表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ヒュプノランタン  作者: 雪麻呂
夏の夜の夢! ヒコボシきらきら☆争奪戦!
47/93

星に願いを

13.






 ヒコボシを手に、セヴァはオリヒメに臨みます。

 五枚の花びらを星型に広げた姿は、まさに薄桃色の星です。露に濡れ、透き通るそれは、可憐な乙女の唇にも似て、今にも恋の歌を口ずさみそうでした。美しくも凜とした居住まいが、愛しの彼女を思わせて、セヴァの胸は高鳴ります。

 感無量ってやつだなァ。

 今夜の出来事が、めまぐるしく脳裏を駆け抜けてゆきます。

 掌で、ヒコボシが急かすように熱くなりました。

 ――あぁ。

 セヴァは頷いて、花びらの中心に、そっとヒコボシを捧げました。


 ふぅ、すう。


 呼吸の音がして、上向いた花びらの一枚が閉じます。

 一枚、また一枚。ゆっくりと畳まれる星が、やがてヒコボシを包み込みました。薄桃色の花びらを透かして、うつらうつら。ヒコボシの点滅するのが、蛍めいて目を奪います。ふぅ、すう。見つめるセヴァの呼吸も、どこか夢心地にふわふわと、此処ではない場所を漂っているようでした。

 ふぅ、すう。

 遠ざかる呼吸音が重なり、セヴァの瞼が下りた頃、ヒコボシを包んだ蕾が、ふぅと一息大きく吐いて、夜空へ飛び立ちました。

 七夕草は、仄かな光の尾を引いて、するすると天へ昇ってゆきます。まっすぐな軌跡が、弱竹のように伸びて、伸びて伸びて、天の川に吸い込まれて、もうどれだか見分けが付かなくなって――

 どん。

 弾けました。

 飛び散った欠片が、一つ一つ煌めきながら、大きな花の形を作ります。大きいも大きい、夜空いっぱいを使った、見事な一輪咲きでした。その明るさ、華やかさといったら、星という星が一斉にくしゃみをしたようなパノラマです。

 それは、ほんの瞬きほどの間、峻烈に咲いて、散ってゆきました。

 夜空に焼き付いた大輪が、菊にも牡丹にも見える面影を残して霞み、いくつもの星座と重なって掻き消えてしまえば、もう本当に祭は終わり。

 小さな光がふたつ、仲良く寄り添って、森の彼方へ落ちました。

 新しい生命に次代を託し、役目を終えた七夕草は、こうして眠りに就くのです。

 きっと、再会の夢を見ながら。










「セヴァさん! どうしたの!? だいじょうぶ!?」


 ヘンゼルは、必死にセヴァの肩を揺すります。

 オリヒメの前で何かしていたと思ったら、いきなり倒れたのです。心得ていたらしいムゥが抱き留めたため、幸い怪我はありませんが、どうしたのでしょう。あまりの疲労に、今度こそ死んでしまったのだとしたら、怪我どころではありません。


「心配いらない。受粉が成功したんだ」


 半泣きのヘンゼルに、ムゥは頭を振ってみせました。

 ヘンゼルが覗き込むと、セヴァは安らかな寝顔で、すうすうと息をしています。

 その綻んだ唇が、愛しい者の名を呼びました。


「イ、ヅル……あぁイヅル……会いたかった…………」


 セヴァは、笑っていました。

 純朴で、あどけなくて、安心しきった子供のような。

 いっそ無防備なくらい実直で、蕩けきった笑顔でした。


「セヴァさんでもこんな顔するんだね」


 ヘンゼルが言うので、ムゥは、くすりと笑います。


「そうだ。枕を持ってきてやってくれ」

「はーい」


 頼まれて、ヘンゼルは家へ走りました。

 寝室へ入って枕を取り、はたと思い立って、あちこちを巡ります。

 そうして戻ってきたヘンゼルの恰好に、ムゥは吹き出してしまいました。

 両腕に丸めた敷物と枕を抱え、おそらくはお菓子のたっぷり詰まったリュックを背負い、首からは、望遠鏡と水筒を提げているのです。


「遠足か?」

「うん! 近いけど! お星さまがきれいだから! いっしょに見よう!」

「あぁ。ちょっと待っていろ」


 ムゥは、まず水筒を受け取って一口煽り、敷物を広げました。

 そこへセヴァを横たえ、枕を宛がってやって、隣に寝そべります。

 そのまた隣へ、ヘンゼルは、文字通り転がり込みました。


「ねぇ先生、お星さまって、全部でいくつあるの?」

「数えてごらん?」

「あるよー数えたこと! でもいっつも眠くなっちゃう」

「……今日は偉かったな」

「えらい? ぼくえらいの?」

「あぁ。偉かった。ちゃんと留守番もできたし、セヴァにヒコボシを譲ってやっただろう。大人でもそうそうできることじゃないぞ。偉かった」

「すごい? すごい?」

「うん。凄い」

「えへへへ」


 よしよしと頭を撫でられ、何故だか、じわり胸が熱くなりました。

 どうしてでしょう。いつものこと、なのに。

 込み上げる熱が喉を締め付け、眼から溢れそうになって、ヘンゼルは急いでムゥの頭を撫で返しました。


「? どうした?」

「先生もエライね!」

「何がだ?」

「だって、ちゃんと帰ってきてくれたもん」

「いや……まさか此処がゴールだなんて思わなかったぞ……」

「でもえらいよ。えらい、えらい」


 半分は照れ隠し。半分は本音です。

 実はちょっと寂しかった、なんて言うのは、格好悪いですからね。

 犬じゃないんだぞ、と苦笑するムゥに、努めて明るく笑ってみせれば、もやもやした心の霧が、晴れたような気がしました。


「次はぼくもやる! ぼくもソーダツセンやりたい!」

「もっと大きくなってからだ」

「どのくらい?」

「八年……いや、十二年後かな。次の次の、次くらいだ」

「そんなに待てないよ~」

「あははは。あっという間だぞ」


 ムゥの笑い声が、どこか寂しげに途切れて、あとを虫の音が引き継ぎました。

 草を凪ぎ、前髪を揺らして、風が吹き抜けてゆきます。

 夏の匂いに見上げれば、空には夢のような天の川。

 今頃セヴァは、あそこで愛しい彼女と楽しく語らっているのでしょう。幸せそうな横顔は、少しだけ羨ましくもあります。けれど、ヘンゼルに悔いはありません。セヴァのこんな間抜けを拝むことができたのですから。

 それに、わかるのです。

 今、ママも僕と同じ星を見てる。

 そう思えば、虫たちの合唱までもが、楽しく弾んで聞えるようでした。

 りぃりぃ、がちゃがちゃ、すいっちょん。


「ねぇ先生」

「なんだ?」


 そういえば、訊くのを忘れていました。


「イヅルちゃんてだあれ?」

「あぁ。セヴァの――」


 娘。


「…………」


 すいっちょん。


「……ええぇーーー!?」


 絶叫して、ヘンゼルは飛び起きました。

 娘。娘だって?

 てっきり恋人だとばかり思っていたのに!

 驚きました。さっき突然、二人が目の前に現れたときより驚きました。


「む、むすめ? むすめって……セヴァさん、子供いたの!?」

「……らしいぞ」


 信じられない。追い打ちで呟き、呆然とセヴァを見つめました。

 締まりのない唇が、むにゃむにゃと動いて、愛娘の名を呼びます。

 この露出狂が人の親……。

 ヘンゼル、今夏いちばんの衝撃でした。







評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ