黄金の悪夢
5.
曰く、何人もの魔術士達が生成中に命を落とした。或いは気が狂った。
そんな噂がまことしやかに囁かれてはいたが、真相は知れない。何故なら、その液体の生成は、帝国法で固く禁じられており、且つ魔術士達の間でも、決して手を出してはならぬ領域として禁術に定められていたのだから。
近場に実践した者がいない以上、噂はあくまで噂と笑い飛ばすこともできよう。けれども、それらはいずれも「生成には大きな代償を伴う」という警告から生まれた逸話。つまり禁術とされるには、相応の理由があるのだ。それがわからぬほど、愚かではなかったつもりだ。
……つもりだった。
その傲慢が既に過ちとも知らず。
だからあのとき覚悟したはずの“代償”の意味を。
私は、まったく履き違えていたのだ。
フラスコに揺れる透明な液体を前に、何も躊躇わなかった。
黄金のナイフで手首を抉り、そこへ滴る血液を混ぜる。思ったより痛みはない。逸る気持ちが鎮痛の役目を果たしたか、興奮のために痛覚が麻痺したか。とにかく必死だった。
ポツリポツリと、緩慢な波紋がもどかしい。
あぁ時間がないのに。今一度、傷口を広げるべくナイフを手に取ったとき、俄に液体が沸騰を始めた。急いで栓をする。フラスコに充満した血生臭い湿度が結晶となり、透明の液体に溶けて、その色を緑に変える。いいぞ。私は安堵の息を吐く。
ここまでは問題ない。
あとは、私の魔力を注ぎ込むだけ。
フラスコを胸に抱き、意識を集める。覚悟は出来ていた。禁術を破った咎人として罰せられるのも、承知の上だった。すべての魔力を。この命すら、失っても構わない。どうあっても、今此処で、完成させなければならないのだ。
そして陛下。貴方を救う。絶対に、死なせはしない。
ドクンと鼓動が脈打てば、腹の底が胸の奥が、この身体の中心が、共に溶鉱炉となって魂を燃やす。汲み上げた熱はある種の刺激を伴って迫り上がり、骨に染み、肉に馴染み、血潮に逆らい、神経を遡る。体内を駆ける感覚は、より強い刺激へと昇華し、解放を望んで膨張を繰り返す――そして限界の寸前で、これを掴む。
把握した魔力を掌へ誘導し、フラスコの液体へと流し込んだ。
反発はなかった。いとも容易く従順に、液体は私の魔力を受け入れる。あたかも枯れた植物が水を得たかの如く。むしろ、激しく求められているような気がした。ゆっくり。けれど止め処なく。液体は、私が与える魔力を貪欲に飲み下し、吸収してゆく。
唐突に、視界が歪んだ。
大量の血液と魔力を失ったことによる欠乏症だろう。
死ぬか? 気が狂うか?
否。先人達は、きっと失敗したのだ。
単に、その技量が未熟だっただけのこと、だろう?
私なら足りる。
私は天才だ。
此処で倒れるわけには。
代償。その言葉が脳裏を過ぎったのは、一瞬だけ。膝を着いた格好で、私は尚も液体に魔力を注いだ。チリチリと、フラスコを握る手が痺れる。見れば液体は、私の胸で淡く輝きを放っていた。
もう少しだ。惜しんでいる時間はない。
渾身の力で、己が魔力を振り絞った。髪は逆立ち、肩は震え、有らん限りの声を張り上げて、それすら耳に遠く。けれど持てる最大の魔力を解き放った。そんな私を侮蔑し、それでいて諂うように。液体は、クツクツと煮立つ。その音が、あぁ。嬌笑に聞こえる。
いいだろう。一滴残らず搾り取られても。すべてくれてやる。だから。
陛下。貴方を死なせない。
病などに殺させはしない。
それが運命だと言うのなら。
私が、この手で変えてみせる。
フラスコの中で踊る液体が、鮮やかな黄金に染まった。
力尽きて崩れ落ちる、その僅かな刹那。
私の唇は、確かに哄笑の形を作っていたのだろう。
煌めく黄金は、私の。そして、貴方の永遠を照らす灯火に。
そう信じて疑わなかった。
成功だ。
遂に完成させた。
どんな怪我も病も、たちどころに癒やすという至高の万能薬。
黄金の液体。汝の名は。
エリクサー……!