そろそろ秋
何処まで行っても噛み合わない!
1.
吹き込んだ仄かな秋に、すんと鼻を鳴らします。
額に滲んだ汗を拭い、詰めていた息を吐いて、ムゥは空を見上げました。開いた天窓の向こう、巻雲の棚引く空は、その瞳と同じ青です。少し疲れを感じて、傍の木箱に腰掛けました。埃よけのバンダナを解けば、そよそよと風が、水色の前髪を揺らします。
夏が終わろうとしていました。
こうして動いていれば、まだ日中は汗ばむくらいに暑いのですが、朝晩めっきり涼しくなって、温度差が激しくなってきました。それで秋物の寝間着を出そうと、屋根裏へ上がったのが二時間前です。どうせすぐ使うならと上着の類も探し始め、そうなると散らかった室内が気になり、本格的に掃除を始めてしまって、今に至るというわけです。
ムゥの知らないうちに、ずいぶん物が増えていました。ずっと物置にしていたのが、最近はヘンゼルの秘密基地と化しているようです。絵本、楽器、ぬいぐるみ。他にも何処かで拾ってきたらしいガラクタが、いくつかの箱に分けて、収められていました。
ムゥの贈ったマリンドームも、キャビネットに飾ってあります。
あのときは肝が冷えた。
「……妙な物を拾ってやしないだろうか……」
先日の事件は記憶に新しく、思い出すたびに胃が痛みます。当のヘンゼルは何も憶えておらず、以後、健康そのもので日々を過ごしているので、そこは問題ありません。ええ、ヘンゼルが健やかなら、それでいいのです。
いいのですが、それはそれとして、心配になってきました。
掃除も一段落したことですし、ここは箱の中身を確認しておきましょう。
「新しいものは、こっちかな」
誰に似たのか、ヘンゼルには収集癖の気があり、不要品と必需品の区別があまり付いていません。放っておくと増える一方なので、時折こうして、整理する必要があるのでした。
さぁ、出てきます出てきます。
面白い形の石、木片。色とりどりの木の実。謎の種。蛇の脱殻に、蝉の脱殻。
鳥の羽根、枯れた花冠。ビー玉に、パズルのピースがちらほら。
ぼろぼろの人形。
「え」
なにこれ?
淡々と「捨てる」候補を選り分けていたムゥの手が、止まりました。
三十センチくらいの、いわゆるビスクドールです。裾の大きく膨らんだドレスと亜麻色の巻き髪。いかにも高価な仕上がりは、持ち主の身分を量るのに難くありません。上流階級の、夢見るお嬢様が胸に抱いて眠るような。
それは、姫人形でした。
手に取って、しげしげと眺めます。
木製でしょうか。おそらく石膏を塗っているのでしょうが、せっかくの雪肌が、あちこち黒ずんで台無しです。かなり痛いんでいるようで、白いドレスには染みと解れが、頬には無残な亀裂が入り、片方の耳な、ど欠けてしまっていました。
ただ、両の眼――サファイアでしょうか――だけは、宵闇を凝縮したように美しく澄んで煌めき、今にも瞬きそうに、じっと虚空を見つめていました。
重量の違和感に、ひっくり返してみます。
ドロワーズは穿いていましたが、両脚がありませんでした。
「なんだってこんなもの……?」
ヘンゼルは、やんちゃ盛りの男の子です。
クマさんやウサギさんのぬいぐるみは好きですが、さすがに姫人形を欲しがるとは思えません。そもそもこれ、何処にあったのでしょう。拾ってきたなら、自分のところへ報告に来るはずなのに。セヴァの趣味でもないし。
「私が作った……? いや、そんなはずは」
どれだけ凝視しても、身に覚えがありません。
問うて答えるはずもなく、ガラクタの底からおいで遊ばされた可憐な姫は、その青い瞳を晩夏の斜陽に輝かせ、うっそりと無機質に微笑んでいるだけなのでした。
「……落人?」
嫌な予感がしました。
彼等の姿は千差万別で、時も場所も選びません。先日のヘンゼル安眠事件など、未だに犯人は正体不明です。それが、よりにもよって壊れた人形だなんて。怪しさ満点、フラグの気配がビンビンします。
そうでなくとも、ちょっと気味が悪いではありませんか。
これはさっさと捨てるか、焼き払ってしまうに限るのですが……。
「…………」
さりとて、勝手に処分するのも気が引けます。
あとでヘンゼルに泣き喚かれたら、宥めるのが大変なのです。
悩んでいるうち、夕飯の支度が頭を掠めました。
「……まぁ、急がなくてもいいか」
遊びに出たヘンゼルが帰ってきたら、訊いておきましょう。
ひとまずそう決めて、ムゥは、人形を棚に乗せておきました。
さて、早く片付けないと。
晩の献立を考えながら、箱から出てきたコレクションたちをまとめて、袋に入れます。これを、そうだな。とりあえず、キャビネットの抽斗に。
「ミ゛ッ」
抽斗を引いたムゥは、悲鳴を上げて硬直しました。
そこにあったもの、なんだと思います?
カマキリの! 卵!




