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ヒュプノランタン  作者: 雪麻呂
トビラノムコウ
21/90

鈴生りの祝福

6.






 ふと我に返ると、ドアは、もう何処にもありませんでした。

 歓声も拍手も。初めから何もなかったかのように。

 野原は、静まり返っていました。


「……なんだったんだよ」


 セヴァが悪態を吐きます。口調は荒いのですが、尻尾の毛はボウボウに逆立っていました。ぽかんと立ち尽くすヘンゼルの金髪には、とばっちりの紙吹雪が、大量に絡み付いていました。

 原色の紙片だけを残して、前触れもなく始まった騒動は、また唐突に消え去っていたのでした。

 風が、吹きます。

 いつしか空は黄昏の匂いを含んで、うっすらと茜を差していました。

 すると、リン。

 小さく澄んだ音色が、聞えたような気がしました。

 ん、とセヴァが耳を立てました。

 リンリン。音を追って、セヴァの耳が前後左右に角度を変えます。彼方から聞えたと思えば、此方から聞えます。出所を探して、ヘンゼルも首を回しました。ムゥもそれに倣います。


「な、なんだ?」


 虫が鳴くには時間が早すぎます。ましてこの音は、春の虫ではありません。

 喩えるなら、星が転がるような。金の糸が編まれるような。木漏れ日のくすくすと笑うような。或いは、降り積もる雪が透明な水晶であったなら、こんな音がするのかもしれません。

 遠くの樹から、傍の草むらから、岩場から、タンポポの綿毛から、後から後から溢れてきます。あっという間に、野原全体が歌い始めました。


 リン、リンリン。リン。

 リンリンリンリンリン。リンリン、リリリン。リンリリリン………。


「あっ」


 キョロキョロしていたヘンゼルが、屈んで足元の草を分け、何か摘まみ上げました。

 ゾックの実です。

 ただし、(あか)い。

 青いはずの実が、どういうわけか、鮮やかな朱に染まっていました。

 ヘンゼルが軽く振ると、紅い実はリンと鳴ります。

 音の正体は、これだったのです。


「まさか野原中の……?」


 ムゥは辺りを見回しました。確かめる必要はなさそうです。此処にも。あれも。それも。ヘンゼルが次々と近場の実を拾い集め、掌に盛っていきます。そのどれもが、リンリンと朱く歌っていました。

 意見を求めて、ムゥはセヴァに視線を投げます。

 セヴァは、無言で金髪を掻き毟りました。彼にもわからないようです。

 それにしても、なんて幻想的な音色でしょう。

 法則性もなく好き勝手に鳴っているくせに、どう重なっても不協和音を生まないのです。透明な小人が、魔法の楽器で合奏しているみたいです。それはもう音ではなく、旋律と呼ぶべきものでした。

 うっとりと耳を澄ませば、風の具合で曲調が変わります。テンポやリズムだけではなく、メロディそのものが違います。この野原に実るゾックの総数を考えれば、いったい何通りのパターンを奏でるのか。想像も付きません。

 まさに福音でした。

 こんな美しい音は、聞いたことも……

 ハッとして、ムゥは己の掌を見ました。

 ある。あるのです。

 それも、ついさっき。あろうことか、ほんの数分前ではありませんか。


「ドアさんのお礼だよ! 先生ほら! こんなにいっぱい!」


 ヘンゼルが、紅い実を山と盛った掌を頭上に捧げます。

 それでピンときたらしい。セヴァが、にやりと口角を上げました。


「なるほどねェ」


 そういうことかい。

 朱い実を一粒摘まみ、妙に色っぽい仕草で唇に押し当てて見せます。


「ずいぶんと気に入られたみてェじゃねェか? えェ色男?」

「………」


 からかい混じりの眼差しに、ムゥは、わざとらしく咳払いしました。

 そっぽを向いた耳が熱い。風は優しく吹き、リンリンと野原が歌います。なんだか照れ臭くなって、ムゥは、意味もなく鼻の頭を擦りました。

 指先に触れた紙片を抓んで、ちらり戯れに目の高さへ運びます。

 ひとひらの、可憐なピンクでした。


「……ありがとう、か」


 本当は、綺麗な声をしていたんだな。

 見上げれば薄橙の空に、ひらひらと紙吹雪が舞っていました。

 ――ツンデレ・ドアめ。

 細めた双眸で呟きながら、ムゥの胸の奥では、騒々しい祝福の余韻が、鮮明に尾を引いて疼くのでした。






                  †






 さてさて。

 以来、野原は平穏です。相も変わらず牧歌的で、いつも美しい音色に満ち、行く風に乗せて祝福を歌い続けています。別段、おかしな事件も起きていません。

 三人の方も、相変わらずでした。たまに野原を訪れる日もありますが、時が経つにつれて、あのドアと騒動の記憶は、生活の地層に埋もれてゆきます。

 それでも風の強い日など、窓を開けていると、何処からか清い鈴の音が舞い込んでくる瞬間がありました。

 それはカーテンを揺らし、髪をそよがせ、頬を撫で、耳に届いて、リン。ムゥの胸を朱に鳴らすのです。

 そんなことがあってから、だそうですよ。

 三人が、この野原を“鈴生ヶ原”と呼ぶようになったのは。









トビラノムコウ/了







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― 新着の感想 ―
[一言] ネタバレ注意 何者にもなれなくて歌が歌いたかった人の象徴としてのドアが開かれたことで「私」になれて開かれたことは祝福???ツンデレドアは面白かったですがイマイチ消化出来ない感じです。
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