桜咲く頃に
夏子は、高校2年生であった。高校での成績も順調に伸び、キャンパスライフも充実していた、はずであった。しかし、夏子には、誰にも言えない悩みがあったのだ。彼女も、もう17才であった。そう、思春期なのである。思春期といえば、性の目覚め、つまりは、異性を意識し始める年頃なのである。クラスの皆といえば、年頃で、すでにボーイフレンドやガールフレンドと、付き合い出している。そして、デートに出かけるカップルも大勢いたのである。
その日、夏子は、自宅のリビングでテレビを観ていた。テレビでは、韓国の恋愛ドラマを放送していた。夏子は、見るでもなく、ただぼんやりと眺めていた。台所で、洗い物をしていた母親が、そんな夏子に気づいて、笑顔で言った。
「へえ、夏子も、そんなの見る年頃になったのね、早いのね、若い頃って」
「変なこと、言わないでよ、母さん。あたし、そんなんじゃない」
「隠してもだめよ。ねえ、夏子、もう、ボーイフレンド、出来たの?どうなのよ?」
「う、うん、まあ、ちょっとね」
「へえー、夏子も、隅に置けないわね、彼氏って、どこの誰?」
「もう、母さんったら」
母親は、笑っていた。
夏子には、浩一というボーイフレンドがいた。同じクラスメートである。そもそもは、浩一からの告白で始まった。
「僕と付き合ってくれないか?」
と、ある日の放課後に、校舎の階段の踊り場で、突然に浩一から言われたのだ。正直、夏子は、複雑な心境だった。でも、浩一の熱い誠実さに負けて、OKをしてしまった。すると、浩一は、すぐに、デートを申し込んできた。学校が終わったら、近くの喫茶店でお茶でも飲もうというのだ。夏子は、慌てた。性急すぎると言って断ったのだ。でも、また、浩一は、何度も彼女に迫って、頼んできた。それで、夏子も断りきれず、同行すると告げた。
来たのは、街角の小さな西洋風の洒落た喫茶店だった。その壁際の席で、夏子と浩一は、色々とおしゃべりをした。話題を持ち出すのは、もっぱら浩一であった。最初は、難しい顔をしていた夏子も、浩一の笑えるような話題には、つい引き込まれて、熱中して聞き入った。あっという間に、時間は過ぎていった。それで、夏子が、そろそろ夕食だから、と言って浩一と別れた。
それから、あっという間に夏が来た。その頃から、夏子の心に、微妙な変化が起こっていた。それは、同級生の加奈子のことであった。最初は、何でもなかった。何気ないことであった。隣の席に座る加奈子の指が気になるのだ。夏子自身、自分でも不思議であった。よく分からない。授業中、加奈子は、いつも指で、テディベアーのデザインのシャープペンシルを握っていた。すると、夏子は、加奈子に、
「ねえ、加奈子って、テディのマニアなの?」
と聞いてしまうのだ。加奈子は、突然に、夏子にそんなことを訊かれて、戸惑うように、
「う、うん、マニアじゃないけど。ただ、このデザイン、気に入ったから持ってるの」
と、答えた。
その時は、それきりだった。でも、夏子の心に何かが、引っかかっていた。自分でも分からないのだ。
相変わらずに、浩一とは、時折、デートしていた。夏子は、浩一と話すのが楽しかった。浩一がアルバイトをしていたコンビニで、買い物をした客に、釣り銭を多く渡して持ち逃げされたとか、市民プールで監視係をしていて、足を滑らせて、プールにハマったとか、よく夏子を笑わせた。でも、夏子は、自分の何処かで、彼じゃないと囁く声を聴いていた。でも、それが何かは、彼女自身、やはり、分からなかったのだ。
そんな毎日を過ごしているうちに、秋が過ぎて、冬になった。
そんなある時、夏子は、隣の加奈子の指から、今度は、胸が気になってきた。妙に気になるのだ。加奈子は、高校生の割には、大きな胸をしていた。いわゆる巨乳というものか?そして、夏子は、自分の胸と比べてみた。自分は、貧乳とまではいかなくとも、あまり大きいほどではない。そして、加奈子の胸に憧れた。あんな巨乳になれたらなあ、と正直、思った。
そして、その頃から、夏子は自分の心に気づき始めた。
そして、年が明けて、やがて、春の始まりを告げた。
そして、ようやく、夏子は、自分でも、自分の心を理解できるようになっていた。
そんな、ある日、夏子は、思い切って、浩一を呼び出して、いつもの喫茶店に来た。
「ねえ、浩一、話があるの。真面目に聞いてくれる?」
「何だよ、急に改まってさ、それって、俺たちのこと?」
「うん、そういうこと。実はさ、こんなこと言ったら、浩一、怒っちゃうかもしんないけど、はっきり、言っちゃうけど、あたしと別れて欲しいんだ、本当にごめんなさい」
「ええっ、何だよ、それ。じゃあ、別の男が好きになったとか、そういうことか?」
「ううん、そういうんじゃないんだけど、何ていうか、たぶん、言っても、浩一に笑われるから言わないけど、ねえ、一生のお願い、あたしと別れて、他の女の子を探して」
「弱ったなあ、まさかね、そんなこと、言われるなんて思わなかったよ、でも、ううむ、そうか、夏子には、何かの事情があるのか。そうか。じゃあ、夏子のために、僕は別れるよ、それでいいのかい?」
「ええ、ありがとう、嬉しい、恩に着るわ。あなたのことは忘れない。本当よ。ありがとう」
そして、その頃から、すでに夏子は、加奈子の胸ではなく、加奈子自身に関心を抱いていた。そして、その気持ちは、しだいに自然と、つのって、別の気持ちへと変わってしまっていた。
そして、ついに、ある日、放課後に、机に向かって帰り支度をしている加奈子に、
「ねえ、加奈子、ちょっと、話があるんだけど、校庭まで付き合ってくれないかしら?」
「何よ、改まって。何か、悩み事でもあるの?」
「いいから、付いてきて」
もう春であった。校庭にあるたくさんの桜の樹が、鮮やかなピンク色に咲き誇っていた。
「実はさ、あたし、加奈子のこと、好きになっちゃったの、心から」
突然、加奈子が笑い出した。可笑しくて堪らないらしい。それで、加奈子は、つられて夏子も笑い出すと思って、彼女の顔を見ていた。でも、夏子は、真面目な顔で黙り込んでいる。それで、加奈子も、真面目になって、
「じゃあ、本当のことなの?」
と、尋ねた。すると、夏子は、黙ってうなずいた。
「ごめん、夏子。笑ってごめんなさい。それじゃあ、あなた、あたしを愛しているってこと?」
また、夏子は、黙ってうなずいた。それで、加奈子は、
「でも、それって………………………」
「LGBTって言うんだって。性同一性障害。男同士が好きになったり、女同士が好きになったり、時には、バイセクシャルと言って、両性が好きになる人もいるんだって。スマホで読んだ。あたしも、そうみたいなの。男の人が、好きになれなくて、本当はね。でも、あたし、加奈子は本当に好き。心から好きよ。でも、加奈子が駄目よね?」
しばらく、加奈子は黙っていた。考えているらしい。そして、その後で、
「ううん、いいのよ、あたしは。夏子が愛してくれるなら、あたしも、そんな気持ちになってくる、本当。不思議ね、人の心って」
「じゃあ、あたしのこと、好きになってくれるの?本当に?」
加奈子は、しっかりと、うなずいた。
桜は咲いていた。そして、夏子の心にも、花が咲いていたのだ。
春だ。たくさんの花が咲き出していた。そして、誰の心にも、きっと花が咲きだしているのだろう……………………………。