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間宮みちかは今日も自傷をする。ゆきずりの男と性行為をして、日頃感じる焦燥感を覆って直視しないようにするのだ。彼女にとって、性行為は自分が押しつぶされそうなときにくいと止めるためにするストッパーみたいなものだった。見ず知らずのただ射精することしか目的としていない男に無責任な言葉を言われるだけで、みちかはこの世界をろくでもないものだと肯定することができた。彼女にとっての世界は、つかみどころのない意地悪な現実で、その現実に面と向かって挑むとたいてい傷だらけになってしまうのだった。
S市のT区の駅前の落ち着いた内装の喫茶店で男と待ち合わせしていた。男の名前は山岸未明という、畏まった名前の男だった。一度だけ関係を持ったが、余計なことを言わない男でみちかの話をただ聞いている男だった。その物憂げな表情が寂しげに見える男だった。自分のことは全く話さない男で、セックスの時もED気味で射精しなかったが、みちかは他の男よりもこの男に興味を持ち始めている自分がいた。
山岸が店内に入ってきて、従業員に説明しながらみちかのところまで来た。あの憂鬱そうな表情は変わらなかったが、みちかと顔を合わせたときその表情はふっと柔らかな笑顔になった。
「待たせてごめん」
「私もさっき来たばかりだから気にしないで」
水色のシャツに黒のスラックス姿だった。身長が高いせいか、足の長さが目立つ。山岸はみちかと同じアイスコーヒーを頼む。
山岸の歳は30代だった。仕事は車の整備士だという。みちかは25で詳しい年齢は聞かなかったが、年相応に見える。独身で、付き合っている女性はいないということだった。山岸のようなまじめな人間が、たった一度会った人間とセックスすることを不思議に思いながら、アイスコーヒーをすすった。
「どこでする?」
みちかはぶつけるように相手に言った。その露骨さに山岸は面食らいながら、苦笑した様子で応じた。
「駅前のホテルでいいんじゃないかな。君が嫌だったら、違う場所で構わないよ」
「私もそこでいいよ。飲んだらすぐ行こう」
みちかはさっさとホテルに行こうとアイスコーヒーを一気に飲むが、山岸は困惑した表情で彼女を見つめている。
「そんなすぐに行かなくてもいいんじゃないか」
山岸が口をモゴモゴさせながら、言った。みちかの早急さとは反対に山岸はのんびりを決め込んでいた。みちかの相手する男たちは、彼女と似たような男たちで早急にホテルにいくことを欲する人間ばかりだった。欲望に忠実で、都合のいい女をとっかえひっかえする男だ。軽い感覚でセックスを楽しめればいいという感覚の男たち。彼女にはそういう男のほうが共感ができて、単純だと嘲笑うことができた。
「話すことなんて何もないでしょ。私はやれればいいだけなんだから」
思っていうことをそのまんまに言うと、山岸の顔が少し赤くなって、恥ずかしそうな表情になった。まるで、久しぶりに女子と話す男子高生のようだ。
「僕は君とそういうこと以外のこともしてみたい。色んな話をしてみたいよ。嫌だったら、黙るけど」
ぶっきらぼうに山岸が言うと、シーンと静まり返った。みちかはなにかいいたげな視線を山岸に向けたが、黙っていた。山岸は自分の言った言葉を後悔したように、シュンとなった。
「ホテルに行こうか」
山岸が小声で言って、それに頷きながらみちかは喫茶店で会計をした。