広島城へ行こう!
今日から毛利家での生活が始まって、はじめての登校。ヒロちゃんとは同じ学校だから、登校も自然と一緒になる。
朝、玄関を出ると、笑顔の輝元君が家の前で待っていて、ヒロちゃんが一瞬げって顔をしたけど、そのまま3人で登校することになった。
なんとなく私が真ん中、その左側にヒロちゃん、右側に輝元君という並びになって学校へと向かう。
「いいか、家ではいいけど、学校では絶対にヒロちゃんって呼ぶなよ」
「わかった」
家ではいいんだ……。そんな言葉は、真面目な顔で真剣に言っているヒロちゃんの前では、声に出せなかった。学校では、なんて呼べばいいんだろう。今更ちゃんと名前を呼ぶのもそれはそれで恥ずかしいな。そうやって色々考えていると、私達のやりとりを黙って見ていた輝元君が口を開いた。
「僕のことは、テルちゃんって呼んでくれていいよ。どこでも!」
「え!?それはちょっと……」
気を使ってくれた(?)輝元君には悪いけど、子供の頃からならまだしも、今からちゃん呼びし始めるのも恥ずかしいし。
「なんで!?小さい頃は呼んでくれてたのに……」
輝元君は、ほっぺたをふくらましながら言った。自分が可愛い系の顔だとわかっていてやっているあざとさがある。
「え!ほんとに!?」
「馬鹿。呼んでない。信じるな」
ヒロちゃんが、私達に視線を向けないまま言い放った。ちぇっと言った輝元君にあやうく騙されるところだった。3人で喋りながら歩いていると、いつもより早く校門が見えてきて、校門の前に見知った姿がいた。
「あっ隆景さん」
名前を口にした途端、きっと睨みつけられた。本当に美人のきつい顔は迫力が違う。何度見ても慣れないかも……。
「公私を分けれないんですか?学校では先生と呼びなさい」
「すみません……」
みんなとの夕食の時に知ったけど、隆景さんは、私達の学校の特進クラスの担任の先生だった。
どっかで見たと思ったら、先生だったとは。だから見たことがある気がしたのか。子供の頃の記憶じゃなくて。私達は、普通のクラスで、特進クラスの先生とはあんまり会わないから、すぐわからなかった。
校門を抜けて、校舎に向かって今度は4人で歩く。
「隆景叔父様は、逆に家で先生って呼んでも、公私混同だって怒るんだ」
小さい声で教えてくれた輝元君は、よっぽど小早川先生が怖いみたいで、ちょっと声が震えてる。
「ところで、紅葉さん。広家は、貴女と同じクラスだそうです。彼も何をしでかすかわからないので、見張りを頼みますね」
彼も?も?ってあと誰?と私が首を傾げると、無言で小早川先生(隆景さん)が輝元君を見つめる。視線の先の輝元君も、も?って誰?と首を傾げる中、ヒロちゃんが不満そうな声を出した。
「なんでこいつに見張られなきゃいけないんですか。俺、変なことしませんよ。輝元様じゃないんですから」
「僕!?なんでそこで僕が出てくるの!?隆景叔父様は一言もそんなこと言ってないよ!」
「先生と呼びなさい。そんなに私に叱られたいんですか」
「あっ!!ごめんなさい小早川先生」
輝元君がすごい勢いで謝った。
「でも、よかった!同じクラスだよ!ヒ……吉川君」
初めて名字で読んでみたら、ヒロちゃんがとても複雑そうななんとも形容しがたい微妙な顔になった。
「面倒くさい男は嫌われるよ。広家」
「うるさいです」
ニヤニヤした顔の輝元君がなにやらヒロちゃんに絡んでいるけど……ていうか輝元君はどこのクラスなの?見たことないんだけど、同じ学年なんだよね?
「貴方はこっちですよ。広家も担任が待ってますから、職員室に先に行ってください」
「ああっそういうことだから、また後でね!」
校舎に入って靴を脱いだところで、輝元君は、私達のクラスとは反対側の廊下へと小早川先生に引っ張られて行った。
「輝元君、特進クラスだったんだね。だから見たことなかったんだ。特進ってことは、頭良いんだねすごい」
特進クラスなんて、勉強すごくできないと入れないのは勿論だし、入ってからも勉強大変だろうし、私みたいな良くもないけど、赤点とるほどでもないから、それにずっと甘んじてなんとなくしか勉強してない人間からしたら尊敬しかない。
「いや、輝元様の場合は、元々頭良いとかじゃなくて、当主として有無を言わさず、特進受けることが決まってて、隆景叔父様と親父達のスパルタ受験勉強によってなんとか受かったんだ。輝元様、逃げ出そうにも逃げ出そうとすると余計スパルタになるから最終的には観念したらしい」
「あーそれは大変そう。でも、受かったんだから、やっぱりすごいよ」
「……まぁな」
脳内で小早川先生に怒られながら、受験勉強でひいひい言ってる輝元君が想像できてしまった。勝手に想像して、ごめんなさい。
休み時間。ドアが勢い良く開いて、輝元君が教室に滑り込んで来た。
「紅葉ちゃん!広家どうだった?ちゃんと自己紹介できた?」
大きな声をあげながら、別のクラスの人間が入って来たものだから、何事かとクラス中の視線が集まる。
「俺のこと、なんだと思ってるんですか。自己紹介ぐらい普通にできます」
「なんだつまらない」
「俺を貴方の暇つぶしに使わないでください」
自分の席までやってきた輝元君にヒロちゃんはそう言ったけど、うーん……
「確かに自己紹介はしてたけど……」
「けど??なに?なに?なんか面白いことでもあった?」
「何もありませんよ」
「それが……」
担任の先生に連れられて、入ってきた転校生に教室中がざわざわと騒ぎはじめる。女子を期待していた男子の男かよというがっかりとした落胆の声もあれば、女子のちょっと格好良くない?という色めき立った声もあった。
様々な声で、ざわつく教室を教卓の前に立ったヒロちゃんは、ギロッと一睨みして一瞬で沈黙の空間に変えた。
「吉川広家です。東京から引っ越してきました。これからよろしくお願いします」
静かな教室にヒロちゃんの淡々とした声だけが響く。
「ちょっと怖いね」
隣の席の友達が小声で私に言ってきた。
こんなんで、ヒロちゃん、クラスの皆と馴染める気がしないよ!
「ということがありまして」
席に座ってからも、ヒロちゃんは近づくなオーラがすごいし、誰も転校初日の転校生に近づこうとしない。皆が遠巻きに見てないフリしながら気にしてるみたいだけど。なので、今ものすごく目立っている。絶対後で皆から質問攻めにあいそうだなぁ……。
私の話に相槌をうちながら聞いていた輝元君の顔がどんどん渋くなっていた。ヒロちゃんは、他人事みたいに、肘を机につけて興味なさそうにしていた。
「もう〜いい加減愛想良くしなよ。顔が良くったって人当たり悪かったらモテないよ?広家、目つきも口も悪いんだから、気をつけなきゃ」
「モテたいわけじゃないので」
ヒロちゃんに言い返された輝元君の語気がだんだんヒートアップしていく。
「モテたくないやつなんかいるわけないだろ!?あっあれか紅葉ちゃんにだけ……わっなにするんだよ!図星か?さては図星なんだな!やめろって!!」
じゃれ合いだした二人のノリが男子高校生らしくて、なんだか安心した。
ヒロちゃん、輝元君みたいに遠巻きに私達の様子を見ているクラスの皆とも仲良くできたらいいのに……。
案の定、輝元君が自分の教室に戻って行き、私も自分の席に戻った後、皆に二人とどういう関係なの!?と問い詰められました。
「で、ヒロちゃんにまずどこを案内しようか」
放課後、駅前のカフェにて、私とヒロちゃん、輝元君の3人で会議が始まった。
「観光地たくさんあるけど、地元民だからこそみたいなとこも案内してあげたいし、迷うよね」
ヒロちゃんも広島に昔住んでたわけだし、小さい頃行ったことあるとこもあるだろうし、でもそこを改めてってのも良いし……
「はいはい!!最初だし、広島城!!」
私が迷っていると、輝元君が元気良くそう言って手を挙げた。
「それ、輝元様が行きたいだけじゃないんですか」
「そんなことない!広島城!!紅葉ちゃんも良いと思うよね!?」
「あーまぁいいんじゃないかな。歴史っぽいし」
「じゃあ決まりね!!!」
こうして、ヒロちゃんを案内ツアー(仮)の第一弾は、今度の日曜日に広島城に行くことが決定しました。
「紅葉ちゃんって休みの日そういうタイプなんだ。それとも僕らと出かけるのに気合い入れてくれたっても思っても良い感じ?」
「え、なにかおかしいとこある?いつも休みはこんな感じだけど……」
休みの日だから、皆勿論制服じゃなくて、私服。暑かったから、肩が出る服を着て来た。
「いや、ちょっとびっくりしただけ。いつもの紅葉ちゃんも良いけど、今日の紅葉ちゃんはドキッとするというかもっと魅力的だよ。広家はどう思う?」
輝元君に尋ねられてもジッと無言で、私を見つめて、ヒロちゃんは何を考えているのかわからない。少しの沈黙の後、ヒロちゃんが言葉を選んでいるのか少し遠慮がちに口を開いた。
「……お前、化粧好きなのか」
服じゃなくて、化粧か!ちゃんと化粧した状態で、はじめて会ったから。
「まぁ……どっちかというと好きかな。もしかしてちょっと派手だった?」
本当は新作が出るとすぐ試したりするぐらい好きだけど、引かれたら嫌で曖昧な返事になってしまった。輝元君も遠回しにそれが言いたかったのかな。二人に気を使わせちゃったかな。
「派手かどうかわかんねぇけど、お前が好きでやってて、似合ってるならそれで良いだろ」
言い終わった後で、ヒロちゃんの顔がだんだんと赤くなりだした。
「それ、『似合ってる』の一言だけで伝わるでしょ」
そう言いながら、輝元君がヒロちゃんを見て笑いを必死に堪えてる。真っ赤になった顔でヒロちゃんが輝元君を睨みつける。
「そんな顔で睨まれても怖くないよー」
急にバス停に向かって走り出した輝元君をヒロちゃんが今度は怒りで赤くなった顔で追いかけて行った。ヒロちゃんにつられて、赤くなりそうな顔を手で仰ぎながら、私も二人を走って追いかけた。
降りたバス停から城へ向おうと歩いていくけど、やたら人が多い。今日が日曜日だとしても、多い気がする。不思議に思いながら歩いていたら、人が多い理由がすぐにわかった。イベント?なにやらフェスが開催されているみたいで、出店がたくさん出ているようだ。
「僕、祭りとかでよくある長いポテトあったら食べたいな。うーん何味がいいかな」
「ヒロちゃんは、何か食べたいものある?」
「なにしにきたんだよ。食い物食いにきたのかよ」
頭の中で、どんな食べ物の店があるか想像して目を輝かせている私達を見て、ヒロちゃんがため息をついた。
「まぁまぁせっかくやってる時に来たんだからさ。食べないともったいないよ」
私の言葉にもう一度ヒロちゃんが諦めたようにため息をついた。そんなにため息つかなくても。幸せが逃げちゃうよ。幸せになろう(美味しいものを食べよう)と出店がたくさんある場所に向おうとしたところで、輝元君が指さした。
「あっ!!見て!見て!二人とも!僕!僕の銅像!!」
輝元君が今度は新しそうな銅像に向かって走り出した。
「写真撮って!!」
銅像の前でとっても笑顔な輝元君は、心の底から嬉しそうだ。なるほど。輝元君は今日、これを見に来たかったんだな。
「やっぱり自分が見に来たかっただけじゃないですか」
輝元君に追いついたヒロちゃんも私と同じことを思ったみたいで、輝元君からスマホ受け取りながら呟いた。
「違うよ!二人に見せたかったんだよ!!」
後から二人に追いついた私と輝元君と銅像にカメラを向けていたヒロちゃんが一瞬驚いて顔を見合わせた。
「そういうことにしと(きます)こう」
「紅葉ちゃん、知ってる?僕が広島って名前つけたんだよ。センスあるでしょ」
ポテトを頬張りながら話す輝元君に、強いて言うなら暑いからアイス食べたいと言ったヒロちゃんに私がオススメした近くのお店のソフトクリームを食べながらヒロちゃんは、ジトッとした目線を送る。
「自慢話ばかりする男もモテないんじゃないですか」
「嫌味ばっかり言う男もね!」
二人はその後も言い争っている。あっ輝元君が、自分のポテトにヒロちゃんのソフトクリームつけて食べた。私は抹茶のソフトクリームを食べてるけど、ヒロちゃんのはバニラだからポテトとも合うだろうけど……。ヒロちゃんはすごい顔してるけど、輝元君はとっても満足げだ。いつも言い争ってるけど、本当に仲が悪いわけではないんだよねこの二人……たぶん。
お昼ご飯を近くの新しくできたお店で食べることにしたので、買い食いはほどほどにして、出店のエリアの人混みを掻き分けて、お城へとやってきた。
お城の近くには、出店のエリアほどの人混みはないけど、たくさん人がいて、外国人観光客もちらほらいる。輝元君が外国人観光客のカップルに英語で話しかけられて、なにかと思ったら、写真撮影を頼まれたらしく、撮ってあげていた。そのお礼に今度はカップルが私達を撮ってあげるよと言ってくれたらしく、お城の前で、3人で写真を撮ってもらうことになった。笑顔でピースしてる輝元君と頑張って笑おうとして笑えてないヒロちゃんの顔が対照的で、写真を見た輝元君はお腹を抑えながらひとしきり笑った。
「あー笑いすぎてお腹痛い。でも、昔から写真嫌がって、撮る時は嫌な顔を隠そうともしないくせに、あの人達が撮ってくれるって言ったから、笑おうとしたことは偉いよ」
確かに。小さい頃もみんなで写真撮る時、俺はいいってすごく嫌がってたなぁ。
めちゃめちゃ笑われて、今にも怒りだしそうだったヒロちゃんも急に褒められて調子が狂い、怒りだせなくなったみたいだ。だけど、すぐにまた堪えきれなくなったのか輝元君が笑いだしたせいで、せっかく良いこと言って、今回はギリギリヒロちゃんが怒らずにすむかと思ったのに、結局またヒロちゃんが怒りだした。
展示を見ながら、上の階に進んでいく。天守閣最上階にある自販機で買える記念メダルをみんなで買おうと言う輝元君といらないから買うなら、ひとりで買ってくださいと言うヒロちゃんが今日何回目になるかの言い争いをしだして、最終的に輝元君が3人で来た記念だからと熱弁して私とヒロちゃんの分も買ってくれた。無理やりメダルを握らされたヒロちゃんもさすがに申し訳なさそうにありがとうございますと言った。
「天守閣、もうすぐ入れなくなるんだって」
「そうなの!?」
「だからここも見せたかったんだ」
先程の銅像の時と同じ台詞を今日はじめて見る真剣な顔で言いながら、輝元君は眼前に広がる広島の景色を見つめていた。
ヒロちゃんも今度は嫌味を言うこともなく、輝元君の横で同じ景色を黙って見つめていた。
その日の夜。自分の部屋で髪を乾かしながら、今日のことを思い返す。
案内というかただ一緒に遊びに行っただけだったし、思ったことも、マスコット可愛いとかご飯が美味しかったとか景色が綺麗とか漠然としてて、輝元君が展示の書状とかをこれ僕が書いたやつ!あれも!それも!っていっぱい喋って説明してくれてたけど、情報量多すぎてあんまり覚えられなかった。
それにしても、二人とも元就さんがいないのに、毛利家ごっこ徹底してたなぁ。輝元君なんて詳しすぎて、本当に転生した毛利輝元みたいだった。二人も歴史好きなのかなぁ。
歴史のことはちょっと難しかったけど、今日は楽しかった。ヒロちゃんも少しは楽しんでもらえてたらいいな。怒ってばっかりだったから、行ったこと後悔してないかちょっと心配かも。もし、行かなきゃよかったなんて思われていたら、今後のヒロちゃんを案内ツアー(仮)の開催が危ぶまれる。徐々に不安になってきた時、部屋の外から大きな声が聞こえた。
「紅葉ちゃんー!ちょっといいか」
一旦考えるのをやめて、部屋の引き戸を慌てて開ける。
「どうしたんですか元春さん」
部屋の前には、元春さんが大きな鏡のついた立派な化粧台を担いで立っていた。力持ちすぎでは??私が面食らっているのに気付いているのかいないのか元春さんは涼しい顔で話はじめる。
「紅葉ちゃん、化粧好きなんだってな。うちの奥さんも好きでさ、これ奥さんが使ってたやつなんだけど、もらってくれないか」
元春さんの奥さん=ヒロちゃんのお母さんは、ヒロちゃんがすごく小さい頃に亡くなった。つまりこの見るからに高そうな化粧台は形見ってこと!?
「そんな大事なもの、使えないですよ!」
「広家が誰も使ってねぇんだから、紅葉ちゃんに使わせてやれって言ってきてな」
「ヒロちゃんがそんなことを!?いいです!いいです!すいません!そんな気を使ってもらわなくても……」
「いや、全然気にしないでくれ。広家に頼まれなくてもやるよ。むしろもらってくれた方が嬉しい。誰も使わず物置で埃被ってるより、使ってくれた方が奥さんも喜ぶからさ。それが紅葉ちゃんなら尚更な」
物心つく前に、ヒロちゃんのお母さんに会ったことがあるらしいんだけど、全く覚えていないし、親戚でもないのに、私が形見を使うなんて、変だし、申し訳ないよ。
「それと今日はありがとな。輝元様と広家と3人で大変だったろ?」
この問いには、なんと答えるべきか。毛利家ごっこ的に、当主である輝元君のことあまり悪く言うべきではないのかなぁとか余計なこと考えてしまって。正直に言っていいのかな。
「いえ……いや……まぁはい。二人が言い争ってばかりで大変でした」
「ハッハッハ。紅葉ちゃんは素直だな」
「だから……ヒロちゃん、今日怒ってばかりで楽しめたのかなって」
迷ったけど、二人が言い争ってるのは私の前だけじゃないだろうし、知ってるだろうから言っても大丈夫かなと思い、正直に答えた。ヒロちゃんのことも、ついヒロちゃんのお父さんである元春さんには口が滑ってしまう。昔から元春さんは、私のこともまるで自分の娘みたいに気にかけてくれて、小さい私の拙い話もよく聞いてくれていたから、とても話しやすくて余計に。
「あー確かに帰ってきてから、ぶつぶつ文句ばっかり言ってたな」
「やっぱり……」
いくら思い返しても、今日ヒロちゃんが楽しそうだった顔思い出せないもん。
「でもな、広家が素直じゃないのは紅葉ちゃんもよく知ってるだろ」
昔と変わらない男らしくてとっても頼りになる元春さんは私の肩に手を置いて、真っ直ぐ私の目を見て言った。
「輝元様だってよく知ってる。だからいいんだよ。紅葉ちゃんが気にすることなんてない。むしろどんどん連れ回してやってくれ。これからもあいつのことよろしく頼むな」
私の肩をポンと軽く叩きながら、ニッと元春さんが笑った。
「は、はい。私で良ければ」
「紅葉ちゃんだから頼んでるんだよ。広家には、もう少し紅葉ちゃんの素直さ見習えって言っとくわ。じゃあ、夜遅くにすまなかったな。おやすみ。」
「おやすみなさい。あっ!待ってください」
化粧台を返そうと思っていたのに、そのことを思い出して声をかけた時には、元春さんの姿は見えなくなってしまっていた。こうなってくると、無理やり返すのも失礼だし、正直デザインも素敵だから、使ってみたい。
あとこれって、朝に私が化粧好きって聞いたヒロちゃんが私達と帰って来てから、わざわざ元春さんに頼んだってことだよね……?
翌朝、今日もお手伝いさんが作ってくれた美味しい朝ご飯をありがたく頂いていると、欠伸をしながらやって来たヒロちゃんが私の斜め前に座った。私がおはようと声をかけると、まだ寝惚けているのか小さな声でおはようと返って来た。
「ありがとう、ヒロちゃん」
「ん……なにが?」
覚醒しきってなくて頭もまわっていないのか本気で私に何のことを言われているのかわからないみたいで、ヒロちゃんは目をこすりながら首を傾げた。おぼんを持ったお手伝いさんがやって来て、ヒロちゃんの目の前にも、朝ご飯を並べた。
「お母さんの化粧台のこと」
私の言葉を聞いたヒロちゃんはハッと目を見開いて、バツが悪そうに頭を掻きだした。
「あぁあれか。別に……誰も使わないのに、母様の形見だからって親父が捨てられなくて物置にずっと置きっぱなしだったし、お前が使った方が有意義だろ」
そう言って、手を合わせたヒロちゃんは、ほかほかに湯気が立っているご飯をかきこんだ。
私はほとんど食べ終わっていたけれど、なんとなくまだ離れがたくなくて、最後の一口を残したまま、黙々と食べるヒロちゃんを待っていた。じっと見てると、怒られそうなので、テレビの電源をつけて、天気予報を見る。
ヒロちゃんが食べ終わり、再び手を合わせると、私も最後の一口を食べて、ごちそうさまでしたと言った。片付けに来たお手伝いさんにお礼を言って、歯磨きをしたら、学校に行くために玄関へと向かう。私が歯磨きをしに、洗面台のところに行く前に廊下で別れたので、先に学校に行ってしまったかと思ったヒロちゃんが傘立ての前に立っていた。
「母様も化粧好きだったから、俺はよくわかんねぇけど、あの化粧台もこだわってオーダーメイドで作らせたやつらしいぜ」
急いで靴をはいていると、ヒロちゃんがご飯を食べる前ぶりに喋った。
「デザインが素敵だったから、こだわりがつまってる感じがしたけど、オーダーメイド……すごいね!」
これは、思い出せる一番昔の記憶かもしれない。
「まさか私が今世では、こんなに早く……無念でならないわ。でも……元春様もこれで置いていかれた私の気持ちがわかるでしょうね」
そう呟いた母様は、横になっている布団から身を乗り出して、心配そうに母様を見つめている兄貴と状況がわかっておらず、不思議そうにしている俺を強く抱きしめた。
「元長……喜びなさい。今世では貴方は私を置いていかなかったわ。私の代わりに元春様のこと、広家のこと頼むわね」
「……はい……母様」
母様の腕の中で、兄貴が震える声で返事をした。今にも泣きそうなのを必死に堪えてるみたいだった。
「広家……喜びなさい。もしかしたら、私と逆で貴方の兄様も、貴方の愛しいあの子も今世では、長生きするかもしれないわよ」
泣きそうな兄貴と違い、なんの話をされているのかもわからず、母様の腕の中で幼い俺はただ首を傾げるばかりで、それを見た母様がもう少し大人になったらわかるわと言って笑った。
「いづれにしても時間は無限ではないわ。二人とも出来なかったこと、全部しなさい。そして……ごめんなさい。……もっと一緒にいたかった……」
それまではっきりとした口調だった母様が兄貴みたいに声を震わせ、もう一度俺達をぎゅっと強く抱きしめた。
それから数日後、親父も含めみんなが見守る中、母様はこの世から去った。
「母様…………」
聞こえるか聞こえないかの小さい声で、ヒロちゃんがなにか呟いた。
「ヒロちゃん?」
「いや……なんでもない。母様のこと、少し思い出してただけだ」
「そう……あの化粧台、大事に大切に使うね」
「あぁ……母様も喜ぶよ」
ヒロちゃん、自分で気付いてるかな。お母さんのことを思い出したからなのか、今とても優しい顔をしていることを。
でも、そのせっかくの優しい顔も玄関を開けた先に、輝元君が待っていてすぐに、げって顔に変わってしまったけれど。