vector G→B ~Gさんの想い~
小さい頃から身体が弱かった。
低学年の頃はそれが特にひどくて、私が初めて小学校に行ったのは6月に入ってからだった。
入った瞬間、しんと静まり返る教室。見知らぬ生徒を警戒したせいもあるだろうけど、多分それだけじゃない。
「・・・ガイコクジンだ」
誰かがそう口にした瞬間、教室中がその単語で包まれた。
「ガイジンさんだー」
「お人形さんみたーい」
「アメリカ人かな」
「・・・イギリス」
小さく呟いてみるけど、それが聞こえている様子はなかった。
正確に言うと、イギリス系日本人だけれど。色素の薄い髪は母親譲りだ。
「ねえ」
突然別の声が掛かった。
「ここの席だよ。僕の後ろ」
窓際の席から黒髪の男の子が手招いていた。
「ガイジンと話してるぞ」
「英語じゃないと分からないのに」
・・・とんだ偏見だ、と思いながら私は黙って席に着いた。
男の子が振り向いて微笑む。
「ずっと休んでたんだよね、名前は?」
「・・・祇堂、瑞希」
「そっか。僕は万里、これからよろしく」
「・・・よろしく」
そんな風にして、私と万里は出会った。
学年が上がるにつれて奇異の視線も薄れていき、そんな中で万里の人気は上がるばかりだった。高学年になってから始めたサッカーはそれに拍車をかけて。
「好きです!付き合ってください!」
万里は当然のように女子にモテた。あの頃はまだそんなに堅物じゃなかったし。
「・・・ごめん。そういうの、考えたことない」
どんなにフォローしても、振った事実は変わらない。女子とはどうしても気まずくなった。
私は気付いた。
―万里と一緒に居るためには、彼を好きになってはいけないんだってことを。
私はそれを気取られないギリギリのラインを探りながら、少しずつ万里に近付いていった。
あくまでも、“普通の友達”として。けれど他の誰よりも近い距離で。
入退院を繰り返していたから毎日は側に居られなかったけれど、3日に一度は万里がお見舞いに来てくれたし。普段の生活でも何かと気遣ってくれて、私は生まれて初めて病弱なこの身体に感謝した。
そうした日々を経て、周りの女子たちは私と万里の間に付け入る隙がないことを悟ったらしい。
万里にとって唯一親しい“女子”に、私はなった。
万里がどこの高校を受験してもついて行けるように、常に学年トップの成績は維持していた。万里の成績はもちろんそれより下だったけれど、調子次第では1ケタに入れるだけの実力は持っていた。
偏差値が中の上くらいの学校の受験を決めて、私もそうすると言ったら担任に猛反対された。『もっと上を狙える』とか言われたけれど、そんなものに興味はなかった。私には、万里がいればそれでいい。
難なく合格を決めてまた三年間万里と一緒に居られる、と思った矢先。
滅多にないくらいひどく風邪をこじらせて、私は入学式から数週間の間入院することになる。
退院してすぐに、私は全てを悟った。
「よかった。退院出来たんだな、瑞希」
学校で私と出くわすまで退院したことを知らなかった万里。お見舞いにも前ほど頻繁には来てくれなかったから、少し嫌な予感はしていた。
昼休みになるとさっさと図書室へ行ってしまう万里。
・・・きっと好きな人が出来たんだ。
誰なのか直接問い詰めるような真似はしない。万里に軽蔑されたくなかったから。今まで長い年月をかけて培ってきた信頼を、わざわざ壊すようなことはしたくなかった。
その日珍しく、万里は図書室へ出かけて行かなかった。
「なにしてるの、万里」
屋上扉前の階段で彼を見つける。
ここに居るってことは、あまり事情を詮索するのはよくない。万里がここに来るのは独りになりたい時だから。
でもそれは、万里が一番苦しんでいる時でもある。
「瑞希こそ、こんなところで、何してるんだ?」
万里は少し目線を上げて尋ねる。
「別に。暇だから来てみただけ」
暇なのは本当。でもそれ以上に何か・・・万里の背中が、すごく小さく見えたから。
「・・・なんか、あったの?」
隣に座り込む。話したくないならそれでもよかったけど、もしかしたら楽にしてあげられるかもしれない。
「・・・別に、何も・・・」
案の定言葉を濁す。でも私、分かってる。
「告白」
したんでしょう?
万里はびくっと身体を震わせた。図星・・・だったみたい。
「な、なんでそれを・・・」
「万里のことは、お見通し」
口元で人差し指を立て、微笑んでみせる。
・・・本当に見通せていたら、こんなことにはなっていない。
「本当に何を考えてるのか分からないな、お前は・・・」
「おかげさまで」
当然。悟られないようにしてきたんだから。
万里は観念したように口を開く。
「・・・どうしたら、いいんだろうな」
そんなのは最初から決まってる。
「私と付き合えばいい。簡単なこと」
私だったら幸せに出来るのに。苦しませるような真似、しないのに。
「なんでそうなるんだよ」
でも万里はありえないって顔で流す。
「俺が話してるのは伊波のことで・・・」
「え、そうなの?」
一瞬素で驚いてから、瞬時に悟る。本当に悩んでるのは、それじゃない。万里はただ逃げてるだけ。
だって、“伊波”って誰だか思い出せないし。私が覚えていないってことは脈がないってことだから。
私はしばらく何かを考える振りをして、言った。
「・・・伊波のこと」
「こら、呼び捨てにするな」
「だって万里は呼び捨て・・・」
まあいいけど。
「・・・伊波・・・・・・様のこと、好きなの」
「様って・・・それはそれで問題がありそうな・・・」
どうでもいいよ、そんなこと。万里以外のことなんて、全部どうでもいい。
しばらくしてからぽつり、と万里が呟いた。
「・・・天野は、俺のことどう思ってるんだろうな・・・」
万里が好きな人。
「・・・天野は」
「呼び捨て・・・ああもういい、続けてくれ」
いつからか、あまり表情を変えずに話せるようになった。自分を隠すのが上手くなって、余計に想いを伝えられなくなっていって。
「天野は、好きな人いると思う」
万里のことが好きなんだよ、その子は。会わなくても分かる。
「・・・・・・そうか」
万里は、その言葉を信じたみたいだった。今までの私をよく知っているから。
「だから、私と付き合えばいい」
「だからなんでそうなるんだ・・・。関係ないだろう瑞希は」
・・・何で。どうして分かってくれないの、万里。
私万里に嘘は吐かない、知ってるでしょう?なのにどうして、そうやって冗談にしてしまうの。
「俺もう行くよ、そろそろ昼休み終わるし」
「あ、万里・・・」
万里は止める間もなく行ってしまった。
5限目の開始を告げるチャイムが鳴っているけれど、その場を動く気にはならなかった。
「・・・何が、いけなかったの・・・?」
どうして、私じゃダメなの?ねえ、万里・・・。
ぐらり、と景色が揺れる。遠のく意識の中で、私は悟った。
何も間違ってなんかいない。ただ最初から、私ではなかっただけなんだって―