祭だ!
右や左の旦那様
寄ってらっしゃい見てらっしゃい
祭だ祭だ さぁわっしょい
一夜の夢とて大騒ぎ
たとえ夢とて忘れ得ぬ
一夜の逢瀬に星燃ゆる
1.
「二人とも……なんかヘンだよ?」
言われて一瞬、顔を見合わせ、ムゥとセヴァは、互いにそっぽを向きました。
ヘンゼルは頬を膨らませて、そんな大人達を睨み付けます。
夕食を終えて数十分。いつもなら茶でも飲みつつ談笑している時間帯ですが、今このリビングに、笑い声はありません。それどころか、部屋中がピリピリと奇妙な緊張感で満たされ、ヘンゼルはもう居心地が悪くて仕方ありませんでした。
「ねぇ先生」
「なんだ?」
「どうして弓をせおってるの?」
じろり見上げたムゥは、普段は緩く編んでいる水色の髪を一つに纏め上げ、このクソ熱いのに、丈夫な革の作業服を着込んでいました。
首からは重そうなゴーグルが下がり、履いているのは羽根の生えたブーツ。腰に備え付けたバッグからは、動く度にガタゴト不穏な音がします。中指には蛇のような黄金の指輪が絡み、左手には仰々しい篭手を装備し、不可解なことに四六時中、矢のたっぷり詰まった矢筒を背負っているのでした。
「あ、あぁこれは……背中が。寂しいだろう? 夏だし」
「…………」
ヘンゼルは、白い視線を隣へ移しました。
「セヴァさん」
「おうよ」
「きせる、逆だよ?」
「あ? あァこれァ……粋なンだよ、粋」
一方セヴァはというと、これまた気合いの入った狩衣姿です。
長い金髪を高々と結い上げて、もとどりには豪奢な簪。耳と尻尾には椿油が塗られ、身体を包む薫香など、わざわざ調合したものらしい。化粧はいつにも増して念入りに施され、薄く七色に光る羽衣を纏う姿は、さながら舞台役者か異国の神という出で立ちでした。
実はこんな状態は、昨日今日始まったことではありません。
雨期が明けてから此方、二人の様子が、どうもおかしいのです。
一日中そわそわと落ち着かず、夜になると空を見上げて溜息を吐きます。
ムゥは五日で四枚の皿を割り、眼鏡を掛けたまま眼鏡を探し、今朝のサラダにはケチャップが和えてありました。セヴァは盆栽の頭をチョン切るし、帯を二枚三枚と巻くし、煙草盆を引っ繰り返して灰だらけで過ごしていた日には、いくら六歳のヘンゼルでも呆れたものでした。
訳を訊いても、この有様。
あまりに白々しく、却って怪しさ倍増です。
「いいかげんにしてっ!」
ばん! 両の掌でテーブルを叩き、ヘンゼルは声を荒げました。
「ほんとにヘンだよ! なにかくしてるの!? ぼくにも言えないこと!?」
「いやこれはだなヘンゼル、これには訳が」
「そのワケを! きーてるのに! とぼけてばっかりじゃないか! ずっとぼくにナイショでコソコソ! いじわるいじわる! いじわるぅー!」
作り笑顔で取り繕おうとしたムゥに、ますますヘンゼルは荒れ狂います。終いには尻餅を着いて、喚きながら手足をぶんぶん振り回し始めました。
これは相当にストレスが溜まっています。
「……すまなかった、ヘンゼル」
良心の呵責を憶えて、ムゥは眉を下げました。
思えば、自分の都合で頭がいっぱいで、ヘンゼルの気持ちに無頓着でした。一人だけ除け者にされるのは、さぞ不愉快だったでしょう。これは大人達が悪かった。
「しゃァねェ。今のうちに説明しとくか。始まってからじゃァ、時間がねェ」
「そうだな」
煙管を咥え直したセヴァが、爪先で椅子を引きました。
ムゥは頷き、そこに座るよう、ヘンゼルを促します。
「そろそろ始まるんだ」
「……なにが?」
「祭さァ」
答えたのはセヴァでした。
僅かに綻んだ唇から、長い煙が上ってゆきます。
この森には、四年に一度だけ受粉する花があります。
ムゥとセヴァは、それを七夕草と呼んでいました。名付けたのはセヴァで、彼の故郷の伝説から取ったのだそうです。
というのも、その七夕草。極めて特異な過程を経て、受粉する花なのです。
「ジュフン? て、何?」
「だからさ、世の中にァ男と女の二種類がいるだろォ? そいつがこう、」
「セヴァ! まだ早いそれは!」
要するに、植物が種を作ることだと言われて、ヘンゼルは納得しました。
七夕草の雄株と雌株は、この広い森に一本ずつ、たった一対しか生息していません。雄株をヒコボシ、雌株をオリヒメといいます。
受粉の準備が完了したヒコボシは、気温や湿度などの条件が整うと、空高く舞い上がって運び屋を探します。
普通の植物ならば、虫や鳥、風の機嫌に任せて大人しく漂っているものですが、そこは落人。
この七夕草、どういうわけだか、運び屋となる何者かの手に落ちるまで、あっちへフラフラこっちへウロウロ、森中を全力で逃げ回るという、非常に面倒臭い習性の持ち主なのでした。
なんとも拗らせた草があったものですが、信じられないことにムゥとセヴァは、毎回こぞってこのヒコボシを奪い合い、我こそが運び屋たらんと奮闘するのです。
何故なら見事ヒコボシを掴まえ、オリヒメと受粉させた者には、素晴らしい報酬が用意されているのですから。
「ほうしゅう?」
「ご褒美だ」
「ごほうび!? ごほうびもらえるの!? 草から!?」
「あぁ」
「な、なになに?」
「幻だ」
かつて自分が勝者となった日を思い出し、ムゥは水色の眼を細めました。
「まぼろし……どんな?」
「会いたい人に会えるんだ」
「だれに?」
「誰にでもさ」
あぁ。あれは、見るなどという生易しい体験ではありませんでした。
声も仕草も、匂いさえ、本人とまるで変わらない。衣擦れの音や手を繋いだ感触まで、なにもかもが痛いほど、あの頃と同じ。あまりにも明瞭な現実感を伴って、ムゥは、今此処に居ないはずの彼と共に過ごしたのです。
どんなに遠く離れていても。とうの昔に彼岸へ渡った者でも。
心の底から会いたいと願った彼が、彼女が、当たり前のように現れて、懐かしい笑顔で語りかけてくれる。
七夕草の報酬とは、場所も時間も越えて、不可能な再会を可能にする。
そんな、たった一夜の夢なのでした。
「おもしろそう! ねぇねぇぼくも」
「駄目だ」
案の定ヘンゼルが興味を示したので、ムゥは先んじて釘を刺します。
言うまでもありませんが、この特典を与えられるのは、受粉を成功させた者ただ一人です。ヒコボシはひとつだけ。必然的に争奪戦が生じ、そこにルールなど存在しません。如何なる手段を用いても、最終的に七夕草を受粉させた者の勝ちです。
危険な道中となる上、教育にも大変よろしくない愚行蛮行が多々、繰り広げられます。間違っても、幼いヘンゼルを巻き込むわけにはいきません。だからギリギリまで内緒にしておくつもりだったのです。
「前々回の八年前は、私も死ぬところだったんだぞ」
「え、うそ!」
「あァあれな。はしゃぎすぎて大樫の爺ィがキレたんだよな」
「ガトリングドングリは強烈だった……」
「お前はまだマシだろ。俺なんか跳弾がケツの穴に……」
大人達は、げんなりと遠い目をして、乾いた笑いを零しました。
八年前に何があったのでしょう?
「とにかくそういうわけだから、お前は家にいるんだ。わかったな?」
「えぇ~? うぅん……」
「私達の後を尾行たりするんじゃないぞ。冗談抜きで本当に危ないからな。八年前みたいになっても知らないぞ? 凄かったんだぞ? 痛いぞ?」
「あ、はい」
いつになく厳しいムゥの口調に、ヘンゼルは気圧されて頷きました。
だから八年前に何があったんだ。
「……それっていつ始まるの?」
「さぁな。毎回唐突だ。派手な開幕だから、始まればすぐにわかる。だいたい雨期が開けてから十日前後というのが恒例だが……」
――ひゅるるるるるる。
そのときです。
笛のような甲高い音が、ムゥの言葉尻を切り裂きました。
続いて視界が眩しく光り、寸刻遅れて、今度は腹に響くほどの重低音。
ヘンゼルは、びっくりして耳を塞ぎました。雷でも落ちたのかと思ったのです。
途端、ムゥが弾かれたように窓へと駆け寄り、勢い良く開け放ちました。
見れば、逆光を浴びたムゥの肩越しで、夜空に大輪の花が咲いていました。
花火……?
「キタ━━━━━(゜∀゜)━━━━━!!!!」
叫ぶや否や、セヴァが袴の裾を捲って、表へ飛び出していきました。
「あっ、待てこら!」
すかさずムゥが窓枠に脚を掛けます。
「ちょっ、せんせ」
「いいか。終わったら帰ってくるからな。それまで大人しくしてるんだぞ。絶対に付いてきたら駄目だぞ。いいな? わかったな?」
早口で捲し立て、ムゥは窓を乗り越え、セヴァを追い掛けていきました。
なんてお行儀が悪いのでしょう!
「あぁ……行っちゃった」
窓に歩み寄って見れば、二人の背中は、もうだいぶ小さくなっています。
「だいじょうぶかなぁ……二人とも、すぐムキになるんだもん」
一人残されて、ぽりぽりと頬を掻くヘンゼルは、妙に大人びた表情で溜息を吐くのでした。




