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ヒュプノランタン  作者: 雪麻呂
あの空を飛べたら
14/93

夢幻灯籠の夜

14.






「むげんどーろー?」


 ヘンゼルが小首を傾げ、ムゥは頷きました。


「そう。夢幻灯籠だ。要は幻灯器だな。硝子紙と虹蚕の糸で笠を織ってこの部分は劫石を使った。土台は千年物見の樹。ここはエルライトだぞ。これだけの大きさの物はなかなか見付からなくて、森中を探し回ったんだからな。基板の配線にも苦労したんだ。特に光量と解像度のバランスが……」

「すごいすごい! 早く! 早く見よう! 早く!」

「面倒臭ェ口上はいいんだよ。さっさと始めるぜ」

「はやくーはやくー」


 いや、もうちょっと説明させてくれ。こうして制作秘話を語る瞬間が、いちばんの楽しみなのに。

 唇を尖らせたムゥですが、興奮して踊り出したヘンゼルを見て、じき苦笑しました。せっかくのお披露目です。景気良くいきましょう。

 リビングを見渡します。ヘンゼルの蹴躓けつまづきそうなものはザッと片付けたし、酒と菓子の準備も万端。あとは点灯を待つばかりとなったランタンが、テーブルの上に初々しく鎮座していました。

 その名も『夢幻灯籠』。

 大きさは、仮組みとほぼ変わっていません。高さ三十センチ、直径は二十センチほどと、初期設計よりコンパクトに収めることができました。解説はガン無視されましたが、ここ最近の作品としては、相当難しい仕事になります。


「イメージは」

「白いキノコみたいだね!」


 これもヘンゼルに言われてしまいました。

 安定感を確保するため、台座に機能が集中しています。そうなれば当然、下部の重量は増すわけで、削れる部分は徹底的に軽量化対策を施しました。塗装は飽きの来ないホワイトで統一。携帯にも違和感がありません。

 それらを押さえた上で無茶のないデザインというとまぁ、どうしてもこうなってしまうのでした。


「火を点けてごらん」

「ぼくが? いいの?」

「今日は特別だぞ。勝手に燐寸マッチを使うのは、まだ禁止だ。用法用量厳守の上、必ず大人のいる前で使うこと。袖はちゃんと捲って傍には水を置いておけ。風向きには細心の注意を払うんだ。あと火傷したときのために氷を」

「今はいいだろォが、そーいうことァよゥ」

「何がいいんだ! お前、ヘンゼルが焼け死んだら責任が取れるのか!?」


 おや、場外で一足先に火が点いた模様です。

 例によって、ムゥ対セヴァの教育論争が勃発しました。


「そォじゃなくッてさ。わざわざ場が白ける説教なんざいらねェだろ、こんなときに。だから無粋だッつんだぜ?」

「先生もういいの?」

「躾に粋もクソもあるか! こういう教育は幼児期に徹底しておかないと……」

「はン、てめェの過保護にゃァ呆れるぜ。男ァやんちゃするモンだろ」

「注意一秒怪我一生!」

「ねぇ、もうつけていいの? よくないの?」


 ヘンゼルの催促も混ざり、いよいよ騒がしくなってきました。

 これを宥めつつ持論を展開していたムゥですが、焦れたヘンゼルが床を踏み鳴らし始めたので、ハッとセヴァと顔を見合わせます。

 まずい。不機嫌になってきた。今夜のヘンゼルは少々短気らしいぞ。程々にしておこう。そうだな。無言で素早く相談を終え、二人は同時に頷きました。


「すまない。ほらヘンゼル」


 仕切り直して、ムゥは燐寸箱をヘンゼルに手渡します。


「どうやるの?」

「ここをこうして……」


 ムゥが傘の部分を外すと、細い蝋燭の形状をした芯が現れました。


「ここに点火するんだ。できるか?」

「うんやる!」


 返事は良いのですが、慣れないヘンゼルの手付きはどうにも怪しく、ムゥは内心ハラハラしました。やはり私が点けるべきだろうか。伸ばしかけた手を、けれどもぐっと堪えます。

 ポキポキと燐寸の残骸を量産しつつも、ヘンゼルの横顔は真剣そのもの。これで水を差すのは、セヴァでなくとも無粋でしょう。一度任せると言ったのだし、最後まで責任を持たせなければ。これも教育。

 何本目かの燐寸が、ようやくランタンに火を灯しました。


「できた! できたよー!」

「偉いぞヘンゼル!」

「ほい、ごくろーさん」

「えっへん!」


 両側から頭を撫でられ、ヘンゼルは得意げに鼻孔を膨らませました。

 傘を戻す小さな音が過ぎれば、しばしの静寂と微かな硫黄の匂いが、リビングに漂いました。三人の見守る中、柔らかな灯りを宿した夢幻灯籠は、ゆったりと呼吸を繰り返して、明るさを増してゆきます。

 それは、止まりかけのオルゴールと同じくらいの速さ。少しずつ、白い傘が回り始めました。灯火を透かして歩むのは、今ではない時間の、此処ではない何処か。

 訪れる誰かは、微睡む潮騒めいて、揺蕩(たゆた)う夢幻を手招いて――






                  †






 丸い眼を爛々とさせ、点滅する夢幻灯籠を見つめていたヘンゼルは、ふと視界の端に捉えたものが気になりました。

 なんだろう。

 光が飛んでいます。

 一粒の淡い緑が、ゆらゆらと天井付近を彷徨っていました。さっきまではあんなものはなかったのに。蛍でしょうか。こんな季節に? それも締め切った室内へ、どうやって入ってきたのでしょう。

 ねぇ、と後ろの二人を振り返ります。

 セヴァが悪戯っぽく片目を瞑りました。


「インドウボタルさ」

「いんど……なにそれ?」

「トコヨワタリの前兆現象で、正式名称は不明だが死者達を導く」

「あっ!」


 ここぞとばかりに講釈を始めたムゥの台詞は、敢えなく中断されました。

 ヘンゼルが首を傾げた拍子に、光が一つ増えたのです。六歳児の興味は、小難しい理屈よりも完全に目の前の光景へと吸い寄せられていました。

 二つ。三つ。瞬きの度に光は増えて、五、六。指折り数えても間に合いません。七八それでも足りなくなって、九、十。ふわり宙を飛び交います。

 みるみるうちに部屋は光でいっぱいになり、こうなると、とても数えきれませんでした。というか、もう我慢できない。

 降りてきた一つに手を伸ばし、ヘンゼルは、光を捕まえようと試みます。

 あまりにも空虚な手応えが、意に反して掌を擦り抜けました。

 確かに掴んだと思ったのに。見れば光は、ヘンゼルの困惑などお構いなしで、壁の方へと飛んでゆきます。今度はそっと両手で包んでみました。駄目です。三度目も失敗しました。どうしても触れられません。


「映像だぞ」


 猫のように光を追い掛けるヘンゼルに、ムゥは堪らず吹き出しました。

 ヘンゼルは諦めません。壁に留まったところを見計らって、今度こそと勢い良く飛び付きました。


「わぁッ!」


 途端、ヘンゼルは叫び声を上げて、全力で後退ることになりました。

 なんの前触れもなく、壁を擦り抜けて、青白い人影が現れたのですから。


「ご、ごめん、なさい」


 ヘンゼルは反射的に頭を下げました。

 人影は答えません。黙ってヘンゼルの前を通り過ぎ、歩いてゆきます。

 垣間見たその容貌に、あっと息を呑みました。

 人影には、顔がなかったのです。

 目も鼻も口も、髪の毛すら。綺麗さっぱりありません。一糸纏わぬ身体は、どこかのっぺりしていて曖昧でした。自分がどういう形なのか、わかっていないような印象を受けます。これでは男女の区別も付きません。そういえば足音は聞こえたでしょうか。

 ……オバケ?

 ドキドキしながらも、ここまで来れば好奇心が勝ります。ヘンゼルは人影の行方を凝視していました。

 ムゥとセヴァが左右に割れて、道を空けます。その間を青白い人が、礼も言わずに通り過ぎてゆきました。ついでにテーブルも擦り抜けて。

 何処へ行くつもりなのでしょう。何をするのでしょう。不安と期待で見つめていたヘンゼルですが、結末は至極呆気ないものでした。青白い人は、そのまま反対側の壁に消えて、それきり戻らなかったのです。

 これでお終い?

 ちょっとつまんないな。落胆して振り返ったヘンゼルは、そこに予想外の光景を見て、飛び上がりました。

 同じような人影が、またも壁から出現したのです。しかも一人や二人どころではありません。蟻の行列か修行僧の聖地巡礼の如く、ぞろぞろわさわさ、次々に湧いてきます。これには、さすがのヘンゼルも大慌てです。


「先生ぇえええぇえーーーッ」


 一気に恐怖が頂点へと達し、ムゥの懐に突撃しました。


「こわいこわい! いっぱい出てきた! いっぱい来たよ!」

「よしよし、怖かったな」

「なにあれ? 誰? オバケ? かむ?」

「噛まないぞ。みんな何もしない。大丈夫だ」

「ほんと? ほんとに?」

「あぁ」


 抱き締めたヘンゼルの頭を撫でつつも、ムゥは密かに笑いを堪えていました。

 予想通りの反応すぎて面白い。実のところ、珍しくセヴァに潮時だぜと小突かれなければ、もっと粘っていたかもしれませんでした。


「心配いらない。これがトコヨワタリだよ」


 怖がらなくてもいいから。

 言ってくすくす笑うムゥを、ヘンゼルは一応、信頼することにしました。

 意を決して、人影の一人に近寄り、話し掛けます。


「こんばんわ……」


 返答はありません。


「あなたは誰ですか? 男ですか女ですか? 好きな食べ物はなんですか?」


 列の先頭から順繰りに訊ねても、誰一人として、応じる者はありませんでした。耳が聞こえないのでしょうか。口を利くことができないのでしょうか。いっそその両方でしょうか。持ち前の好奇心も、最早どうしようもありません。


「おいで、ヘンゼル」


 所在なく立っているところを手招かれて、軽くふて腐れながらヘンゼルは、ぽんとソファに身を投げました。

 ムゥが隣に腰を下ろし、テーブルのグラスを取ります。


「気にするな。彼等に悪気はないんだ」


 セヴァが、煙管を咥えて火を点けます。


「そもそも映像だしなァ」

「えいぞう? って、なに?」

「平たく言や幻さ。本物の奴等ァ、此処にゃいねェってことよ」

「?」


 これが幻? こんなにはっきり見えているのに本物ではないなんて、よくわからない。ヘンゼルは腕を組み、何度も首を傾げました。

 燻る紫煙が、ふわら青白い行列を透かして揺れます。じっくり観察すると、彼等の体格には著しい違いがあるようでした。太いのも細いのもいます。ヘンゼルほど小さな者もいれば、セヴァと並ぶくらい大柄の奴もいました。

 不思議なのは、皆一様に同じ方角へ歩いてゆくことです。


「みんなどこに行くの?」

「彼の世さ」

「それってどこにあるの?」

「西の方だッていうけどなァ」

「どんなところ? そこに行ったら、どうなるの?」

「そいつァ、俺も知らねェ」


 深い溜息のような煙を吐いて、セヴァは肩を竦めました。

 世にも奇妙な行進は、青白く霞み、揺れて続きます。

 或いは天井に、壁際に、窓に。ほろほろと瞬くインドウボタルが細い光の軌跡を描くのは、炎の風に踊る様子にも似て、なるほどこれは新月の夜空でもさぞ明るいだろうと、ヘンゼルは独り言ちました。

 ――これなら寂しくないなぁ。

 どうしてか、ぼんやりと、そんなふうに思ったのです。


 思い出したように立ち上がり、人影に話し掛けては無視され、インドウボタルを追って走り回り、テーブルを蹴飛ばして飲み物を零し、ムゥとセヴァを交互に質問攻めにし、喜んだり困ったりと、忙しく表情を変えていたヘンゼルでしたが、もうずいぶん夜も更けます。

 そのうちムゥの肩に身体を預けて、くぅくぅと寝息を立て始めました。







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