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ヒュプノランタン  作者: 雪麻呂
トビラノムコウ
19/90

コギト・エルゴ・スム



4.






「先生このくらい?」

「もっと細かくしてくれ。小麦粉くらいだ。できるか?」

「はーい!」


 生成術とは本来、非常に繊細で高度な技能を要する魔術です。

 本来であれば、素材は厳選し、設計は入念に詰めなければなりません。今のムゥに、全盛期の魔力はないのです。それをカバーするための緻密な設計であり、素材です。可能な限り省エネを心懸けて、必要な魔力を抑えるのが基本となります。

 とはいえ、今回は鍵です。特に複雑な構造でもなく、言ってしまえば型を取って固めるだけ。これくらいなら、多少強引な術式でもどうにかなります。

 鍵という名詞にばかり囚われて、本質を見失っていました。なんのことはない、シリンダーが回れば解錠できるのです。それなら幸い、有合せの素材で事が足りました。


「青い実つぶして~ごりごりごりごり! 葉っぱぐつぐつ! くっさいな~」


 ヘンゼルは意気揚々、ムゥに従って作業を続けます。

 ゾックの実を磨り潰す辿々しい手も、スリコギ代わりに使っている栓抜きも、服も髪も、青く汚れて粉塗れ。生成の助手を任されたのが嬉しくて、ミュージカル調でレシピを歌うぐらいには御機嫌です。


「まぜたらかたまる! あらふしぎ! あっという間にカギになる~!」


 ぶちまけるなよ……とハラハラしながら、ムゥは湯を沸かして葉を煎じ、適切な濃度に調整していました。

 主に防カビ剤の材料として用いられるゾックですが、その実には、水分を含むと粘性を発揮するという特徴があります。これを利用して、鍵山の型を取ろうという算段。ケーキを作るのと同じです。

 手持ち無沙汰のセヴァは、ヘンゼルの謎ミュージカルに合いの手を入れつつ、暇を潰していました。手伝うという選択肢は存在しないようです。

 あんなにお喋りだったドアは、もうそれを茶化すことも急かすこともせず、ただ黙って、作業の進捗を見守っていました。


「先生できたよー! どう? どう?」

「……うん。上出来だ。ありがとう、ヘンゼル」

「わーい!」


 ヘンゼルの挽いた青い粉を薬包紙に移して、ムゥは額の汗を拭います。

 さて、あとはこれを……。


「セヴァ、ドアを寝かせてくれ。鍵穴が上に来るように」

「合点」

『あっあっ、できれば優しくお願いし』


 皆まで言わず、バァーンとけたたましい音を立てて、ドアがブッ倒れました。

 セヴァに全力で蹴倒されたのです。

 薄い砂煙の中、セヴァはこの上なく爽やかな笑顔で呵々大笑。


「おッと、こいつァすまねェ。手元が狂った」

「お前って奴は……」


 呆れましたが、溜息は厳禁です。粉が吹き飛んだら大変ですからね。

 ムゥは地面に片膝を着き、鍵穴に薬包紙を傾けました。


「暴れるなよ」

『はい』


 零さないよう、丁寧に。青い粉を流し込んで詰めてゆきます。少量は風に舞っても、多めに作ってあるので問題ありません。鍵穴を覗きながら、三分の二くらいを埋めます。やや硬めを意識しました。

 それから葉を煎じた薬湯を注いで、ヘアピンで攪拌(かくはん)です。思わぬところでセヴァの茶釜が大活躍してしまって、ムゥの心中は極めて複雑です。

 ドアは言われたとおりに、おとなしくしていました。くすぐったいのか苦しいのか、微かに身悶えして咳き込みますが、抵抗する気配はありません。真剣な眼差しと洗練された手並み。師と仰ぐムゥの横顔が何故か誇らしくて、ヘンゼルはぐっと拳を握り、むずむずと唇を結んでいました。

 鍵穴に満ちた青い粘液が粘りを帯びると、ムゥはようやく一息吐いて、ゆっくりとヘアピンを抜きました。

 頭となるコインを垂直に宛がって、準備完了です。


「ドロドロじゃねェか。ンな粘土みてェなモンで鍵になるのかい?」

「私を誰だと思っている? これでも元は皇帝お抱えの魔術士だ」


 冷やかし半分のセヴァに、ムゥは不敵な笑みで答えました。


「先生やるの? ジュツやるの?」

「あぁ」


 ヘンゼルが、ぱっと頬を紅潮させます。


「やるぞ」


 頷いて、ムゥは呼吸を整え、精神を集中しました。

 眼を閉じ、心臓の鼓動を基準に、己の内に魔力を探します。血液と共に身体を巡る熾火のような熱。とく、とく、とく……とくん。四度目で見付けました。首筋の辺りです。その熱を掴み、コインを抓む指先へと誘導します。更に奥、素体となる青い粘液へ。息を吐きながら力を込め、一気に流し込んで。

 行き止まりの抵抗と充足感が、世界の何処かでかちりと音を立てます。

 魔力を介在し、ムゥと素体が繋がったのでした。

 不思議なものだ、と思います。どうやって身に付けたのかも憶えていないのに、この感覚とタイミングだけは忘れない。そういえば、何かの本に書いてあった。術を扱う感覚は、楽器を演奏する勘とよく似ているのだと。

 案外、的を射ているかもしれません。

 生成術士の詠唱は、今まさに生み出される存在が初めて聞く、誕生のメロディなのですから。


「素よ、我が魔力を糧とし血とし、新たなる姿を以て依るべき肉体とせよ。今ここに魔術士ムゥが汝に名と命を与える――汝の名は、」


 その瞬間でした。

 凄まじい感情の濁流が、ムゥの詠唱を堰き止めました。






                  †






 ――何が起こった?

 突如として全身を襲った痺れに、ムゥの意識が一瞬、揺らぎました。こんなことは初めてです。施術の最中に、向う側から逆流・・してくるなんて。

 まだ術は成っていません。対象の素体は個体ですらなく、ただの青い粘液に過ぎないのに。指先から流れ込む感情の、なんて煩雑で騒々しく、切実で、それでいて空虚なことでしょう。

 ――此処は?

 気付けば真っ暗な場所に一人、立っています。

 いつから、いつの間に? 三人で野原にいたのではなかったか?

 考えるより先に、ムゥは身を屈めていました。吹き付ける感情の激しさに、息ができません。まるで嵐です。前からも後ろからも、ごうごうと容赦なく翻弄され、ともすればバラバラになってしまいそう。

 それでも、素体を持つ右手だけは放しませんでした。これを放してしまったら、もう二度と帰れない。そんな気がしたのです。


 アナタハ良イ子ネ。


 耳元を吹き抜けた感情が、不意にそう囁きました。

 声を追って振り返ると、扉がありました。

 一つや二つではありません。少なく見積もっても三十か四十か、無機質な灰色の扉が、まばらに暗闇で佇んでいました。

 一つの扉が開いています。声は、そこから聞こえたのでしょう。


 ダカラ、ママノ言ウコトヲ聞キマショウネ。


 別の扉が開きました。


 聞キ分ケノ良イ、トテモ扱イヤスイ子デスカラ。


 別の扉が開きます。


 ネェ、アイツ生意気ナンダケド。


 別の扉が。扉が、扉が、扉が開きます。


 君ミタイニ真面目ナ子ガイテ、先生本当ニ助カルヨ。

 チョット貸シテクレ。スグ返スカラ。

 良妻賢母トハ、ウチノ家内ノコトデスネ。

 ママハアナタタチガ可愛イワ。エエ。愛シテイマストモ。


 どれだけの扉が開いても、その中は真っ暗でした。

 溢れ出す言葉に、決して悪気はありません。けれどもまた、それは信頼や期待でもないのです。もっと利己的で、支配的で、暴力的な――。

 あぁ、要求だ。

 ムゥは理解しました。これは要求です。お前はこうあるべきだ、こうあってくれという、他人から強いられた性質。信頼でも期待でも、ましてや愛情であるはずがありません。だっていつも、いつでも不満だったのですから。

 母の前では聞き分けの良い娘を。

 友人達の前では、リーダー格の乱暴者を。

 教師の前では真面目な優等生を。

 恋人の前では馬鹿な金蔓を。

 夫の前では貞淑な妻を。

 子供達の前では愛情深い母を。

 求められ、従い、応えても。誰も本当の自分を愛してはくれなかった。知ろうともしなかった。いいえ、いいえ。本当の自分って、何? それは何処にいるの? どの扉の向こうに、わたしが、いるの? わたしは誰? わたしは何?

 わたしは、私は――、


「…………ッ!」


 思いっきり手の甲を噛んで、ムゥは眼を見開きました。

 血の味と痛みに、少しだけ頭が冴えます。

 いけない。このままでは呑まれてしまう。

 私は誰? 誰だと? 私は術士。帝国に聞えた生成術士、ムゥだ。

 そう。私は生成術を……術は……まだ途中じゃないか。


「素よ、我が魔力を糧とし血とし、新たなる姿を以て依るべき肉体とせよ」


 気力を振り絞って、ムゥは詠唱を再開しました。

 今一度、精神を研ぎ澄ませて、魔力を練り上げます。

 必要な熱量を確保し、慎重に指先へと誘導して、感情の圧力を押し返しました。無理矢理に屈服させることが正解なのかどうか、不安はあります。けれど、自分は成さねばならない。そう強く思いました。


「汝は何者か。何者であったか。何故に在るのか。何に成るのか」


 素体へ、自己をなくした哀れな存在へ、そして紛れもない自分自身へ。

 ムゥは問います。

 これまで幾度となく繰り返した詠唱の意味を、必然性を、こんなにも深く考えたことがあったでしょうか。

 私は私だ。他の誰でもないし、誰かだったこともない。

 今も昔も、これからも。

 何故に在ろうと、何に成るつもりもない。

 何者にも成れなかった彼女のアイデンティティが、白いドアであるのなら。

 ここで術を成すことこそ、私のアイデンティティであり、意地だ。


「今ここに魔術士ムゥが汝に名と命を与える――」


 ぞくりと背筋が粟立ち、手元から閃光が迸ります。

 さぁ、汝の名は。

 己がまったく別の存在になるような、奇妙な焦燥と高揚を同時に憶えて、伝わる熱が応えました。言葉ではなく、結果として顕現されるそれは、瞬く間にひとつの輪郭を作り上げます。

 青い粘液は凝固し、金属へと変化して、形状、機能、存在意義のすべてに於いて新しい役割が上塗りされてゆきます。使命を受け入れた素体は今、術士の命の元に再構築され、光を纏って、産声を上げるのでした。

 即ち、それは。


「汝の名は、」


 福音の鍵(ゴスペルス・キー)







 

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