第84話 落ち着いて暮らせなかった半年間
会社が寮付きだったため、私は会社が提供している寮に住んでた。
紹介会社からは
「寮の方は、綺麗で快適に過ごせる」
と聞いてたから、少しだけ期待してたが、この時は運が悪く、その期待は、初日で崩れ落ちた。
部屋は驚くほど汚くて、トイレの水は流れないし、ガスのセンサーも反応しなかった。
水道からは、金属臭の水が出てたから、手を洗うたびに、気を使ってた。
不動産会社を通して業者を手配しても、改善はほとんどされず、意味がなかった。
また、玄関には、虫や蜘蛛が頻繁に現れ、虫除けスプレーが手放せなかった。
お隣さんはいなかったが、上の階の人の騒音が酷く、眠れない日が続き、そのせいで、一睡もできない夜もあれば、悪夢にうなされる夜もあった。
元々インドア派で、家にいる時間が好きな私にとっては、この寮に帰ること自体がストレスになっていたし、とてもではないが、人間が住む場所とは思えないほどのボロ屋敷だった。
半年ほど経った頃、職場の同僚と寮の話になり、私は思わず愚痴をこぼしたことがあった。
すると同僚は、迷いなく言ってくれた。
「それ、言って変えてもらった方がいいよ」
その言葉に救われた気がしたが、
「寮を出ると、寮費が引かれる」
と聞いてたから、経済的な不安もあり、なかなか言い出せずにいた。
けど、もう我慢の限界だった。
その日の仕事終わり、私は上司にメッセージを送り、これまでの状況を丁寧に説明し、最後にこう添えた。
「仕事に集中するためにも、安心して暮らせる環境が必要だと感じています。可能であれば、衛生面・安全面が整った寮への移動をご検討いただけないでしょうか?」
すると、上司からはすぐに返信が来て、
「管理者に連絡して、交渉してみます」
その言葉だけで、胸の奥が少しだけ軽くなった。
数時間後、管理者から連絡が届き、
「寮の件、伺いました。タイミングよく、綺麗な寮に空きが出ましたので、次の休みに移動しますか?」
そのメッセージを見た瞬間、心の中で何かがほどけた気がした。
「はい、ぜひお願いします」
と、私は迷わず返信をした。
半年間、ずっと我慢してきたからこそ、
「やっと解放される」
と思えた。
そしてもう1つ、胸を撫で下ろしたことがあった。
ずっと不安に思ってた寮費についても、
「会社の都合」
という扱いにしてもらえ、全額免除になったこと。
環境の不安だけでなく、経済的な負担まで軽くなったことで、ようやく心が深く息をつけた気がした。
あの寮で過ごした半年間は、私の心と身体を確実にすり減らしていた。
『トイレの水が流れない』
『ガスもつかない』
『水は金属臭』
『虫は出る』
『眠れないし、悪夢を見る』
『これらが原因で、家に帰ることがストレスになり、疲れが取れない』
そんな場所で『生活』なんて、できるはずがなかったし、常に神経がすり減らされる思いだった。
それでも私は、
「寮費が引かれるかもしれない」
という不安を理由に、ずっと我慢していた。
けどあの日、同僚が言ってくれた一言が、私の背中を押してくれた。
「それ、言って変えてもらった方がいいよ」
その言葉がなかったら、私は今もあの寮で、心を削り続けていたかもしれない。
移動の日が近づくにつれ、
「やっと抜け出せる」
という実感が湧いてきた。
上司からも、
「もっと早く言ってくれたらよかったのに」
と言われ、私も少しだけ後悔したけど、
「半年間、我慢して耐えてきたからこそ、こうして綺麗な寮を紹介してもらえたのかも」
そう思えば悪くないかなと、前向きに捉えることにした。
引っ越し先は、管理者の言う通り、本当に綺麗だったし、前の寮とは比べものにならないくらいに、設備もしっかりしてたから、プライバシーが守られてる気がした。
「ここなら、清潔に保ちたいと思える」
「ここなら、安心して眠れる」
「ここなら、ようやく『普通の生活』が送れる」
そして同時に、どんな家に住むかで、心の安定にどれほど影響するかを身を持って体感したし、
「あんなボロ屋敷みたいな家には、もう2度と住みたくない」
と強く思った。
家は、ただの箱じゃない。
心を休める場所であり、自分を取り戻すための大切な拠点なのだ。
私はやっと、
「自分の居場所を手に入れることができた」
そう思えた瞬間でした。




