【嘆きの森】第10話 森を抜けて
鉤爪に握られた脈打つ心臓に、森から白い靄が集まってゆく。ノアールは、それを嬉しそうに眺めている。
「……私の心臓……返して」
地面に転がるボルガの顔の、残った右目が動いてノアールを見た。この姿でもまだ喋れるようだ。
「アンタよりノアールの方が強かったんだ。この心臓は、もうノアールのものだよ。アンタが決めたルールだろう?」
再び、ノアールの口が大きく開かれて耳元まで裂けた。牙の生えた真っ赤な口の中へ、鉤爪で握っていた心臓を放り込んだ。
グチャリ……と湿った音がして、ノアールの口が閉じられる。
「……あぁぁぁぁぁぁぁ……」
地面に転がる半分の頭が、悲鳴にもならない声を漏らした。
それから、ボルガの口元が弱々しく動いてかぼそい声を絞り出す。
「……殺して……ひと思いに……わたしを殺して」
「いやです。貴女は、妾の大切な服に穴を開けたんですよ。妾は貴女のお願いを絶対に叶えません」
ボルガの右目がゆっくり閉じられた。
「僅かに残っている魔が、かろうじてその姿を留めていますね。でも、それも長くは保てないと思います。いずれは解けて森に散らばるでしょう。1年か2年か……あるいは百年先かはわかりませんが」
閉じられた右目から涙が流れた。
わたしとノアールは、森の出口を目指して歩いていた。
「ラゲルナ様」
「何だい?」
「あの方は、弱者をいたぶるのは楽しいからだと仰ってました。妾も、弱者をいたぶってみましたが……全然、楽しくありませんでした」
「そう言う行為はね。卑しい心がないと、楽しいとは感じられないんだよ」
「卑しい心があれば、楽しめるんですか?」
「わたしは……卑しい心の奴が大嫌いだ」
一瞬、脳裏にボルガの嫌らしい笑い顔が過った。思わず、吐き捨てるような物言いをしてしまう。そんなわたしをノアールは、少し驚いた顔で見つめた。
「では……妾はラゲルナ様に嫌われないように、卑しくない心でいます」
ノアールが、わたしにだけ向ける柔らかい笑顔で微笑んだ。
「そうしておくれ」
わたしも笑い返した。
木々の向こうに幅の広い街道が見えた。馬車の轍は新しい。森を抜けて、新しい街へ向かう街道に出られたようだ。
街道を歩き始めようとしたとき、妙に生暖かい風が吹いてきた。その風に乗って、聞き覚えのある声が聞こえた気がする。
……お願い、殺して
……私を……殺して
わたしは、風の吹いてきた方へ振り返ると小さな声で呟いた。
「アンタはこれまで他人の嘆きを楽しんで来たのだろう。これからはアンタの嘆きで旅人を楽しませてあげな」
Ep 嘆きの森 -終-




