表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

響と怪盗

作者: 折田高人

 秒針の進みに混ざるのは、出された紅茶をすする音。

 堅洲町の女子高生、宮辺響一行が通された客間には高価そうな調度品や、学生の身では今一価値が図りかねない絵画の数々。

 ここは宮本邸。この度新たに堅洲町の町長として選出された、宮本青三の屋敷である。

 堅洲町での魔術の師、ロビン・リッケンバッカーに誘われての仕事。何でも人手がいるそうだ。

 提示された報酬額の高さに二つ返事で引き受けた響は、いつもの学友達と共にこの館へと赴いたのである。

 身体が沈み込むような上質のソファ。普段ならば心地良い眠りに誘われそうなものなのだが、生憎と目の前の不景気な顔のせいでとてもそんな気にはなれない。

 獅子の鬣の如き髪形の、筋骨隆々とした偉丈夫。この屋敷の主である宮本青三その人だった。口を横一文字に引きつらせ、緊張したような面持ちでロビンに視線を向けている。

 金髪の美女、ロビン・リッケンバッカーは一枚の紙片……カードを確認していた。表面、裏面、はては薄っぺらな側面まで。

 熱心にカードを調べているロビンを注意深く見守る宮本氏。響達同行者には一瞥たりともしない。

 ちら、と宮辺響は同行者達に目を向けた。

 出された紅茶を優雅に楽しんでいるのは、まだ学生の身でありながら女神の様な容姿を持つ金髪青眼の美少女、滋野妃。

 流石は世界有数の大財閥である滋野財閥の御令嬢だ。その気品からか、高価そうな調度品で埋め尽くされたこの広い客間に違和感なく溶け込んでいる。

 その横には金髪の少女もう一人。金糸の如く洗練された妃とは違ったくすんだ髪色。どことなく垢抜けない印象の緑眼の少女、来栖遼はソワソワと落ち着かない様子で周囲を見渡していた。

 生まれも育ちも庶民な彼女にとって、如何にも上流階級といったこの空間は、さぞ居心地の悪いものなのだろう。普段から気が強いと言えない性格の彼女であったが、今回は一際大人しい。

 そして、孤児院生まれの少女である加藤環。

 一見小学校低学年にしか見えないこの少女。生まれはともかく育ちは庶民のはずなのだが、上流階級特有の空気に全く怖気づく事がない様子。

 ハイソな空気を全く気にせずに、ロビンの仕事仲間である黒尽くめの男、塔孔明と共に高級そうなお茶菓子と一心不乱に格闘している。

「どうですかな?」

「ん~?」

 しびれを切らした宮本氏の言葉に曖昧な返事を返しつつ、ロビンはカードを響に手渡してきた。

 ロビン同様に響もカードを確認する。

 そこにはこのような文言が踊っていた。


『○月○日の夜零時、かの画聖である高原蓮の名画を頂くべく参上する。ついで、価値ある名品もあれば失敬させていただきたく思う。存分に準備を整え、震えてその時を待たれたし。怪盗X』


「何とも古風なもんだな。フィクションでしか見た事ないぞ、こんなコッテコテの怪盗」

 どことなく呆れた様子で語る響に、しかし宮本は真剣な顔で首を振る。

「俺も初めはそう思いましたよ、お嬢さん。ですがね。このXとやら、どうやら本物の怪盗らしいのです」

「本物?」

「ええ。似たような被害が他にも無かったのか調べてみたのですが、この予告状が送られてきた者でお宝を無事護り抜けた者はいないとの事でして。影の一つでも目撃できればいい方で、大半が姿を確認すらできぬまま被害に遭っているのですよ」

「それは厄介だな……でもさ、そういう案件ならば私等のようなバイトじゃなくて、真面なセキュリティ会社にでも頼んだ方がいいんじゃないのか?」

「それも考えましたがね。今までの犠牲者を考えると不安で仕方がない。彼らとて馬鹿じゃない。出来うる限り最高の警備状態を敷いていた。だというのに幾重ものセキュリティを破られてあの様です。怪盗X……奴の神出鬼没ぶりはまるで魔術師のようだと噂されている。堅洲に住んでいる俺には、それが『まるで』ではない可能性があるのではないかと考えているのですよ」

「本物の魔術師の可能性、か」

 響は再び予告状に目を向ける。一通り眺め終わった後、ロビンに視線を送るが彼女は肩を竦めただけだった。

 魔術の中には標的に対してあえて予告をする必要があるものがいくつか存在する。また、予告状そのものが魔術を施された罠である可能性も十分にある。

 それを知っていた魔女達は、だからこそ念入りにこの予告状を確認したのだが。

「なんもないね。普通の予告状だ。ロビンさんが保証するよ」

「だな」

 それらしき痕跡は全く見受けられなかった。

「それにしても高原蓮か……ちょっと気になるな……」

 高原蓮なる画家に対して、響はそれなりの知識があった。かつてこの画家の作品に関する怪異に遭遇した事があって、後で調べてみたのだ。

 画家としてはかなり有名で、地球の風景とは思えない幻想的な作品を得意としていたようだ。死後評価される画家が多い中、珍しく生前から高く評価されており、売り上げた作品の数もあって中々の資産家でもあったらしい。もっとも、海外で人気を博すまでは国内の批評家達に散々辛辣な感想を浴びせられたようではあったが。若い時には随分と苦労した様子であった。

 しかし、彼が世界的に有名となっているのは、こういった画家としての評価ではなく、一種の都市伝説の類によるものであった。

 曰く、異世界を見る事ができる不思議な曇り硝子を有していたとの事だ。絵画を売って莫大な資産を溜め込んでいたはずの彼が、何故か生涯慎ましく小さな家で過ごしていた事、そしてその家の中で怪死していた事などから、高原蓮は幻想的な光景を実際に目にして絵画にしており、その異界からやってきた何かに殺されたのだとの噂が密かに囁かれていたのである。

 常人なら鼻で笑う程度の都市伝説だが、しかし響には笑う気が起きない。事実、彼の絵画が引き起こした怪異を目の当たりにしているのだ。

 なにより高原蓮。あからさまにレン高原を捩った雅号だ。世間一般では胡散臭い書物である魔導書に記されているこの土地を自らの雅号としている時点で、この画家が響達同様にこちら側の人物である可能性は非常に高かった。

「まあ、これだけじゃあ分からないよね。ショーゾー、狙われている絵画ってどこにあるの? 一応ロビンさん達も確認しておいた方がいいでしょ?」

「では案内しましょう。ただ、空き部屋に押し込んだままですので、散らかっているのだけはご堪忍を」


 白い廊下に足音が響く。何とも広大な宮本邸。怪盗X。かの者が狙う標的の仕舞われている部屋へと赴く最中、目に飛び込んで来るのは無数の絵画。

「素敵なコレクションですわね。まるで美術館の回廊を歩いているかのようですわ」

 感心を素直に声に出す妃に、しかし宮本氏は苦笑する。

「滋野財閥のお嬢様のお眼鏡にかなうとなれば、祖父もいい眼を持っていたという事ですかな」

「御爺様、ですの?」

「ええ。俺も親父も絵画に関しては関心が無くて。ここに飾られてるのは祖父が集めたコレクションなんですよ。飾り立てたのは俺ですがね。白一色で殺風景な廊下だったんで、いい感じの色合いになるように適当にチョイスしたんです」

「中々のセンスですわ」

「お褒め頂き光栄です……と、環殿。どうかなされましたかな?」

 一同が飾られた絵画の数々に目を奪われている中、ただ一人環だけが宮本氏を注視していた。

「ちょーちょーさん、やっぱり怪盗さんがおっかない?」

「まあ、不審者に家財を狙われている訳ですからな。しかしどうして?」

「テレビとかで見たちょーちょーさんと違って元気ないから、怪盗さんが怖いのかなって」

 その言葉に気まずげに目を逸らす宮本氏。それを見て、ロビンが軽く噴き出した。

 響達もその違和感には気が付いていた。普段、テレビ等で見る宮本氏はその獅子を思わせる体躯に相応しい傲岸不遜さで、自身の強さをアピールする事に事欠かない、良い意味でも悪い意味でもエネルギッシュな人物という印象だった。

 町長選挙の宣伝にて、古臭い伝統との決別を叫んで古びた地蔵の首をドロップキックで落とした行動は注目されると当時に物議を醸しだしたものだ。

 ところが、屋敷で出会った宮本氏は借りてきた猫のように大人しい。明らかに年下の響達にすら丁寧に接しており、マスコミの前で見せる高慢さが少しも見られない。

「まあ、その、なんだ。弱い犬ほどよく吠えるって事ですよ」

「ほえ?」

「あれは対外的なアピールに過ぎません。民衆ってのは常に強いリーダーを求めるものですからね。そも、吠えて威嚇するというのは戦いを避けたいが故の行動なのです。俺は強いぞ、戦っても無駄だぞと虚勢を張る事で、相手の戦意を挫こうとしている訳でして。本当に強ければ敵と見なした相手にこんな隙だらけの行動なんてしやしません。静かに近寄り喉元に牙を突き立てるだけです」

「でも、ちょーちょーさんムキムキで強そうだよ?」

「体は鍛えてますがね。これは健康の為ですよ。戦うための筋肉とは違います。強そうな見た目はイコールで実際の強さには結びつかんのです。如何にウェイトで相手を上回ろうと、当てる技術が無ければ張りぼてに過ぎない。ましてや魔道に生きる存在ならば尚の事。武藤の姐さん……都殿を見ればわかるでしょう? 天女の様な嫋やかな容姿をしているってのに、あの人、熊程度なら素手で殴り倒せますからね」

「あ~……そういやそうだ」

 宮本氏の言葉に響は納得する。堅洲町の守護者、武藤の末姫たるあの絶世の美女は内面如夜叉では済まない程の豪傑である。

 双子の兄である魔王殿に至ってはどう見ても童女にしか見えない。魔術すら使えないか弱い存在にしか見えない彼であったが、しかし伊達に堅洲の魔王と恐れられてはいない。人間が身に着けられる純粋な戦闘技術のみで数百年もの間怪異を狩り続けているある種の怪物であった。

「俺は馬鹿だが間抜けじゃないつもりです。威嚇が通用する相手としない相手の区別くらいつく。魔術に精通した存在ってのはただの人間にとってはそれだけ怖い相手だって事ですよ。下手に強気に出て強者の不評を買うよりは、虚勢を張らずに頭を下げた方が賢いといえるでしょう?」

「自分と相手の実力差をしっかり観察できる時点で、あんたも十分強かだと思うがな」

「誉め言葉として受け取っておきましょう」


「さあ、ここです」

 暗い室内に明かりが灯る。

 宮本氏は散らかっている、と言っていたが、割かし綺麗に整頓されていた。

 響達の目の前には堂々と置かれた布で覆われた小さなキャンバス。小脇に抱えられる程度の大きさだ。

 非常に目立っている。そもそも、部屋の中に絵画らしきものはこれしか見当たらない。

「額縁にでも飾ってるのかと思ったんだがな」

 黒衣の男、孔明がサングラスの奥から視線を投げかける。

「ショーゾー、こんなぞんざいな仕舞い方でよかったの?」

「生憎額縁を切らしてましてね。つい最近手に入れたばかりでまだ容易できとらんのです」

「ふ~ん……その絵、確認してもいい?」

「どうぞ、ロビン殿。皆様も気になる所があれば言って下さい」

 キャンバスから布が取り払われる。

 奇怪な絵だった。モデルとなったのは月明かりの下の一軒家。これ自体は別段不思議とは思えない……ごく平凡な印象の建物である。

 問題なのは庭だった。所々だまし絵のように空間が捩じれた非ユークリッド幾何学的な庭園が描かれている。

 そしてそこを闊歩する奇妙な生物達。どことなくブタを思わせる人型のそれらが家を取り巻いている。

 この家の住人か、と思いきやとてもそうは思えない。何とも怪訝そうな表情で恐る恐る家の中を覗いているかのようだった。

「どうですかな、皆さん」

 肩を寄せ合って無言で小さな絵画を見つめ続ける一同。

 ロビンと響は目配せをし、頷く。

「特に異変はないな」

「そうだねえ。本の価値ならまだしも、画の価値に関してはロビンさん素人だから置いておくけど、単に変わった画でしかないみたい」

 その言葉に目を丸くしたのは遼だった。彼女は確かに画から違和感を感じ取っていた……いたのだが、妃も環もロビンの見解を首肯している様子を見るに、自分の勘違いなのかと口を噤む。

「そうですか……しかし、Xとやら……どこで俺がこの画を手に入れたと言う事を知ったのか……」

「そういやつい最近手に入れたんだっけ?」

「ええ。本当につい最近で……と言うのも、支持者を名乗る者が匿名で送ってきたのですよ。この画は貴方にこそふさわしいとの手紙付きで」

「なんだそりゃ?」

「怪しいと言えば怪しいのですが、特に怪異が起きる訳でもなく放置しておいたのです。使用人にも殆ど見られていないので、本当にどこから情報が漏れたのやら……流石に、もう片方が狙われているとは思い難いですし」

「もう片方? おっさん、この画の他にも高原蓮の絵画があるのか?」

 響の言葉に、宮本氏は何とも言えない表情で頷く。

「あるにはあるんですが……正直、怪盗が狙うような価値ある品とは思えんのです。祖父は十億以上の価値があると自慢してましたが、素人目に見てもそんな大層な作品とは思えん画でしてな」

「どんな画なんだ?」

「画……画と言っていいのか、アレは……まあ、そちらは気にしなくても構いません。正直、奪われても問題の無い品ですからな。まあ、そこの画が奪われたとしても、痛くも痒くもないのですが。所詮はただで手に入れた画ですしな。ただ、他の家宝まで狙われる可能性があると放っては置けません。さて、どうしたものか……」

「ん~……とりあえず、奪われて困る物をこの部屋に集めといて。分散した状態で守るよりも警備を集中できるしね。この部屋には窓も無いし、しっかり部屋に鍵かけて扉の前で仁王立ちしとけば流石に怪盗も手を出せないでしょ」

「だ、大丈夫かな? 分散させておいた方が被害を減らせるような気がするけど……」

「ダメダメ、ハルちゃん。初めから盗まれる気でいちゃ。お宝を守るだけでなく怪盗をとっつかまえるくらいの気概で挑まないと、いい仕事なんてできないよ! さあさ、貴重品をこの部屋に集めるから皆手を貸して~!」

 ロビンに音頭を取られ、一同はぞろぞろと部屋を後にする。

 響は最後に画を一瞥し、布を被せて皆の後に続いた。


 二十三時を過ぎていた。時を刻む秒針が、約束の時間までたどり着くのまであと僅か。

 その男……怪盗Xは仕事支度を済ませていた。シルクハットに燕尾服。そして赤いマントに怪しげなアイマスク。探偵小説から抜け出たかのような、いかにも怪盗といった風の服装に身を包む。我ながら馬鹿げた格好だとは思っていたが、何、これは楽しいゲームなのだ。役柄にのめり込まない方が却って無粋だろうとXほくそ笑んだ。

 昼間に窓の外から聞こえてきた声からすれば、宮本氏の家宝の類はXが送り付けた画のある部屋へと運び込まれているはずだ。

 現に、白い布に覆われた窓の外からは荷物らしき物を運び込む慌ただしい足音がしばらく止む事はなかった。

 扉が閉まり、鍵がかかる音を最後に物音は途切れる。獲物はもはや、Xのすぐ側にあった。

 きっと今頃、扉の前では少女達が厳重な警備を敷いているのだろう。

 無駄な事だ。Xは既にここにいる。獲物をこの手に収める事が可能となった今、彼らにはその対価を支払おうではないか。驚愕という名の対価を。

 午前零時きっかり。その時点で全ての家宝が消え失せていたとすれば、きっと彼女達は驚くに違いない。故に、一時間ほど早く仕事にとりかかろうとしているXなのだった。

 机の上の酒瓶を指で弾く。普通の人間では決して味わう事の出来ない珍酒である。仕事終わりにはこれで祝杯をあげる事としようじゃないか。

 見慣れた玄関の扉を開く。白い布が掛かっている。それを手で払いのけると、キャンバスに覆われていた白布が地面に落ちた。

 高原蓮の絵画。そこに描かれていた一軒家の扉が開いていた。

 扉の前の男が宝物庫に一歩踏み出すと、その姿は二次元から三次元へと変化する。

 怪画より現れたその人影こそ、怪盗X。此度の予告状を送った怪人物であった。


 Xは電気を消されて暗い室内を見渡す。窓一つない部屋だ。暗視で物を見るのにも限界がある。

 怪盗は慌てる様子もなく、小さな怪画を手に取った。Xが出てきた建物に落ちる星明り。それが怪画の表面を淡い光で輝かせている。

 偽りの星明りで室内を照らす。何かが見つかった。近付いてみると、ミカンの段ボール箱。結構値の張る品種の物だ。恐らく、家宝を仕舞う為に急遽用意された物だろう。値の張る果物を段ボール単位で頼んでいるのだから、その財力には期待が出来るというものである。

 早速中身を確認しようとして、Xはそれに気が付いた。一瞬、恐怖心から声を上げそうになった程に、その物体は異様さを放っている。

 それは着ぐるみであった。モチーフは果たして何なのだろうか。不細工な猫と魚を適当に混ぜ合わせたかのような……暗がりで急に飛び出して来たら、子供なら間違いなく号泣するであろうという確信が持てる程に気味の悪い着ぐるみであった。

 この着ぐるみの正体はダゴン秘密教団が考えた堅洲町の非公認ご当地キャラ、ニャントロを模した物。町民達にすら不評なマイナーキャラを堅洲民でもないXが知る由もなし。

 一体何でこんなものが。この部屋に運び込まれた以上、果たしてこれも家宝なのだろうかと、Xが恐る恐る近付いてみると。

『確保おおお!』

「おわあああ!」

 機敏な動きで急に掴みかかってきた猫と魚の合成獣に、情けない悲鳴を上げてXは体を逸らす。

『ちょ、急に避け……ぐはあ!』

 つんのめって床に転がった着ぐるみから、男の声が聞こえる。どうやら怪物の類ではないらしい。

 バクバクと鼓動を早める心臓を落ち着かせようとしたXだが、想定外が立て続けに起こる。

 着ぐるみの声に反応するかのように、室内に科学の光が灯された。

「こんばんわ怪盗さん。悪いけれどチェックメイトだよ」

 ロビン・リッケンバッカーが意地の悪そうな瞳で扉の目の前に立ち塞がっていた。

 それだけではない。物陰から野球のバットを片手に現れる宮辺響。腰こそ引けているがフライパンを抱えて臨戦態勢の来栖遼。そして高級ミカンの段ボール箱から姿を現す滋野妃と加藤環。

 逃げ場の無い室内で、待ち伏せされていた。

『お~い、タマ、ちょっくら手を貸してくれ! 何か立てない! 一人で立てない! つうか、どうやって脱ぐんだこれ?』

「ヒロにーちゃん、だいじょーぶ?」

 倒れたままでジタバタ藻掻いている着ぐるみ男……塔孔明を助けに向かう環を余所に、ロビン達は部屋の角へXをジリジリと追い込んでいく。

「……参ったなあ……情報とは違う……君達はこの部屋にお宝を集めたはずじゃあなかったのかね?」

「いくら見習いだからって魔術師なめんなよXとやら。一目見ただけであの画が門として機能しているのには気付けたっつーの」

「だからロビンさん達は一芝居打ったわけだよ。門の外で聞き耳を立てているであろう君を追い込む為にね。ここに君の獲物を集めておく……そしてロビンさん達が扉の外で警備すると耳にすれば、油断して門の外からのこのこ出てくると踏んだわけだ」

「ははは……してやられたよ……」

 ドン、と壁に音が鳴る。Xの後ろは既に壁。目の前には完全武装の魔女達。

 まさに逃げ場なし。怪盗は怪画を盾にするかのようにロビン達の前に差し出して……。

 

 先程まで騒がしかった部屋の一角が急に静かになったのを、客間で待機していた宮本青三は感じ取っていた。

 仕事は済んだのだろうか。少なくとも失敗はしていないと宮本氏は考える。もしそうならば、ロビンが自分に即座に逃げるように声を上げるはずだからだ。

 その安心が誤りだった。

 客間の扉がノックもなく開かれる。

「おお、賊は捕えましたか……なっ?」

 そこに立っていたのは見知らぬ男であった。黒いシルクハットに燕尾服、赤いマントに怪しいアイマスクの男。怪盗Xである。

「宮本氏……ですな?」

「き、君はまさか……かいとう?」

「如何にも。私が貴方に予告状を送った者です」

「ロ、ロビン殿達はどうなったのだ?」

 怪人の口角が吊り上がる。言葉を発さず、ただ小脇に抱えていた絵画……件の怪画を宮本氏に見せつけた。

 宮本氏の瞳が驚愕に見開く。先程確認した時、絵画の中に存在しなかった者達が描かれていたのだ。

 それは紛れもなくロビン達だった。二次元の紙面に取り込まれた彼女達が、豚面の怪物達に囲まれていた。

「この画は門となっていてね。私はこの絵画の家に潜み住んでいた訳だ。そして、私が出入りできるのならば他人を取り込む事も出来るという訳で。しかし豚共は怒り心頭のようですな。まあ、私が彼らの蔵から希少な酒を拝借したせいですが、急に現れた彼女達が私の仲間だと誤認しているらしい。はてさて、いつまで持つものやら、見ものですねえ」

 堅洲での仕事を多数こなしているベテランの魔女、ロビンを敵に回してこの余裕。この豚面の怪物達はそれ程までに強大なのかと宮本氏は愕然とする。

「何せ本職の魔女が相手ですからねえ。如何に数がいようと話にならないでしょうよ」

「え? 持たないってそっち?」

 よくよく画を見てみると、囚われのロビン達は何と言うか……無双状態であった。振るわれるバット、飛び交う魔術、足元を飲み込む影の沼、豚面達を数人纏めて薙ぎ倒す古木の様なのっぺらぼうの怪物……。

 そんなロビン達の後ろで、妃と環が孔明の着ぐるみを脱がそうと四苦八苦している。何とも余裕がありそうだ。

 あまりにも一方的な蹂躙劇。これではどちらが襲撃側なのか分かったものじゃない。ついつい豚面達に同情してしまう宮本氏であった。

「やはり歯牙にもかけないか……とは言え数は数。彼女達が画の中から脱出するのには魔術を行使しなければならない以上、それを邪魔できるだけでも意味はある。だが、時間を稼ぐのにも限度があるのでね」

 怪人が宮本氏に怪画を突き付けた。

「本来ならば脅迫などというスマートじゃない方法をとらないようにしているのだが、今回ばかりは時間がない。宮本氏。痛い目にあいたくなくば案内してもらおうか」

「あ、案内?」

「この画の中から聞いていたよ。この画の他にも高原蓮の作品があるそうじゃないか。それも十億もの値の付いた。それだけの価値がある絵画ならば我がコレクションに相応しい。何より、高原蓮の作品だ。この画の様に魔力を秘めた品の可能性もあり得る。故に是が非でも手に入れたいのだよ」

「し、しかしあれは……」

「別に君をこの画の中に……この乱戦の中に放り込んでもいいのだよ? そうなれば彼女達も君を守って戦わなければならなくなるだろう。君が彼女達の足を引っ張れば引っ張る程、こちらも家探しする時間を稼げるという訳だ。しかし、出来ればこの方法は避けたい。いくら時間を稼いだとはいえ、彼女達が画から出てくるまでに私が獲物を発見できるかの確証は持てないからね。大人しく私を画の下へと案内してもらうと助かるのだが。さあ、どうする?」


 暗い室内に明かりが灯る。

 ここは騒ぎのあった部屋とは反対側の通路の奥、宮本氏の祖父のコレクションが仕舞われた部屋であった。

「ほう……これは中々値の張りそうなコレクションだね」

「……その言葉を聞けば祖父もきっと喜んだろうよ。例え盗人相手だとしても」

「ははは。中々言うではないか。まあ、安心したまえ。案内してくれた礼だ。目的の画以外には手を出さない事を約束しよう。何より、時間もあまり残っていそうにないのでね」

 そう言って宮本氏に怪画を見せる。

 唸るバットにフライパン。魔女の火球が宙を舞う。妖怪樹が根の様な触手で哀れな犠牲者を掴み振り回している。

 積み重なる豚人間達の肢体に対してロビン達は全くの無傷の様……否、着ぐるみを纏った塔孔明が奇妙な事になっていた。

 相変わらず地面に倒れたままだが、藻掻く事を止めている。何故か煙を噴きながら。環と妃が心配そうな表情をしているのが小さな画面から見て取れた。

 とりあえず、もう立っていられる豚人間の数は両手で数えられる程に減っていた。怪盗が焦っている通り、魔女にとってはこの怪画から脱出するのは簡単な事なのだろう。

 怪盗に急かされるまま、宮本氏は一つの額縁に近付き足を止める。絵画は布で覆われていた。

「……これかね?」

「……正直、俺にはこれがあんたが望むような代物だとは思えないんだがね」

「見てみなければ分からんよ。さて、オープンセサミ!」

 覆いが取り払われ、絵画が電光の下に晒されたる。十億もの価値が付いた高原蓮の絵画。それを見た怪盗は目を見開いたまま唖然とした。

 なんだこれは? 私を馬鹿にしているのか? それとも私を騙したのか?

 そんな感想を家主にぶつけようと振り返って気が付く。小脇に抱えていた怪画。その縁が象る直角から、奇妙な煙が漏れ出していた。

 火を付けられた? 一体いつ?

 そんな焦燥感から怪画を確認しようとしたその時だった。煙が意思を持つかのように怪盗に纏わりつく。次の瞬間、煙から実体化した黄金の触手によって怪盗は自由を奪われていた。

「今度こそ確保、と」

 怪画の角から漏れ出た煙が収束していき、漆黒の男、塔孔明へと姿を変える。黒い手袋を外した左腕はまるで朽木の様。そこから無数の触手が気根の如く戦慄いている。

「相棒、ご苦労さん」

 労いの言葉に応えるかのように異形の義手に単眼が生じ、宿主に向かってニヤリと笑った。


 宮本氏に持ってこさせたロープでもって孔明が怪盗を縛り終えると同時に、壁に立てかけられていた怪画の中から複数の人影が飛び出てきた。

 ロビン達だ。その手には奇妙な瓶が一つ納まっていた。

「お待たせ~……と、盗人は無事確保できたみたいだね、コーメー」

「そっちも終わったか」

「う~ん……何か罪悪感を感じるよ。ブタ君達、最後には土下座してこのお酒を差し出してきてさ。襲い掛かってきたのはあっちの方だとは言っても、結局は誤解だったようだし、流石にボコボコにしすぎたかな?」

 怪画の中では死屍累々と言わんばかりの惨状が広がっていた。動ける者がどうにかこうにか怪我人達を介抱している。とは言え、ちゃんと手加減はしていたようだ。誤解からくる争いだと理解していた為か命までは奪っていない様子であった。

「それにしても……先に出るって言ったから任せたけどさ。コーメー、何時の間にワンちゃんの真似事なんて出来るようになったのさ?」

「つい最近出来るようになったのに気が付いた。多分前の事件で相棒が猟犬を食い散らかしたのが原因だろう。手に入れたばかりの力なんで、まだまだ使いこなすまでにはいかないがな」

「シュギョーあるのみだね、ヒロ兄ちゃん! て、あれ? ちょーちょーさん、そのキャンバスなあに?」

「ああ、これかね」

 怪盗Xが覆いを外したままのその画……否、画ではない。それは何一つ筆が入れられていない純白のキャンバスであった。

 キャンバスには紙片が貼り付けられている。真白なキャンバスの中で、嫌でも目に付いた。

「まさか……まさかこの私がしてやられるとは……こんな罠を用意していたとは一生の不覚……!」

 おおよそ芸術作品とは言えないこのキャンバスに悔しがる怪盗Xだったが……対する宮本氏は複雑そうな表情をして盗人を見つめていた。

「騙してなどいないさ。コイツが爺さんの最高の宝物だ」

『はあ?』

 一同の声が一致した。

「高原蓮は海外で評価された結果、日本でも持て囃される様になった訳だが……それまでは国内での評価は低くてな。自称批評家連中に散々罵倒されていたらしい。ところがだ。海外で一旗揚げた後、高原の作品は数百万から数千万と言った高値が付けられるようになった。そうしたら批評家連中は掌を返して高原を称賛しだしてな。それが気に入らなかったんだろうな。ちょっとした意趣返しをしてやろうって思ったらしい。次に開かれる品評会で批評家達に十億の価値のある画を披露しようと宣言したんだ。それがこれだよ」

 宮本氏の視線の先。テープで適当に貼り付けられた紙片。よくよく見てみると、それは小切手であった。記された金額は十億円。

「うわあ……えげつねえ……」

「とんでもない意趣返しですわねえ……」

 この場の一同にも高原蓮の批評家達への皮肉がしかと伝わっていた。要するに高原蓮は「価格しか見ていないお前らにはこれで十分だろ」と言っているのだ。

「何せ著名人も大勢来るような日本の威信をかけた品評会でコレだからな。集まった批評家共は顔に泥を塗られた程度じゃ済まなかった。高価な絵画こそが良き絵画。そんな価格ありきで芸術を語る連中だ。そして、そんな奴らが赤っ恥をかくのを愉快な気持ちで見ていた意地の悪い連中もいたって事だ」

「アンタの爺さんもその一人って訳か」

「その通り。芸術家としての信念を賭けた啖呵を気に入った俺の爺さんは何をトチ狂ったのか、小切手に記入された額でこいつを買い取ろうとしたらしい。高原蓮は代金を受け取らなかったそうだ。この画を譲り受けた爺さんも、小切手を換金するような真似はついぞしなかった。今じゃ期限も切れていて、本当に思い出以外の価値はない代物って訳だな」

 生前の祖父から何度もこの話を聞かされていたらしく、宮本氏は苦笑する。

 そんな宮本氏の話を聞き終わると、縛られていた怪盗Xが無言で震えていた。覗き込んでみると、その目には熱い涙が伝っていた。

「……素晴らしい! これが芸術家として危険を冒してまで異界の風景を追い続けた男の矜持! そうまでして自身の仕事に誇りを持てなければ絵画に魔力を宿す事など出来はしないという訳か!」

「……どろぼーさん、そんなにカンドーした?」

「その通りだお嬢さん! 何も考えずに盗みを働いていた今迄の私が何とも恥ずかしい!」

「おーおー。しっかり反省しろよ」

「批評家の定めた価格にしか美術品としての価値を見いだせていなかったとは怪盗の名折れ! これからはしかとこの目で芸術家に込められた魂を確認した上で、素晴らしいと思った美術品は価格に関わらずに拝借しなければ!」

 爽やかな顔で再犯宣言する簀巻きのシルクハット。

 それを速やかに警察に突き出して、此度の事件は幕を閉じるのであった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ