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ヒュプノランタン  作者: 雪麻呂
夏の夜の夢! ヒコボシきらきら☆争奪戦!
42/91

勘弁してくれ

8.






 ようやく緊張が緩んで、セヴァは、肩で息を吐きました。

 どっと疲労が襲います。まったく、とんだ災難です。おかげで、ひどく消耗してしまいました。これだから術は使いたくないのに。予定外の魔力を予定外の早さで持って行かれて、業腹この上ない。


「いつまで転がってンだ。ボサッとしてんじゃねェよ」


 苛立ちも甚だしく、声を荒げました。

 文句を垂れつつ、のしのしとムゥに歩み寄ります。

 ところが、ムゥは横座りしたまま俯き、立ち上がろうともしません。

 とうに結界は解いてあります。

 まだ動いてはいけないと思っているのでしょうか?


「おい、もういいんだぜ。腰でも抜けちまッたかァ?」

「……違う、膝だ」

「は?」

「挫いた。痛くて力が入らない」


 驚いて覗き込むと、ムゥは不自然な姿勢で、右膝を押さえていました。


「この馬鹿!」


 かっと頭に血が上ります。危うく、また蹴飛ばすところでした。

 次から次へと面倒増やしやがって!


「戦ったの俺じゃねェか! なんで見学で怪我してンだよ!」

「お前だ! お前に蹴飛ばされたんだ!」

「え」


 怒鳴り返したムゥが、うっと顔を顰めます。

 俺? 俺のせいか?

 もしかして、あれか。大蛇からムゥを庇ったとき。

 腰の辺りを蹴ったつもりでしたが、言われてみれば、ちょっと手応えが変だった気がします。なにしろ咄嗟でしたから、力加減や角度を考えている暇はありませんでした。


「…………」


 ムゥの上目遣いが、少しだけ良心に刺さりました。

 出血はありませんが、確かに爪先の方向が変です。歯を食い縛っているのか、頬が左右非対称に歪み、額には玉の汗が浮いていました。演技、ではないようです。第一、そんなことをする理由はありません。時と場所は弁える男です。だからこそ今まで、黙って痛みに耐えていたのです。セヴァの邪魔にならぬよう。

 思い返せば、やけに顔色が悪かったっけ。


「…………」


 セヴァは、考えました。

 迷いました。

 十秒ほどの時間が、ずいぶん長く感じられました。


「……俺はイヅルに会いたい」


 やがてそれだけ言うと、ムゥから眼を逸らせました。

 どんな表情をしているのかなんて、知りたくもない。


「わかるだろ? お互い、何年も待ってたンだ」


 迷うことなどないのです。

 自分達は、ひとつの権利を奪い合っているのですから。


「来れるンなら追ってきな。無理なら、帰りに拾ってやる」


 踵を返して、セヴァは、ヒコボシを探しに走り去りました。






                  †






「…………」


 行ってしまったな。

 踏み荒らされた笹百合の中、ムゥは、ひとり呟きました。

 不思議と、怒りはありません。悔しくも、恨めしくもありませんでした。

 長い付き合いです。セヴァのことは、よく知っていました。彼にだって、愛しい者がいます。会いたい人がいます。立場が逆なら、自分だってそうしたかもしれません。

 ただ……。

 いや。頭を振って、思考を切り替えます。

 ブーツを脱いで、作業服の裾を捲り上げました。右膝は、ずきずきと熱を持って痛み、いくらか腫れてきています。折れたり外れたりしなかったのが不幸中の幸いですが、体重を支えることができません。

 明日には紫色になっているな。

 げんなりしながら、バッグから包帯と鎮痛剤を取り出しました。ひとまず鎮痛剤を飲み、水分を補給します。これでヒコボシ争奪戦は敗北決定ですから、もう急ぐ必要はありません。せいぜい、のんびり手当しましょう。

 当木が必要かな。バッグを漁ると、十五センチほどの棒が出てきました。照明が切れたときの予備にと入れておいた“照明棒(トーチ)”です。ちょうどいい。これを。

 薬を塗り、照明棒を当て、包帯を巻き始めた、そのときでした。


 がさり。


 笹百合を掻き分ける音が、確かに、聞えました。

 まさか。大蛇の死骸へ眼を遣りました。

 ざわざわ、ざわ。吹く風が、粘って髪に纏わり付きます。

 場違いな笹百合の芳香が、つんと鼻を突きました。

 大蛇は、やはり頭を潰されて横たわっています。

 でも、その姿がなんだか、薄いのです。

 色、厚み、存在感。すべてが。

 胴は心なしか痩せ、鮮やかな緋色はくすんで、全体的に空気が抜けたよう。その上、やたらと皺くちゃです。表面がパリパリに渇いて、まるで秋の落葉か、洗濯糊でした。

 ひときわ強い風が吹いて、大蛇の身体が、ふと浮きました。

 そして、そのまま。はためいて、夜空に飛ばされてゆきます。

 ――抜け殻です。


「なんだと!?」


 キシャァアア!

 叫んだのと同時、背後から威嚇音が飛び掛かってきました。

 すんでのところで伏せ、丸呑みを免れます。けれど、二度目は避けきれませんでした。大木と見紛うほどの蛇腹が目の前を通り過ぎたかと思うと、ぐるり巡らせた顔が大口を開け、ムゥの右脚に食らい付いたのでした。


「あぁああッ!」


 太い牙は、たちまち肉を抉り、骨に達します。

 ぎぎ、ばき。いとも容易く、太腿が折れました。もう膝がどうのと言っていられる痛みではありません。耐え難い激痛です。苦し紛れに伸ばした手が、大蛇の黒髪を掴んで引き千切りました。

 …………髪?


「ぐっ……!」


 無意識でした。

 ムゥは、手に持った照明棒で、大蛇の片眼を突き刺していました。

 シャアア!

 放り出されて、受け身も取れず、地面に転がります。

 脳天まで突き抜ける痛みに、半ば失神するところでした。

 それでも、今見たものが信じられず、懸命に振り返ります。

 大蛇は、照明棒を引き抜こうと、狂ったように頭を振り回していました。身体は一回り以上大きくなり、緋色の鱗は漆黒へと変貌を遂げて、ますます以て重い憎悪を発散しています。

 が、ムゥが驚愕したのは、そこではないのです。

 身を捩り、蛇腹がのたうつ度、ざんばらに乱れる、長い髪。

 悲鳴こそ人の声ではありませんが、それは紛う事なき人間の髪でした。

 あぁ、見間違いではなかった。

 大蛇の首から上が、そっくり人間の女性に差し替わっているではありませんか。

 ムゥは、ついさっき己の手が掴んだ感触に、改めてゾッとしました。

 込み上げる嘔気(おうき)が、痛みのためなのか(おぞ)ましさのためなのか。わかりません。

 勘弁してくれ。もう叫びたくなりました。

 私が何をしたっていうんだ。


 ――あな憎し。


 どうして頭を潰されて生きているのでしょう。余裕でピンピンしています。古い皮ごとダメージを脱ぎ捨て、新しく生まれ変わったとでもいうのでしょうか。それにしたって、人間の頭が生えてくるなんて。滅茶苦茶です。

 悲しいかな、泣き言を垂れたところで、事態の改善は望めません。

 激痛の最中、ムゥは気力を振り絞って、魔力の残りを計算しました。

 魔力を回復させる薬はありますが、問題は指輪です。格納した術エネルギーも、もう残り少ない。おそらくあと二回か三回、使えるかどうかです。一撃で仕留めなければ、やられるのは此方。既にムゥの傷は致命的でした。

 爬虫類なら、冷気に晒されれば、動きが鈍るかもしれない。

 一か八か。決めて、ムゥは指輪に魔力を込めようと――……、


「…………?」


 ぐらり。

 唐突に、視界が歪みました。

 なんだ? 貧血か? こんなときに!

 バッグから栄養剤を出そうとした手が、けれど動きませんでした。

 爪先が、指が、手が、脚が、頭が、身体が異様に重い。

 舌までもが、言うことを聞きません。

 猛烈な吐き気が胃を迫り上がり、内臓という内臓が、誤作動を始めます。呼吸は先走り、腸は痙攣し、心臓はぎゅうと縮んで、全身から血の気が引きました。体温が急激に下がってゆきます。


「あ…………」


 噛まれた右脚に、視線を落としました。


「ど……く…………?」


 呂律が回りません。

 しまった。呟くこともできず、地面が傾いて、持ち上がります。

 いや、自分の方が倒れているのか。

 理解したときには、もうムゥは立っていませんでした。

 倒れ伏したまま笹百合に埋もれて、感覚が薄れてゆきます。色も形も曖昧に、音の遠ざかった世界で、甘い芳香だけが、慰めるように揺れていました。棺に納められたみたいだ。あれは案外と寝心地の良いものらしいが、本当だろうか。

 馬鹿。そんなことより解毒剤を……。

 ぼんやりと思うだけで、指一本動かせません。

 気付けば、すぐ目の前に、大蛇が迫っているというのに。


「…………ッ」


 ちろちろと、二股の舌が、頬を撫でました。

 掠れて回る視界で、片眼の潰れた大蛇の――女の顔が、見つめています。

 器量の良し悪しは、ちょっと判別が付きませんでした。何故ならその顔は、確かに人間の形をしていながら、部分的には蛇なのです。丸い眼球の中、縦長の瞳孔が爛々と赤く燃え、鼻は削げたように穴だけが空き、唇のない口が耳まで裂けて太い牙を覗かせ、シュウフシュウと生臭い息を吐くのです。


 ――恨めしや。


 大蛇は器用にムゥの体勢を変え、ぐるりと巻き付いて、締め上げ始めました。

 ぱきぱき、ぱき。妙に軽快な音を立てて、骨が砕けます。雑巾のように絞り上げられ、くぐもった呻き声が、何処か遠いところから聞えました。己の喉から漏れるそれが、まるで他人事でした。毒の作用か、実際そういうものなのか。意外なほど苦痛はありません。

 ただ、とても眠い。

 身体も意識も、自分という存在のすべてが、暗い穴に引きずり込まれてゆくのがわかります。その穴は底なしでした。何処までも広がっていながら、何処へも辿り着けない。初めからずっと、終わっているのです。

 ……なんだ。

 それなら、この森とたいして変わらないじゃないか。

 ふっと薄く嗤った、その瞬間でした。

 にわかに眩い光が降り注ぎ、一刀のもとに、深い闇を切り裂きました。

 一転、光はふわり解けて広がり、ムゥを包み込んで、傷付いた身体を優しく抱き留めます。うっすら開いた瞼の向こう、浮かぶような落ちるような、奇妙な感覚に包まれて、景色が淡い緑色に染まるのを、見たような気がしました。







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