ヒコボシを追え!
2.
夜の小道を、忙しない下駄の音が進みます。
樹も草も夏の匂い。野次馬か他人事か、ありったけの虫の音が、りぃりぃがちゃがちゃと森を包んでいました。宵の空では、宝石を零したような星が、ちかちかと瞬いています。
その中に、ひときわ明るく目立つ星がありました。
それは、完璧な星型をした、まさしく星でした。事情を知らない誰かが見れば、うっかり空から落っこちてきたのかと思うほどに。
けれど、小さいのです。あまりに眩しく輝いているので、向日葵くらいの規模を思わせますが、実際は豆粒大でした。夜の森を颯爽と、ひゅるる飛んで行く姿は、まるで逃げ出した金平糖。
ヒコボシです。夜目の利くセヴァは、すぐに見付けました。
「よりによって新月かよ……」
口元を歪め、セヴァは忌々しげに呟きました。
セヴァの魔力は、新月の日、極端に弱まってしまいます。それでなくとも、常に森全体を覆う結界を維持しているのです。かつて鉄壁と謳われた術も、今は本来の半分も効果を発揮できません。
というより、できるだけ使いたくはないのです。
結界の中で結界を張る入籠状態は暴発の危険性が高く、下手をすればただの自爆に他なりません。実は既に数カ所で発生しているため、常に己の身を結界で覆う、という作戦は却下せざるを得ない。
後のことを考えて、魔力を温存しておくべきか……。
「……来やがッたな」
耳を後ろに向け、セヴァは舌打ちしました。
足音が近付いてきます。地を蹴る音、風を切る音、着地音。やはり速い。一歩が約九尺といったところでしょうか。“フェザーブーツ”の調子は良好のようです。文字通り飛ぶように、ムゥが迫ってきていました。
ムゥは、暗視ゴーグル越しに、セヴァの背中を見据えます。
あぁ、警戒されている。この距離で矢を射るのは、逆に下策でしょう。ひとまず追い抜いて、妨害用の罠を残した方が賢明か。
頭の中で、バッグに詰め込んだアイテムを確認します。この日のために、四年もかけて様々な魔道具を生成したのです。このフェザーブーツもそう。脚力を高め、空気抵抗を軽減し、体重を操って、獣じみた俊足を可能にします。
それでも、セヴァの身体能力は人間を軽く凌駕するものです。まともに戦えば、敗北は必至。せっかく調整を重ね、厳選した魔道具なのです。無駄遣いは極力避けて、機会を見定めるのが鍵でしょう。
これでも長い付き合いですから、互いに相手の強みは熟知していました。
ライバルは……此奴だ!
二人の距離が、みるみる縮まります。
前述の通り、セヴァは決して遅くはありません。ありませんが、フェザーブーツの性能は、それを上回るものです。速度なら、ムゥに分があります。
横顔が並びました。
と、セヴァがもとどりに挿していた簪を抜き取り、さっと横に払います。
簪は金色に輝いて、たちまち形状を変え、次の瞬間には、黄金の錫杖が一振り、セヴァの手に握られていました。
「おるァ!」
「!!!!!」
がっつん。
ちょうど踏み出した脚のソコを思いっきり錫杖で強打され、ムゥはすっ転んで傍の樹に激突しました。
「~~! ~~~!! ………!!!」
あまりの痛みに、声も出ません。
しっかり顔面からいったものですから、新品のゴーグルに早速、ヒビが入ってしまいました。もちろん全身極めて遺憾な状態となりましたが、脛がとにかく、それどころではありません。いわゆる弁慶です。もう、脛を抱えてぐねぐねと身を捩ることしかできません。
「ひゃはははッ、ざまぁ!」
セヴァの高笑いが響きます。
どうにか涙目で顔を上げれば、悠々と遠ざかる後ろ姿の、憎たらしいこと。
「おのれ……術士らしからぬ攻撃を……!」
ムゥは痛みを堪えて、腕の発射装置に矢を番えました。
「食らえ!」
怒りに任せて放たれた矢が、セヴァの背を捉えます。
けれども、確かに命中したはずの矢は、はらりセヴァの羽衣が翻ったのと同時、ぱすんと虚しい音を立てて弾かれ、地面に落ちてしまいました。
「ばァーか! ンな矢の一本や二本、どォってことねェんだぜ!」
いつの間にか、セヴァの身体は薄く透明な膜に覆われています。そう来るだろうと思って、簡易的な結界を張っておいたのです。鉄壁とはいきませんが、矢を弾くくらいなら、これで充分です。
早くも決着でしょうか?
ところがムゥは、素早く次の矢を番え、唇の端を不敵に持ち上げたのでした。
「じゃあ、何本までもつかな?」
二本。三本。容赦なく矢が打ち込まれ、四本目。
五本目で、セヴァは気が付きました。
おかしいぞ。
さっきから寸分違わず同じ箇所に当たっている……?
この鏃……?
ぴしり。六本目で、結界に亀裂が入りました。
「“狩人”だ! 自動照準機能付き!」
説明しよう! イェーガーとは、術を無効化する性質を持った鏃である!
厳密には無効化というか、接触箇所から魔力を吸い取る石で、セヴァは“蛭石”などという身も蓋もない呼び方をしています。これをムゥが攻撃用に加工し、無駄に格好良い名前を付けた魔道具というわけ。
「さぁ退場してもらうぞ!」
とどめとばかりに、ムゥは七本目の矢を放ちます。
硝子の砕ける音を立て、セヴァの結界が破れました。
今だ。
ムゥは“指輪”に僅かな魔力を込め、無防備となった背中へ手を翳します。
この指輪には、炎、氷、風、雷。四つの属性術が格納されており、起爆剤となる魔力を少し与えるだけで、任意の術を発動させることができるのです。
全盛期の魔力をほとんど失ってしまったムゥに、強力な術は扱えません。なので炊事の炎や静電気、氷柱、突風など、身近なエネルギーをコツコツと溜め込み、術として再構築したのが、この指輪です。
「“雷の槌”!」
指輪が眩しく光を放ち、閃光が走ったかと思うと、それは一筋の稲妻となって、意志を持ったが如くセヴァへと襲い掛かりました。
が、今度こそ捉えたかに見えたセヴァの背が、瞬時にふわり膨らんで、みるみる七色の壁となり、飴玉か何かのように、雷を包み込んでしまったのです。
“玉虫前”!
術に対して、防御と吸収を自動で行う、世にも美しいチート羽衣でした。これはムゥが造った魔道具ではなく、元よりセヴァの所有品。速度は出ませんが、纏えば無論、浮遊することだって可能です。とんでもない性能です。
唇を窄めるように、音もなく雷を握り潰した玉虫前は、花に移ろう蝶めいて、主の肩へと戻ってゆきました。
「しまった! くそっ……」
ムゥは、地面に拳を叩き付けます。
夜道の先、闇に消える後ろ姿が、ぷりぷりと尻尾を振るのが見えました。




