明日この世界から消えることが決まった僕のこれから
フォロワーさんからいただいたお題小説、二作目です。
人は誰もが言う。行き詰った時。迷った時。何かしらの不運が襲ったとき。
人は例える。『夜明けの来ない夜なんてない』『出口の無いトンネルなど無い』。
だけど思う。突然頭の上から爆弾が降ってくる夜や、落盤事故で出口が塞がれたトンネルだって、ある筈だ。
今の僕の状態が正にそれ。今にも死んでしまいそうなほど弱った僕の体を、なんとか病院のベッドに横たえながら、漠然とそんなことを考えていた。窓から見える景色はいつも不愉快で、僕が今更、どう足掻いたって手に入れることのできない日常が走り回っている。
別に、その中で暮らす人々を憎んだわけでもなく、ただ羨ましかった。僕にとっては、走り回る、笑う。そんな動作ですら命の危険を伴い、いつも死と隣り合わせの日々。
『いつ限界かわかりません』。あの無責任な医者はそう言った。
けど彼に罪は無いと思う。この病気に対して、彼は僕以上に向上心を持って取り組んでくれたし、ありとあらゆる治療法を試してくれた。点滴をうち、注射をし、手術をし……たぶん、人間の医学で考えられる限りの手段は行ったんじゃないだろうか?双思えるほど、彼は手を尽くしてくれた。
でも、駄目だった。人間の努力とは虚しく、空虚なものである。そう実感させられた。どんなに力を込めて振りほどいても、死神の手は、本当に憎いくらい、僕を放そうとしなかった。
そして、とうとう明日、僕は死ぬ。自分で解る。よく、『自分の体ですから、自分が一番よく解ってるんです』、なんていう台詞があるが、正にそんな感じだ。明確なまでにはっきりとした死の影が、僕のすぐ目の前、一メートル半くらいまで来ている。
そう思うと、死神も案外律儀だな、と思った。突然やってくる、なんてことはしない。死神は、必ず予定通りにやってくる。それも、正確に。
そして、僕はまた窓の外の景色に目を移した。曇った空が、どこまでも、地平線の彼方まで続いている。それが、どうにも僕を挑発しているような気がしてならない。どうしようもなく、手元のシーツを握り締めた。
と。ここで、僕の世界にドアをノックする音が響いた。今日の来客の知らせはなかったので、驚いてドアを見つめる。だが、物は喋ってくれない。
「どうぞ」
言うと、一人の女性が病室に入ってきた。
綺麗な女性だ。僕の、この二十年と少しの人生の中で、一番の美人だ。先ほどまで死神のことばかり考えていたせいか、この女性は天使のように思える。
だけど、天使は万能の治療薬を持っているわけではない。
「こんにちわ」
何気なく挨拶してくる彼女は、足音を響かせて、ゆったりと僕の寝ているベッドの、隣にある椅子に座った。丁度窓の景色を遮られる位置に彼女が来たので、僕は少し不機嫌になった。
「どちら様ですか?」
取り敢えず言うと、彼女はにこっと笑って、
「憶えてない?昔、高校で同じクラスだったAよ」
と、予想外の言葉を発した。
A?と、心の中で名前を反芻する。なんとか記憶の引き出しを散らかしながら捜していって、高校二年生の春にまで遡った。
「ああ、Aさんか。確か、高校二年生のとき、同じクラスだったよね」
「そうよ。なんだ、憶えてるじゃない」
微笑む彼女は、何か無理をしているように思えた。
「高校のときの友達が、僕のことを憶えていてくれるなんて思わなかった」
正直な感想を漏らすと、彼女はまた微笑んだ。
「そう?でも、私はよく憶えてるわよ。僕くん、結構女子の間では人気があったから」
へえ、と相槌を打つ。どうでもいいことだ。今は話すのだけでも苦しいのに、そんな事いわれたところで……何の励ましにも、ならない。
そこで、僕は彼女の要件を済ませて、速く帰らせることにした。最後の一日くらいは、一人で過ごしたい。
「それで。今日は何の用なの?」
言うと、彼女は一瞬顔を曇らせてから、やはり微笑んだ。しかし、今度はあの明るい笑顔ではない。悲痛な、哀しそうな表情だ。
「今日は、貴方に言いたいことがあってきたの」
「ふうん?」
気の無い返事を返す。視線は、天井で明かりを灯さずについているだけの蛍光灯に注がれている。
「貴方の事が、好きなの」
突然の告白に、僕は思考能力を失った。やがて、呆然とした自我は覚醒し、状況を把握した僕は嬉しいというより、なんだかショッキングなニュースを聞いたような、なにか悪いことをしたような気持ちになった。
「それは……ごめん」
「駄目って、こと?」
彼女が問い返す。僕は、弱弱しく首を振った。
「そうじゃないよ。付き合うことに、反対なんてしない。ただ……明日には、僕はもう死んでしまう。それが、申し訳なくて」
言うと、彼女は泣き出した。予想はしていたのだろう。僕の眠っているベッドに突っ伏すると、細いかの泣くような声で鳴き始めた。僕は、それが自分に対する鎮魂歌であることを悟った。
「ごめん、ごめんね」
不思議と、声がかすれる。涙なんて出ない。そんな余分なこと、身体が許してくれない。ただ、鼻の奥がつんとするだけだ。
「やだ」
「やだって、なに」
やがて顔を上げて、彼女は僕を睨んだ。だけど、そこに敵意は無い。あるのは、むしろ親しみだ。
「生きてよ」
「え?」
彼女は指を突き立てて、僕の鼻の前に突き出した。
「生きて、寿命を全うして死んでよ」
余りにも無茶な要求に、溜息が漏れる。
「そんな事できたら、今頃苦労しないよ」
「嘘。だって、貴方こんなにも元気じゃない」
「明日には死ぬよ」
「なんで」
「解るから」
「どうして」
「自分の体だから」
そう言うと、彼女は皮肉っぽく笑った。
「なんだ。死ぬと思っているの、自分じゃない」
立ち上がる。涙を拭いて、来た時とは正反対の、少し冷たい表情で、彼女は去り際に言った。
「明日、この時間に、もう一度ここに来るわ。それで、死んでたら承知しないから」
余りにも手厳しい言葉に、僕はばかばかしさを通り越して清清しさすら憶えた。
再び静かになった病室で、一眠りしようと瞳を閉じる。
だが、無視しようとすればするほど、彼女の言葉が胸を刺す。
「『死んでたら承知しない』、か」
くくっ、と自嘲的な笑いがこみ上げてきて、同時に咳き込んだ。激しく咳き込んだ後、僕の手には紅い物がついている。それを見つめていると、急に腹ただしくなった。
なんで死ななきゃいけない。明日があったって良いじゃないか。なんで自分だけ、こんなトンネルの暗いところに置き去りにさているんだ。
理由は簡単。太陽は超新星爆発、トンネルは落盤事故。僕の人生はそういう風にできている。
だけど。それだと、納得がいかないのも事実。
「くそっ……」
初めて、僕は目の前の岩に触れた。トンネルの行く先を閉じる、巨大な岩。それで。
初めて、それが動かせる、除去できる物だと気がついた。
翌日、彼女が来るときのことを考える。彼女は怒っているだろうか。それとも悲しんでいるだろうか。
両方だろうな、と思う。
そして、それを確かめたいと思った。
人間は、きっと、ものの見方でどんな困難も乗り越えられる。そう、怠けていたのは自分だった。それを、今、思い知った。
翌日、彼女が病室に入る。そこには、笑顔で待ち受ける、僕の姿があった。病気は、すっかり消えていた。
最後のほう、少し面倒くさくなって適当に纏めてしまいました。