再会
物心ついた時から、親に叱られたり、良くないことがあった日は決まって同じ夢を見る。
その日も、従兄弟とおやつをとられたとってないとつまらないことで喧嘩した後だった。
«裏切り者!»
«全部お前のせいだ!»
«よく顔を出せるものだ»
くるしいくるしい
襲いかかってくる顔も見えないただひたすらの罵詈雑言の海に溺れそうになる。
夢の中の自分は平気そうにその中心で立っていたけれど、内心では苦しくて、もう二度とこんな思いはしたくないと夢を見るたび、いつも思う。
「お前は……?」
そしてこの夢は決まって、最後目覚める手前、ぼやけていく景色の中で、遠くに誰かが立っている姿が見える。
「ひ……ひ……」
ぼやけてはいるが、髪型と背丈、着ている着物の色からおそらく女性だと思う。
女性がなにかを必死に俺に伝えようと口を動かしているのだけはかろうじてわかるが、それ以外は遠く聞こえず、わからなかった。
でも、彼女からは俺を攻撃しようという敵意は感じなかった。何故か彼女はこの夢の中で、唯一の味方であるような確信があった。
こうゆうのって未来への警告とか漫画とかでよくあるやつだろと思い、この頃の俺は、彼女が何者で何を伝えたいのかわからなくて、知りたくて、悪夢を見るのは嫌だが、彼女に会うことは嫌じゃなかった。
「ヒロちゃん!ヒロちゃん!大丈夫!?お母さんー!!ヒロちゃんが!」
はっきり大きな声で自分を呼んでいるのが聞こえてきて、目を覚ますと、どうやらうなされていたらしい俺の傍らで少女が必死に叫んでいた。
だんだんと寝る前のことを思い出してきた。祖父の家で従兄弟達と幼馴染であるこの少女と遊んでいて、疲れて居間で寝てしまったのだ。これも従兄弟が俺の分のおやつまで食べたせいだ。怒って走って疲れた。
母親を呼びに行こうと立ち上がり、部屋を出ようとした少女の手首を思わず掴んだ。
「……待て……大丈夫だから」
まだ完全には覚醒しきっていない状態で、なんとかそれだけ口に出した。
「でも…………」
少女は納得のいかない目で、俺を見つめている。俺をじっと見つめるその瞳に大粒の涙が浮かんでおり、すでに一度泣いた後らしく、顔がべちゃべちゃになっている。こぼれ落ちた涙で服まで濡れている。
「おい。なんでお前が、泣いてんだよ」
「だって……っ!」
再びじわりと涙が溢れ出す少女の泣き止ませ方などわからなくて、どうすればいいかわからないから、自分でも柄じゃないと思いながらも、優しい声を心がけて、もう一度同じ言葉をかけた。
「大丈夫だから……」
普段と違う態度におそらく驚いた様子の少女に気づかぬふりをして、泣いている少女の頭をあやすように撫でた。誰かの頭を撫でたことなどなくて、力加減もわからず、ぐしゃぐしゃと髪を乱してしまっているのに、驚きが勝ったのかどうにか少女を泣き止ませることに成功したようだ。
「ここにいてくれ」
「うん……」
それは誰かを呼んでこられて、大事にしたくなかったから出た言葉なのか、ただの本音なのか、自分でもはっきりさせたくなかった。
桃ノ木紅葉。季語が2つもある派手な名前だけど、広島県に住むごく普通の高校2年生だ。
まだまだ暑い9月。新学期が始まったばかり。それなのに。
「ごめんね〜急にお父さんの単身赴任先に行かなきゃいけなくなっちゃって。そのまま私もお父さんのところに住むことにしたから」
学校から帰るやいなや、母からの突然の報告。物置の奥にしまっていたはずのキャリーバッグや積まれたダンボールが廊下に並んでいるのを見るに、すでに荷造りも終わってるようだった。
「えっそんな……私はどうするの?転校するの嫌だよ」
こんな急に、生まれてからずっと住んでいる場所から離れるなんて嫌だ。友達とも離れたくない。
「そのことなんだけど、昔、お隣に住んでたヒロくんが、ヒロくんのお父さんの仕事の都合でこっちに戻ってきて、あんたと同じ高校に転校するらしいのよ。お祖父さんの家から通うらしいんだけど、ついでにあんたも一緒に面倒みてもいいよって言ってくれて、あんた、ヒロくんにすっごく懐いてたじゃない。お祖父さんの家にもヒロくんについていって昔遊んでたし、ちょうどいいと思って」
なにがちょうどいいのか。
ずっと会ってない親戚でもない知り合いの家に娘ひとり残していくなんて酷だ。気まずすぎるし、心配じゃないのか。
私の不満げな顔にも、お母さんは動じない。決定事項なんですよね。わかります。昔から一度決めたら、絶対曲げない人ですもん。抵抗するだけ無駄。
お母さんの言うヒロくんとは、同じ歳の所謂幼馴染というやつで、幼い私は、ヒロちゃんと呼んでいた。ヒロちゃんは、私の家の隣の家にお父さんとヒロちゃんのお兄ちゃんのモトくんの三人で暮らしていて、ヒロちゃんのお父さんがいつも仕事で帰りが遅かったので、二人は私の家でいつも夕飯を一緒に食べていた。
ヒロちゃんが小学校に上がるタイミングで引っ越してしまうまで毎日一緒に遊んでいた。
でも、それ以来会うことはおろか、連絡もとっていない。どうしているらしいとかも聞いたことがない。
「お父さんと夫婦二人っきりってのもたまにはいいわよね」
漏れるうふふという笑い声。
それが本音だろ。と言いたいところをぐっとこらえた。ツッコんでもなにも変わらないのだ。
両親は自他ともに認めるラブラブおしどり夫婦で、お父さんの単身赴任が決まった時、二人揃ってこの世の終わりのごとく絶望していた。年に数回会う時は、いい歳して毎回遠くから姿が見えた瞬間、お互い走り出し、抱き合い、さながら織姫と彦星のよう。遅れて歩いてきた私も二人の輪に入れようとするから、恥ずかしくて仕方ない。思えば、お母さんはお父さんと一緒に行きたかったのを私がいるから我慢してくれていたんだなと思う。ずっときっかけを探していたのかもしれないな……。
お母さんから送られてきた地図の画像を頼りに来たのは、絵に描いたような大きなお屋敷。しかも立派な日本庭園って感じの庭つき。ここらへんの地主って言ってたし、絶対お金持ちだよ……。
昔遊びに来たことがあるってお母さんは言っていたけど、昔すぎて全然思い出せない。
小さい頃はなんにも考えてなかっただろうけど、今こんなTHE日本家屋みたいな家入るの緊張するんだけど。あっ礼儀とか厳しいのかな?全然わかんないよどうしよう。とりあえず挨拶はちゃんとしよう。
そう心に決めて、門をくぐると、少し歩いた先に、うちの学校の制服を着た茶髪の男の子が玄関の横の壁に体を預けて立っていた。
……たぶんヒロちゃんだよね?
私が近づいてきても、手元のスマホから目線を離さない彼に、迷いながらも声をかけた。
「えっと……久しぶり」
「あぁ……」
それだけ!?
私の声に、顔はスマホから上げたものの、相槌のみという素っ気なさ。確かに昔から素っ気ない男の子だったような気がするけども……。
会うのは、10年ぶりくらい。すっかり背も伸びているし、丸かった顔もシュッとしているし、声も声変わりして低くなってるし、全然知らない人みたいでちょっと怖い。子供の頃から悪かった目つきも、顔が良いからモテそうだけど、なんていうか女子にキャーって言われて、平気でうるせぇとか言いそうなタイプのイケメンだ。偏見です。
でも、ヒロちゃん、何考えてるかわからない素っ気なさのわりに、やんちゃな子供だった気がするし……。私のことどう思っているのかわからなくて気まずいし。相槌はうってるから覚えてはいるんだよね?
「行くぞ」
ヒロちゃんは、私の返事を待たずにさっさと玄関の扉を開けて歩き出してしまう。
「待ってよ」
家に上がっても、そのまま振り返ることなく、ズンズン先に進んでいくヒロちゃんに置いていかれないよう急いで追いかけた。
「ようこそ紅葉ちゃん。久しぶりだね。大きくなったね。この家の主の毛利元就です。歓迎するよ」
ヒロちゃんについていった先の大きな広間に、穏やかそうなグレーの髪の男性がいた。どうやらこの人がヒロちゃんのお祖父さんみたいだけど、毛利元就って……戦国武将の??歴史全然詳しくない私でも聞いたことはある。広島だからかろうじて知ってただけな気がするけど。
「厳密に言うと、私は毛利元就の生まれ変わりなんだ。タイムトラベルとかのタイプじゃなくて、生まれて前世の記憶が戻ったタイプね」
なんと答えたらいいか考えている間にも、お祖父さんの突拍子もない話は続いていく。
「でも名前も不思議と同じで。誰も生まれ変わりなんて信じないから、普通に暮らしている。 病院とかで名前呼ばれるとすごく振り返られるけどね」
なんか聞いてもないのに、ずっと説明してるし、設定だいぶ無理があるでしょ……。
「えっと……面白いおじいちゃんだね」
こういう時は孫に助けを求めよう。ヒロちゃん、リアリストそうだし。偏見です。
「お祖父様、なんでこいつにそれを……」
なんだか焦っているヒロちゃんに対して、さっきまでいっぱい説明してたお祖父さんは何も言わず微笑んでいる。逆に怖いよ!
えっなに、これって戦国武将ごっことかしてるのかな?第一印象に反して、おじいちゃんの遊びに付き合ってる良い孫なのかな。ヒロちゃんが乗っかってるし、これからお世話になるわけだし、とりあえず私も乗っかっておいた方がいいんだろうか。
「す、すごいですねぇ〜私びっくりしちゃいました〜そんなことあるんですね〜」
白々しくなってしまった私の返事に、ヒロちゃんからのジトッとした視線が飛んでくる。
じゃあなんて言うのが正解なの!?とこちらも目で訴えるけど、気づいているのかいないのかスルーされる。
そんな私達のことは気にせず、ヒロちゃんのお祖父さん(自称毛利元就)は話を変える。
「紅葉ちゃんは今日から家族なんだから、困ったことがあったらなんでも言うんだよ」
「ありがとうございます」
まぁ優しそうな人ではあるから、いいか。ちょっと面倒くさいかもしれないけど。
「いづれ本当の家族になってもいいんだよ?」
それどういう意味?って一緒思って、ヒロちゃんを見るけど、目を逸らされた。
だけど、わかった。そういうやつね。若者をくっつけたがるやつね。やっぱり面倒くさい人かもしれないけど、年配の人ってこういう人多いよね。うちのお母さんもすぐそういうことを言う。
もしかしてお母さんもそういう変な気遣いしてこの家に私を預けたんじゃ……。お母さんのうふふという笑い声が遠くで聞こえてきた気がして考えるのをやめた。
「やめてください。こいつとはそういうんじゃないんで」
「素直じゃないねぇ。今日だって紅葉ちゃんが来るの外でずっと待っていたのに」
そう言われたヒロちゃんの顔が赤くなった。もしかして照れてる?
バツが悪そうに下を向く姿に、急に昔、やんちゃして、いつもお父さんに怒られてばっかりだったヒロちゃんがなんだったかお父さんから珍しく褒められて、今と同じ赤い顔していたのを隣で見たことを思い出して、思わず声をかけずにはいられなかった。
「ヒロちゃん、それ本当?」
ヒロちゃんの瞳が大きく見開いた。あっ!やば!昔の呼び方で呼んじゃった。心の中でずっとヒロちゃん呼びだったからつい。10年ぶりに会った男子高校生にいきなりする呼び方じゃないよね。絶対怒っちゃうよ。
「待ってない。お祖父様との約束の時間より早く着いたから時間つぶしてただけだ。それよりその呼び方やめろ。小さい頃ならまだしも高校生にもなって女みたいな呼び方するな」
あんまり説得力のない否定だ。やっぱりヒロちゃんはヒロちゃんなんだ。そして、案の定ちゃん呼びされて怒っている。ていうかよく考えたら、昔から怒ってたような気がする。それを私が無視してただけで。
「じゃあ……」
さすがに今はヒロちゃんの言う通りにしよう。あれ?でもヒロちゃん、名前なんだっけ?ほんと申し訳ない!ずっとヒロちゃんって呼んでたからなぁ……あっ!わかった!
「広家君?」
名字で呼ぶのもなんだし。
「ばっ!」
ヒロちゃんはそれだけ叫んで、顔をもっと真っ赤にして動きが止まった。今度は耳まで真っ赤だ。馬鹿って言いたかったのかな?
「若いっていいねぇ」
私達の様子を見て、元就さん(後からそう呼ぶように言われた)が笑っていた。
結局なんて呼んだらいいかわからなくて困っていたら、元就さんがヒロちゃん呼びでいいと言ったので、とりあえずそうすることにした。ヒロちゃんは不服そうな顔をしていたけど、自分のお祖父さんには強く言えないみたいだった。
この時、歴史に疎い馬鹿な私は全く気づいていなかった。本当にこのお祖父さんがあの毛利元就の生まれ変わりなら、その孫であるこの幼馴染も戦国武将の生まれ変わりである可能性に。