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第六章 地下室の亡霊

 ラフォルテ城には、誰も近づきたがらない地下室がある。


 そこは常に、ひんやりとした冷気が漂っていた。

 特に夜中は、身震いするほどに冷え込む。


「まあ、今の季節にはちょうどいいか。なかなか快適じゃねえの?」


 ファイン・スレーブは、どこからか調達してきた寝具に横たわりながら呟いた。

 石床の冷たさは、寝具を敷き詰めてもなお、じわりと伝わってくる。


 部屋にランプが一つあるだけの薄暗さ。

 やけに声が響くことにも、もう慣れ切っていた。




 ファインの言葉に、長いため息が返ってくる。


「おやおや、姫君ったら、ご機嫌斜めだねー」


 からかうように言うと、相手はふてくされたように寝返りを打った。


 柔らかい黒髪がふわっと揺れる。

 伏せられた瞼の下から、わずかに蒼い瞳がのぞいた。


「誰が姫君だよ。……ファズのくせに」


 ぼそりと呟かれた言葉に、ファインは頬に手を当てて答える。


「まあっ、何のことかしら、オルタード」


 ふざけた返事に、オルタードはがばっと上体を起こした。


「ファイン・スレーブ・エイリアシング・ノイズ」


 呪文のようにフルネームを言われ、ファインは一瞬だけ真顔に戻る。


「一度しか言わなかったのに、よく覚えてたな」


「人の名前を覚えるのは、いちおう礼儀だから」


 オルタードはふいっと顔をそむけた。

 素っ気ない態度だが、どこか照れているようにも見える。


「ごもっとも」


 ファインはからかうのをやめて、短く呟いた。


 ◇


 オルタードが『死んで』から、もうすぐ一週間。


 アルペジオの戴冠式は目前に迫っていた。

 だが二人とも、そのことには触れない。


 ゆっくりと、ただ時間だけが流れていった。


 ◇


「……おい」


 ふいにファインの表情に緊張が走った。


 オルタードは黙って頷く。

 誰かが近づいてくる気配があった。


 今、見つかるわけにはいかない。

 特に――ギミックには。


 ここ数日、ギミックが亡霊の噂について躍起になって調べているのは知っていた。

 本格的に城内を探り始めれば、いずれ発見されるのは時間の問題だ。


「腹は決めたか、オルタード」


「こうなることは、ある程度予測してた」


「上等だ」


 ファインは銃を構え、ゆっくり戸口へと近づく。


 階段を降りてくる足音。

 音は地下室の前で止まり――そして、遠ざかっていった。


「なんだ」


 ほっと息を吐き、銃を下ろすファイン。


「まだだ!」


 オルタードが叫ぶのと、扉が開くのは同時だった。



「あ……」


 ランプを掲げ、入ってきた人物を照らす。

 その姿を見て、オルタードは息を呑んだ。


「リゾネータ?」


 少し上ずった声で妹の名を呼ぶ。

 もう何年も口にしなかった名前だ。


 いきなり光を浴びて眩しそうに目を閉じたリゾネータ。

 けれどその声に、大きく瞳を見開いた。


「兄……様?」


 ようやく我に返ったファインが、リゾネータに銃を突きつける。

 撃つ気はない。だが、このまま放っておくこともできない。


「おとなしく、こっちに来てくれ」


 リゾネータはぎこちなく頷き、言われるまま部屋に入った。


 重い沈黙が漂う。

 兄妹を気遣い、ファインは口を閉ざした。


 オルタードとリゾネータも、それぞれ何から話すべきか迷っていた。


 ◇


 やがて、オルタードが口を開く。


「僕が怖くないの? リゾネータ」


「兄様のお姿が? それとも……亡霊かもしれないから?」


 リゾネータは泣きそうな声で答えた。


 幼い頃。

 兄の左腕が恐ろしくて仕方なかった。


 暗闇でも青白く光る銀の鱗。

 触れれば怪我をしそうな鋭い角。


 優しい兄の身体の一部だと認めることが、どうしてもできなかった。


 今も、牙をカチカチと鳴らす龍の頭を、怖くないとは言えない。


 けれど――。


 リゾネータは勇気を振り絞り、兄の左腕にそっと口づけた。


 冷たい鱗の感触が唇に残る。


 ◇


 オルタードは大きく目を見開いた。


「怖いわ……でも兄様が怒っていらっしゃることのほうが、私には一番怖い」


「……怒ってなんかいないよ。ただ、こうやってお前と話すのは初めてだから……」


 戸惑いながら言うオルタードに、リゾネータはほっと笑った。


 今までずっと心に引っかかっていたものが、ようやく晴れていく。

 もっと早く勇気を出していれば――そう思う。


 少し弾んだ声で告げる。


「たとえ亡霊でも、兄様には違いありませんもの。お会いできて……本当に良かったです」


 その言葉に、オルタードは声を詰まらせた。


「リゾネータ……もしかして」


 僕に会いに来たの?

 そうは訊けなかった。


 腕に口づけられただけで舞い上がっているとは思われたくなかった。

 だが――嬉しかったのも事実。


 妹の唇が触れた左腕が、ひどく熱い。


 ◇


「僕は亡霊じゃないよ、リゾネータ」


 代わりにそう言い、ちらりとファインを見る。


 この真実を語っていいのか迷ったのだ。


 ファインは素知らぬ顔で、大きく欠伸をした。



「実は――」


 オルタードは、これまでの経緯を語り始めた。

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