第五十九話:調律の詩、新生の響き
脈打つ巨大なコア。世界の終焉を招きかねない、暴走寸前のエネルギーの塊。俺はその前に立ち、仲間たちに最後の指示を与えた。
「俺がコアの『調律』を開始する。だが、俺一人では抑えきれないだろう。コアが抵抗し、エネルギーが溢れ出すはずだ。レン、セバスチャンは、その暴走エネルギーから俺と皆を守る物理的な障壁を。栞、ミナは、俺への魔力供給と、精神的なリンクによるコアの状態のフィードバック、そして防御魔法でのサポートを頼む」
「譲…無茶だ! お前の消耗は…!」
レンが、俺の身を案じて叫ぶ。MPも精神力も、限界に近いことは確かだ。
「無茶でも、やるしかない。俺には、託されたものがある。それに…俺は一人じゃないからな」
俺は、仲間たちの顔を見回した。そこには、不安と共に、強い信頼と覚悟が宿っていた。
「…分かりました、譲さん。私たちを信じてください」
栞が、決意を込めて頷く。
「全力でサポートします!」
ミナも、杖を強く握りしめた。
「…必ず、守り抜いてみせる」
セバスチャンは、静かに、しかし確かな意志を持って言った。
「…ああ、任せたぜ、譲」
レンも、覚悟を決めたように魔力剣を構え直した。
俺は頷き返し、再びコアと向き合った。そして、意識を深く潜行させ、『クロノスの刻印』、『グラビティ・コード』、『星霜の秘文字』、そして調律者から託された世界の『真実』に関する情報、さらに高村教授と相沢が遺した『時空制御理論』の断片…それら全てを、俺自身の『法則干渉』能力と融合させていく。
それは、単なるエネルギー制御ではない。このコアがよって立つ、歪んでしまった世界の『法則』そのものを、より安定した、調和の取れた状態へと『書き換える』試み。いわば、宇宙のバグを修正するような、究極のデバッグ作業だ。
「――調律、開始!」
俺は、精神エネルギーを最大限に解放し、コアの中心核へと働きかけた。特定の周波数のエネルギーパルス、時空間構造への微細な干渉、そして因果律の揺らぎに対する補正。頭の中の方程式が、現実の世界へと具現化していく。
**ゴオオオオオオオオオオオッ!!**
コアが、激しく抵抗を始めた。まるで、書き換えを拒むかのように、暴走エネルギーが津波となって溢れ出し、俺たちに襲いかかる。赤黒い破壊の波動が、空間を焼き尽くさんばかりの勢いで迫る。
「障壁展開!」
「風よ、盾となれ!」
レンが魔力剣で光の壁を作り出し、セバスチャンが風の渦でエネルギーを拡散させる。だが、コアのエネルギーはあまりにも強大で、二人の防御壁は軋み、ひび割れていく。
「譲さん! コアの内部構造が不安定化しています! このままでは…!」
栞が、精神リンクを通じてコアの悲鳴に近い状態を伝えてくる。
「ミナ、防御魔法、最大出力!」
「はいっ!」
ミナの放つ虹色の防御障壁が、レンとセバスチャンの障壁を補強する。それでも、エネルギーの奔流は止まらない。
「ぐっ…! 持たないか…!」
俺の精神力も限界に近づいていた。視界が明滅し、意識が途切れそうになる。
(…諦めるな…! 相沢…先生…そして、みんなが託してくれた想いを…!)
その時、俺の手に握られていた、縮小化された『クロノスの刻印』が、温かい光を放ち始めた。それは、俺の意志に呼応するかのように、安定した、調和の取れたエネルギーを俺に供給し始めたのだ。
(…これは…!)
力が、再び湧き上がってくる。そして、頭の中に、新たな『方程式の解』が閃いた。
(そうだ…無理に抑え込もうとするんじゃない。流れを…法則の流れを、あるべき姿へと『誘導』するんだ…!)
俺は、コアから溢れ出す暴走エネルギーを、破壊の力として打ち消すのではなく、それを『揺り籠』全体のシステムを安定化させるためのエネルギーへと『変換』するような、新たな干渉パターンを構築し始めた。それは、まるで複雑な音楽を指揮するかのように、繊細で、調和に満ちた『法則操作』だった。
俺の指が、空中で見えない楽譜をなぞるように動く。それに呼応して、コアの脈動が、徐々に、しかし確実に、穏やかなリズムを取り戻していく。溢れ出していた破壊のエネルギーは、清浄な光へと変わり、揺り籠全体の壁面を流れるエネルギー回路へと吸収され、循環し始めた。
ドーム全体を満たしていた圧迫感が消え、代わりに、暖かく、生命力に満ちたような、穏やかなエネルギーが満ちていく。天井の星々はより一層輝きを増し、壁面の生体組織のような部分も、健やかな脈動を取り戻した。
空間の歪みが完全に消え、時間の流れも安定する。
**「…………」**
やがて、コアの脈動は、完全に落ち着いた、規則正しいリズムを刻むようになった。暴走は、完全に鎮圧されたのだ。
調律は、成功した。
「……終わった……」
俺は、最後の力を振り絞ってそう呟くと、今度こそ完全に意識を手放し、その場に崩れ落ちた。
***
次に俺が目覚めた時、俺は再び、仲間たちの顔に囲まれていた。だが、場所は『揺り籠』の中枢ドームのままだった。俺は、栞の膝枕で眠っていたらしい。
「…譲さん! よかった…!」
俺が目覚めたことに気づき、栞が安堵の涙を浮かべる。
「…気分はどうだ、譲」
レンが、少し心配そうに尋ねてくる。
「…ああ、大丈夫だ。少し、疲れただけだ」
俺はゆっくりと体を起こした。MPも精神力も回復には程遠いが、意識ははっきりしている。そして、周囲の空間が、以前とは比較にならないほど安定し、清浄なエネルギーに満ちているのを感じた。
コアは、静かに、しかし力強く脈打ち続けている。それはもはや暴走の脅威ではなく、世界の『法則』を安定させるための、巨大な調律装置として、本来の機能を取り戻したかのようだった。
「…コアの暴走は、完全に止まったようですな。そして、この『揺り籠』全体のエネルギー状態も、極めて安定しています。神崎様、あなた様は、まさしく奇跡を成し遂げられた」
セバスチャンが、深い感嘆と共に報告する。
「俺一人の力じゃない。みんながいたからだ」
俺は、仲間たちを見回して言った。レン、栞、ミナ、そしてセバスチャン。彼らがいなければ、俺はこの結末にたどり着けなかっただろう。
俺たちは、改めて周囲を見回した。安定を取り戻した『揺り籠』の中枢は、以前の禍々しさは消え、むしろ神聖さすら感じさせる、美しい空間へと変貌していた。壁面を流れるエネルギーの光は、まるで生命の賛歌のように輝いている。
「…これから、どうする?」
ミナが、少し不安そうに尋ねた。
「まずは、ここから脱出しよう。そして、エリーゼに報告し、この『揺り籠』と、世界のこれからについて、話し合う必要がある」
俺は答えた。世界の危機は一旦去った。だが、問題が全て解決したわけではない。『ノア』の残党はまだ存在するかもしれない。アトラス社の脅威も残っている。そして、ダンジョンという存在、世界の歪みそのものが、今後どうなっていくのかも未知数だ。
俺たちは、回収したアトラス社の装備やキメラの残骸(相沢のデータチップも忘れずに)をまとめ、この中枢ドームを後にした。帰り道は、行きとは比較にならないほど穏やかで、安全だった。
『揺り籠』の入り口から外へ出ると、極北の空は、以前の鉛色ではなく、オーロラのように美しい七色の光が揺らめく、幻想的な光景へと変わっていた。『揺り籠』が安定した影響が、外部の環境にも及んでいるのかもしれない。
俺たちは、待機していた次元潜航艇『アルゴノーツ』へと乗り込み、フロンティアへの帰還の途についた。
長かった戦いは、一つの大きな区切りを迎えた。多くの犠牲と、多くの発見、そして仲間たちとの絆。俺は、この経験を通して、大きく成長することができた。
だが、物語はまだ終わらない。世界の『法則』は、新たな局面を迎えたのだ。俺は、その中心で、これからも法則を読み解き、調律し、そして未来を切り開いていくことになるだろう。
手の中には、託された『クロノスの刻印』と、相沢のデータチップ。そして、心の中には、仲間たちとの確かな絆と、世界の未来への責任感。
俺たちの本当の戦いは、これから始まるのかもしれない。
法則の彼方にある真実を目指して、俺――神崎譲の探求は、これからも続いていく。その先に、どんな未来が待っているとしても。