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憂色の中  作者: あんかけ
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泥沼の社内不倫をして、奥さんに愛想をつかれた上司の三重島脩がみちかに言ったことがある。彼は自信たっぷりな語り口で、明瞭な声を弾ませながら忠告してきた。


「みちか、おまえはあれだ。付き合うときは、熱くならないほうがいい。おまえみたいなやつが熱くなっちまうと、死ぬところまでいくんだよ。見ていりゃわかる。おまえ、感情的になるとずっとその方向しか見てねぇんだよ。俺とやったときもそうだっただろう?お前の反応面白かったよ。付き合いたての彼女みたいな反応して、キョドキョドしてよ。あんなふうに俺と話してたら、お前も疑われるだろうよ」


三重島とは上司と後輩という仲になってから、さして時間もたたずに体の関係になった。三重島はかなりのプレイボーイで、社内の幾人もの女性とそういう仲になっている。三重島はみちかの危うげな自傷行為もすぐに気づいた人間だった。


「お前見てるとさ、かわいそうになってきてたたなくなってくるんだよ。でもよ、そういう女の子もかわいいって思えるんだよなあ。苦しんでるのが健気に見えてな、助けたくなるんだよ」


「助けられたことなんかないですけどね」


「いつも、アドバイスしてるじゃねーか」


鋭く突っ込むと三重島は苦々しい顔をしてそれ以上なにも言わなかったが、彼はわかりやすい人間で嫌いではなかった。



ホテルに入ると、みちかはそそくさとシャワーを浴びるとバスタオルを身にまとって、ベットの上に座っていた。山岸は気を使ってか、いい部屋を選んでくれて、室内が広く清潔な部屋だった。風呂もジャグジー付きで、ガラス張りのシャワールームがあった。


「準備が早いね」


山岸は戸惑いながら、みちかの隣に座る。その戸惑いがこの先の行為が不安なのか、みちかの準備の早さに面食らっているのか、両方でもあるのか分からなかったが、彼はゆっくりとみちかの右手に指を絡めてきた。

くすぐったい感触が焦れったい。すぐ挿れて終わればいいと思ってしまう。


「きみは、他の人ともこういうふうにしているの?」


少女に話しかけるように山岸が尋ねてくる。長い睫毛と温和だが物憂げな瞳が気遣うようにみちかの体を包み込む。


「そうだったら問題でもあるの?」


意に反して刺々しい口調が口から出てしまった。山岸はビクッとして、動揺していた。


「僕に君の行動を制限させる権利なんてないと思うけど、もっと自分を大切にしてほしいよ。君はかわいいから、他の変な男に傷つけられるのをみたくないんだ」


みちかはその言葉に反応して、ギロリと鋭い視線を山岸に向けた。


「あなたは私がかわいいからそう思うの?ブスだったら、傷つけられてもどうしようもないってこと?」


山岸は違うと必死に否定して、反論した。


「違うよ。僕は君が好きでこういうことをしてるわけじゃないって見てて分かったよ。何か必要に迫られてやってるだけだってね」


「私はセックスをすると嫌なことを忘れれるからしてるだけ」


「好きな男性としたほうがいいよ」


「こうやって会ってるのにそんなこと言うのね」


2人の間に沈黙が降りそそぐ。山岸はドサッとベットに寝転がった。


「僕は君とそんなことをしないで、話してるだけでもいいんだ。この前分かったと思うけど、僕はなぜかEDだし、君を満足させられないけど、僕は君からまた返事が来てとても嬉しかったんだ。こんな僕でも君に必要とされてる気がしてね」


山岸はみちかを満足させられない身体に負い目を抱いているようだった。山岸は以前は愛撫で彼女の反応を楽しんでいたようだったが、そのじっくりと時間をかけたやり方がみちかにじれったさを感じさせた。一つ一つの反応をじっくりと味わうように観察して、次の行動にうつる。早急さからかけはなれたどっしりとした緩慢さ。


「そのEDって他の人でもなるの?」


山岸は再び赤くなって、ほおを掻きながら言った。


「この前そういうサービスのお店に行ったときも、そうだったよ。心理的なものかもしれない」


「楽しくないでしょ。気持ちよくないと」


山岸はいやと首を振って、穏やかな顔になった。


「そうでもないよ。僕はもともと相手を知っていくのが楽しくてね。どんどん相手を知っていくと、その人に特別な感情を抱くんだ。だから、会ってすぐセックスってけっこう抵抗があるんだ」


「私とは違うのね」


みちかがそう言うと山岸は肯定した。


「君は早く終わらせて、いってしまいたいの?」


「そう」


「そっか…。僕は適任じゃないね」


みちかも思ったことだった。どうしてこの男に再び連絡をしたり、親近感を感じたのかは分からなかった。この男のじっくりと時間をかけたセックスは、みちかの思う快楽を前面に押し出したそれだけの行為とはちがかった。それはどちらかと言うと、精神的なつながりを大事にしたものであった。みちかは早急なセックスをしても満たされないと理解したのかもしれない。だからこのような男を選んで、違う変化球を受けてみようと思ったのかもしれない。


「君は誰かを愛したことがある?」


「どう見える?」


山岸は同じように寝転んだみちかの顔に触れながら見つめる。


「君は愛してないように見えるよ」


そうかもしれないと思った。実際、いろいろな男と性行為はしてきたが、特別に愛着を持った人間や気にかかる人間はいなかった。三重島と関係を持ったとき、周りからの視線に怯えはしたが、それは彼との関係を知られるのが怖かっただけのことだった。


「君のその傷、痛くないかい?」


山岸はみちかの太ももにある、いくつもの赤く滲む傷跡を見ながら言った。


「痛くないよ。クセなの。我慢できなくなると、痛めつけたくなる」


山岸は、悲しげにその傷を見つめて、右手で撫でた。

みちかが太ももに傷をつける理由は、人に見えない場所に傷をつければ誰にも察することもなく、自己完結することができるからだ。だいたいの男たちはこの傷を見てはいけないものをみたように顔をしかめながら見つめてくる。この傷跡をみるだけで、みちかは傷物と認識されるのだ。


「そこまでやるほどに君はつらいのかい?」


「普通の人はやらないもんね、こんなことも傷つけることも」


普通から外れた人間。それは自分のことだ。みちかは学生時代まで太っていた。彼女を見つめる同級生の目は鋭く攻撃的なものばかりだった。彼女の鈍重な身体は受け入れられず、彼女は誰かに受け入れられようとダイエットをして努力した。社会人になってから、彼女は適正な体重になった。その時の人間からの眼差しは、太っていた頃と全く違うものであった。太っていた頃の彼女の親切な努力は、悲しいほど報われないもので、彼女をひどく扱ってもいいという暗黙の了解があるようでもあった。それが痩せてからというもの、扱いがガラッと変わった。他の人間と同じように扱われるようになったのだ。男性から声がかかるようになり、彼女を優しく扱う人間が増えた。みちかは世の中が善悪ではなく、見た目で判断されるところが大きいことを痛感した。


山岸は、いつの間にかみちかを抱きしめていた。その重苦しい悲しさを滲ませた瞳は彼女を見つめ、タオル越しの体を擦っていた。




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