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ヒュプノランタン  作者: 雪麻呂
紫陽花散歩
23/90

お喋りな傘

2.






「あめあめ、ざあざあ。まだざあざあ。ふってもふってもなくならなーい」


 ヘンゼルは、瓢箪池へと続く小道を歩きました。

 たんたんとレインコートを打つ雨音で、リズムを取ります。湿る土や葉の匂い。篠突く雨の音階は、絶え間なく感覚を刺激し、靄は仄かに甘く香って、優しく世界を包み込んでいました。

 紫陽花が綺麗です。赤、青、紫、白。色とりどりの大輪が、道の両脇に所狭しと咲き乱れ、雨に濡れてはいっそう鮮やかに、ヘンゼルの目を喜ばせます。これだけでも、散歩の理由としては充分ではありませんか。どうして大人は、雨が嫌いなのでしょう。ヘンゼルは不思議でした。

 木の枝を揺さぶり、落ちてくる水滴を浴びます。楽しい。

 カタツムリを発見、つんつんと角を突いてからかいます。楽しい。

 水溜まりという水溜まりに突撃し、両脚で泥水を跳ね上げます。楽しい。

 肩に、頭に、全身に、お気に入りのレインコートで受け止める雨粒。何処かで鳥が鳴きます。雨宿りでもしているのでしょうか。蛙は元気に合唱します。運動会でもあるのかな。うきうき。

 ヘンゼルは、ムゥが思うよりずっと、雨の散歩を堪能していました。

 そうして、道の中程まで来たときでした。


「あれ?」


 何か落ちているのを見付けて、ふと立ち止まりました。

 近寄って拾い上げると、それは一本の、青い傘です。


「かっこいい! オトナガサだ!」


 形状からして、女性用に見えました。でも、我が家といえば男所帯です。従ってムゥのものではありません。セヴァが使っている番傘でもない。ならばいったい、誰の傘? どうしてこんなところに置き去りにされているのでしょう?

 これが大人であったなら、真っ先に嫌な予感が頭を掠めるところです。なにしろ此処は非常識の森。これまでにも、魚が飛んだりドアが喋ったりと、散々トラブルに巻き込まれてきました。警戒するに越したことはないのです。

 ないのですが。


「おっきいなぁーかっこいいなー」


 最早それは、好奇心旺盛な六歳児の知ったことではありませんでした。

 ムゥの忠告などは綺麗さっぱり吹き飛んで、俄然、新しい玩具に興味津々。それまで地面を引き摺ってきた棒を放り捨て、嬉々として傘を弄くり始めたのでした。


「えーと……あ、これかな。う、かたい……なかなか……」


 大人用だから、力が必要なのでしょうか。

 ヘンゼルは、えいやっと渾身の力を込めて、傘の留め具を押し込みました。


『――ぷはぁああぁああぁッ』






                  †






 世にも奇妙な音と共に、傘が開きました。

 いいえ。音ではなく、声です。その声があまりに大きかったために、あの独特の「ばすん!」という開音が掻き消されてしまっただけなのです。

 ヘンゼルは吃驚仰天。咄嗟に傘を放り投げ、踵を返して、元来た方へと駆け出しました。

 というのも、叫んだのはヘンゼルではありません。

 傘の方、だったのですから。


『痛ッ』


 傘は、広げた骨の先で不規則に地面を転がり、紫陽花に突っ込んで、悲鳴を上げました。


「あ……」


 その声に、思わずヘンゼルの足が止まります。

 ゆっくり振り返ると、紫陽花の茂みから、恨めしげな声がしました。


『もう……いけない子ねぇ。道具は丁寧に扱わなきゃ駄目よ~』


 ……叱られてしまいました。

 傘に!


『こんなときは? なんて言うのかしら?』

「ご、ごめんなさい」


 ヘンゼルは、条件反射で頭を垂れました。

 思えば、しょっちゅうムゥと繰り返している遣り取りです。自分では気付かないうちに、ちゃんと躾けられていたのですね。


『はい、よくできました! もういいわよ』


 傘は満足げに応じ、ころころと笑いました。

 朗らかで、どこか人を安心させる和みを含んだ声です。おっとりした中に、妙な姦しさが主張する感じは、四十代から五十代の女性でしょうか。少なくとも、悪人ではなさそうです。

 それなら、怖くありません。元より狡猾な悪など、まだ知らないヘンゼルです。驚愕が収まれば、代わりに沸き上がるのは、持ち前の好奇心でした。

 傘へ歩み寄り、茂みから引っこ抜いて、泥を拭ってやります。


「あの、投げてごめんね。だいじょうぶ? 折れてない?」

『だいじょーぶ。どこも壊れてないわぁ。ボク、良い子ねぇ。お名前は?』

「ヘンゼル」

『あら賢いわぁ。いくつなの?』

「六つ」

『あらあらぁ~お利口さんねぇ、うふふふ』


 あぁ、これはオバチャンです。間違いありません。

 今にも飴でも出してきそうな勢いです。


「ねぇ、カサさんのお名前は?」

『やだわぁ~そんなものないわよ。傘ですもの』

「じゃあ、どこから来たの? ここで何してたの?」

『そうそう、それなのよ~!』


 傘は声のトーンを上げ、聞いてくれとばかりにまくし立てます。


『気が付いたら、此処でしょ? 右も左もわからない森の中! 怖かったわぁ~。しかも閉じられたままでよ。喋ることもできないし、息苦しいったらないのよ! 開いてもらって本当に助かったわぁ。あら、なんの話だったかしら……そうそう、何してたのってことよね。それがね、思い出せないのよ。いやねぇ私ったら忘れっぽくって。なんか急いでたような気はするのよねぇ。でもわからないわぁ~』


 聡明なヘンゼルは、早々に彼女の身元確認を諦めました。

 オバチャンという生物は、こうなると主題を忘れて、好き勝手に喋り出すという習性を持っています。ヘンゼルは、よく知っていました。この森へ迷い込む以前は毎日のように、近所の主婦達や老人達に菓子で餌付けされ、可愛い可愛いと言って連れ回されたものです。懐かしくも、いくらか退屈な思い出でした。


『私ってほら、傘でしょう? 自力で動けないのよねぇ。ちょっとプルプルできるくらいよぉ。おまけに、閉じられてると喋れないの。いやねぇ。開いてもらって、本当に助かったわ~。良い子ねぇ。賢いわぁ~』

「えへへ、ありがとう」


 ほら、長くなってきた。

 オバチャンは嫌いではありませんが、この長話だけはどうも苦手です。

 遅いぞと、ムゥの怒る顔も脳裏をちらつき始めます。昼食の時間も近い。

 そろそろ切り上げて帰るべきかしらん。

 などと思案しつつ、ヘンゼルは、靴先で足元の泥を捏ねていました。


『だからね、良い子にはご褒美をあげるわ』


 ぴくり。ヘンゼルの動きが止まります。

 ご・ほ・う・び!

 抜群の殺し文句に、緑の眼が、ぱっと期待と歓喜の色に塗り変わりました。

 ついでにムゥの言い付けと空腹も、跡形もなく消し飛びました。


「なになに? ごほうびって何? 何くれるの!?」

『うふふふ。それはねぇ、なくしものよ』

「? な、なくしもの……?」

『そうよぉ~』


 傘は得意げに鼻を鳴らしました(どうやっているのでしょう?)。

 曰く、彼女には変わった特技があるというのです。

 それはいわゆる“失せ物探し”で、手を繋いで意識を集中すれば、その人が過去に失った物の在処を知ることができるのだそう。

 生来の能力か、修行を積んで会得したのか、彼女自身わからないのですが、効果は覿面(てきめん)。つまりはその能力を使ってヘンゼルの“なくしもの”を見付けてくれるという申し出なのでした。


「それって、ごほうび……なの?」


 ヘンゼルは、とても正直な表情で眉を下げました。

 物をなくすことは多々あります。でも、その度にムゥが新品を作って与えてくれるのです。二言三言叱られるくらいで、そこまで深刻な事態に陥った憶えはありません。これといって、なくしもので不自由はしていませんでした。

 どうせなら、お菓子とかビー玉とか、楽器とか、珍しい虫とか。もっと実用性のある快楽をくれればいいのに。

 けれど傘は、予想通りといった反応で、ふふふと笑います。


『うふふふ、よくわからないって顔してるわねぇ。まぁ、ボクまだ小さいものね。こういうのはねぇ、ロマンよロマン。想像してごらんなさいな。二度と会えないって諦めてた相手との、運命の再会よぉ。あぁロマンチックだわ~』

「えっと、そのお話、長くなる?」

『あらあら、ごめんなさい。いやねぇ、私ったら』


 いいから黙って私を差してごらんなさい。

 腑に落ちない部分は残りますが、物は試しです。

 傘の言うとおり、ひとまずヘンゼルは、彼女を差してみました。


『もっと高く上げて。できるだけまっすぐに。腕をぴーんと伸ばすの。そうそう、勇者の剣みたいにね』


 やってみると、ちょっとカッコイイ。

 すぐに気分が乗ったヘンゼルは、爪先立ちになって姿勢を正し、わくわくして、次の指示を待ちました。


『うん、こんな感じね。よくできました。そしたらね、それをなくしたときのことを思い出して……あら、何処でなくしたのかわからない? じゃあ、なくした物はなにかしら? よーーーく思い浮かべて。ボクが、どんなにそれを好きだったか。一緒に過ごした時間は、どんなに幸せだったか。きっと憶えてるはずよ』


 なくしもの、か。

 いろいろあるけど、何にしよう?

 しばし考えて、幾つか浮かんだ候補の中から、ひとつ選びました。

 眼を閉じ、頭の中に像を描きます。


「………」

『………』


 雨音が束の間の沈黙を埋める中、傘が、淡く点滅を始めました。

 骨で仕切られた小閒が、息をするように濃淡を持ちます。柄を握る手に人肌の熱が生まれ、ヘンゼルは頭上を振り仰ぎました。仄青い光が、ゆらり眠たげに揺れながら、右回りに流れてゆきます。青いチーズが回っているみたいでした。

 ゆったりと、呼吸のリズムで移り変わる色彩は、当たる雨を弾いて、ふわら青い霧となり、やがてある方角を指して、そこで止まりました。


『わかったわ。北よ』


 北?

 はて、何があったでしょう。


「――あっ!」


 首を傾げかけたヘンゼルは、次の瞬間、短く叫んで駆け出していました。

 北だって?

 あの橋を渡って北へ曲がって、その先の場所って、確か。


『ちょっと~何するのよ!』


 と、後方から上がる抗議に、急ブレーキ。ぶちゅっと泥が跳ね上がります。

 それから空になった両手を確認し、ヘンゼルは、いけないと肩を竦めました。


「また投げちゃった」







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