"謎の怪人"を追う者たち
--4月21日(金) 13:20--
お昼の給食が終わり、昼休みになった。
運動好きの男子が連れ立って体育館へ向かい、女子は集まっておしゃべりを始める時間だ。
私も最近は友達から話を振られることが多くなったのだが、一番たくさん話すのは輝羽グループのみんなであり、周りからもすっかりグループの一員として扱われている。
「あと1時間~……」
輝羽ちゃんが座ったまま机にだら~っと上半身を横たえる。
午後は国語の授業が1時間だけあって、それで今日の授業は終わりだ。
そして今日は金曜日。
あと1時間でお休みなのである。
「週末ぅ~早く来て~」
「もうちょっとだよ輝羽ちゃん。頑張らないと」
「もーいーじゃーん」
私は目標があるからか勉強が苦になることは無いが、輝羽ちゃんにとって勉強は苦痛なようだ。
既に週末気分になりつつある輝羽ちゃんは早く帰りたくて仕方ないと全身で表現している。
先生に怒られないといいんだけど。
「きぅちゃん、残念だけどダメなんですよ。戦わなければいけない時があるんです!」
ぷに子ちゃんはぷに子ちゃんで何だか覚悟を決めた戦士のようなことを言い始めた。
グッと拳を握りしめ、悲壮感さえ漂わせている。
「ぷに、お前はいったい何と戦おうとしているんだ?」
「眠気ですよ~。ふにゅぅ……」
勇ましさはどこへやら、ぷに子ちゃんも輝羽ちゃんと同じようにぐんにょりと机に上半身を寝かせる。
ご飯を食べた後って眠くなるから、仕方ないといえば仕方ない。
まぁ、戦う気があるだけ輝羽ちゃんよりだいぶマシだ。
「弘子ちゃんは普通だね」
「私は眠くないな。週末の予定も部活ばっかだから、あまり嬉しくないし」
「私だって部活してるっての! 自分だけが頑張ってるみたいに言うな!」
「私もですよ! 心外ですよ~!」
早く休みたい組が弘子ちゃんに対して非難の声を上げる。
みんな運動部なんだよね。
私だけ美術部で半幽霊部員だし、部活に関しては私の方が本気度が足りていない形だ。
「よっしー、週末って何してるの?」
「うぇ? わ、私はね~……」
ついにこの質問が来てしまったようだ。
家でごろごろしているとか言ったら遊びに来そうだし、かといって秘密結社の活動をしているなんてことは言えない。
やはり、アレを言うのが無難だろうか?
「私は家庭菜園してるから、お休みの日は山に行ってるよ」
「えっ、そうなの!?」
「うん」
これは言い訳ではなく本当のことだ。
地下基地への入り口ちかくに小さな畑を借りていて、実際に家庭菜園をしているのである。
地主は山の農家のお爺さんで、もう使わなくなった土地だからと無償で貸し出してくれている。
たまにアドバイスもくれるし、頭が上がらない。
これで完全にタダというのはさすがに悪いので、ささやかながら収穫物をおすそ分けして恩返ししているのだ。
「どんな野菜育ててるの?」
「去年はナスとかきゅうりとか、上手く育てられたよ」
「大葉はどうなの」
「青じそ? 特に何もしなくても畑の端っこに生えてるから、よく持って帰ってるよ」
「よもぎはありますか~?」
「よもぎも生えてるけど、そっちは収穫したことないよ」
矢継ぎ早に飛んでくる質問に答えていると、昼休み終了のチャイムが鳴った。
それぞれの席に戻り、午後の授業が始まる。
春も深まり、そろそろ種を撒く頃合いだ。
ナスときゅうりは今年も作りたいし、他の野菜にも挑戦してみようかな?
私は授業のノートを取りながら、頭の片隅で家庭菜園の予定を立て始めていた。
--4月22日(土) 6:45--
日が変わって土曜日になった。
今日一日は日本晴れの気持ち良い天気が続くらしい。
太陽がだんだんと力強さを増していく中、私は朝の通りを駆け足で走り抜けていく。
先ほど牛乳配達を終えて、今は家路に向かってまっしぐらだ。
今日は朝の爽やかな日差しが心地よくて、朝の牛乳配達を配達をのんびりしすぎてしまったのである。
秘密結社に遅刻するのは恐ろしくてしょうがないし、だからといってご飯抜きも嫌だ。
ともかく、家までダッシュである。
「お? おはよう、好美ちゃん」
「おはようございます、アズマさん」
坂の手前までくると、特務防衛課の隊員であるアズマさんがゆっくりと坂を下ってきた。
息が上がっていて、いつもより少し顔が汗ばんでいるように見える。
「ふぅ~……っしゃあ!」
アズマさんは一声を発して気合を入れると、坂道をすごい勢いで駆け上がっていった。
いつものジョギングじゃなくて、早朝練習で坂道ダッシュをしていたみたいだ。
私もその気合に引っ張られるように、少し駆け足ぎみに坂道を登っていく。
家の前に着く頃には心地よい疲労が身体を包んでいた。
アズマさんは更に上の方まで駆け上がっていたようで、軽く息を弾ませながらゆっくりとジョギングで坂を下ってきている。
私が家の前に着いた頃にちょうどすれ違うようなタイミングだった。
「何だか気合が入っていますね」
「ああ、じっとしてられなくってさ。研修とかいろいろ終わって、そろそろ出動になりそうなんだよ」
なるほど、現場でアズマさんに会うことはなかったけど、まだ研修期間だったからか。
今後はもし運が悪かったら鉢合わせすることもあるのかもしれない。
うーん、正直、嫌だなぁ……。
「危ないと思ったら逃げてくださいね」
「ははは、心配してくれてありがとうな! でも、それが俺の仕事だし、誇りだから」
アズマさんがグッと拳を握りしめた。
その途端、幼さが残っていた笑顔が引き締まり、急に凛々しさを感じさせる顔に変わる。
「この街にも危険な組織が潜んでいる。俺たちがみんなを守って見せる」
「……はい」
私の心はその変化に付いていけず、息が詰まる。
思わず見惚れてしまった私は小さく生返事を返すだけで精いっぱいだった。
「それじゃ、もう一本……」
「え?」
アズマさんがまた坂道ダッシュをやろうとしているけど、大丈夫だろうか?
さっきはすごい勢いで登っていたみたいだし、あまり頑張りすぎない方がいいと思うんだけど……。
「出動前に疲れちゃいませんか?」
「おっと? ん~、それもそうか。ちょっと張り切りすぎちゃったかな?」
走りだそうとしたアズマさんがその場でブレーキをかけて立ち止まり、苦笑いを浮かべる。
もう息が整っているのはさすがだけど、やり過ぎたかもしれないという自覚はあるみたいだ。
「もう戻ることにするよ」
「はい、頑張ってくださいね」
「ありがとな! じゃ、またな!」
ジョギングで、でもいつもより少し速いスピードでアズマさんが走り去っていく。
まだ頑張り過ぎじゃないかな、と思える姿にクスっと笑いが込み上げてきた。
「……どうか、私もアズマさんも無事でいられますよーに」
私は両手を合わせて目をつむる。
悪の組織である秘密結社に所属する私が神に祈るのはおかしいことかもしれない。
でも、日本の神様はそこまで厳格じゃないみたいだし、罰が当たることは――。
その瞬間、真横からドカッ! という音と共に、身体に衝撃が奔る。
目に映る世界が横に流れていき、浮遊感に囚われた私をコンクリートが荒々しく受け止めた。
叩きつけられた肩がすごく痛い。
これって罰なんだろうか?
そりゃないよ、神様……。
「やぁ、おはよう好美ちゃん」
のんきに軽トラから出てきたのは、私と同じ秘密結社に所属する戦闘員、篤人さんだ。
イタズラなのか何なのか、彼はよく私の警戒を掻い潜ってクルマで突進してくる。
先週の日曜日は平和に登場してくれたのに、また元に戻ってしまった。
「篤人さん、安全運転はどうしたんですか! この間はできていたじゃないですか!」
私は人間の状態でも怪人の力をある程度まで使える。
そのおかげで耐久力もパワーも常人離れしているから問題ないが、普通は大事故である。
「好美ちゃんも元気になったみたいだし、大丈夫でしょ?」
「大丈夫じゃなくなりそうですよ! 普通の人なら死んでますかね!」
「ごめんごめん、いいニュースを持ってきたから許してよ」
「本当にもぅ~! ……それで、いいニュースって何ですか?」
もはや直してくれることは半分諦めているし、時間も無いからすぐに切り上げることにする。
篤人さんが持ってきたという『いいニュース』が私の痛みを和らげてくれることに期待しよう。
「あの豪華客船の副船長が昇進して、船長になったそうだよ」
「へぇ、それはおめでたいですね」
それは確かにいいニュースだ。
あの副船長さんならいつ船長になっても大丈夫だったろうし、嬉しく思う。
もし関係者を名乗っていいのなら、お祝いの手紙でも送っていたかもしれない。
「ちなみに、ニュースでもやってたけど元の船長は主に職権乱用で解雇だってさ。秘密結社パンデピスの誘いに乗ったことや、同僚に銃を向けたことも問題になっているみたいだね」
「あぁ、なんだかそうみたいですね」
元船長が解雇されたことはニュースで見た。
連日、放送されるたびに罪状が増えていくので全国ニュースにも登場してしまっている。
ライスイデンやバンディットスネークよりも元船長の方が有名になってしまったくらいだ。
「彼は『あの戦闘員が俺を罠に嵌めた』と言ってるみたいだね。普段の横暴も何もかもを有耶無耶にして、全部の罪を擦り付けようとしてるんじゃない?」
「えー? それを私のせいにされても……」
職権乱用のことなんて私に言われてもどうしようもない。
きっかけになったのは私の誘いだけど、それにも乗らなければ良かっただけだし。
「まぁ、彼はどのみちしばらくは刑務所で過ごすことになるんじゃないかな。気にしなくていいよ」
「これに関しては気にするつもりはありませんよ」
もう元船長のことはいいや。
新船長の活躍だけ祈っておこう。
先ほどの祈りは神様に届かなかったみたいだけど、この祈りは聞いてくれるに違いない。
「さて、今日も頑張りますか。そういえば好美ちゃん、明日は学校だよね?」
「はい、日曜日だけど授業参観です。……またお父さんが学校にくるのかぁ」
入学式の時は大丈夫だったけど、変人だからなぁ。
大丈夫かなぁ……。
「見た目で目立つとは思うけど、ドクターなら心配ないよ」
「そうだといいんですけどね」
「おぅい、聞こえとるぞ、お主ら」
玄関からお父さんが姿を現した。
珍しくちょっと早起きしたようだ。
白衣を着込んだマッドサイエンティスト風の装いで、今日はサンダルではなく長靴を履いている。
「おはようございます、ドクター」
「おはよう。お父さんが早起きなんて珍しいね」
「うむ、少し思いついたものがあってな」
実験したくて起きてきたらしい。
どんなくだらないものを思いついたんだろうか?
「ひゃっひゃっひゃ! いいものを作るから楽しみにしておれよ!」
「それはいいんだけど、ご飯食べてからにしようよ」
「材料の準備だけじゃよ。時間は掛からん。すぐ戻るわい」
そう言って坂の上の方まで歩いていった。
すぐ戻ってくるなら、朝ご飯の準備でもして待っていようかな。
「篤人さんは?」
「さすがに何度もご馳走になるのは悪いからね。僕の分はいいよ」
「そうですか?」
「まぁ、そのうち何か手に入った時にお願いするよ。旬の魚とかね。僕は料理できないし」
そう言って篤人さんは軽トラからコンビニの袋を持ってきた。
中を見させてもらうと、今日はサラダもちゃんと入っている。
好き嫌いしていないようで何よりだ。
自宅へと入って篤人さんを居間に案内した後、朝ご飯の準備に取り掛かる。
と言っても、ほとんど温めたり焼いたりするだけだけど。
「帰ったぞ~」
「おかえりー」
作ったごはんの配膳を終えるとちょうどお父さんも帰ってきたので、一緒に朝ご飯をいただく。
今日の朝ご飯は、卵焼き、ウインナー、漬物とご飯、ナメコのお味噌汁、ポテトサラダが少々だ。
この卵焼きの焼き加減には自信がある。
大根おろしを乗せて醤油をかけて、温かいうちに食べるのが私の一番好きな食べ方だ。
ちなみに、お父さんには何を作るつもりなのかは聞かなかった。
どうせもったいぶって教えてくれないし。
それと、私のもう一人の大事な家族、弟のゆーくんだけはまだ寝ているようだ。
部活を頑張っているみたいだし、土日はゆっくり寝かせてあげよう。
後で私の渾身の卵焼きを食べて英気を養ってほしい。
「お弁当もできたし、行ってきます」
「おー、行ってらっしゃーい」
お父さんの声に見送られ、私と篤人さんは地下基地へと向かって出発する。
外は春の日差しで幾分か温かくなってきている。
柔らかい春の風を受けながら、軽トラは地下基地の入口へと向かって走り出した。
--4月22日(土) 8:30--
地下基地のエントランスに向かうとブラッディローズの出迎えを受けた。
どうやら私たちを待っていたようで、私たちを見つけるなり声を掛けてくる。
「来たな、戦闘員21号、30号」
「おはようございます、ブラッディローズ。僕たちに何か用事ですか?」
「ああ、今日は予定の変更があって、私が出動することになった」
「そうなんですか? 随分と急ですね」
篤人さん情報だと、確か今日はアルマンダルが戦う日だったはずだ。
彼は暴れたがっていたようだが、どうしたのだろうか?
「アルマンダルの予定が合わなくなったらしくてな。今日は私しか来ていないから私が代役だ」
それを聞いて私は納得した。
どうやら怪人としての事情ではなく"表"の事情らしい。
怪人たちも社会に紛れ込んでいる関係上、偶にこういったことが起きるのだ。
怪人がいなくてお休みになったこともあるけど、最近の土日は必ずブラッディローズがいるっぽい。
残念だけど、お休みになることはなさそうである。
「他の戦闘員たちはもう集まっている。第二会議室に向かうぞ」
私と篤人さんはずんずん進むブラッディローズに続いてエントランスから中央通路へと入っていき、開けっ放しになっている第二会議室の扉をくぐった。
私たちが最後なので扉を閉めて、空いている席に着席する。
「ふふふ、全員揃ったようだな」
中央に座っていた幹部のノコギリデビルが立ち上がった。
周りを見ると、どうやら私たちを含めて5人の戦闘員が作戦に参加するようだ。
「本日はアルマンダルが来れなくなった。代わりにブラッディローズが指揮を執る」
「ブラッディローズだ。よろしく頼む」
ブラッディローズが立ち上がり、軽く頭を下げる。
相変わらず礼儀正しい。
私以外でも彼女を好ましく思っている戦闘員は多いんじゃなかろうか。
「ブラッディローズ、本来ならば君に作戦を決める権利がある。だが、今回は急な変更のため暴れることができる地点が限られている。この中から好きな場所を選びたまえ」
そう言って、ノコギリデビルはホワイトボードを軽く叩いた。
ホワイトボードには地図が貼られており、いくつかの地点に赤いマグネットが貼り付けてある。
この中の1つが、今日私たちが襲うポイントになるということだ。
「ふふふ、ブラッディローズ、どこをどうやって攻める?」
「そうだな……」
ブラッディローズは地図の前で腕を組み、片手をあごに当てて思案している。
地図のマーカーは高速道路、レジャー施設、後は中規模の町と思われる個所が2つだけだ。
「ここだ。この街の工場を狙う」
ブラッディローズは1つを除いてマグネットをすべて外し、作戦遂行のポイントを決定した。
確か、銀食器が有名な職人たちの街だったはずだけど、あまり巨大な工場があった記憶は無い。
何でここがターゲットになるんだろうか?
「ふふふ、参上市の研磨技術は世界的に有名だ。ヒーローたちも慌ててやってくることだろう」
あれ、そうなの?
銀食器の街ってだけじゃなかったんだ……。
「近くに暴れやすい場所があるかどうかだが……」
「川の近くに運動施設があったはずですよ」
篤人さんが軽く手を上げて発言した。さすが、年中運転しているだけあって地理に詳しい。
ブラッディローズがそれを聞いて満足そうに頷く。
「ノコギリデビル、ここを攻めることに決定だ」
「ふふふ、それでは工場見学といこうか。少し待っていろ」
ノコギリデビルはノートPCを持参していたようで、先ほどから何やらカタカタと打ち込んでいる。
私はコンピュータのことはさっぱりだけど、調べものをしているんだろうなということくらいは分かった。
「狙いやすい場所が1つあるぞ?」
ノコギリデビルはターゲットをさらに絞り込んでいたようだ。
彼がノートPCを操作すると、備え付けのプロジェクターが起動して壁に画像を映し出される。
工場の地点に小さな赤いピンが刺さっていて、その近くの川沿いに野球のグラウンドが写っていた。
地図だとどのくらいの規模の工場か分かりづらいが、その住所は完全に街の中である。
ここで暴れれば、間違いなくヒーローが登場するだろう。
「よし、戦闘員は工場を爆破せよ」
「「「はっ!」」」
戦闘員たちが声を揃えて返事をした。
「ふむ、そうだな……。ついでに市役所に犯行予告でも出しておけ!」
珍しい作戦指示に、今度は戦闘員たちが一斉にざわついた。
わざわざ犯行予告を出すというのは、えーと、どうなんだろうか?
準備や計画に支障が出る気がするんだけど……。
「あのぅ、爆破できなくなるかもしれませんけど……」
「ヒーローを呼ぶための作戦だ。目的が達成されているなら爆破できずとも問題は無い」
いいの? といった感じでノコギリデビルを見ると、いつもの含み笑いで返されてしまった。
どんな攻め方をするかは自由と言っていたし、ブラッディローズの好きにさせるつもりのようだ。
まぁ、私としては被害が減りそうなので異議は無いんだけども。
「それじゃ、犯行予告については僕と戦闘員30号がやっておきましょう」
「戦闘員21号、よろしく頼む。他の戦闘員は15時に爆破を行えるように準備を進めてくれ。作戦開始だ!」
「「「はっ!」」」
ブラッディローズの号令に戦闘員たちが立ち上がり、敬礼で応える。
そして、各々が即座に行動を開始した。
爆破に関してはよくある命令なので、それぞれが自分の役割をきっちり理解しているのである。
私と篤人さんも即座に退室し、行動を開始する。
上手く犯行予告を出せたら被害者は減るだろうし、頑張らなければ!
-- 戦闘員が出て行った会議室内にて --
「ふふふ、『今日は私しかいない』とか言っていたか?」
「なんだ、聞いていたのか?」
会議室に残った私に、ノコギリデビルがいつもの含み笑いをしながら語りかけてくる。
あの場所に集音マイクでも仕掛けていたのか、私と戦闘員30号との会話を盗み聞きしていたらしい。
盗聴については少々気に障るが、今日の作戦を黙ってもらっている以上、文句は言うべきではないな。
「お前の作戦を止めはしないが……ふふふ、ヒーローと戦うのは――」
「1人だけ、だろう? 分かっている」
「ふふふ……」
私の答えを聞いて満足したのか、ノコギリデビルも会議室を出て行った。
パンデピスではヒーローに挑む怪人は1人だけと決まっている。
功績の取り合いを防ぐためだという理由のようだが、実際のところはどうなのだろうな?
まぁ、私にとってはどうでもいいことだ。
それに、どうせアイツには別のことをしてもらわなければならん。
ヒーローと戦わせるつもりは無い。
「その件も楽しみだが、その前に私の力でどこまで迫れるかを確かめさせてもらうぞ、ライスイデン」
前回は完敗だったが、今回は簡単に負けるつもりは無い。
私は漲る決意を胸に、誰も居なくなった会議室を後にした。
--4月22日(土) 9:00--
「さてと、爆弾テロを起こさないためにも、僕たちできっちり予告してあげないとね」
地下基地からの帰り道で篤人さんが呟いた。
篤人さんが迷うことなく移動を開始したので何も考えずに基地の外まで出てしまったけど、私はいったい何をしたらいいんだろう?
犯行予告なんかやったこと無いんだけど……。
「どうしますか? 手紙を出せばいいんですかね?」
「まぁ、それしかないんじゃない?」
2人で軽トラに乗り込むと、篤人さんはエンジンをかけてクルマを発進させた。
目指すは参上市の市役所……いや、防衛課の方がいいだろうか?
「市役所と防衛課の基地、どっちがいいですかね? ブラッディローズの指示は市役所でしたけど……」
「この場合は防衛課の方がいいんじゃないかな。どうせ隣同士の建物だしね」
まぁ、その方が直接動いてくれるかもしれないから、それでいいか。
あんまり近づくと怖いけど、手紙を投げ入れて逃げるくらいなら何とでもなるだろうし。
「あ、でも、せめて足が着かないようにはしたいです。指紋とか……」
「その辺は僕が何とかするから大丈夫。アツトにお任せってね!」
私は詳しい方法を知らないが、篤人さんに掛かればその辺は問題ないと信じてもいいだろう。
文字通り、篤人さんにお任せでOKだ。
あとは文面をどうするかだ。
指示通り、ストレートに犯行声明文にすればいいだろうか?
「『参上市の工場を爆破する。阻止したければヒーローを連れてこい』とかでいいかなぁ? あ、そうだ。分かりやすいように地図も付けて、日時も間違いがないように書いておかないと……」
「ずいぶん懇切丁寧な犯行声明文だねぇ。好美ちゃんらしいよ」
そんなこと言われても、伝わらなかったら大問題なんだから分かりやすく書く方がいいに決まっているし、ブラッディローズならそういった書き方をする気がする。
そうそう、ブラッディローズの銘も入れておかなければ。
「文章ができたら、手紙は僕が準備するよ」
「はい、お願いしますね」
重要な情報だけをメモ用紙に書き込んで、手紙の文面はすぐに完成した。
これできちんと伝わるはずだ。
私たちを乗せた軽トラは、食器の街を目指して緑萌ゆる山道を進んでいく。
時間的にもまだ余裕はあるから、これならきっと間に合うだろう。
--4月22日(土) 12:00--
山を越えて道なりに進んでいくと参上市の街並みが近づいてくる。
赤信号で止まった交差点のはす向かいには、フォークとナイフの看板だけを掲げた1本のポールが立っていて、そこが銀食器の街の入り口だということをささやかにアピールしていた。
「銀食器の街……」
普通の街のはずなのに、何だかその響きだけでオシャレな雰囲気が漂っている気がする。
街全体が元気な印象を私に与えるのは、さっき聞いた金属加工の話の影響だろうか?
「iponeの裏面もここの技術で磨かれたんだってさ。企業の偉い人が気に入ったみたいだよ」
「へぇ~、スマホのピカピカしているところって、ここで作ったんだ」
「金属加工のお弟子さんがたくさんいて大盛況なんだって」
「ふ~ん」
私が思っている以上に金属加工で有名だったみたいだ。
さっき標識っぽい看板を見たせいか、銀色のフォークとナイフが頭の中でくるくる回っている。
「どこかで食べていこっか?」
篤人さんが手紙の準備に思った以上に時間をかけていたので、もうお昼の時間である。
私はまだ何もしていないのにお腹はぺこぺこだ。
動かなかった分だけ食費が浮けばいいのに。
「私はお弁当がありますから、クルマで待ってますよ」
「そう? それじゃ、どこか広いところに止めようかな」
篤人さんが周りを見ながら軽トラを走らせる。
やがてショッピングセンターを見つけて駐車場にクルマを止めた。
近くにいくつか店があるみたいなので、篤人さんはクルマを降りて適当に食べてくるそうだ。
私は篤人さんを見送った後、お弁当の包みを取り出して膝の上に広げる。
「いただきまーす」
作ってきたおにぎりを頬張り、スープボトルに入ったお味噌汁を蓋のカップに注ぐ。
おかずは朝とあまり変わらないメニューになるが、気にしない。
おにぎりとお味噌汁、卵焼きがあるだけで元気が出るから大丈夫だ。
「夕飯は何にしようかな~」
冷蔵庫に作り置きが入っているものの、それだけだとやっぱり寂しい。
メインとなるおかずは作り立てのものを用意したいものなのだ。
お茶を飲みながら待っていると、ショッピングセンターから出てきた子供連れのご夫婦が買い物袋から食器を取り出しているのが見えた。
子供たちが銀色のコップやスプーンを嬉しそうに受け取ってはしゃいでいる。
あれはきっとおねだりして買ってもらったものだろう。
次に取り出した大きめの中華風のお皿、あれはきっと麻婆豆腐を入れるためのものじゃないかな?
それと、緑のしま模様が入った小さな四角い取り皿。
ん~、なんだろう? 焼き鳥を入れるお皿に似てるけど真四角だし小さいし……。
これは私への挑戦か?
いったい何を乗せるつもりなんだ……!
「お待たせ」
「ふぇ!? あ、お帰りなさい」
いけない、食器に合う料理を考えていて全然気づかなかった。
「ただいま。なになに、何を見ていたの?」
「えーと、食器を持った家族がいたから、その、気になっちゃって」
篤人さんは私のしどろもどろの言い訳を聞いて、なにを納得したのか、うんうんと頷いている。
「じゃあ、僕がひとりであの手紙を出してくるよ」
「いや、なんでそうなるんですか?」
「好美ちゃんは表向きの理由として、僕のドライブに付き合ってくれているんだよね?」
「表向きはそうですね」
本当の目的はパンデピスの作戦遂行のためだけど、私は篤人さんに事あるごとに連れ出されてドライブに付き合わされている、という設定になっている。
そのドライブも実際には私の都合で行先を決めさせてもらっているけれども。
「ただドライブするより、興味のある場所に行ってきたって言う方がそれっぽいでしょ?」
「まぁ、確かにそうですけど」
何となく言いたいことは分かった。
もし何かあった時のためのカムフラージュとして不自然じゃない行動をしよう、ということだろう。
「それに、手紙を出すだけだったら片方が暇になるだけだよ。せっかく来たんだからさ」
「そうですか? じゃあ、お言葉に甘えようかな?」
「うんうん、それじゃ、ちょうどいい場所知っているからそこに行こう。アツトにお任せってね!」
そう言って篤人さんは軽トラを発進させると迷うことなく道を進んでいく。
どこへ向かうんだろうと思っていたら、広い駐車スペースがあるデパートっぽい場所へと車を向かわせた。
向かいの建物の屋上近くの壁面には【地場産業振興センター】と書かれている。
いわゆる物産館というやつだろうか?
もしそうならクロスナインと同じか、それ以上にこの街の特産品が並べられているはずだ。
「じゃあ、しばらくここで待っててね」
「はい、気を付けてくださいね。特に運転には」
「心配性だなぁ。ちゃっちゃと終わらせてくるよ。じゃあ、後でね」
篤人さんが軽トラを発進させ、それに手を振って見送る。
実際のところ、私は心配していない。
だって絶対うまくやるだろうし、心配するだけ無駄なのだ。……交通事故以外は。
私は道路から視線を外し、物産館の入り口へと目を向けた。
中々の賑わいになっていて、今も夫婦と思しき2人が連れ立って中へと入っていく。
周りにいる人たちの顔は誰もが楽しそうだ。
私は、はやる気持ちを抑えながら物産館のドアを潜り抜けた。
中に入って真っ先に目に入ってきたのは、小さな食器が並べられた小棚だった。
やっぱり一番の特産品が一番目立つところに置かれているようだ。
その奥にはガラスケースに収められた包丁や、スプーンやフォークなどの銀食器が並べられている。
私はゆっくりじっくりガラスケースを見て回った。
まるで食器の博物館みたいだ。
こうやって並べられると、銀食器も何だか貴金属や宝石類のようにも思えてくる。
日本刀が美術品として評価されるのも頷けるし、包丁も美術品の中に入ってもおかしくないのではなかろうか?
いや、さすがにちょっと言い過ぎかなぁ?
「もしかして、好美ちゃん?」
テンション高めに食器を見ていると、不意に後ろから声を掛けられた。
こんなところで知り合いに会うなんてことあるんだろうか?
不思議に思いながら振り向くと、そこには思いがけない人物がいた。
「あ、アズマさん!?」
「やっぱり好美ちゃんだったな。まさかこんなところで会うなんてな」
私もまったく同じ感想だ。まさかこんなところで会うなんて!
アズマさんが特務防衛隊員の服を着て、にこやかに笑みを浮かべながら佇んでいる。
お仕事中に会うのはこれが初めてだけど、今はお昼休憩なのだろうか?
「アズマさん、こんなところまで来ているんですね」
「あぁ、俺ってまだまだ新潟の地理に詳しくないからさ、実際に見て回るような仕事から始めるんだって」
現場へ急行するため、あるいは避難誘導のための訓練のため、主要な施設や道路をパトロールする仕事を多く割り振られているようだった。
なるほど、特務防衛課は隊員に合わせて仕事を割り振っているんだなと感心する。
「好美ちゃんはお買い物?」
「いえ、ドライブに来たついでで、見て行こうかなって……」
「へぇ~」
アズマさんがそれを聞いてキョロキョロとあたりを見回す。
保護者を探しているようだけど、ここにはいないんだよね。
「今は別の用事でここには居ませんよ。私はお留守番です」
「そうなんだ。ご挨拶でもと思ったんだけど」
これは、親に連れてこられたと考えているっぽいかな?
それにしても、ご挨拶か……。
アズマさんが、私の両親にゴアイサツ……。
我ながらバカだと思うけど、アズマさんが私の両親に挨拶に来るイメージをしてしまった。
プロポーズ後の御挨拶って奴である。
目の前の食器類が『結納にどうぞ』とか言っているような気がする。
いやいや、まだ相手は私のことを何とも思っていないって!
お付き合いもまだなのに、何足跳びなの!? 気が早すぎるでしょ、私!
慌てて妄想を振り払うも、恥ずかしさで顔が熱くなってきた。
挙動不審になっているのが自分でも分かるし、これじゃ変な奴だって思われてしまいそうだ。
「初めて来たけど、こう見ると面白いな」
私の懊悩を知る由もなく、食器の入ったガラスケースをまじまじと見ていたアズマさんが感想を述べた。
普段使いしている食器も、こうやって並べられているとまた違って見えてくる気持ちは私も分かる。
アズマさんのいつも通りの様子にホッとした私は、少し調子を取り戻すことに成功した。
「この辺のタンブラーって、たしか断熱するから冷めにくい奴ですね」
「こっちのコレ、何かカッコいいな!」
2人でそれぞれのケースを見て回った。
私より料理の知見が少ないからか、アズマさんは完全に見た目重視である。
アズマさんが指さしている不思議な形の包丁は、確かそば切り包丁ではなかっただろうか?
そんな専門的な包丁、私も使ったことがない。
楽しい時間はあっという間に過ぎていき、アズマさんが呼ばれる声で終わりを迎えた。
「おい、飛竜! そろそろ戻ってこい」
「おっと、お昼休憩は終わりっぽいな。それじゃ、またな!」
「はい、お仕事がんばってください」
たぶん上司にあたる隊員さんだろう。
声を掛けられたアズマさんは慌てて物産館を出て行った。
それを見送った私は、そういえば何か料理を作ってあげようと考えていたことを思い出した。
「うーん、どんな料理がいいかな?」
目の前に広がる食器の見本を眺めながら、私は贈るのにふさわしい一品を吟味し始めた。
--その頃、教官に呼び戻されたアズマは--
「飛竜、ちょっと急ぐぞ」
教官が参上市の防衛課の支部へとクルマを走らせる。
ただならぬ雰囲気を感じて、俺は即座に気を引き締めた。
さっき昼休みが終わる前に俺を呼び戻しに来たのも、きっと何か起きたからに違いない。
「犯罪予告の手紙が届いた。怪人"ブラッディローズ"からな」
「怪人から? ……本物ですか?」
一応聞いてみたけど、教官は俺以上に慎重だからニセモノの線は薄いはずだ。
案の定、信頼に足る答えが返ってきた。
「その手紙に硝煙の匂いが染みついていてな。ただのイタズラにしちゃ本格的すぎる」
「確かに、それは無視できないっスね」
前提知識として硝煙の匂いを知っていないと手紙に匂いを付けることはできない。
手紙の送り主が軍関係者か秘密結社に携わる可能性は比較的高いだろう。
仮にイタズラだったとしても出所を突き止める必要がありそうだ。
「でも、硝煙の匂いが染みつく手紙って、どういった状況なんです?」
「さぁな? ワザと匂いを付けた可能性もある。俺たちヒーローを呼び出すために」
罠かもしれないってことか。
どんな罠だろうが、俺が食い破って見せる!
……っと、そういえば肝心の犯行予告について聞いていなかったな。
ブラッディローズはどんなことを書いてきたんだ?
「犯行予告にはどんなことが?」
「次に狙う場所を、ご丁寧に地図付きで教えてきてくれたよ」
教官がカーナビを切り替えてその地点を教えてくれた。
金属加工の工場が目的地として表示されている。
いや、なんでだ?
何でまたそんな場所を狙うんだ?
「あの、パンデピスってこんな場所を狙うんですか? 銀行とか宝石店とかじゃなく?」
「あぁ、こんな所ばっかだ。パンデピスはどこを狙うか予測しづらいんだよ」
他の県にある秘密結社では、直接的な資金強奪や、資源の採掘場を狙う奴らが多かった。
金属類を奪う目的なのかもしれないが、それにしたって一つの工場を狙うよりも、もっといい場所がある気がする。
公的機関への示威行為で警察署や特務防衛課の支部が標的にされることもあるが、聞くところによるとパンデピスはそういったことも滅多に行わないという。
「いったい何が目的なんだ?」
「たぶん目的は無いと思うぞ。ただ単にヒーローをおびき寄せるためだけに暴れているはずだ」
「俺たちを排除するため、か……」
「そういうことだ。はた迷惑な怪人ばっかりだよ」
教官がそう断言したところで、防衛課の支部へと到着した。
これから緊急会議が行われるが、犯行予告の内容から、恐らく周りの住宅に緊急避難命令を出すことになるだろう。
それと同時に、今まで秘密裏に準備してきた作戦も遂行されるはずだ。
今回は危険を承知で、特務防衛課の隊員がパンデピスの戦闘員の捕縛を試みる。
すれ違った支部の隊員たちの目に、決死の覚悟が宿っているのが分かった。
「準備はいいな、レッドドラゴン。奴は必ず現れる。今日、"謎の怪人"を倒す!」
「よっしゃ! いよいよっスね!」
わざわざヒーロー名を使ってくるあたり、教官もかなり前のめりになっているっぽいな。
今までさんざん邪魔してきた相手を倒せる算段が付いたんだから、それも当然か。
俺も自然と拳に力が入ってくる。
ここで俺がしくじるわけにはいかない。
ブラッディローズも、"謎の怪人"も、まとめて決着をつけてやる!
--4月22日(土) 15:00--
「こりゃ、完全に遅刻だよ」
私と篤人さんは軽トラに乗ったまま、渋滞に巻き込まれて動けなくなっていた。
原因は特務防衛課が出した緊急避難警告だ。
私たちが用意した犯行予告を重く見た特務防衛課は迅速に行動してくれたようで、これでひとまず一般人が巻き込まれるのは避けられたはずだ。
後はブラッディローズが無事ならいいのだけど……。
突如、どぉん! という音が鳴り響いた。
爆発音というよりは、重い何かが衝突したような音が大地を振るわせた。
恐らくヒーローと怪人がぶつかり合っているのだろう。
「もう始まっちゃったっぽい!」
ブラッディローズの実力なら一瞬で決着が着くことは無いはずだ。
しかし、以前の作戦で謎の吐血をした姿が頭をよぎる。
彼女は何か持病を抱えているんじゃないだろうか?
渋滞のクルマの列は相変わらず動く気配を見せない。
何かあった時のために、できるだけ近くて見ていたいのに……!
「好美ちゃん、先に向かって。このまま待っていてもダメそうだ」
「分かりました。行ってきます!」
焦れていた私は篤人さんの言葉を聞いて、すぐさま軽トラから飛び出した。
完全に止まっている車の列をすり抜けると、まずは人目を遮ることができる場所を探す。
「あそこなら良さそう」
道の脇にあったガソリンスタンドの裏側へと滑り込むと、周りを見渡した。
誰もいないことを確認した上で、合言葉をぼそぼそと呟いた。
「昏き力よ出でよ、メタモルフォーゼっ!」
合言葉に反応したブローチから黒い布が飛び出して、私の全身に巻き付いてくる。
やがて私は人知れず"謎の怪人"の姿へと変身を遂げた。
そうそう、今日は戦闘員の服を着ていない状態からの変身だ。
前は変身を解く時に失敗しちゃったし、ちゃんと覚えておかなければ!
変身が終わった直後に、またしてもドォンという音が響いてきた。
不規則かつ強弱の違う打撃音が、1回、2回……と轟き渡る。
その音に合わせて、渋滞した道路からも悲鳴に似たどよめきが沸き起こっていた。
みんな注目している現場へと向かわなければいけないのだから、どうせ隠れて移動するのは不可能だ。
変身前の状態で向うことも考えたけど、絶対どこかで引き留められることになるだろう。
今の私にはそれに構っている余裕は無いのだ。
「よし、見つかってもいいや。さっさと行こう!」
思いっきり地面を蹴り、ガソリンスタンドのポールの上へと跳躍する。
目標となる金属加工場はまだ見えないが、音のしてくる方向に向かっていけば問題ないだろう。
「おい、あれ――」
「まさか――」
さっそく見つかって騒がれてしまっているようだ。
更に大きくなったどよめきを背に、私は屋根から屋根へと飛び移りながら進んでいく。
ふと、私を追い越していく影がよぎった。
上を見上げると、バタバタという音を立てながら現場へと向かう飛行物体が見える。
「ヘリコプターまで来てる……」
あれはたぶん新聞社か何かのヘリコプターだろう。
犯行予告のことを聞きつけて準備したのだとしたら、なかなかのフットワークだ。
一瞬光ったような気がしたけど、太陽の反射? それともカメラのフラッシュだろうか?
空からも見られているとなると、隠れにくいなぁ……。
周りに人もいないから、雑踏に紛れ込んで隠れることもできそうにない。
間違って変身を解いちゃったらえらいことになりそうだ。
ヘリコプターがスピードを緩め、その場でホバリングを始めた。
戦いの舞台が近いのだろう。
そのことに気付いた直後、ひときわ大きな衝撃音が空気を振るわせた。
「いた!」
工場の駐車場スペースに2人の影を見つけた。
住民の退避が終わったからか、それともライスイデンの登場によるものか、ブラッディローズは河川敷に移動するのは止めて工場で戦うことを選んだらしい。
今はブラッディローズの生み出した蔦がライスイデンの腕に絡みついている状態で、お互いに足をつっぱり、綱引きの真っ最中のようだった。
「どうした、ライスイデン? お前の力はこんなものだったか?」
「何てヤツだ! この短期間でここまで強くなるとは……」
2人のやり取りを聞きながら、私は少し離れた家の屋根へと飛び乗った。
できるだけヘリコプターの死角に入るように移動しつつ、ブラッディローズたちの様子を伺う。
決着はもうしばらく後になりそうかな?
「お世辞でも嬉しいぞ、ライスイデン。だが……」
「うわぁ!?」
ブラッディローズが思いきり蔦を引くとライスイデンが空中へと投げ出された。
すかさず反対の手から『ブラッディ・ニードル』が放たれ、ライスイデンに襲い掛かる。
「まだまだぁ!」
ライスイデンは自ら蔦を引いて空中で姿勢を変えると、攻撃を躱すと同時にブラッディローズに突っ込んでいった。
ライスイデンの蹴りがブラッディローズに襲いかかる。
しかし、ブラッディローズも即座に体勢を整えると、負けじと合わせるかのように蹴り技を放った。
ドォン! と今までで一番大きな衝撃音が響く。
それと同時に、ブラッディローズの足元のコンクリートがはじけ飛んだ。
「……やはりな。ライスイデン、お前はまだ本気を出していないな?」
「むっ!?」
「うぇっ!?」
ライスイデンが驚きの声を上げる。
……まぁ、それ以上に私が驚いていたりするわけなんですが。
「生き残りの怪人たちと手合わせをして分かった。怪人同士でかなり実力に開きがあるにもかかわらず、誰もかれもがあと一歩で勝てたと話していた」
何だか、あまり聞きたくなかった情報が耳に飛び込んできた。
もしかして、ライスイデンって私が知っているよりも、さらに強いの?
「何故とは聞かん。私が言いたいことは1つだけだ。――お前に本気を出させて、それに勝つ!」
ブラッディローズが気合を迸らせ、両腕に蔦を巻き付けた。
棘を纏い、接近戦を仕掛ける構えのようだ。
「厄介な相手だ……!」
ライスイデンが愚痴るように呟くと、ブラッディローズの拳をガードする。
ガードされたと同時に棘が発射されてライスイデンに襲い掛かるが、ライスイデンはそれをしっかり予測していたようで、躱すと同時にパンチを繰り出していく。
繰り出される連続パンチと、時折り混じる飛び道具による奇襲。
ライスイデンはその全てを華麗に裁きつつ反撃を行っていく。
ブラッディローズの様子を見るに彼女は勝負を決めに来ているのだろう。
今のところは何とかしているが、ライスイデンも対応にかなり苦しんでいるようだ。
どこかで均衡が崩れたら一気に勝負が決まるかもしれない。
「レベル高ぁ……」
正直、ブラッディローズがヒーローとまともな打ち合いができるとは思っていなかった。
しかし、現に今、ライスイデンと十分に互角と言える戦いを演じている。
もしかして、私は初めてヒーローを助ける側に回ることになるのだろうか?
「こっちはダメだ!」
「くそ、突破口を探せ!」
食い入るように見ていると、後ろから悲鳴に似た叫び声が聞こえてきた。
そちらに目を向けると、戦闘員の乗る車が特務防衛隊の軍用車に追いかけられ、逃げ回っている。
特務防衛隊は巻き添えや人質になることを避けるため、ヒーローの戦いが始まったら戦闘区域外に移動するはずなのに、なぜか現場に留まって戦闘員たちを追い回していた。
武装したジープが一般車両に扮した(とうかそのまんまの)パンデピス車両に体当たりを行い、進路を妨害しつつ追い詰めていく。
戦闘員たちはレーザーガンで応戦するものの、多勢に無勢だった。
「車両は1台のみ! まだ付近に潜んでいる可能性あり! 警戒を怠るな!」
「拿捕を急げ! ヒーローに迷惑をかけるな!」
あっという間に取り囲み、クルマを動けなくしてしまった。
ジープから降りてきた隊員たちが銃を構えて戦闘員たちのクルマを取り囲む。
「まさか、時間稼ぎか?」
一度距離をとったブラッディローズが息を弾ませながらライスイデンに問いかけている。
戦闘員も軽んじていないブラッディローズにとっては、普段とは逆に、正義の味方に戦闘員を人質に取られてしまったような気分だろう。
「今回に限っては、そうだな」
対するライスイデンも息が上がっているようだった。
しかし、作戦通りに進めているのはライスイデン側で間違いない。
焦っていない分だけ余裕が感じられる。
「パンデピス、新潟の防衛隊員を舐めるなよ!」
「舐めたつもりは無い。感心していたところだ。だが、戦闘員は返してもらう!」
ブラッディローズはライスイデンを飛び越えて戦闘員救助に向かおうとした。
しかし、ライスイデンの雷撃が鞭のようにしなりブラッディローズを襲う。
いつの間にか握られていたブラッディローズの蔦が、今度はライスイデンの鞭として使われていた。
その鞭はバチンと派手な音を立ててブラッディローズの身体に命中する。
飛び越えることに失敗したブラッディローズは空中で姿勢を整え、元の場所にふわりと着地した。
「そうか、やっと本気、というわけだな」
ブラッディローズが立ちはだかるライスイデンを睨みつける。
「本気はずっと出しているさ。完全勝利するためにな! 行くぞ……! 雷電! 水伝!」
ライスイデンは鞭を手放し、その両拳に力を込めた。
右手に電撃を、左手に水滴を纏わせたライスイデンがブラッディローズへと迫る。
ブラッディローズも蔦を腕に纏わせ、再び至近距離での格闘が始まった。
しかし、その様子は先ほどと違って互角ではなく、徐々にブラッディローズの防御に掛かる時間が増えている気がする。
「っと、見てる場合じゃないよ!」
ついつい目を奪われてしまっていたが、私も行動を起こさなければ!
今は戦闘員たちを助けるのが先だろう。
私は銃を突きつけられている車に向かって跳躍すると、取り囲んでいた隊員たちの前へと降り立った。
「"謎の怪人"、出現しました!」
「作戦開始!」
「はっ??」
私は聞こえてきた指示に耳を疑った。
てっきり逃げる物かと思っていたのに、作戦開始とか聞こえたんですけど。
怪人相手には隊員たちだけじゃ対応不能のはず――。
私が驚いていると、いきなり視界が反転した。
いや、そう見えただけで次の瞬間に空中へと投げ出されたのだということを理解する。
何故なら私を投げた特務隊員が服を脱ぎ捨てるところが見えて、中から赤いヒーローが現れたからだ。
「れ、レッドドラゴン!?」
私はたぶん後ろから不意打ちしてきたであろうレッドドラゴンに投げ飛ばされたのだろう。
そのレッドドラゴンは一気に跳躍してこちらに迫ってきた。
「はぁああああ!!」
「ひゃあああああ!!? うぐぅ!」
私は、強烈なアームハンマーを背中に叩き込まれてしまう。
今度は一気に地面が近づいて、受け身もとれず、私の身体は勢いよく叩きつけられてしまった。
コンクリートが割れて、もうもうと砂煙が巻き起こる。
「うっ、いたたたた……」
立ち上がろうとした私の横でドカンと大きな音が鳴った。
何かが叩きつけられたようで、砂煙が舞っている。
そちらを見ると、傷だらけのブラッディローズが現れてよろりと立ち上がった。
「ふ、ようやく会えたな」
「お、お久しぶりです」
自分でしておきながらなんだけど、挨拶している場合じゃないのでは?
私も結構痛かったけど、ブラッディローズはもう満身創痍と言ってもいいくらい痛めつけられている。
「追い詰めたぜ」
「最後まで気を抜くな、レッドドラゴン」
目の前にはライスイデンとレッドドラゴンが並び立っている。
大ピンチだ。
「ピンチの時にしか現れないのはどうにかならないのか?」
「ピンチじゃなくてもどうにもなりませんよ、こんなの」
ヒーロー×2とか無茶だよと声を大にして言いたい。
実際、ここから逃げ出すのは至難の業だろう。
戦意を失っていないブラッディローズを不思議に思えるほどだ。
「一気に決める! 合わせてくれ、ライスイデン」
「よし、分かった!」
「「うぉおおおおおぉおっ!!」」
レッドドラゴンの右手に炎の龍が巻き付き、ライスイデンの両手に雷と水が逆巻く。
破壊力抜群の必殺技が同時に放たれようとしていた。
「ライスイデンの技はどうにかする。お前はレッドドラゴンのをどうにかしろ」
「そんな無茶な!?」
ブラッディローズからの無茶ぶりに異議を唱えるものの、片方を何とかしてくれるのなら生き残る目も出てくるかもしれない。
ほんの一縷の望みでしかないが……。
「「やるしかない」」
ブラッディローズと言葉が重なった。
あ、これ本人も無茶を言っている自覚があるんだね。
できれば待って欲しいんだけど、ヒーローたちは私たちを待ってはくれなかった。
千載一遇のチャンスとばかりに、全力全開の必殺技が私たちに向かって放たれた。
「ひっさぁああつ! ブレイザー・キャノン!! 発射ぁ――っ!!」
「必殺! ライトニング・ストリーム!! 発射ぁああーー!!」
僅かに早いのはブレイザーキャノンだ。
私は一気に前へと進み、その射線に躍り出る。
後ろにはブラッディローズがいる。打ち負けたらそれで終わりだ。
私は前と同じく、迫りくる火球をレシーブのように受け止めた。
バシィン! と強烈な衝撃が両腕を襲う。
「ぐぅううううう!」
前よりずっと重い気がするんですけど!?
もしかして、前回のレッドドラゴンも全力じゃなかっただけ?
そんな考えが浮かび、嫌な汗が背中を伝う。
ぶすぶすと腕を焦がしていく火球が熱を迸らせ、今にも大爆発を巻き起こしてしまいそうだ。
「決まれぇ!!」
ブラッディローズが私の後ろで叫んだ。
ほんの少し遅れて届いたライスイデンの雷竜巻に、ブラッディローズが何か放ったようだ。
でも、私を越えての攻撃はどうやってするのだろう?
その答えは、火球の光の向こう側に見えた。
地面を割って、ブラッディローズが放ったであろう根が壁となって立ちふさがっている。
ぶちぶちと音を立てて千切られているものの、次から次へと根を生やして防ぎきる構えのようだ。
「んぎぎぎぎぃ!」
「ふぅうううう!!」
ヒーローの必殺技に全力で抗う私とブラッディローズが最後の力を振り絞る。
決死の想いで抗い、火球が僅かながら上にズレた感じがした。
弾き飛ばした、と思った瞬間、ライスイデンの必殺技が私に届いた。
「ひゃああああ!?」
「うっ!!?」
雷撃を受けた火球が破裂し、強烈な爆発が私の視界を覆い尽くした。
上半身に激しい痛みが襲いかかり、意識が虚空に溶けそうになる。
ついに終わりが来たと覚悟をしたが、感じている痛みが消えることは無かった。
「い、生きてる……?」
「あたり、まえだ」
今のは私の独り言だったのだが、ブラッディローズが返事を返した。
僅かにブレイザーキャノンを上に逸らしたのが功を奏したらしい。
一緒に吹き飛ばされはしたものの、辛うじて息は残っているようだ。
「行けるか、ライスイデン?」
「あぁ、行くさ! 絶対に決める!」
「「はぁあああああ!!」」
ぶすぶすと焦げ臭いアスファルトに陽炎が立ち、2人のヒーローの姿が揺らいでいる。
彼らは僅かなインターバルで2回目を放たんと必殺技の構えを取っていた。
もう一回来られたら、さすがに防ぐことは無理だろう。
かといって逃げるにしても、逃げようとしたところを2人の必殺技に撃ち抜かれて終わりだ。
どうしよう……。
絶望的な状況に気力が萎えて、もう泣きそうだ。
「一度じっくり話をしたかったのだが、その時間すら無いな」
「何か策はありますか、ブラッディローズ!」
「ゆっくりと世間話をする方法か?」
軽口を叩くんじゃなくて、どうにかする方法を考えて欲しいんですけど!
「ああ、もう! ここを切り抜ける方法に決まってるでしょうが! 世間話なんて、うまく切り抜けたらいくらでも付き合いますから!」
「いいのか?」
「良いも何も、どうにかできると思ってますか? 私はもう限界ですしブラッディローズだって――」
「言質は取ったぞ? 約束を破ったらお前の大切なものを消してやるからな」
ブラッディローズが腕を上げた。
何だろうと思っていると、何者かが工場から飛び出して空高く舞い上がった。
「ケヒャヒャヒャ! カマイタチぃ!!」
「えぇ!?」
飛び出してきたのはシザーマンティスだった。
空中から放たれたカマイタチがレッドドラゴン、ライスイデンの構えを妨害しつつ土煙を巻き上げる。
「うっ、何だと!?」
「まだ怪人がいたのか!!」
それと同じタイミングで、戦闘員たちを取り囲んでいたジープを中心に煙玉がさく裂した。
同時に、バチィという音が鳴り、特務隊員たちが崩れ落ちる。
「みんなこっちへ乗れ!」
「戦闘員21号!」
「来てくれたのか!」
「よし、全員退避だ!」
あれは篤人さんの声だ。
遅れてきた篤人さんが到着し、戦闘員たちを救助しているようだ。
「逃がすか!」
「ケヒャヒャ! お前らの相手は俺だぁ! カマイタチ乱舞だぜぇ!」
「うぉおお!?」
「くっ、厄介な!」
シザーマンティスが上空から打ち下ろすカマイタチで牽制を続けていた。
意外にもヒーロー2人を相手に善戦している。
決して近づかず、しかし無視できない攻撃は、ヒーローたちから私たちをフリーにするには十分だった。
すごい、シザーマンティス! 見直した!
「ケヒャヒャ! おい、ブラッディローズ! 俺は"謎の怪人"を追うだけだったはずだろ! レッドドラゴンと戦うとか聞いてねえぞ、コラァ!!!」
あ、ものすごく必死っぽい。
鬼のような形相でこちらを睨みつけている。
それにしても、ブラッディローズは私を捕まえようと画策していたみたいだ。
そういえば特務隊員やヒーローも……。
あれ、ここにレッドドラゴンがいるのって、もしかして私のせい?
「後で上司にしっかり評価してもらう。それでいいだろう?」
「よくねえよ!? さっさと逃げろや!! 俺が死んじまう!」
殿をむりやり任されたシザーマンティスが叫んだ。
まともに戦えるのはもはや彼だけだが、一人で逃げることはできるのだろうか?
あまり頑張りたくないけど、もう一回頑張らないとダメかもしれない。
結論から言えば、その必要はなかった。
今までやられっぱなしだった戦闘員たちの、とっておきが残っていたのである。
「戦闘員21号、俺たちも意地を見せるぞ」
「ああ、アレかい? 場所は?」
「お前はまっすぐ進めばいい!」
「りょーかい! 全員、撤退! シザーマンティス様、ブラッディローズ、"謎の怪人"も乗って!」
篤人さんの声に私たちは迷うことなく駆け出した。
シザーマンティスも素直にその言葉に従っているし、よっぽど必死だったのだろう。
「まだだ! ライトニング――」
「ひっさつ、ブレイザ――」
横っ腹を見せている怪人たちに、必殺技を撃ち込もうとライスイデンとレッドドラゴンが吠える。
しかし、その必殺技は放たれることは無かった。
「爆破、開始ぃ!!」
ドゴォオオンッ! ドゴォオオンッ! と隠されていた爆弾が連続して火を噴いた。
「うわあぁああ!?」
「レッドドラゴン! くそっ!」
戦いが始まる前、戦闘員たちが仕掛けていた爆弾が次々と爆発していく。
偶然ヒーローたちの足元にあった爆弾も閃光を放ち、彼らは必殺技を中断せざるを得なくなった。
周りにいた特務隊員たちにも被害が及びはじめ、その隙に戦闘員も含めて全員が軽トラの荷台に飛び移ることに成功した。
ギュウギュウ詰めの私たちを乗せ、軽トラは何キロ出ているんだというスピードで爆走していく。
「勝負は私の負けだ、ライスイデン! また会おう!」
「くっ! おのれ、パンデピスめ!!」
ブラッディローズの叫び声だけ工場に残し、私たちを乗せた車は街へ向かって突き進む。
街に出ると、篤人さんは煙玉を至る所に仕掛けていたようでそちらの方も大パニックになっていた。
大混乱かつ視界不良なのは理想的だ。
これなら逃げ切ることも可能だろう。
「戦闘員30号はちゃんとやってくれているみたいだね」
「この煙幕は戦闘員30号の仕業か!」
「ナイスだ!」
篤人さんがちゃっかり私が外にいることにしてくれていた。
後はそれぞれが行方を眩まして逃げるだけである。
「行くのか、"謎の怪人"」
どこで姿を眩まそうか考えていると、ブラッディローズが声を掛けてきた。
「約束、忘れるなよ」
「……すみません」
私はその言葉に謝罪をすると、軽トラの荷台から飛び降りた。
--4月22日(土) 18:00--
それぞれが別々に姿を眩まし、地下基地に集合した。
欠員はゼロ。
ヒーローと特務防衛課が罠を張ったにも関わらず全員が無事というのは奇跡に近い。
「ふふふ、よくぞ無事に戻ってきた」
「ライスイデンは仕留められなかった。作戦は――」
「失敗ではあるが、評価しないわけではない。ふふふ、よくやったと言っておこう」
これで叱責を受けるのならたまったものではないが、ノコギリデビルは前々から善戦したら評価する方針を貫いている。
それを温いと言う怪人もいるが、ありがたく思う怪人もまた多い。
このノコギリデビルの方針があればこそ怪人たちも撤退を視野に入れるのである。
私が助けて回っていたこともあるが、怪人の被撃破数は新潟、つまりは秘密結社パンデピスが最低なのだそうだ。
5年以上持った悪の秘密結社など片手で数えられるくらいしか存在しない。
継続戦闘力だけでいうと、パンデピスは全国的に見ても規模の割にかなり上位にいるのである。
「それで、もう1つの作戦の方なのだがな」
「おや、進展はあったのかね?」
ブラッディローズはこくりと頷き、戦闘員たちの方を見た。
「今から本日の最後の任務を行う。全員で闘技場に行くぞ」
何だろう、もう1つの作戦というのは? 何も聞いていなんですけど。
周りの戦闘員たちも何のことか分からず困惑しているようだ。
篤人さんは何か聞いているのだろうか?
落ち着かないでいる私を、ブラッディローズがちらりと見る。
その意味は分からなかったが、何だか嫌な予感がした。
闘技場に着くと、ブラッディローズとシザーマンティス、ノコギリデビルが中央を陣取る。
そこから少し離れて戦闘員たちが向かい合わせに並ばされていた。
「戦闘員21号、戦闘員30号はこっちへ来い」
「え? あ、はい……」
「はい、なんでしょうか?」
な、何で呼ばれたんだろうか?
嫌な予感がものすごく高まっていく。
「約束を果たしてもらうぞ?」
「わ、私ですか? 何のことでしょう?」
「まだとぼける気か? あとでゆっくり話そうという約束だ。いくらでも世間話していいのだろう?」
そう言われた瞬間、私は気が遠くなる思いがした。
ブラッディローズが言っているのは"謎の怪人"とブラッディローズの約束である。
これは完全にバレてる……。
「い、いえ? あ、の、何のことか」
「私は言ったな? 約束を破ったらどうなるか、と」
ブラッディローズはおもむろに歩き出し、何故か闘技場の端へと移動した。
端まで到達するとブラッディローズが振り向き、右腕に巻き付いた棘を成長させた。
彼女の必殺技、ブラッディ・ニードルの発射段階に到達する。
そして、反対側の手の人差し指で戦闘員21号を指し示した。
「約束を破った時は、大切なものを消す、と」
「え、ちょ!」
パンデピスでは仲間殺しは御法度で、ノコギリデビルが黙っているはずがない。
……はずがないのだが、なぜか見てみぬふりをしているようだ。
まさか、止めるつもりはないとでも言うのだろうか?
「これを喰らえ! ブラッディ・ニードル!」
ブラッディローズが躊躇なく必殺技を放った。
「昏き――」
だめだ、全然間に合わないし、それに今変身しても意味はない。
私の正体と篤人さんの命は天秤を天秤に乗せるまでもない。
そんなの、結論は最初から決まっている。
篤人さんを死なせるわけにはいかない!
私は反射的に怪人の力を解き放ち、手のひらで力任せにブラッディニードルを弾いた。
パァン! という衝撃音と共に、棘が粉々に砕け散る。
篤人さんは腰を抜かしているようだが、無事だ。
私は篤人さんを守れたことを確認し、ホッと息を吐き出した。
「やはり、お前だったか。……そんな姿をしていたのだな」
ブラッディローズがゆっくり歩いてくる。
雰囲気的に、もう攻撃してくる気配は無さそうだが、腕にはまだ棘が生えたままになっている。
「約束は果たしますから、もうやめてください」
ブラッディローズは私の一言で自らの腕に棘が生えたままになっていることに気付いたようで、その棘を即座に消してみせた。
私も構えを解き、篤人さんに肩を貸して抱き起す。
はぁ、ついに"謎の怪人"の正体も、私の怪人化した姿も見られてしまった。
……でも、篤人さんを守れたのだからこれで良かったのだと思う。
もともと今までバレずにいたことの方が不思議なくらいだったのだ。
私の身体は怪人化し、大きく変化していた。
といっても、一部だけではあるのだが。
頭から顔にかけてふさふさの白い毛が生え、耳が縦に長く変化している。
ズボンの後ろ側が少しずり落ち、そこから丸っこい毛玉のような尻尾がはみ出ていた。
周りにいた戦闘員もシザーマンティスも驚いている。
唯一、ノコギリデビルだけは余裕の笑みを浮かべたままだった。
「戦闘員30号。僕がもっとしっかりしておけば……ごめんね」
「そんなことないです。それよりも……」
「ウサギの怪人。……それが"謎の怪人"の正体か」
更に近づいてきたブラッディローズがまじまじと私の耳を見つめていた。
さすがにブラッディローズのこの仕打ちには納得ができない。
ひとこと言ってやらねば!
文句を言おうとしたところで、ノコギリデビルが割り込んできた。
「ふふふ、気は済んだかね? ブラッディローズ」
「あぁ、作戦は終了だ。シザーマンティス、戦闘員たち。付き合わせて悪かったな、これで解散だ」
ブラッディローズが作戦終了を宣言した。
戦闘員たちは空気を読み、話の邪魔にならないように退散していく。
ただ、納得できない戦闘員もいたようで、後で話を聞かせろと言って出て行った者もいた。
シザーマンティスは『おめーかよ』みたいなことだけ言って出て行った。
ある程度はブラッディローズに話を聞かされていたのかもしれない。
「ふふふ、さて、ブラッディローズ。どんな理由があるにせよ味方に攻撃することはいただけない。覚悟はできているな?」
「分かっている、どんな罰でも甘んじて受け入れるつもりだ」
「宜しい。……とのことだが、君はどうしたいかね? 戦闘員30号」
「え? えっと、そうですね……」
怒ろうと思ってはいたものの、沙汰を任されるとなると少ししり込みしてしまう。
というか、さっきのやり取りでブラッディローズが消されてしまうんじゃないかと心配してしまった。
私に任せてもらえるのならば……。
「謝ってください。戦闘員21号に!」
これだけは絶対に譲れない!
そもそも篤人さんがいなければ今日の作戦で私たちは死んでいた可能性もあった。
功労者に対してこの仕打ちはあんまりすぎる!
「む、そうか、確かにまだ謝っていなかったな。……この度は失礼の度が過ぎたようだ。戦闘員21号、すまなかった。今後、いかなる理由があろうともこんな危険なことはしないと誓う」
そう言ってブラッディローズは綺麗に腰を折り、頭を下げた。
丁寧語ではなかったが、彼女なりの言葉で真摯に対応してくれているように思う。
どうやら、篤人さんも同じような感じ方をしたようだ。
「戦闘員30号、僕はブラッディローズの謝罪を受け入れ、許そうと思う。この話はこれでお終いにしよう」
「うん、分かった。……私の望みはこれだけですよ、ノコギリデビル」
私も、頭の中ではブラッディローズが篤人さんを殺すつもりが無かったことくらいは分かっている。
わざわざ闘技場の端っこまで移動してからブラッディニードルを撃ったことからもそれが分かる。
篤人さんが許したことだし、私から望むことはもう無い。
そもそも罰を与えるなんてしたくないし。
「ふふふ、分かった。だが、私は幹部としてもう少し罰を与えねばならん。ブラッディローズよ、君には暫く待機を命ずる」
「分かった。異論は無い」
素直にうなずいたブラッディローズを見て、ノコギリデビルは満足そうに笑っている。
本来は面倒なはずの待機命令だが、ブラッディローズは基地に居すぎと言えるくらいいつも居るのである。
結局いつもとあまり変わらないような気がするのだが、いいのだろうか?
「ふふふ、さて戦闘員30号、こうなった以上は君にも怪人として働いてもらうことになる」
「うっ、やっぱりそうなりますよね……」
話が一段落して、私の処遇についての話題へと変わる。
やっぱり前と同じというわけにはいかないようだ。
きっちり『怪人として活動する』という方針を固められてしまった。
「今日はもう遅い。次に来た時にまた話をするとしよう」
そう言ってノコギリデビルも闘技場から去ろうとしたのだが――。
「待て、ノコギリデビル」
ブラッディローズがそう言って引き留めた。
「お前、最初から戦闘員30号が"謎の怪人"だと知っていたな?」
「ふふふ、どうだろうな?」
それに対し、ノコギリデビルは曖昧に返事を返すだけで、今度こそ闘技場を去っていく。
ブラッディローズが訝し気な表情でそれを見送っていた。
残ったのは私、ブラッディローズ、篤人さんだけだ。
ノコギリデビルはよく分からないが、ブラッディローズは何で私のことに気付いたんだろうか?
「ブラッディローズ、何で私が"謎の怪人"だって分かったんですか?」
「バカにしているのか? 何でもなにも、最初に会った時にその場にいたのはお前たち2人だけだっただろう。戦闘員21号は声の位置から"謎の怪人"ではないと分かる。気づけない方がおかしい」
あ~、最初っからですか。
確かに、言われてみたら簡単なことだと思う。
そういえば聞き込みの段階でも戦闘員のことを聞いて回っていたし、最初から疑っていたのだろう。
でも同じようなシチュエーションで今まで気づかれなかったんだよね。
「他の怪人たちは戦闘員のことをいちいち気にしていないというのが聞き取り調査で分かった。今までバレなかった理由はそれだろう」
あれ、私の言いたいことが何で分かったんだろう?
「戦闘員30号、顔に考えていることが書いてあるよ」
「わ、私ってそんなに分かりやすいですか?」
「たまたま分かっただけだ」
そう言いつつ、ちょっと得意そうなブラッディローズが少し恨めしい。
「そろそろ頃合いだろうな」
「何がですか?」
「その言葉遣いだ。そろそろ敬語はやめろ」
「敬語?」
「そうだ。お前はもう怪人の一人。私と同等のはずだ」
敬語を使われるのがあまりお気に召さないらしい。
まぁ、この際だから私はいいかな。
「うん、分かった」
その答えに、ブラッディローズが微かな笑みを浮かべる。
もしかしてライバル視されている? ……そんなわけないか。
「今度はすぐ会えるだろうし、今日はお開きにするか。簡単に死ぬなよ?」
「怖い事を言わないでよ。またね」
ブラッディローズが闘技場を後にして、待機所へと向かった。
私たちもいつものエレベータから基地を後にして、ようやくの帰宅である。
ついに正体が組織にバレてしまった。
今後はどうなってしまうんだろう? 不安だ……。
--4月22日(土) 21:00--
「くっそぉおお!」
「おい、飛竜、いい加減に落ち着け」
十日前町支部についてからずっとこれだ。
時折り机に突っ伏したと思ったら拳で机を叩き、悔しさを全開にしている。
かつてないほど追い詰めたにもかかわらず、相手の用意していた伏兵に気付かず出し抜かれたことがどうしても許せないらしい。
俺だって悔しく思ってはいるが、飛竜ほどじゃない。
だが、飛竜にとっては一生の不覚と言える出来事だったようだ。
「すまなかった。パンデピスの怪人が3人以上出てくるなんて今までなかったからな。言い訳にしかならないが、お前のせいじゃないことだけは確かだ」
「誰の責任かなんてどうでもいいんですよ! 不利な状況を覆して怪人を倒せるくらいじゃないといけないのに、それができなかった自分が悔しくて……」
こいつもストイックな奴だからな。
ヒーローとしての結果が出せなかったことが一番嫌なんだろう。
何でもかんでも背負いこむ必要は無いが、こうじゃないとナンバーワンヒーローは名乗れないのかもしれないな。
「さて、これからどうするかの方が問題だな」
俺の一言に飛竜が顔を上げる。
レッドドラゴンが居ることがバレてしまった今、同じ手を使うことは難しいだろう。
そういった意味でも今回の作戦で何が何でも仕留めたかったというのが本音だが、過ぎてしまったことはどうしようもない。
それなら、やり方を変えるしかないな。
「飛竜、お前さえよければ積極的に出動してもらいたいんだが、どうだ?」
「全然構いませんが、どうしてですか?」
「"謎の怪人"といえども、毎回レッドドラゴンから怪人を助け出せるとは思えない」
今回は不運が重なった結果というのが俺の見立てだ。
恥ずかしい話だが、俺のパンデピスの怪人撃破率は全国でも最低だ。
まぁ、半分以上が"謎の怪人"による横やりのせいなんだが。
奴らの数があまり減っていかないからこそ、この膠着状態は続いていると言える。
「パンデピスはそこまで巨大な組織というわけじゃない。怪人を倒し続ければ、いずれ頭打ちになる時がくるはずだ」
「数を減らすことを優先するってことですね。任せてくださいよ!」
立ち直ったらしい飛竜が拳を反対の手のひらにあててパシンと打ち鳴らす。
やる気になってくれているのは良いことだな。
正直、レッドドラゴンにはもっと相応しい戦場がある気がしないでもないが、コイツをこのまま他のところに行かせたら、上の空で戦ってケガしてしまいそうだしな。
少なくとも、ある程度の戦果が出るまでは手伝ってもらった方がいいだろう。
特務隊員たちも今回は頑張ってくれた分、悔しさを感じている者たちも多い。
彼らの悔しさを晴らすためにも、俺たちヒーローが結果を出していかなければいけない。
今は焦らず、1つ1つ攻めていくんだ。
いずれ、パンデピスも"謎の怪人"も追い詰めてみせる!