序章012
すみません、投稿内容に誤りがありました。
序章011がコピペミスにより、序章010と全く同じ内容になっていました。現在は序章011を正しい内容に修正しております。
また、以降の予約投稿分についても確認し、同様のミスがないことを確認しました。
すでにお読みいただいた方にはお手数をおかけしますが、序章011をあらためてお読みいただけますと幸いです。申し訳ございませんでした。
令和8年3月17日20:20修正
翌朝から、報道が加速した。
最初の速報から一夜明けると、テレビのワイドショーは軒並み高原製薬の話題で埋まっていた。凪は朝、テレビをつけた瞬間に画面を消した。自分の苗字がテロップで流れるのを、一秒以上見ていられなかった。
被害の規模が、少しずつ明らかになっていった。
問題の薬剤は三種類。いずれも慢性疾患向けの長期服用薬だった。承認外の原料が混入した経緯は調査中とされていたが、報道は既に「組織的な隠蔽があった」という方向へ傾いていた。死亡者は十数名。重篤な後遺症を抱える患者は百名を超えた。その数字は日を追うごとに更新された。
凪は毎朝ニュースアプリを開いて、数字を確認した。やめればいいのに、やめられなかった。
父と直接話せたのは、発覚から三日後だった。
電話ではなく、父が一度だけ家に帰ってきた夜のことだった。深夜に近い時間で、凪は奈々未と二人でいた。父から「今から行く」と連絡が来て、凪は一人で実家へ向かった。
誠一郎は憔悴していた。
いつも背筋の伸びた父が、ソファに沈むように座っていた。スーツは着ていたが、ネクタイが緩んでいた。目の下に影があった。凪は父の顔にその影を見た瞬間、胃が締まる感覚があった。
「座れ」と父は言った。
凪は向かいに座った。佐和子がお茶を持ってきて、それから静かに席を外した。
「状況はわかってるか」と父は言った。
「ニュースで見ている範囲では」
「それ以上のことが、内部で起きている」
誠一郎は低い声で話した。問題の原料を承認外と知りながら使用していた役員が複数いた。コスト削減のための判断だったと見られている。父はそれを知らなかった。知らなかったことが、経営者として許されるかどうかは別の話だと、誠一郎は言った。
「俺の責任だ」と父は言った。「知らなかったでは済まない」
凪は何も言えなかった。
「会社はどうなる」とだけ聞いた。
「わからない」と父は言った。それが答えだった。
株の話が出たのは、その夜の最後だった。
帰り際、誠一郎が「一つ、話しておくことがある」と言った。
父は以前から、高原製薬の自社株の一部を凪に信託していた。将来のためにと、凪が社会人になった頃に手続きをしていた。凪はその存在を知っていたが、実感を持って意識したことはなかった。遠い将来の話として、どこか他人事のように頭の隅に置いていた。
「株は、もう価値がないと思え」と父は言った。
上場廃止が現実味を帯びていた。株価は連日の暴落で、信託した時点の価値から九割以上が消えていた。残りも、時間の問題だった。
凪は黙って聞いた。
「すまない」と父は言った。
誠一郎が謝るのを、凪はほとんど聞いたことがなかった。父は間違えたとき、言葉ではなく行動で返す人間だった。それがこの夜は、行動では返せなかった。
「いいよ」と凪は言った。
それ以上、何も言えなかった。
家に帰る電車の中で、凪は証券口座のアプリを開いた。
誠一郎のすすめに従い、宝くじで当てた二千万の一部を投資に回していた。医薬品関連の銘柄にある程度集中していた。父のすすめだったから、父の会社への信頼もあった。
画面を見た。
数字が、記憶の中にある数字と全く違った。
高原製薬の不祥事を受けて、医薬品関連銘柄が軒並み売られていた。連鎖的な暴落だった。凪の口座にあった資産は、一週間前の半分以下になっていた。増えていたはずの分は、すでにほとんど消えていた。元本も、削られ続けていた。
売るべきかと思った。でも何をどうすればいいかわからなかった。父に聞ける状況ではなかった。
凪はアプリを閉じた。
奈々未には、その夜に話した。
話さないという選択肢もあった。奈々未は妊娠中だった。余計な心配をかけたくなかった。でも隠し続けられるものではなかった。
「株が、ほぼ消えた」と凪は言った。「父から信託されていたものと、俺たちが投資に回していた分と、両方」
奈々未はしばらく黙った。左手の薬指を、右手の親指でゆっくりとなぞっていた。
「生活は」
「当面は大丈夫だ。給料は入ってる」
「そう、ね」
奈々未の声に責める色はなかった。ただ、現実を確認している声だった。それが凪には、責められるより辛かった。
「ごめん」と凪は言った。
「謝らなくていい」と奈々未は言った。「悪いのは、あなたでもお義父さんでもないから」
それはそうだった。凪は何もしていない。何もしていないのに、積み上げてきたものが消えていく。その理不尽さを、どこへぶつければいいかわからなかった。
「砂糖、足りないね」と奈々未は言った。
凪は少し力が抜けて言った。「足りないな」
奈々未が立ち上がって台所へ行った。しばらくして、砂糖入りのコーヒーを二つ持って戻ってきた。凪の前に一つ置いて、自分も座った。
二人でしばらく黙ってコーヒーを飲んだ。
解決策は何もなかった。お金は戻ってこないかもしれなかった。これからどうなるかわからなかった。でもその夜は、それだけで少し息ができた。
報道は止まらなかった。
被害者の会が記者会見を開いた。遺族が顔を出して話した。画面の中の人たちは、高原という名前を持つ誰かに向かって怒っていた。その怒りは正当だった。凪にはそれがわかった。わかった上で、自分もその怒りの宛先に含まれているという感覚が、じわじわと凪の中に広がっていった。
自分は何もしていない。でも自分の苗字はそこにある。
お金が消えていく感覚は、お金そのものへの喪失感ではなかった。将来の家族のために、と奈々未が言ったあの言葉が、形を持てなくなっていく感覚だった。
積み上げてきたものが、自分の手の届かないところで崩れていく。
凪はその感覚に、まだ名前をつけられなかった。




