離縁されました。愛してます。
愛が枯れるのはいつだろうか。
揺れる馬車の中で私は思った。
外から強い雨音が聞こえ、これからの人生を指しているようだ。
私の名は、アイリーン。
先程ロッキンガム伯爵に離縁された。
十五年。彼と連れ添った期間。
出会った学園での時も含めれば十八年。
ハーヴェイ・ロッキンガムとのかつての日々を思い出す。
貧しい男爵家に産まれた私は日々の暮らしにさえ困る生活だった。
学園は貴族の義務とはいえ、奨学生となりなんとか通える状況。
卒業後は女官にでもなって家計を支えるつもりで勉学に励んでいた。
そんなとき手を差しのばしてきたのがハーヴェイだった。
学生の貴族令嬢では外に働き場所などないので先生に頼み、学園の写本を行うことで少しだが報酬を得ていた。
勉強にもなるため放課後は学園の図書室でひたすら写本していた。
友人も作らず図書館に籠もる姿を馬鹿にされることも多かったがかまってなどいられなかった。
「アイリーン嬢は見目はいいのに変わり者だ」
もったいない。そう何度も陰口を耳にした。
私は透けるようなシルバーブロンドにブルーの瞳。見た目だけなら高位貴族の様だろう。
両親とはあまり似ていない。
父は茶の髪と瞳。母はブロンドに父と同じ茶の瞳。
父曰く、私の色合いは母方の血筋によく似ているらしい。
顔は母と似て少しきつめだが整っている方だと思う。
母は生家である侯爵家から絶縁されている。もともと私のような派手な見目の家族との違いにコンプレックスがあり、あまり仲が良くなかったらしいのだが在学中に父と恋仲になり私を孕んだことにより溝は決定的になってしまった。
婚約者もいたがさすがに婚前に浮気して孕む娘など受け入れられる訳もなく婚約破棄され、父の生家 トゥエルマン男爵家に責をとらせる形で母は嫁いだ。
侯爵家から絶縁となった。
しかし母は捨てられたとすら思っているのだろう。
裕福な侯爵家から騒動の慰謝料でさらに貧しくなった男爵家に嫁いだ母の戸惑いは大きかった。
しかも原因となった娘は自分たちと似ず、侯爵家の、自分を捨てた家族と同じ色合い。
「私の娘なら私たちの為に生きなさい」
幼い頃から何度も母に言われた。
父はそんな母をみて少し困った顔をするだけで何もしない。
父方の祖父母は優しかったが心労からか幼い頃に亡くなってしまい私の味方はいなくなった。メイドを何人も雇う余裕もないので家事は私が中心となり回して、空いた時間に内職や勉強にあてた。
父は城で下級文官をしており家をあける時間も多く、母は特にすることもなく家に引きこもっていた。
侯爵令嬢として生きてきた母は家事や仕事など出来るはずもなく、かといって着飾れるほど裕福でないため人と会うことを極端に嫌っていた。
気まぐれに私を呼んではかつての裕福な生活や私の存在によって失ったことを何度も繰り返し話す。
病んでいく母を見るのは辛かった。その現実を私に押しつけ仕事に逃げる父が憎かった。
少しでも母を救いたくて勉学に励むが今思えばそれが私にとっての逃避だったのだろう。
他人にどう思われようと図書室だけが唯一私の癒やしだった。
この顔のせいで男性には邪な目で見られることも多く、そのせいか女性には尻軽だのふしだらだの言われる。
だから変わり者として距離を置かれるのは精神的にも都合がよかった。
それでもたまに「そんなに勉強ばかりしなくても僕に愛でられればなんでもしてあげるよ」などと宣う輩もいらっしゃいますがかつての母のような轍は踏みたくない。
愛など不確かなもので全てを失う事があると私自身の存在が証明しているのだから。
それに領地もなく、父の給金のみの貧乏男爵家の娘に真面目な付き合いを望んでなどいないだろう。
ハーヴェイとの出会いは図書室だった。彼も写本していた。
ロッキンガム伯爵家の嫡男である彼はもちろん金銭のためにしていたわけでなく進学のためだった。
彼はお世辞にも頭がいい方ではないらしく赤点が多くこのままでは進学も危ういらしい。
けれど伯爵家のしかも嫡男を留年させるわけにはいかず、学園側も頭を抱えたが剣術や馬術など身体を動かすモノは成績は良かったため特例として写本を補習替わりとすることで進学が認められた。
赤毛に金目の目立つ見た目だった。
がたいが良く図書室の小さな机に縮こまる姿は少し可愛らしい。まぁ目の端に入ってはくるが特に関わることなく過ごした。
彼は明るい性格から周りに人も多かったし私とは真逆の人種だった。
補習する彼を訪れる人も多く騒がしくしていた。
今日も今日とて彼の側に可愛らしい女の子がくっついていた。
私は離れた席に座り作業していたので特に気にしていなかったのだがやはり同じ空間に女がいるのが気に食わないのか「二人きりだともっと楽しいのになぁ」と甘えた声で彼女がこぼす。
無視したかったが関わるのも面倒だと思い私は写本途中の荷物を片付け始めた。
少し早いが家に帰って家事を片付けるかなどと考えているとパンッと大きな音が響く。
驚いて音の方へ目をやると先程の女の子がそれまでベタベタしていたハーヴェイの頬を引っぱたいたのだろう。
振りかぶった彼女の手と彼の頬が赤くなっていた。
彼女は顔を怒りで歪めていたが叩いてしまった事にハッとして図書室から慌てて出て行った。彼は赤くなった頬をさすっていたが驚いて固まっていた私に気付いたのか近づいてきた。
「お騒がせして申し訳ありません」
紳士の礼と謝罪をとられ、あわてて私もカーテシーで返礼した。
「いえ、お怪我大丈夫ですか?」
彼は頬に手を当てたあとかすり傷だからと笑っていた。
付き合ってから聞いたのだけれど彼はあの時「いなくなるならお前だろ」と彼女に言っていたらしい。
懐かしさに少し笑みがこぼれた。
彼はもうとなりにいないけどーーーー
彼が叩かれた日から図書室に女生徒が訪れることはなくなった。
静かになってよかったと思っていたのだが何故か彼が私のとなりに座るようになっていた。
それだけでも驚きなのだ話しかけてくる日が増えてきた。
最初は写本についてなどだったので答えていたが徐々に私生活や趣味など関係ない内容に。彼は話がうまくつい答えてしまっていた。
なるほど友人が多いだけはある。
けれど何故私に話しかけてくるのだろう。
疑問は浮かんでいたがそれなりに楽しかった。
貧乏男爵家と見下したり、見目に卑猥な目を向けられなかったのが大きかったのだろう。
彼の写本が終わる頃には友人関係になれていたと思う。
彼は写本が終わってからも週に数回は図書室を訪れていた。
「さすがに来年度も補習を受けるわけにいかないからな」
なるほど確かに来年も同じような特別待遇というわけにもいかないだろう。
それに彼は騎士志望らしく2年次からは騎士コースを専攻するため余計に勉強を疎かにするわけにいかないらしい。
「アイリーンはどこの専攻にいくんだ?」
「・・・ハーヴェイ様何度も言っていますが呼び捨ては「ここでだけだ」
言葉を遮るように言われた。
最初はアイリーン嬢と呼ばれていたのだが最近では呼び捨てで呼ばれる。
毎度未婚の男女の距離感を考えてと言うのだが図書室で人がいない時だけと譲らなかった。
「だいたい俺のこともハーヴで良いってのに」
彼は拗ねたように机に肩肘ついて口をとがらせた。
「愛称は婚約者や家族だけです」
「・・・分かってる、それで?専攻は?」
彼は納得してなさそうだが私が譲らない事は分かっているのだろう。
それ以上は言わなかった。
「女官コースです」
「働くのか?」
彼は驚いていた。
それはそうだろう我が国の女性の社会進出率はまだ低く、学園の女生徒のほとんどが淑女コースを選び卒業後の花嫁修業をするのがほとんどだ。
女官コースを選ぶのは我が家のような貧しい家の娘ばかり。
「我が家に余裕はありませんし、婚約もしておりませんので」
彼は何か言おうとしては口を閉じ、言葉を選んでいるようだ。
「気にしないでください」
「好きな奴はいないのか?」
「いません」
きっぱりと言い切る私に何故か悲しそうな顔をしていたが私は気にせず写本を始めた。
「その髪どうした?」
「なんでもありません」
「そんなわ「なんでもないです!!」
昨夜寝ていると激しい痛みで目を覚ました。
寝る前消したはずの灯りに照らされているのは私の髪を引っ張る母。
酒を飲んだのか酩酊していてブツブツと呟きながらふらふらと立っていた。
やめてと頼んでも母には届いてないようで「あんたばっかり」「私の娘じゃない」「なんで私が」と繰り返して私の髪を握る手が強くなる。
なんとか逃げようと揉み合いになったとき母の隠し持っていたはさみで髪が一束切られた。
切られたことにより髪から手が離れ、私は必死に母から逃げた。
別の部屋に入り鍵を閉め、息を殺した。
恐怖と痛みで暗闇の中で泣いた。
母はいつの間にか部屋に戻っていたようだ。
朝、私は髪を軽く整えたが髪から明らかに不揃いな髪がはみ出ていた。
しかし家を出るまで朝帰りした父と二日酔いからか頭を抱える母とすれ違いざまに挨拶したが二人とも髪になんて気付いてもくれなかった。
気付いてくれたのはハーヴェイだけだ。
恥ずかしさと嬉しさで私は彼の前で泣いてしまった。
彼はそんな私を静かに抱きしめた。
昨夜の出来事、両親との確執、誰にも言ったことのない全てを涙とともに吐き出してしまった。
「恥ずかしい話をしてごめんなさい」
全てを聞いて彼はなにも言わなかった。
そりゃそうだ由緒ある家の彼からすれば考えられない事ばかりだろう。
今まで親しくしてくれたのもきっと私の家族のことを知らなかったからだ。
これからはきっと軽蔑されるだろう。
言わなければよかった。
「俺が守るよ」
俯いて涙をこらえていた私は彼の声に驚きから顔をあげた。
まっすぐ私を見据える彼の目は冗談にしては真剣そのもの。
「嘘ならやめて・・・」
傷つきたくない。
「アイリーンを愛してる」
祖父母が亡くなってから誰にも言われなかった言葉。
諦めていた。いや、強がっていただけだったのかもしれない。
両親からの愛がないのも、それを責められても、家のためにと勉強に逃げたのも。
その言葉が欲しかっただけだった。
それから私たちは話し合いをした。
私の両親のようにならないため一線を越えないこと。
お互いのやるべき事をやること。
それでもお互いに愛し続けれたら卒業後に結婚しようと。
正直家格の差もあるから私は結婚は出来ないと諦めていた。
それでも彼の言葉に救われたのだから彼が私を見捨てるまで彼とともにいようとそうおもった。
それから私たちはお互いに切磋琢磨した。
私は女官に彼は騎士に。
目指すモノは諦めず。しかし愛し合った。
私は少しでも彼の助けになりたくて勉強を教えた。
彼もそんな私の助けだけに甘えることなく努力した。
卒業する頃には彼は文武両道とまでいわれていた。
そんな姿に彼の両親は感動し、最初は私たちの仲を反対していたのだがいつしか認めてくれた。
一時は留年の危機さえあった息子の成長がよほど嬉しかったのだろう。
私の両親は相変わらずだったがもう私は彼らに傷つけられたりしない。
愛してくれる彼がいるから。
卒業と同時に彼と結婚した。
幸せだった。
両親は突然の伯爵家との縁談に浮き足立っていたが嫁いだあとは距離をとると決めていた。
騒いでいたが王室騎士となった彼に諌められれば黙るしかなかった。
彼によく似た娘と私似の息子の双子を産み、家族四人幸せに暮らしていた。
女官の仕事は妊娠とともに退いたが今は伯爵家の女主人として騎士であり当主の彼を支えていた。
けれど幸せは突然幕を閉じた。
夜も深い時間最近家に帰っていなかった彼が慌てて帰宅したかと思うと私に離縁の書類を叩きつけてきた。
「アイリーンこれを書いて子供達と今すぐ出て行け」
怖いくらい鋭い瞳。
「・・・分かりました」
私は言葉を飲み込み了承した。
書類に記入するとすでに使用人が最低限の荷物と子供達の支度を済ませた状態で玄関の馬車に詰め込んでいた。
子供達は寝ていたのだろう頭を揺らし目をこすっていた。
久しぶりの父に気付いたのか「とおさまぁ」と呟いたが眠さに負けたのか二人とも使用人に抱きかかえられると眠ってしまった。
そのまま馬車へ乗せられる二人を彼は乗り込むその瞬間まで見つめていた。
「さぁ、君も馬車へーーー」
私は彼を抱きしめた。
彼は何も言わず抱きしめ返してくれた。
時間にすれば僅か。けれどその時を私はかみしめる。
「早く行け」
そう言うと彼は私に背を向けた。
「今までありがとうございました」
その背に礼をして私たちはロッキンガム伯爵家をあとにした。
荒れる天気、雨を切り開くように走らせた。
子供達は揺れを気にせず寝たまま。
揺れの少ない馬車を作らせたのも彼だった。
一刻ほどたった頃走ってきた道を窓から振り返る。
雨の中赤々と空を照らす火の手。
この国は近年情勢が不安定だった。
平民を中心とした革命軍。彼は騎士として最後まで国の為に仕えるのだろう。
どうなるか分かった上で。
世界の流れは革命軍にある。
国が崩壊すれば騎士である彼は逆賊として処分される。
だからその手が私たちにまわる前に離縁を選んだのだ。
貴方と最後をともに出来るのならそれでもよかった。
けれど私はこの子達を守らなければいけない。
運良く私は実家で培った家事の腕も学園で学んだ教養も女官としてのツテもある。
ただのアイリーンとなろうが貴方にかわってこの子達を守ってみせる。
「ハーヴェイ愛しているわ」
寝息をたてる子供達に誓う。
彼があの日私を守ると愛すと誓ってくれた。
今日までの日々を思い出せば私はいくらでもこれからの荒波に立ち向かえる。
愛が枯れる?そんな時はこない。
どんなに経とうとも私は彼を心に秘めている。
誤字報告ありがとうございます!訂正しました