第3話「沈殿の色」
宮中の門をくぐると、空気が一変した。石畳の冷たさと、絹衣の擦れる音、壁にかかった装飾の重みが、日常の薬房とは全く違う緊張を生む。
「綾音様、こちらへ」
侍女に案内され、私は静かに歩を進める。視線は常に、微細な色や匂いの変化に注がれていた。
依頼主である貴族邸での急死事件――それは単なる偶然の病死ではない可能性が高い。宴席の残り物で確認した微妙な煎じ薬の色。沈殿の形や焦げた匂い――そのひとつひとつが、計算された毒の証拠だった。
宮中の診療室に通されると、手元には検体として用意された薬と病者の症状メモが置かれていた。小さな硝子瓶を慎重に揺らし、色の違いを目で追う。
――これだ。沈殿の色が明らかに通常の薬草煎じとは異なる。濁りの粒子、微かな赤み……古典の毒草に見られる兆候と一致する。
観察眼は、単なる知識では補えない。体の変化、血色、口内の微かな色までを拾うことで、初めて推理が成り立つのだ。
「毒……使用の可能性があります」
呟く私の声は小さい。だが確信は、確かに存在する。
その時、宮中の空気が少し揺れた。侍女の微妙な視線、書簡を抱えた役人の動揺。権力の縦糸に触れた瞬間、私は知った――真実は単純ではない。毒を施した者も、権力も、陰謀も、すべてが絡み合っている。
薬を見つめ、沈殿の色を確認しながら、私は心の中で密かに推理を組み立てる。小さな瓶の中に、人を救うだけでなく、人を裁く証拠が眠っている――それが薬師としての、そして推理者としての私の役目だ。
雨はまだ降っている。窓の外で濡れた石畳が光を反射する中、私は静かに次の行動を考えた。
――真相に近づくほど、王都の縦糸に絡め取られる。だが、私は薬師として、人として、逃げはしない。