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拝啓、語りの外へ  作者: おやゆびキング
序章

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序章007

 三年生になってクラス替えがあった。

 

 凪と奈々未は同じクラスになった。

 

 狙ったわけでも、望んだわけでもない。四月の最初の朝、教室の座席表を見て、奈々未の名前が自分と同じクラスにあるのを見つけた。それだけだった。

 

 でも凪の中で、何かの条件が揃った気がした。



 最初に話しかけたのは、凪だった。

 

 四月の最初の週、昼休みに奈々未が一人で教室の端の席で弁当を食べているのを見た。周りはグループで固まっていた。新しいクラスで、まだ誰もが少し探り合っている時期だった。

 

 凪には昼食を一緒に食べようと声をかけてきた男子が二人いた。悪くない相手だったが、凪は「ちょっと待ってて」と言って、奈々未の席へ行った。

 

「ここ、いいですか」と凪は言った。

 

 奈々未は顔を上げた。少し間があった。

「どうぞ」

 

 凪は向かいの席に座った。男子二人も後からついてきて、四人で食べることになった。奈々未は最初の十分ほど、ほとんど話さなかった。でも凪が男子二人との話に奈々未を自然に引き込んでいくと、少しずつ相槌が増えた。

 

 昼休みが終わるころ、奈々未が「高原さんって、こういうの慣れてますよね」と言った。

「こういうの?」

 

「人を混ぜるの」

 凪は少し考えた。「癖みたいなもんです」

 

 奈々未はそれを聞いて、小さく笑った。

 初めて見る笑顔だった。図書館で会ったときも、廊下で会釈したときも、奈々未が笑うところを凪は見ていなかった。

 

 その笑い方は、控えめだった。口角が少し上がって、すぐ元に戻る。でも目が笑っていた。



 それから凪と奈々未は、少しずつ話すようになった。

 

 毎日ではなかった。昼食を一緒に食べることもあれば、帰り道が同じ方向のときに少し話すこともあった。授業の合間に言葉を交わすこともあった。特別な約束をするわけではなく、自然に会話が生まれた。

 

 奈々未との会話は、他の人間との会話と少し違った。

 

 奈々未はよく聞いた。凪が何か話すと、相槌を打ちながら最後まで聞いた。途中で割り込まない。話が終わってから、少し考えて、言葉を返す。その間合いが独特だった。

 

 凪はある日それを「話しやすい」と思った。そして次の瞬間、母との会話に似ていると気づいた。

 

 似ているからといって、同じではない。でも何か共通するものがあった。人の話を、ちゃんと聞ける人間。それは案外少ない、と凪は思っていた。



 奈々未の過去が断片的に見えてきたのは、五月の連休明けだった。

 

 クラスで連休の話になった。どこへ行ったか、何をしたか。凪は家族で近場に出かけたと話した。奈々未は黙って聞いていた。

 

「吉野は?」と誰かが聞いた。

「家にいました」と奈々未は答えた。

 

「家族と?」

 一瞬だけ、奈々未の表情が止まった。凪はそれを見た。

 

「一人で」と奈々未は言った。自然な口調だったが、その前の一瞬が凪には残った。

 

 その日の帰り道、凪と奈々未は少し同じ方向を歩いた。

 

「家族、いないんですか」と凪は聞いた。

 直接すぎたかもしれない、と言ってから思った。でも奈々未は気分を害した様子はなかった。

 

「施設にいたんです、ずっと」と奈々未は言った。「今は一人暮らしで」

「そうですか」と凪は言った。

 

「驚かないんですね」

「驚いてないわけじゃないけど」凪は少し考えた。「それで何かが変わるわけじゃないので」

 

 奈々未はまた少し間を置いて「そうですね」と言った。

 その日の会話はそこで終わった。



 施設育ちということを、奈々未は自分から多くを話さなかった。

 

 凪も深く聞かなかった。聞けば話してくれるかもしれない。でも聞くべきタイミングというものがある。奈々未が話したいと思ったときに話すだろう、と凪は思っていた。

 ただ、断片は積み重なっていった。

 

 ある日、クラスで小学校の話になった。凪が剣道を始めたと話すと、奈々未は「習い事ってしたことなくて」と言った。話し方は淡々としていた。後悔でも羨ましさでもなく、ただの事実として。

 

 別の日、誰かが「うちの親がさ」と話し始めると、奈々未は自然に聞き手に回った。自分の親の話を、凪は奈々未の口から聞いたことがなかった。

 

 また別の日、進路の話になったとき、奈々未は「奨学金で来てるので、就職は早めに考えないといけなくて」と言った。さらりと言ったが、その言葉の重さを凪は少し考えた。

 

 一つ一つは小さな断片だった。でも積み重なると、奈々未という人間の輪郭が少しずつ見えてきた。

 

 頼れる家族がいない。経済的な余裕がない。それでも奈々未は、そのことを重く語らなかった。重く語らないのは、軽く考えているからではないと凪は思った。ただ、それが奈々未の普通だったのだ。生まれたときからそうだったから、特別なこととして語る必要がなかった。



 六月のある放課後、図書館で二人になった。

 

 試験前で、お互いに参考書を広げていた。しばらく無言で勉強していたが、凪が問題集で詰まって手を止めたとき、奈々未が「どこですか」と言った。

 

 覗き込んできた奈々未が、問題を見て「ああ」と言った。

「これ、こっちの公式使った方が早いですよ」

 凪は奈々未が指差したところを見た。確かにその通りだった。

 

「数学得意なんですか」

「嫌いじゃないです。答えが決まってるので」

 

「答えが決まってるのが好きなんですか」

 奈々未は少し考えた。「決まってない方が苦手なのかも」


 凪はその言葉を、そのまま受け取った。決まっていないことへの苦手さ。それが奈々未の育ちと繋がっているかもしれないと思ったが、口には出さなかった。

 

 その日、二人は閉館まで図書館にいた。帰り道は途中まで同じ方向だった。

 

「高原さんって」と奈々未が言った。

「なんですか」

 

「聞かないですよね、あまり」

「何を」

 

「いろいろ」と奈々未は言った。「普通、もっと聞きますよね。施設って、とか。親は、とか」

「聞いてほしいですか」

 

 奈々未は少し黙った。「いいえ」

「じゃあ聞かなくていいかと思って」

 

 また少し間があった。

 

「それ」と奈々未は言った。「それが高原さんのいいところだと思う」

 

 凪は返答に迷って「そうですか」とだけ言った。

 

 奈々未は前を向いたまま歩いた。横顔は、いつもと変わらなかった。でも凪には、少し違う気がした。うまく説明できない、微妙な違い。

 

 その夜、凪は布団の中でその会話を思い返した。

 

 奈々未のことが、気になっていた。気になるという言葉では足りない気もしたが、他にうまい言葉が見つからなかった。

 

 ただ、もう少し知りたかった。奈々未という人間のことを。もっと近くで見ていたかった。

 

 その感情に名前をつけるのは、もう少し先のことだった。

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