表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
拝啓、語りの外へ  作者: おやゆびキング
序章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/17

序章004

 凪が剣道を始めたのは、小学二年生の春だった。

 

 自分から言い出したわけではない。父の一言だった。ある日曜日、珍しく家にいた誠一郎が「何か習い事をしろ」と言った。理由は説明しなかった。佐和子が「何がいい?」と凪に聞いた。凪には特にやりたいことがなかった。ピアノでもそろばんでも水泳でも、どれも同じくらい興味がなかった。

 

「剣道はどうだ」と父が言った。

 誠一郎は学生時代に剣道をやっていた。段位は持っていないが、高校まで続けたと聞いていた。凪は別に嫌でもなかったので「うん」と答えた。

 

 翌週から近所の道場に通い始めた。


 

 最初は正直、面白くなかった。

 

 道場に入ると竹刀の持ち方から教わった。素振りを繰り返した。足の運び方を何度も直された。防具をつけて打ち合いができるようになるまで、半年近くかかった。その間ずっと、素振りと足さばきと礼儀だった。

 

 同い年で入った子が三人、その間にやめた。

 

 凪がやめなかったのは、意地だったかもしれない。あるいは単純に、やめると言い出すのが面倒だったのかもしれない。理由は自分でもよくわからない。ただ毎週土曜日に道場へ行き、言われたことをやり続けた。

 

 変わったのは、防具をつけて初めて打ち合いをした日だった。

 

 相手は二年先輩の五年生だった。体も大きく、竹刀の扱いも全然違った。最初の一本、面を打ちに行ったところを小手で返された。痛かった。次も同じだった。その次も。

 

 でも凪は、その瞬間に初めて面白いと思った。

 

 負けたからではない。打たれたとき、なぜ打たれたのかが見えた気がした。踏み込みが浅かった。竹刀の軌道が読まれていた。直せば変わる、という手応えがあった。

 

 道場の帰り道、凪は翌週何を直すかを考えながら歩いた。



 凪は器用ではなかった。

 

 同じ道場に、飲み込みの早い子がいた。凪より半年遅く入ったのに、すぐに追いついてきた。体の使い方が自然で、教わったことをその場で形にできる。凪にはそれができなかった。一つのことを身につけるのに、人より時間がかかった。

 

 でも凪には、繰り返すことへの抵抗がなかった。

 

 同じ素振りを百回やれと言われれば百回やった。飽きないわけではない。途中で飽きながら、それでも続けた。続けることと、楽しむことは別だと、凪は早い段階で割り切っていた。楽しくなくても続けられる。続ければ変わる。変われば、少しだけ面白くなる。

 

 そのサイクルを、剣道で学んだ。

 

 小学四年生で初段を取った。五年生で二段。中学に入っても続け、二年生のときに三段になった。全国大会には届かなかったが、県大会には三回出た。突出した才能はなかったが、積み上げた時間だけは確かにあった。



 剣道以外にも、凪はいくつかの習い事をした。

 

 水泳は小学三年から五年まで続けた。タイムは平凡だったが、泳ぐこと自体は嫌いではなかった。英語は中学から塾で習い始めた。これは得意だった。語感を掴むのが早く、発音を褒められた。

 

 体を動かすことは、全般的に苦にならなかった。

 

 走るのも、持ち上げるのも、バランスをとるのも。特別速くも強くもなかったが、基礎体力は人並み以上にあった。中学のスポーツテストで、握力と反復横跳びだけ学年上位に入ったことがある。

 

 剣道で鍛えた足腰と、体を動かし続けることへの慣れ。それが凪の土台だった。



 努力が報われた経験を、凪は何度かした。

 

 小学五年生の夏、道場の大会で初めて一回戦を突破した。相手は体が大きく、打ちが強かった。試合が始まって最初の一分、凪はひたすら距離をとって相手の癖を見た。打ちが強い分、空振りしたときの体勢が崩れる。そこを見計らって胴を打った。一本取った瞬間、道場の隅で見ていた師範が小さく頷いた。

 

 それだけで十分だった。

 

 頑張ったから勝てた、という単純な話ではないと、凪はわかっていた。相手の調子や、その日の自分のコンディションや、運の要素もある。でも準備をしていなければ、あの一本は生まれなかった。積み上げたものが、ある瞬間に形になった。

 

 その感覚が、凪の中に残った。

 

 やり続ければ、どこかで形になる。形になるかどうかはわからなくても、やり続けることはできる。それだけは自分で決められる。

 

 子どもらしくない達観かもしれないと、大人になってから思った。でも凪には、それが自然だった。報われるかどうかより、やり続けることのほうが先にあった。



 中学二年の秋、剣道部の顧問に言われた言葉がある。

 

「お前は才能がない代わりに、諦めない」

 

 褒め言葉かどうかわからなかった。でも凪はそれを、褒め言葉として受け取った。

 

 才能がないことは自分でもわかっていた。飲み込みの早い人間が隣にいれば、遅い自分が見えた。でも諦めないことは、才能とは別の話だ。諦めるかどうかは、自分で決められる。

 

 才能のある人間には勝てないかもしれない。でも才能のある人間が諦めた後も、自分は続けられる。

 凪はそう考えていた。

 

 その考え方が正しかったかどうかは、わからない。

 でもその考え方が、後に凪を生かした。何もない異世界の遺跡で、一人で目を覚ましたとき。諦める前に、まず動こうとしたのは、あの道場で身につけた何かだったと思う。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ