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秘密結社パンデピス  作者: ゆきやま
6/37

強化スーツ盗難事件

--4月15日(土) 5:15--


 まだ薄暗い早朝に、私はガチャガチャと鳴る牛乳瓶を入れた自転車で商店街を行く。

 配送ルートもしっかり頭に入り、迷うことがなくなった私は着実にスピードアップしていた。


 早く配り終えても給金は下がらないので、遠慮なく帰ってしまって構わないというのが嬉しい。

 残りはもう1/4だし、日の出を迎える頃には配り終えることができるだろう。


「春はあけぼの、ようよう白くなりゆく、やまぎは少しあかりて、むらさきだちたる雲のほそくたなびきたる……」


 国語の教科書に載っていた清少納言の随筆、枕草子の一説を読み上げ、遠くの山を見つめた。

 ここからだと西側の山際しか見えないから、残念ながらその美しさを堪能することはできそうにない。

 でも、詩に謳われた美しさに及ばずとも、朝靄が山々や街並みを淡く霞ませる様子もまた美しいと感じる。

 自転車を漕ぐ私にとって少し湿った空気は心地よく、少し汗ばんだ額を優しく冷やしてくれた。


「あっ、通り過ぎちゃうところだった」


 景色に見惚(みと)れて少しだけオーバーランしてしまったが、問題なしだ。

 道端に自転車を止め、牛乳瓶入れから瓶に入った牛乳を取り出し、所定の場所に置いておく。

 牛乳瓶受けがあるお家にはそこへ、無いお家には玄関の脇が配送場所だ。

 これでよし!


「おはよう、好美ちゃん!」

「あ、おはようございます、アズマさん」


 特務防衛課の隊員であるアズマさんが通りがかり、声を掛けてくれた。

 以前と同じウィンドブレーカーと帽子の姿で、ジョギングの最中だったようだ。

 たしか、前回は6時過ぎに会ったと思うのだが、今は5時過ぎである。

 もしかしてこれから1時間以上走るのだろうか?


「何だか久しぶりだね! 元気してた? 学校はもう慣れた?」

「はい、元気です」


 アズマさんと話すのは約一週間ぶりだ。

 特務防衛課の隊員は危険な任務も多いはずだけど、特にケガもなさそうだし、元気そうで安心した。


「新学期でクラス替えして、お友達も増えました」

「うわぁ、クラス替えとか懐かしい! 楽しそうでいいな!」

「はい、楽しいですよ」


 よっしーのあだ名をつけられた後、私は輝羽ちゃんたちのグループに引っ張られ続けた。

 結果、なし崩し的にグループメンバーになってしまったのである。

 お互いが好きな漫画やテレビ番組などの話で休み時間が消し飛び、グループ外とも良く話すようになった。


 『目立たないようにする』という自分の願いとは反しているものの、話をするのは楽しい。

 それに、このくらいなら許容範囲だろう。

 輝羽ちゃんたちとも楽しい日々が続き、アズマさんとも再会できて、全てが幸せだ。


「アズマさんはここでの生活に慣れましたか?」

「あぁ、慣れたよ! 俺はどこに行っても慣れるのが早いんだよ」


 そうだろうなぁと思う。

 この明るくて気さくな性格と、人当たりの良さそうな笑顔があれば無敵じゃないだろうか?

 身体も健康そのものといった感じだし、多少の気候の変化なら体力だけで撥ね退けてしまいそうだ。


「まだ朝は寒いから、風邪に気を付けなよ! そんじゃ、またな!」

「はい、アズマさんもジョギング頑張ってください!」


 手を振って去っていくアズマさんを見送る。

 よーし、頑張ろう!

 テンションが上がった私は、残りの仕事を終わらせるべく自転車を止めていた場所に戻ることにした。

 残りの件数を指折り数えながら交差点を渡っていると――。


 どごん!


「うっ!?」


 鈍い音がして、私の視界がクルリと回る。

 冷たいコンクリートにダイブした私の耳に、自分の身体が叩きつけられる『ぺちっ』という音が聞こえた。

 痛みに呻きながら顔を上げると、先ほどまで自分がいた場所にスクーターが止まっている。


 どうやら私はあのスクーターに撥ね飛ばされたらしい。

 私が別のことに集中していたせいで気付かなかったのだろうか?

 エンジン音もブレーキ音も、一切しなかったような気がする。

 ついでに、異常なほどスピードが出ていた気がするんだけども……。


「やあ、好美ちゃん、朝から精が出るね」


 ヘルメットを外し、篤人さんが顔を出した。

 やっぱりと言う他ない。

 こんなとんでもない行動をするのは篤人さん以外にいないだろう。


「牛乳配達の時には突っ込んでこないはずじゃ……」

「ちゃんと牛乳瓶と自転車は()けたでしょ?」

「ちゃんと私も避けてください!」


 最近は牛乳配達の時に轢かれることがなくなったので油断していた。

 篤人さんは"謎の怪人"の正体が私だということを知っており、思い切り撥ね飛ばしても『痛い』くらいで済むことを知っているからか、ことあるごとに車両で体当たりしてくるのである。

 本人はワザとじゃないとか言っているけど、私は信じていない。


 私の様子を見て平気そうだと判断したようで、篤人さんが新聞紙を取り出しながら話を始めた。

 今日は土曜日であり、私もパンデピスの活動に参加する日だから何かしらの情報伝達に来たようだ。

 手には丸めた新聞紙を持っていて、ぽんぽんと手を叩いている。


「今日は例の男の話を持ってきたよ」

「例の男って、あの戦闘員モドキですか?」

「そう、あの女の子たちを追いかけ回していた全身スーツおじさんね」


 例の男というのは、輝羽ちゃんたちと仲良くなるきっかけになった事件で、強化スーツを着込み、輝羽ちゃん達を追い回していたおじさんのことだ。

 ライスイデン含む特務防衛課に捕まっていたはずだが、何かあったのだろうか?


「あの男、というか、あの強化スーツなんだけどね、パンデピスから流出した品だったみたい」

「えぇっ? 似せていたんじゃなくて、元々が同じものだったんですか!?」


 パンデピスに罪を被せる気だと思い込んでいたけど、まさかの濡れ衣だったとは。


「そうだったんだ……。勢いでかなりのダメージを与えちゃったけど、悪い事しちゃったかな」

「あんな使い方をしてたんだし、好美ちゃんが気に病む必要はないでしょ」


 まぁ、篤人さんはそう言うだろうな。

 篤人さん自身も時速300km轢き逃げアタックしようとしていたくらいだし。


 それよりも、という感じで篤人さんが少し声を小さくして言葉を続ける。


「ポイントなのは、あれはそもそも盗まれたもののようなんだ」

「強化スーツが盗まれたんですか? え、地下基地からですか?」

「そう。しまってあったはずのスーツが数着なくなってたんだ」

「紛失ではなく?」

「紛失ではないね。間違いなく盗まれているよ」


 篤人さんは備品の確認も行っているので、紛失していないという自信があるようだった。

 そして、あの男が地下基地まで入って来れるとは到底思えない。

 あの空間で窃盗が行われたということは、どう考えても組織内の人物による犯行だろう。


 篤人さんが手に持っていた新聞紙を広げた。

 そこには『"謎の怪人"、秘密結社パンデピスの裏切り者を始末か!?』という文字が躍っている。

 適当なことを書くなぁとか思っていたのだけど、この記事は『パンデピスの裏切り者』という1点だけ真実を掠めていたようだ。

 その記事によると、男はパンデピスとの繋がりについて黙秘を決め込んでいるらしい。


「あの男がどうやってスーツを手に入れたのか、こっち側も早く出所を調べないといけない。もし無断で取り引きをしている奴がいるなら、下手をしたら組織の出入り口まで突き止められかねないからね。結構やばい事態なんだよ」

「分かりました、私も調査に協力します」


 私も物資の移動にはよく携わるので、話を聞かれることは間違いないだろう。

 いきなり拷問みたいなことはされないと思うけど、しばらくは痛くない腹を探られることになりそうである。

 できるだけ早く解決することを願うばかりだ。



--4月15日(土) 8:00--


 秘密結社パンデピスの地下基地へと向かうと、いつもと様子が違っていた。

 全体的にピリピリしたムードが漂っており、いつもよりも多くの怪人たちが集まっている。

 心通わせた者以外の相手を疑いの眼差しで見つめていて、そのまま喧嘩に発展しそうだ。


「いよぉ、戦闘員21号。お前が犯人じゃねぇの?」


 アルマンダルが茶化すように、しかし疑念のこもった声で問いただしてきた。

 他の怪人たちからも、『こいつが発見者か?』といった話し声が聞こえてくる。

 あれ? そうなの? 聞いてないんだけど。


「僕が犯人なら報告なんてしないですよ」

「あの~、戦闘員21号。その情報、私に教えてくれないのは何でですか?」

「あれ、言ってなかったっけ?」

「聞いてません!」


「はっ、そりゃそうだな! 報告なんかする必要ねぇな!」


 私と篤人さんのやり取りで毒気を抜かれたのか、アルマンダルも大人しく引き下がってくれた。

 周りもほんの少しだけ空気が和らいだように思う。

 この険悪な雰囲気のままでいたらいたたまれないなんてもんじゃないし、まぁ、良かったのかな?


 あっ、篤人さん、まさかこれを狙って? ……考えすぎか。


「ふふふ、諸君、わざわざ集まってもらってすまないな」


 ノコギリデビルが現れ、全員の目がそちらに集中する。

 集められた意図は何なのか? もう犯人は分かっているのか?

 それぞれが興味を持って次の言葉を待っている。


「諸君らも知っている通り、我がパンデピスの地下基地から数着の強化スーツが盗まれていた。私は今、その所業を行った不届き者を探っているところだ」


 まだ犯人は見つかっていないと宣言され、何人かは周りの顔ぶれを見渡す。


「今ならまだ許そう。もし今すぐ名乗り出るなら処刑はしない」


 これは問題解決には最適かつ現実的な措置と言える。

 そもそも強化スーツ数着程度ならあまり問題にはならないのだから、譲歩できる範疇なのだろう。

 販売ルートから地下基地がバレることが一番の懸念点なので、犯人が協力してくれるなら手っ取り早く解決できる。


 しかし、残念ながら誰もが口をつぐみ、名乗り出る者はいなかった。


「ふむ、犯人には後悔させる必要があるようだ。処刑を望むとは、残念でならんよ」


 (かぶり)を振りながら、ノコギリデビルは犯人の処刑宣告を行った。

 見つかったら、より悪辣に言うなら犯人と見なされてしまったら、それは死を意味することになる。


 パンデピスは悪の秘密結社だ。

 集まった者たちも基本は悪人であり、犯人は濡れ衣を着せてでも生き延びようとするだろう。

 うかうかしていたら自分が処刑されることになった、などということにもなりかねない。

 厳しく周りを睨みつける者、まっすぐ前を見つめる者など、そこに居た者たちの反応は様々だ。


「私はひとりひとりに話を聞く。報告をくれた戦闘員21号は私の補佐だ」

「承知しました」


 篤人さんは既にノコギリデビルと話をした後のようだ。

 報告した者として信頼されているようで、たぶん書記でもすることになるんじゃなかろうか?


「ふふふ、始めるとするか。まずは戦闘員30号、ついてこい」

「ふぇ!? は、はい!」


 まさか1番に呼ばれるとは思わなかったので、変な声が出てしまった。

 歩き出したノコギリデビルに置いていかれないよう、私は慌てて後を追いかける。

 残された怪人や戦闘員に早くも不安や緊張感が漂い始めているし、できるだけ早く終わらせるようにしないと、また険悪な空気に戻ってしまいそうだ。


 私はノコギリデビルにくっついてエントランスの中央にある自動ドアをくぐり、通路を歩いていく。

 連絡通路と違い、絨毯が敷かれた廊下は靴音も聞こえない。

 その代わり、ゆったりとしたクラシックの音楽が小さく聞こえていた。


 通路の正面には国会議事堂かというくらい巨大な作戦会議室があるが、今回は使わないようだ。

 その前に存在する小さな会議室の1つに『強化スーツ流出ルート捜査本部』と書かれている立札が置いてあり、ノコギリデビルはその中へと入っていく。


「ふふふ、座ってゆっくり話をしてもいいが、君にはすぐに動いてもらいたい」

「えっ? あの、機材のことやアリバイとかを聞くのでは?」

「私は君を疑ってなどいないよ。そもそも、休みの日以外は来ていないのだからね」


 犯人が平日に盗んだのなら、確かに私が犯人になることはあり得ない。

 今週はずっと学校に行っていたのでアリバイもある。


「今回、Dr.(ドクター)ジャスティスにも協力を仰ぎたいと思っている」

「お父さんにですか?」


 私の父親は改造手術を施すマッドサイエンティストで、名前は『正義(まさよし)』だ。

 読み方はセイギではなくマサヨシなのだが、コードネームとしてDr.ジャスティスを名乗っているのである。

 名前と実体が全然あっていないが、本人は『皮肉が効いている』と気に入っている様子だった。


 なお、ノコギリデビルはほとんどの怪人、戦闘員の正体を知っており、私の本名はもちろん、お父さんと親子であることもしっかり把握しているのだ。


「そう、君の御父上だ。我らパンデピスには本格的な諜報機関は存在していない。捜査をすると言ってもノウハウが不足している。Dr.ジャスティスなら何か良い知恵を貸してくれるだろう」

「分かりました。聞いてきますね」


 たぶん家でごろごろしているだろうし、話を聞くくらいはしてくれるだろう。

 ただ、正直言って私はお父さんのことはあまり信頼していないのである。

 組織のことだし、多少はまじめに考えてくれるといいのだが……。


「ふふふ、戦闘員21号も一緒に行くといい」

「分かりました。さっそく行こう、好美ちゃん」

「はい、行ってきます」


 私は頭を下げると、篤人さんと一緒に部屋を出ていく。

 私たちと入れ違いになるように、受付のお姉さんが怪人の一人を部屋に連れてきていた。


「ふふふ、簡単な聞き取り調査だけだ。畏まらなくてもいい」


 部屋から小さくノコギリデビルの声が漏れ聞こえてくる。

 私たちも解決に尽力せねばならない。

 捜査の知恵を授かるべく、篤人さんと私は私の自宅へと向かった。



--4月15日(土) 10:00--


「ただいまー」

「おかえりー」


 私が家に帰るとゆーくんがお出迎えしてくれた。

 少し驚いた顔になっているあたり、私が戻ってきたことは意外だったようだ。


「さっき姉さんの友達が来てたよ」

「そうなの? 輝羽ちゃんたちかな?」


 今まで親しい友人などいなかったから、家まで訪ねて来られるというのが新鮮だ。

 普通の子供は休日には遊ぶものだろうけど、私は組織の活動でそもそも家にいないことが多い。

 疑いをもたれないよう、今のうちにうまい言い訳を考えておく必要がありそうだ。


「姉さん、今日はもう終わり?」

「ううん、一度戻ってきただけ。お父さんは?」


 居間を見てもいないし、どこかに出かけているのだろうか?


「動物たちの世話をしてると思う。そろそろ戻ってくるんじゃない?」

「そっか。私から会いに行った方が早いかなぁ?」


 動物たちというのは、ここから更に坂を上がったところにある【ふれあい広場】にいる動物たちのことだ。

 お父さんは組織の研究の一環として、様々な動物を集めているのである。

 兎や犬、猫はもちろんのこと、たまに大型の獣である虎なども来ることがある。

 今はトナカイやらアルパカやらがいたはずだ。


 ちなみに、【ふれあい広場】の名の通り、誰でも中に入って遊ぶことができる。

 餌やりはご法度だが、お父さんが持ってきた餌を代わりに与えることは許可されている。

 ご近所では有名スポットになっていて、餌の時間を狙ってやってくるご家族もいるくらいだ。


「なんじゃ、篤人くんがこの時間に来るとは珍しいのぅ」

「お疲れ様です、ドクター。いやぁ、仕事の途中で立ち寄ったんですよ」


 家の外からお父さんと篤人さんの声がする。

 ちょうど戻ってきたみたいだ。


「「おかえりー」」

「ただいま。好美もおったんか」

「うん、組織のことで相談があるから戻ってきたの」

「それはこんな玄関で話すことじゃないじゃろ?」


 少し土で汚れた白衣を纏ったお父さんが家の中へと入っていく。

 確かに、こんな場所で話していたら誰に聞かれているか分かったものではない。

 私もお父さんに続いて家の中へ入った。


「篤人くんも上がりなさい」

「おじゃましまーす」


 居間に移動した私たちは、電気が入っていないこたつに足を突っ込んで向かい合った。

 ゆーくんが気を利かせてお茶を持ってきてくれた。

 我が弟はできる子なのだ。


 その後、ゆーくんはすぐに退室する。

 家族会議で、ゆーくんは組織の話には関わらないと決めているのである。


「……それで、ワシに話を持ってくるとは、どんな事態なんじゃ?」

「お父さんもまだ聞いてないんだ? 強化スーツが盗まれたから犯人を捜してるんだ」

「地下組織内での犯行で、どうやって調査したらいいか知恵を借りてこいと指令が出たんです」

「身内が犯人というわけじゃな」


 お父さんが白く染めた顎髭を触りながら遠くを見つめる。


「方法がないわけでもないが……」

「さすがドクター。どんな方法なんです?」


 良い報告を持って帰れそうだと分かって、篤人さんが喜んでいる。

 いや、どちらかというと刑事ドラマの続きを見る感じの喜び方かもしれない。

 どうやって犯人を追い詰めるのか興味津々といった様子だ。


「くっくっく、おいそれと教えてやるわけにはいかんのぉ……」


 妙に芝居がかった言い回しで協力を渋り出した。

 わざわざ笑い声を変えているあたり、モチーフでもあるんだろうか?

 そのセリフ、悪のマッドサイエンティストというより見返りを求めるチンピラっぽいんだけど。


「お父さん、何言ってんの?」

「ドクター、いったいどうすれば協力してくれるんですか?」


 塩対応の私とは反対に、篤人さんが猿芝居に乗ってしまった。

 私は乗らないからね?


「くっくっく、それならば……」


 お父さんが立ち上がり、わざわざ私たちに背中を向ける。

 もったいつけてないで、早く言って欲しい。

 どうせくだらない条件を言い出すに決まっているんだから。


「今日の昼に、カップラーメンを所望する!」


 バッと振り返りながら手をかざし、どや顔をして言い放った。

 格好つけているものの、内容はやっぱりくだらないことだったので力が抜ける。


「ひゃっひゃっひゃ! 協力するんじゃから、ちょっとした見返りくらい当たり前じゃろ?」

「もぅ、カップラーメンくらい用意するから早く教えて!」

「契約成立じゃな! 準備してくるから、ちょっと待っとれ!」


 お父さんはかなりのカップラーメン好きで、カップラーメンばかり食べていた時期があった。

 私が健康を心配して禁止令を出したのだが、ずっと食べちゃダメと言ったわけではなく、1週間に1個なら許可をしている。

 わざわざ交換条件に出すほどでもないし、単に悪役っぽいことを言ってみたかっただけに違いない。


「あ、篤人くん、盗まれたのがいつぐらいか分かるかのぅ?」

「僕が強化スーツを最後に確認したのは3月の終わりですね」

「なんじゃ、割と最近じゃな」


 お父さんが居間を出て自分の部屋に向かい、何やらガサゴソと作業を開始した。

 私はちょっと良いカップラーメンでも買おうかとチラシを取り出し、眺めてみる。

 機嫌を損ねるのも面倒なので、多少は奮発してもいいだろう。


 と、思ってはみたものの……。

 う~ん、見返り、安いなぁ。

 高いやつでも300円ちょっとあれば足りるよ。


「準備できたぞい!」


 10分くらいで、すぐにお父さんが戻ってきた。

 その手に何やらA4サイズの紙を持っている。


「ほれ、これでどうじゃ?」


 お父さんが数枚の紙をこたつのテーブルの上に置いた。

 指紋を調べる道具でも持ってくるのかと思ったが、プリントアウトしたデータを持ってきたようだ。

 そこには怪人や戦闘員の名前とよく分からない数字が2列並んでいるが、これはいったい何だろうか?


「なるほど、地下基地の扉の番号と、バッジを使って開いた時間ですね?」

「正解じゃ! ここにあるのは最近1ヶ月ほどの情報じゃよ」


 私には分からなかったが、篤人さんはピンときたらしい。

 どうやら1つ目の数字が日時、2つ目の数字が扉の番号を示したもののようだった。

 怪人や戦闘員の名前はそれぞれが持っているバッジのIDに登録されているので、照合は簡単だ。


 私はいつも篤人さんと一緒にいて、その篤人さんが扉を開くことが多いからか、このプリントにはほとんど戦闘員30号の名前は出てこない。

 その分、戦闘員21号の名前はかなり頻繁に登場している。

 このデータがあれば、少なくともアリバイについてはある程度まで把握できそうだ。


「戦闘員14号の基地への入退室記録が途絶えている……?」


 紙とにらめっこしていた篤人さんがぼそりと呟いた。

 戦闘員14号というと、たしか少しヤンチャな兄ちゃんといった感じの人だったはずだ。

 『すぐ怪人になってやる』とかよく言ってたっけ。


 戦闘員の中には怪人志願者が多くいるのだ。

 組織に忠誠を誓い、功績を立てることで改造手術を受けることができるのである。


「奴は功績を積むために作戦への参加にも積極的じゃから、基地への出入りも頻繁だったんじゃが……」


 それがある時間を境に、ピタリと途切れてしまっている。

 さらに……。


「最後に開いた扉が、倉庫ですね」


 戦闘員14号の行動がそこでぷっつり途切れ、分からなくなっている。

 倉庫に入って音沙汰がなくなるというのはどういったことだろうか?

 何かを持ち出したというなら基地から退室したところで情報が途絶えるはずなのに。


「……好美ちゃん、戻ろう」

「えっ?」

「まずは戦闘員14号の所在を確認しよう。こういうのは早い方がいいからね」

「うん、分かった」


 篤人さんがそう言って立ち上がる。

 私たちは家を飛び出し、軽トラに乗り込んだ。


「じゃあ、行ってきます! お父さんはカップラーメン好きなの買っていいよ」

「お主ら用心せぇよ? 不意打ちに注意するのはもちろん、濡れ衣を着せられんようにな」

「うん、気を付けるね」


 お父さんの忠告に頷き、軽トラで再び地下基地へと向かう。

 戦闘員14号はどこへ消えたのだろうか?

 ノコギリデビルは聞き取り調査を行っていたので、そこで何か分かるといいのだが。



--4月15日(土) 12:30--


 地下基地に戻ってノコギリデビルに連絡を入れたところ、13時まで待機を命じられた。

 まずは聞き取り調査を終わらせ、それから話を聞くとのことだった。

 お昼過ぎになるということで、私たちは先に昼食である。


「戦闘員14号はいないみたいだね」

「本当に、どこに行っちゃったんですかね?」


 私は作ってきたお弁当を、篤人さんは買ってきたパンを口に入れながら周りを見渡した。

 怪人や戦闘員が昼食を取っているが、その中に戦闘員14号の姿は見えない。


 この施設内には食事を出すところも存在しているが、ほとんどが酒か保存食の類だ。

 売っている物もスーパーと同じ品ぞろえだし、お金はしっかり取られるので私は常にお弁当である。

 篤人さんは飲み物を買い忘れたらしく、瓶の牛乳だけ購入していた。


「購買のお姉さんも戦闘員14号は数日、見ていないってさ」


 篤人さん、ちゃっかり聞き取り調査も済ませてきたようだった。

 もし地下基地に留まっているなら食料をどうするかという問題もあるし、聞いておくことは正解だろう。

 さすが、こういったところは抜け目がない。


「大々的に調査するわけにはいかないからね。ノコギリデビル様に報告してからにしよう」

「そうですね、事件に関わっているなら、犯人に余計な情報を与えない方がいいですし」


 何だか探偵になった気分だ。

 こんな浮ついた気持ちではダメなんだろうけど、少しその気になっている自分がいる。

 犯人、見つかるかな?


「失礼します。ノコギリデビル様がお呼びですので、本部へいらしてください」


 受付のお姉さんが現れて、ノコギリデビルからの連絡を伝えてくる。

 少し指定された時間よりも早いかったので、私は慌ててお弁当の残りを平らげた。

 さっとテーブルの上を片付けた後、私たちは対策本部へと向かう。


「戦闘員21号、30号をお連れしました」

「うむ。入れ」

「失礼いたします」


 捜査本部の部屋に入り、私たちはノコギリデビルと向かい合う形で椅子に座った。


「ふふふ、待たせてすまなかったな」

「いいえ、とんでもない。早速ですが見ていただきたいものがあります」


 篤人さんがプリントをノコギリデビルに渡し、戦闘員14号の入退室記録のことを説明する。

 ノコギリデビルは資料に目を通すと、立ち上がってホワイトボードに日時を書き出し始めた。


 4月7日 8:15 ~ 4月7日 10:30


「この時間に何かがあったことは間違いあるまい」


 私はぼーっと見ていただけだが、篤人さんはノコギリデビルの言葉に力強くうなずいた。

 この時間内に戦闘員14号が何か起こしているのは間違いなさそうだ。


「戦闘員14号ですが、エントランスにはいないようでした。購買部もここ数日ほど見ていないと」

「ふむ、そうか。そうなると……」


 ノコギリデビルがやや沈んだ声で唸った。


「戦闘員14号は、恐らくもう死んでいる」

「!?」


 突然の不穏な発言に、私は息をのんだ。

 戦闘員14号が、もうこの世にはいない?


「盗む現場を見てしまって、口封じに殺された……ということですね」

「君もそう思うかね、戦闘員21号」

「はい。それが一番、可能性が高いと思います」


 篤人さんが静かにゆっくりと言葉を紡いだ。

 前を向く篤人さんの横顔はいつもと変わらないが、その瞳の奥に冷徹な光が見えた気がする。


 この時点で私たちの任務はただの窃盗の犯人捜しではなくなった。

 もし本当に戦闘員14号が殺されているなら、私たちが追っているのは仲間殺しの裏切り者である。

 探偵気取りの浮ついた気持ちは消し飛んだ。


「とはいえ、証拠がない以上は予測でしかない。戦闘員21号、30号。もう一度、倉庫を調査せよ」

「承知しました。すぐに取り掛かります」

「ふふふ、私は食事を摂ってから向かう。他の者たちには倉庫に近づかないように連絡しておく」


 ノコギリデビルが受付のお姉さんに顔を向けると、お姉さんは頭を下げて出ていった。

 これからエントランスに居る全員にノコギリデビルの言葉を通達しにいくのだろう。


「僕たちは倉庫だ。行こう、戦闘員30号」

「はい。……それでは、失礼します」


 私は一礼をして捜査本部を退室した。

 廊下に出た私たちは、エントランスと逆方向に歩みを進める。

 倉庫は地下2階だ。


 パンデピスの地下基地の階移動は基本的にエレベーターであり、巨大な作戦会議室の前や、エントランスの近くにも業務用エレベーターなどが存在している。

 私たちは作戦会議室前のエレベーターに乗り込んで地下2階へと向かった。


「好美ちゃん、分かっているよね?」


 エレベーターの中で篤人さんが唐突に呟いた。

 そこにいつもの飄々とした雰囲気は無く、感情が感じられない声だった。

 要領の得ない発言のように聞こえるが、彼が何を言いたいのか私には分かっている。


「はい、分かっています。"犯人を助けない"ですよね?」


 私の言葉を聞いて、篤人さんは小さくうなずいた。


 悪の秘密結社とはいえど、最低限のルールは存在している。

 パンデピスにおいて仲間殺しはご法度で、その末路は"死"だ。

 そして、もし犯人に協力していると見做されれば、その協力者も粛正対象になる。


 本当に戦闘員14号が殺されていたのだとしたら、"謎の怪人"がその犯人を助けることは無いだろう。

 もし運が悪かったら、私や篤人さんだって殺されていたのかもしれないのだ。

 仲間を殺めた犯人を助けたいと思えるほど、私はお人好しではないのである。


「さて、倉庫には証拠となるものが残っているといいんだけど……」


 いつもの雰囲気に戻った篤人さんと共に、閑散とした地下2階を進んでいく。

 地下2階には巨大な闘技場やトレーニング施設、武器や装備品の倉庫がある階層になっている。

 普段は闘技場でちょっとした腕試しが行われたり、技の試し打ちが行われたりしているのだが、今は人払いの影響からか誰もいないようだった。


 普段は使われないものをしまってある倉庫は闘技場の少し奥まったところに存在している。

 篤人さんがバッジをかざして扉を開き、私たちは倉庫の中へと足を踏み入れた。


 少し広いが、雰囲気としては体育用具室のイメージに近いかもしれない。


 様々な装備品やむき出しの機材が木箱や段ボール箱に入れられている。

 倉庫自体はそれなりに使われているせいか(かび)臭さは感じないが、この状態であれば何か1つ無くなっても気づかれないと考えても仕方ないかもしれない。


「戦闘員21号、強化スーツが入っていたのはどこですか?」

「こっちの奥の段ボール箱の中だね」


 そんな雑多な倉庫で、篤人さんは何がどこにあるかきっちり把握している様子だった。

 私はただのお手伝いだが、篤人さんは備品の整理を任されているエキスパートだ。

 その知識量の差は、きっと私が思っているよりも大きいのだろう。


「今までは窃盗っていう観点だけで見ていたけど、もしここで戦闘行為があったのだとしたら……」


 篤人さんがライトを取り出し、壁や地面を照らしながら調べ始めた。

 私も違和感を感じるところがないか目を凝らして見て回るが、いつもの倉庫といった感じにしか思えない。


 何も見つからなかったらどうすればいいんだろう?

 ぼんやりとそんなことを考えていた私は、足元に置かれていた木箱を何となくひっくり返してみることにした。


 これはレーザーガンを分解したやつ、これは戦闘員用のベルト……。

 1つ1つ備品を取り出していく。

 そして戦闘員の靴を取り出したところで、その中から何かが転がり出てきた。

 かつん、と音を立てて何かが転がっていく。


「あれ、何だろ?」


 その何かを、転がった先にいた篤人さんが拾い上げて目を見開いた。


「戦闘員30号、大手柄だよ!」

「えっ? それって……」


 篤人さんが持っていたものは戦闘員のバッジだった。

 照合してみないと分からないが、たぶん、戦闘員14号のものではないだろうか?

 つまり、戦闘員14号は何らかの拍子に自分のバッジを失ったということであって……。


「……戦闘員30号、力仕事をお願いしてもいいかい?」

「え? はい、いいですけど」


 篤人さんが倉庫の奥にある大きなケージを指さした。

 動物用のケージっぽいけど、今は備品が雑多に詰め込まれていて簡単には動かせそうもない。

 ただ、通常状態でも怪人の力を使える私ならすぐに持ち上げることはできる。

 あれを動かせということだろう。


 まずは篤人さんと一緒にスペースを確保し、ケージを移動させることにした。


「それじゃ、行きますよ?」

「うん、よろしく」


 私はケージを中身ごと移動させた。

 あまりの重さに、持っている部分がちょっと歪んでいる気がするけど、大丈夫だよね?

 備品を壊した扱いにされたらいやだなと思っていた私は、次の瞬間にそれどころではなくなった。


「うえぇ、なに、この匂い!?」

「……くさいね」


 篤人さんは予想していたのか大して反応しなかったが、とんでもない匂いが発生していた。

 気持ち悪くてくらくらしてくる。

 私がどかしたケージの下には小さな穴が開いており、その中には……。


「戦闘員14号……」


 息絶えた戦闘員14号の亡骸が床下の空間に討ち捨てられていた。

 周りに飛び散っている黒ずんだ液体は血の跡だろう。

 少し腐敗が進んでいるようで、悪臭が鼻を衝く。


「戦闘員30号、彼は最後まで抵抗してくれていたようだよ」

「えっ?」


 思わず目を背けた私と違い、篤人さんはしっかりと目の前の惨状を直視していた。

 戦闘員14号の指先には【アナムジナ】の文字が書かれている。

 これは、ダイイングメッセージというものだろう。

 彼は自分の血を使い、最後の力を振り絞って犯人の名前を書き残してくれていたようだ。


「犯人は怪人【アナムジナ】で間違いないね。戦闘員14号のすぐ後に倉庫を出ていった人物だよ」

「その情報がすぐ出てくるってことは、戦闘員21号、予想していたでしょ?」


 やっぱり、といった表情の篤人さんにちょっとぶー垂れてみる。


「思い込みをしたまま調査したらまずいからね。戦闘員14号が死んだとも確定していなかったし」

「確かにそうですけど……」


 今は、目の前に戦闘員14号の亡骸がある。


 それを見つめていると、私は急に胸の奥が重苦しさを感じた。

 悪臭よりも、それ以上に目の前にある"人の死"というものを私の心が拒否している。

 そんなに親しい間柄でもなかったはずなのに……。


「好美ちゃん、大丈夫?」

「……あまり、大丈夫じゃないかもしれません」


 私、心の準備が足りなかったみたいだ。

 死んでるかもしれないという情報を持っていたにもかかわらず今も狼狽している。

 理由もなく大泣きしてしまいそうだ。


「一度倉庫から出よう。幹部が来たら引き継いで、僕らの仕事は終わりだ」

「うん……」


 篤人さんに促されて、私は倉庫の扉を開こうとした。

 しかし、外の誰かがバッジを使ったらしく、ピッという音と共に扉のロックが外される。

 その瞬間、すごく嫌な予感が膨れ上がった。


「ノコギリデビル様――」

「違う、避けて!」


 戦闘員21号を突き飛ばし、自分もその反動で反対側へと身を躱す。

 私たちのいた場所に鋭いドリルのような攻撃が繰り出されていた。


「ちっ! うまく避けやがった。手間取らすんじゃねぇよ!」


 穴が開いた鉄製の扉からドリルが引き抜かれる。

 残っている鉄製の扉が思い切り蹴り飛ばされ、留め具が外れて完全に取り払われてしまった。


 扉を壊して入ってきたのは、仲間殺しの犯人、アナムジナだった。


 怪人【アナムジナ】。

 アナグマの怪人であり、鋭利な爪の攻撃を得意とする。

 手刀をドリルのように回転させる攻撃は簡単にコンクリートを貫き、まともに喰らったらヒーローとは言えどもタダでは済まないだろう。


 稀有な特徴として、ヒーローに負けても自力で逃げ延び、生き残っていることだ。

 "謎の怪人"に助けられずとも、穴を掘る能力で敵を欺いたと聞いている。


「僕が思うに、戦闘員14号を殺したのは貴方ですね?」

「はっ、もう分かってんだろ? しらじらしい」


 篤人さんはゆっくりと時間をかけて立ち上がり、アナムジナにゆったりとした口調で話しかけた。

 これ、たぶんノコギリデビルが来てくれるまで時間稼ぎをするつもりだ。


「何で戦闘員14号を殺したんです?」

「分からねえのか? 今のお前らと同じだよ。見られたからには生かしちゃおけねぇだろ?」


 アナムジナは自慢の爪をカチカチと鳴らしながら近づいてくる。

 ここは逃げ場のない倉庫だからか、随分と余裕を見せていた。


 話を聞いていたら少し頭が冷静になってきた。

 とにかく時間を稼ぐ。

 ダメそうなら、私の出番だ。

 篤人さんを死なせるくらいなら怪人だとバレた方がましだ。


「あの、バカですか?」

「何だと?」


 よし、簡単に挑発に乗ってくれた。

 篤人さんに向かっていた足を止め、私の方に身体を向ける。


「バカですよ。盗んだものを戻して『誰にも言うな』って言えばこんな大ごとにならなかったんです。もし売ってしまった後でも、お金を戻して売買のルートを公開すれば大した罰は受けなかったはずなのに」


 私の啖呵に、アナムジナが面白くなさそうに頬を引くつかせた。

 何も言い返してこないところを見ると、自分でもバカな行動をしたと思っているらしい。

 今さら後悔しても、もうどうにもならないが。


「僕、知りたいなぁ。そのお金で何をしたのか、とか」

「あぁ、そうだな。冥途の土産として教えておいてやるか」


 再び篤人さんに注意が向いてしまった。

 私が煽りすぎてしまったのか、殺意がかなり高まってしまっている。


「ちょっと遊びすぎちまってなぁ。金が足りなかったんだよ。素敵な理由だろ?」

「遊ぶ金欲しさってやつですか? 冥途の土産にするには、ありきたりすぎかなぁ」


 アナムジナは篤人さんの返しの言葉を聞いてにやりと笑い、一歩前に踏み出した。

 これはもう限界だろう。

 私は黒いブローチを手に持ち、合言葉を――


「そこまでにしてもらおう」

「誰だ!?」


 私が変身しようと決心したタイミングで何者かの声が聞こえてきた。

 壊された倉庫の出入り口から聞こえており、その先の空間を全員が見つめる。


 開いている扉の先には誰もいなかった。

 目を凝らしてもその姿を捕えることができず、全員が目をしばたたかせる。

 そうしていると突如として入り口の周りから植物の蔦が現れ、みるみるうちにアナムジナに巻き付いていった。


「なんだこりゃ!? うぉおおおお!?」


 その蔦はアナムジナの抵抗を許さず、倉庫から彼の身体を引きずり出した。

 私と篤人さんも顔を見合わせ、倉庫を出て闘技場へと目を向ける。

 戦いを盛り上げるためのライトが、一人の怪人の姿を鮮やかに浮かび上がらせていた。


「どうだ? 【ブラッディ・バインド】を受けた感想は」

「てめぇ、新入り!」


 外にいたのはブラッディローズだった。

 拘束したアナムジナを手元まで手繰り寄せると、悠々と闘技場の真ん中へと移動していく。

 そして、闘技場の中央まで進んだところで入場口からノコギリデビルが姿を現した。


「ふふふ、これは面白い状況になっているな」

「笑っている場合ではないぞ、ノコギリデビル。もう少しで戦闘員21号が死んでいたところだ」

「それを止めてくれたということか。見事だ、ブラッディローズ。君をよこして正解だったな」


 ノコギリデビルがこちらを確認し、いつもの含み笑いを見せた。


「もう大丈夫そうだね。犯人が捕まっているわけだし、わざわざ来てもらわないで済む方法を取ろうか」


 篤人さんが倉庫の中へ向かい、デジカメで写真を撮って戻ってくる。

 私たちとノコギリデビルは、ブラッディローズとアナムジナがいる闘技場の中央へと集合した。


「戦闘員14号の遺体と、ダイイングメッセージがありました」

「倉庫を出ようとしたところで、アナムジナに襲われました。ブラッディローズが来てくれなかったらどうなっていたことか」


 写真を見せながら説明すると、ノコギリデビルは含み笑いをしたままアナムジナを見下ろした。

 その目に冷たい光が宿る。


「ふふふ、諸君らの協力に感謝する。このまま最後まで見届けるか否か、選ぶがいい」

「それは私にも言っているのか?」


 アナムジナを拘束しているブラッディローズが疑問を呈した。

 見届けないを選んだら、必然的にブラッディ・バインドを解くことになる。

 アナムジナをわざわざ開放することになるから選択肢がないのでは、と言いたいのだろう。


「ふふふ、特に問題は無い。好きに選ぶがいい」


 だが、ノコギリデビルはもう一度、好きに選べと言った。

 拘束されていてもいなくても、アナムジナをねじ伏せるだけの自信があるのだろう。


「それなら、拘束をほどき、最後まで見届けさせてもらいたい」

「ふふふ、それも良かろう」


 ブラッディローズはノコギリデビルが戦っているところを見たいようで、そんな提案をしていた。

 私もノコギリデビルの実力は少し気になるし、戦う相手がヒーローなら興味を持つかもしれないが、今の私はそんな気分にはなれなかった。

 たとえ裏切り者といえど、誰かが死ぬのを見るのは避けたい。


「僕らは失礼します。申し訳ございませんが、販売経路の調査などは他の戦闘員に……」

「ふむ、かなり苦労を掛けてしまっているな。今日はもう良かろう、ゆっくり休むといい」

「ありがとうございます。じゃあ、戦闘員30号、僕らはお暇しよう」

「はい、失礼します」


 これ以上は辛かったので助かった。

 ご厚意に甘えて、今日はもう休むことにしよう。


 最後に、ちらりとアナムジナの顔を見た。

 口をつぐんだその顔は焦燥にかられ、酷く汗ばんでいるように見える。

 明日からは彼の姿を見ることはないだろう。

 殺されてしまった戦闘員14号の姿も。


 私たちは怪人たちの犇めくエントランスをすり抜け、地上へと戻っていった。


「好美ちゃん、この後ドライブなんかどう?」


 心が苦しさで溢れそうになっている中、篤人さんがそんな提案をしてきた。


「どこに行くつもりですか?」

「そうだねぇ、海にでも行ってみようよ。1時間くらいで着くでしょ」

「安全運転してくれるならいいですよ?」


 篤人さんがいつもの飄々とした感じで気晴らしに誘ってくれる。

 『早く忘れろ』と言ってくれているのだろう。

 こういった時に気を使ってくれる人がいるのはありがたい限りだ。


「それじゃ、出発だね!」

「はい。……ありがとうございます」

「いいっていいって!」


 ただ、今日はほとんど頼り切りになってしまって、少し悪い気もしてくる。

 明日はお返しに、何か料理でも作ってあげようかな?



--4月15日(土) 18:00--


「つながらないか」


 電話の受話器を持った警察署の署員が、俺を見て首を横に振る。


 ここは十日前町の警察署だ。

 俺、上杉一誠は特務防衛課の代表として警察にお邪魔している。


 強化スーツを持った男から得た情報をもとに、警察は販売経路の特定を急いでいた。

 恐らく、寸でのところでパンデピスの奴らも情報工作に動いたのだろう。

 肝心なところで、手繰っていた糸が途切れてしまった。


「すみません、我らの力不足です」

「顔を上げてください。確かに直接的な結果は出せませんでしたが、集めた情報は今後の捜査に役立てることができるはずです」


 足を使い、聞き込みを続け、情報をかき集めたその努力は相当なものだった。

 それでも届かなかったのは、天運とかそういった類の人知が及ばない部分で決まったことだと思う。


「ミスがあったわけではありません。誰にも、どうにもできないことだった。胸を張ってください」

「ありがとうございます。ですが、力が足りなかったのは事実。我らもより強くならねばなりません」


 そう言って警察官たちが目線を上げる。

 俺たちヒーローもそうだが、彼らも『頑張りました』じゃすまない世界で戦っているのだ。

 悔しさと決意を秘めたその目に、俺は決して少なくない頼もしさを感じる。


 警察はヒーローや特務防衛課と比較され、何かとバカにされやすい。

 しかし、彼らの力は俺たちにとって重要だ。

 世間に紛れた怪人や協力者の存在を調べることができるのは、警察の力があってこそなのだから。


 もし基地の場所が分かれば、そこに総動員したヒーローたちで攻め入ることができる。

 振って沸いたような話だった今回の強化スーツの件は、あと少しで直接やり取りをしていたであろう人物を捕まえられるといったところまで行ったのだ。

 彼らの奮闘は、パンデピスをあと一歩まで追い詰めたと言っても決して過言ではない。


「俺たちは、あなた方を頼りにしています。どうかまた共に戦って下さい」

「もちろんです」


 警察官たちが敬礼を行い、俺も同じく敬礼を返した。


「全部終わったら、一緒に酒を飲むか」

「弱いんだからやめておけばいいんじゃないですかね?」


 馴染みの警察官からあっさりやめろと言われ、周りからは笑いが起こる。

 前向きになれるように、ちょっといいこと言おうと思ったらこれだよ。

 こりゃ、忖度は必要なかったかな?


「旨い店でも押さえておく。警察の情報網を舐めるなよ?」

「やれやれ、そりゃ職権乱用だ。まぁ、そん時は頼むぜ」


 いつでも、このくらいの楽なやり取りを続けられるようになれたら最高なんだがな。


 秘密結社パンデピスとの戦いはまだ終わらない。

 敵もさるものだが、俺たちの仲間もまた、弱くはない。


 必ずどこかで光が差すはずだ。

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