。

 いやそんなこと私に言われても。

 反論する間もなく、寝間着の裾が捲られました。

 冷たい指先が、太腿を撫で上げます。

 女が、うっすら笑った……ように見えました。


「っ、なん、放せ!」


 ようやく叫んで、頭を振ります。

 何をするつもりか知りませんが、絶対にろくなことではありません。是が非でも抵抗しなければ。ここへきて防御本能が息を吹き返し、女を引き剥がすべく、ムゥは全力で身を捩りました。

 ところが、彼女はビクともしません。細身とはいえ、ムゥとて成人男性、女一人に腕力で負けるはずがないのです。ましてや相手は半分・・です。だというのに、腰を引き、脚を跳ね上げ、両手で肩を押して足掻いても、女はムゥの脚を掴んだまま、微動だにしないのです。


「くそっ、なんなんだ! どういうつもり……」

『あぁ素敵な脚。きっと働き者の、良い脚なのだわ』


 暴れるムゥを物ともせず、脚を掴む指先に、力が込められます。

 そして女が、今度こそ、口元だけで笑いました。


『この脚をくださいませね』


 ぽきん。

 なんとも小気味の良い音がして、ムゥの両脚が、取れました。

 それこそ人形みたいに、すっぽりと。

 引き抜いた両脚を器用に宛がい、女が、すっくと立ち上がります。

 さながら、組み立て式の家具でした。


『ではご機嫌よう』


 そうして、ムゥのものだった脚で梯子を駆け上がり、屋根裏の窓を開けて、颯爽と外へ飛び出していきました。


「…………は?」


 どういうこと?

 取られたのか。脚を?

 脚を取られた? 私の脚を? あの人形に?


「ど……泥棒ーーーッ!」







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