幕間:vector C→G ~Cさんの驚愕~
「会わせたい、人?」
本を棚に戻しながら万里くんは頷いた。
「うん、今までなかなかタイミングが合わなくて会いにいけなかったんだけど、今度の土曜にやっと予定が空いたからよかったら一緒にどうかなって」
「別に大丈夫だけど・・・誰に会いに行くの?」
そう尋ねると万里くんが静かに微笑む。何だろう、今まで見たことのない表情だった。
「俺の、“親友”だよ」
万里くんの最寄り駅で待ち合わせ。
「実は今入院してるんだ。一学期に体調を崩してから、ずっと短い入退院が続いてる」
「もしかしてどこか悪いの?」
「いや、昔から身体は弱いんだ。風邪をひいただけでも軽くは収まってくれないらしくて」
入院するほどの風邪・・・あんまり想像出来ないけど、いろいろ合併症とかが出ちゃうのかもしれない。
「正直、単位もギリギリみたいでさ。早く落ち着いてくれると良いんだけど・・・」
途中で花屋さんに立ち寄った。
「前は果物買ってたんだけど、あいつは花のほうが嬉しいみたいだから」
「へえ、好きなんだね」
「そう言われるとそうでもなかったような・・・果物より喜ぶのは確かなんだけど」
万里くんもその理由は知らないみたいだった。
市立病院を目指して線路沿いを歩いていく。
「親友・・・って言ってたよね。どんな人なの?」
「どんな・・・か。ちょっと説明しにくいな」
万里くんは少し考えてから再び口を開いた。
「何ていうか、不思議な奴だよ」
「不思議?」
「うん。何も考えていないようで色んなことが分かっていたりとか・・・話していてもどこか、俺じゃないどこか遠くを見ている感じがするんだ」
なんだか独特の雰囲気を持ってる人みたい。仲良くなれるかな?
不意に肩をとんとん、と叩かれた。
「―天野、あれ見て」
「え?」
万里くんの指差す方向に目をやると、そこには風に揺れるピンク色の群れ。
「秋になると毎年咲くんだ、これが」
線路脇にはたくさんのコスモスの花が咲いていた。
「この辺一帯だけみたいだから、この時期お見舞いに行くときはいつもここを通るようにしてるんだ。そんなに遠回りでもないしね。・・・フェンス越しにしか、見えないんだけど」
ひし形のフレームの奥で、ピンク色がさわさわと踊る。風と戯れるように右へ、左へ。
「綺麗だね・・・」
フェンスに指をかけて眺めていると、その手に万里くんの手が重ねられた。
「もう、コスモスの時期も終わりだけど。来年になったらちゃんと、フェンス越しじゃないコスモスを見に行こう。・・・二人で」
耳元で囁く甘い声。大好きな、声。
「うん・・・約束」
フェンスの上で指を絡めて、その確かな温もりを確かめて。
最近、少しずつ自分に自信が持てるようになってきた。“来年になったら”、そんな約束を素直に信じられるくらいに、私の心は万里くんがくれた温かさで満ちている。
もう少しで病院へ着くというところで、万里くんの携帯が鳴った。
「―えっ、今から?」
どうやら呼び出しがかかったみたい。
「どうしても俺が行かなくちゃ駄目か?・・・そうか、分かった」
電話を切って私の方へ向き直る。
「ごめん、午後から急にサッカー部の招集がかかって」
「もしかして、今から戻らないと間に合わないとか・・・」
「うん、だから今日はもうやめにしてまた今度来ようかなって」
申し訳なさそうな顔をする万里くんに、私は首を振った。
「せっかく買ったお花が勿体無いよ。病室だけ教えてもらえれば、私だけでも行けるから」
「でも・・・」
「大丈夫。元々挨拶しに行く予定だったのは私の方だし」
万里くんと行けないのは残念だけど、ここまで来て帰るのも勿体無い。
「・・・分かった。じゃあ、お願いするよ」
万里くんと別れて、私はその病室へと向かった。
「祇堂、瑞希・・・くん?」
ネームプレートにはその人の名前だけ。4人部屋を1人で使っているみたいだった。それにしても祇堂なんて苗字初めて聞いたかも。
ノックしてみる。・・・返事はない。
あれ、ここで合ってるよね?もしかして寝てるのかな?
「・・・開いてる」
などと考えていたら中から声がかかった。良かった、ちゃんと居たみたい。
「失礼します・・・」
そっとドアを開けると、ベッドから身体を起こしているその人と目が合った。
私は一瞬、その場から動けなくなった。
・・・うわぁ、綺麗な人・・・・・・。
腰まで伸びた色素の薄い髪。金髪というよりは銀髪に近い感じで、白い肌と相まってすごく儚げな印象を与えていた。青みがかったグレーの瞳は、多分日本人のそれではないと思う。どこか遠くを見ているみたい、と言った万里くんの話も頷けた。ただこれは、遠くを見ているというよりは彼女自身が遠い・・・知らない間にふわっとどこかへ溶けてしまいそうな、そんな曖昧な雰囲気を持っているからかもしれない。
「・・・いつまでそこに立ってるの」
「あ!ああ、すみません・・・」
私は慌ててドアを閉める。ってあれ?この人って・・・。
「男だと思った」
「えっ!?」
びっくりして振り返ると、彼女は変わらず無表情なままで続ける。
「男にも居る名前だし、たまに間違われる」
「あ、そうなんですか・・・」
それにしたって一発で見破るのはすごいと思う。
万里くんの友達だっていうから、てっきり男の子だと思っていたのは確かだけど。
「天野」
「はい、って何で名前を・・・」
彼女はじっと私の目を見た。
「・・・なんとなく、そんな気がした」
私そんなに“天野”って顔してたかな・・・?言われたことないけど・・・。
「あの、途中まで万里くんと一緒だったんですけど急に来られなくなって・・・これお見舞いです」
買ってきた花を差し出すと、彼女は黙ってテーブルの上の青い花瓶に視線をやった。
花瓶に水を入れて花を生けている間もずっとそのまま、ただじっと私を見るだけ。見定められているようで妙な気分がした。
「あの・・・何か?」
「別に」
彼女は窓へ目をやる。
「万里の彼女が、どんなのかと思って」
万里くん、そのこと話してたんだ。まだ噂は広まっていないみたいでほとんどの人が知らないんだけど。
「万里は言ってない」
「・・・そ、そうですか」
うん、もう驚かないようにしよう。この人は読心術でも使えるんだ、きっと。
気を取り直して尋ねる。
「じゃあ、何で知ってたんですか?」
「・・・なんとなく、そんな気がした」
“なんとなく”でそこまで分かるのってすごい。観察力の違いかな?
「・・・どうして、花を選んだの」
唐突に彼女が切り出した。視線の先には、花瓶に生けられた百合の花。
「万里くんが、お花のほうが喜ぶからって・・・」
「・・・ふーん」
しばしの沈黙の後、彼女が呼びかけてきた。
「・・・ねえ」
「なんですか?」
「万里のこと、好き?」
「え?」
どうしてそんなこと訊くんだろう、と一瞬思ったけれど、彼女の目はどこか真剣だった。
万里くんの人気はここ半年でなんとなく察しがついている。多分“本気なのか”って、そういう意味。
答を躊躇う必要はなかった。
「・・・好きです。本当に」
前はなかなか言えなかった言葉。でも今は、自信を持って言える。
「・・・・・・そう」
じっと私の目を見てから、彼女はそう呟いて。
そのまま沈黙が続く。10秒、30秒、1分、2分、3分。
その間彼女は黙ったまま、白いシーツの上をじっと見つめていた。
お暇しようかとも思ったんだけど、彼女から逃げてはいけないと心のどこかでそう感じて。
「ええと、あの、ですね」
とにかく何か話さなくちゃ、と思って、最近考えていたことをそのまま口にした。
「私、サッカー部のマネージャーをしようかと思ってるんです」
彼女が顔を上げた。その目は少し見開かれている。
「私は今まで万里くんにたくさんのものをもらって、そのおかげで少しずつですけど、自分に自信が持てるようになってきました。大嫌いだった自分を好きになることが出来ました」
邪魔にならないようにひっそりと、そういう風にして生きてきた私に居場所をくれた人。こんな私を好きになってくれて、必要としてくれて、ここに居ていいんだって心からそう思えた。
「だから、万里くんに返したいんです。私も何か、彼のために出来ることをしたいって思ったんです」
与えられたから返すとか、そういう単なる恩返しとは違う。
この感情は終わりのない、多分ずっと持ち続ける感謝の気持ち。万里くんが大好きって気持ち。
傍で彼を支えられるような人になりたい。何かをもらうだけじゃなく、お互いに対等な関係でいたいっていう、そういう決意だから。
「・・・そっか」
「え?」
「マネージャーという手があった」
突然の独り言にきょとん、としている私に彼女は言い放った。
「私もそれ、やる」
「え・・・入院してるのに?」
「どうせ明後日には退院」
あ、そうだったんだ・・・。そういえば短い入退院が続いてるだけだって万里くんが言ってたっけ。
「身体は大丈夫なんですか?」
彼女は黙って私を指差す。・・・私がサポートすれば大丈夫、ってことらしい。なんだか私の方がついでみたいになってるけど・・・まあいいか。一人では心細かったのも事実。
「―あ、あと私万里のこと好きだから」
「はあ、そうなんですか・・・」
・・・・・・ん?
「ええええ!?」
無機質だった彼女の目には、いつの間にやら闘志の炎がともっていた。まだ諦めない、そう言いたげな瞳が私をじっと見据えている。
「必ず振り向かせる。この色気で」
「色気・・・ですか」
「脱げばすごい」
「それは誰だって大体そうじゃないですか・・・?」
彼女はまた呟く。
「・・・ねえ」
「はい?」
「さっき言ったでしょ、花のほうが喜ぶって」
万里くんはそう言っていたけれど。もしかして違うのかな?
「好きな人に果物をもらうのと、花をもらうの、どっちが嬉しい?」
「え・・・好きな人なら、花でしょうか?」
花ならしばらく見ていられるし、何より大事な贈り物みたいに感じられるもの。
「・・・あ」
「分かった?」
彼女が微笑む。そういうことだったんだ。
彼女が欲しかったのは、万里くんからの“お見舞い”じゃなく“プレゼント”で・・・。
「・・・私は、万里が大好きだから」
「は、はあ・・・」
突然の宣戦布告に、私はただ戸惑うばかりだった。・・・どうなるんだろう、これから。